ストックなら、ある ―シオン―
窓の外で陽が落ちかけている。
私はノートを開いて、ペンを構えた。あの男に、何かしらのラベルを貼ろうとした。書きかけの線が、白紙に短く残る。続きが、続かない。
最初は「観察対象」と書こうとした。指が止まった。次に別の言葉を浮かべる。それも届かない。
非効率で、騒がしくて、名前に取り憑かれている男。クラス対抗戦の砂塵、決勝の地響き、野営の焚火越しに見た横顔——それらが順序なく頭をよぎった。あと数日で進級試験という時期に、私の手元には対策案がない。代わりに、横線だらけの観察ノートだけがある。
大魔道士の天井問題。私はずっと、知っていて考えないようにしてきた。才能の範囲内で組み立てる戦術。その先に伸ばす方法を、私は持たない。あの男の隣にいると、向き合わずに済んだ。それは事実だ。
ペンを置く。書けない一行のまま、ノートを閉じた。
指先が、冷たかった。
◇
◇
翌朝、練武場。
あの男が床に座っている。広げたノートの表紙は、まだ白い。隣には、横線だらけの古いほうが置かれていた。使い切った名前たちが刻まれている。刃で紙を切ったような細い線。読み返すたびに、あの戦いが甦るのだろう。
壁にもたれて、私はその様子を見ていた。声はかけない。
あいつはペンを取ったが、すぐには下ろさない。白い表紙を、ペンの背でゆっくり撫でる。それから、横線だらけのほうをそっと閉じた。捨てるのか。そう思った瞬間、あの男は古いほうを鞄に丁寧にしまった。背表紙に指を添える時間が、長い。
「全部、俺の名前だから」
独り言だった。私の方は見ていない。
気がつくと、自分が何を観察していたか、言葉にできなくなっていた。あの男のやり方は私の天井問題には繋がらない。そう切り離して考えてきた。だが、いまその切り分けが、上手くいかない。
白い表紙のページが、風にめくれる。あの男はまだ、最初の名前を書き始めない。
◇
◇
壁から離れる。あの男の背中に向けて、声を出した。
「……次の遠征、私も行く」
「お、マジで?」
「学術調査」
「はいはい」
あいつはノートに視線を戻して、もうこちらを見ない。ペンの背で、また白い表紙を撫でているのが目の端に映る。軽い。あんまり軽い。私の言葉が、どこに着地したのかわからない。
練武場を出る。背後で扉が静かに閉まった。廊下の窓から、陽が差し込んでいる。歩きながら、心の中でもう一度繰り返す。
学術調査だ。——嘘じゃない。嘘じゃ
◇
◇
別日の朝、学院の正門で、あの男が立ち止まった。鞄から白い表紙のノートを取り出して、空に掲げる。
「——ストックなら、ある」
呟いた。独り言だ。
私は後ろから、その背中を見ていた。同じ言葉だ。鑑定の日、広間で聞いたのと同じ。
プロットが尽きましたのでいったんここまでとします。
お読みくださいましてありがとうございました




