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46話

 


「こちらにある最高級のフレンチオークの小樽にワインを入れていきましょう。ほんのわずかな時間でも変化が訪れるはずです」


 ラピエルは、自分が手配したワイン樽を誇らしげに指し示しました。


「ちょっと大きすぎないですか?」


「これでもワイン樽の中では小樽に属するものです。ほんの三リットルほどしか入りませんから」


「このデカンタで作ったものを移し替えていくわけですね」


「移し替える作業は私の方でやらせていただきます。かなり時間はかかると思いますので、疲れた場合は遠慮なく仰ってください」


「わかりました。それじゃあ早速やっていきましょう」


「ねえクロエ。いっそのこと、樽に入れた『水』をそのまま丸ごとワインに変えることはできないの?」


 シェフの格好をしたディアヌが、ひらめいた顔で言いました。


「いままでグラスでしかやったことがないんだけど……」


「こっちの方が移し替える作業がなくなるから、早く終わりそうじゃない?」


「やってみましょうか」


「気を付けるのよ?」


 カトリーヌが真剣な表情で釘を刺しました。


「少しでも体調に異変を感じたら、すぐに止めるのですよ? 万が一『魔力欠乏症』にでもなって倒れたら大変よ?」


 魔力欠乏症とは、短時間に許容量を超えた魔力を放出した魔法使いが、意識を失い昏睡する恐ろしい症状です。クロエは「はい、気をつけます」と素直に頷きました。


「それでは早速、準備に移りましょう」


 ラピエルが中心となり、慎重に樽の中へ水を注いでいきます。


「まずは様子見で、三分の一ほどにしておきましょうか」


「そうね、それが安全よ」


 準備が整うと、クロエは見本となる市販のデザートワインを一口含みました。


 その濃厚な甘みと香りを脳裏に深く刻み込みます。そして、ずっしりとした樽の木肌に両手を触れ、静かに魔力を流し込み始めました。


 その途端、クロエの顔が曇ります。


「……やっぱり、グラスとは勝手が違います。中が見えないし、回転している感じも分からないから、やりづらいというか……。多分、さっきみたいな味にはなっていないと思います」


 クロエが不安げに眉を寄せると、カトリーヌが優しさと力強さの合わさった表情で頷きました。


「いいのよ。これはあくまで実験なのだから、失敗しても構わないわ。ただ、自分の体だけは大事にするのよ」


「ありがとうございます」


 心配するカトリーヌの表情はまるで母のようで、クロエの目頭は少し熱くなりました。


 静まり返った店内に、樽の奥から微かに「パチ……」という木の音が響き始めます。


「ワインを作っているとは、とても思えない光景ね……」


 カトリーヌの言葉に、その場にいる者たち全員が頷きました。


「……できました」


 手を離すと同時に、クロエは安堵の息を吐きました。中身を確認したわけではありませんが、感覚で出来たことが分かります。


「それでは早速、テイスティングの方をしていきましょうか」


 執事であるラピエルが、樽の蛇口をひねりました。心なしか、少し緊張しているように見えます。


 そして、グラスに注がれたその液体を目にした瞬間、三人は息を呑みました。


「色が違う……」


 色は先ほどよりも深い琥珀色の輝きを帯びています。そして立ち上る香りは――。


「……何、これ。数十年……いえ、もっと長い年月をかけて熟成されたような、圧倒的な芳醇な香りだわ」


 ワイングラスに花を近づけたカトリーヌが感嘆の声を漏らしました。


「たった数分で、どうしてこんなことに?」


 有識者たちの推理が始まりました。


「これは明らかに、樽を通して魔力を注入した影響でしょう」と、ラピエルが確信を持って断じます。


「透明なガラスは魔力を素通りさせますが、この『木』という生命の器は、魔力と複雑に反応し、増幅させた。あるいは、クロエ様自身の深層心理……『これは樽である』という意識が、無意識に熟成のイメージを魔法に反映させたのかもしれません」


「早く試飲しましょう。私はもう我慢ができないわ」


 淑女の仮面を脱ぎ捨てたカトリーヌが興奮気味に言い、ディアヌとラピエルも頷きました。


「こ、こ、これは………!」


「何という事………!」


「嗚呼、嗚呼………!」


 クロエは微笑みました。


 ワインの味は分からなくても厳しい批評家たちの表情を見れば、今回の物がどれほど素晴らしいものなのかは十分に分かったからです。


 猫のあずさと共に料理を頬張る表情は、仕事を成し遂げた満足感に溢れていました。







最後まで読んでいただきありがとうございました。


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