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弟の想い、兄の思い

「兄上、お時間を頂き感謝します」

「そういうのはいいよ。もう俺が立太子されることはない」

「……それは、権利を放棄したということですか?」


 アレイヤの件で第一王子のアルフォンは王太子の座を降ろされたが、まだ再度立太子される可能性は残されている。お互いの婚約者とは別れ、後ろ盾がない状態になったので立場は同等ではあるが、王太子一時返上とあって現状はレオニールが優勢と見られている。

 レオニールは医務室での慣れない犯人当てから戻ってすぐに兄王子のアルフォンに声をかけた。明日から学園が始まる前に少しだけ話したかったのだ。

 さすがに今すぐにでは時間が作れないので、会えたのはほとんど眠る直前のわずかな隙間時間になってしまった。

 アルフォンが王太子だった春頃までは、レオニールは他国に行く前提であり、気楽な身の上だからと遊び歩いているような呑気な弟王子を演じていた。見る者が見れば真面目な気風が兄に気を遣わせないようにしていたと分かる程度の演技ではあったが、アルフォンが時期国王で問題ない空気があったからこそ成り立っていた。

 アレイヤの件以降はレオニールが立太子される空気が強くなり、その後の流れで生徒会長になったことでよりレオニール王太子説が濃厚になっていた。

 その空気は当然、アルフォンも感じている。


「単純に、お前が王になってもいいなって思っているだけだ」

「私は兄上がなった方が楽だな、と思っていますが」

「はは、それは俺にも言える。すでに楽をさせてもらっているようなものだしな。……重責がないというのは、これほどまでに肩が軽いんだな」


 メイドに用意させた紅茶に口を付けながら言うアルフォンの表情は、心の底から気を抜いたもの。こんな兄の顔を、レオニールは初めて見た。


「他国に外遊するのもいいなと最近は考えているんだ。王太子というのは視野が狭まるらしい。お前も気を付けろ」

「兄上」

「……同じ国に留まるのは、派閥が生まれる素だ。お前だってそういう理由で外に出る話だった」


 かつての婚約者の話に触れられそうになり、レオニールは身構える。しかし、それ以上触れられることはなかった。レオニールが当たり障りのない交流をしていたことも筒抜けだったのだろう。決して気持ちを向けていなかったわけではなかったのだけれど。

レオニールは勢いのままに反論しそうになるのを深呼吸をして押し込める。

感情のままに会話していい立場でも年齢でもない。


「他国で見聞を広めるのは良いと思います。兄上の外遊先に少し足を運べるようにしたいくらいだ。ですが、外遊……しても、戻ってきてもらえますか?」


 不安に揺れる弟の目に甘えられているのかと考えたが、甘えるというよりも野心めいた何かを見たアルフォンの脳裏に、ふと一人の少女が浮かんだ。


 アレイヤ・ノルマンド子爵令嬢。


 平民として暮らしていたところ、強力な光属性の魔力を覚醒させて王都にやって来た子爵家の養女。

各国に一人ずつだけ存在を許された希少な光属性。アレイヤはそれまでいた光属性の女性を他国へ追い出す形となり、王宮内での反発を起こした人物と言われている。

 だが、実際に本人を前にすると元平民ということもあってか流れている時間がゆっくりに思えるほど和やかな雰囲気の少女。ピンクパールの長い髪に大きな目と勤勉で控え目な姿は守りたくなるほど可憐で、当時の婚約者のゼリニカ・フォールドリッジ公爵令嬢とは正反対としか言いようがなかった。まとな会話をしたことなんて、思い返せば一度たりともしたことがなかったが、王太子という肩書きを前にした貴族令嬢たちと異なる態度に興味を惹かれたのは確かだった。

 王子に言い寄られて断る令嬢なんているわけがないと思い込んでいたアルフォンだったが、心の底から嫌がられていた上に、嫌がらせを受けていると聞いてどうせ犯人だと思っていたゼリニカと知らない内に気心を許す仲になっていたことなんてまるで知らなかった。

 王太子返上の原因となった相手でもあるアレイヤのはずなのに、許せないという気持ちはまったく起きていない。自業自得だと理解しているからだが。

 そんなアレイヤを、同学年であるレオニールはいたく気に入っているらしい。

 記述試験も魔法実技試験も、レオニールと同点であったと聞いている。さらに国王と王妃に披露された魔法実技試験の内容なんてアルフォンは何度聞かされたか分からない。自身も同じ場にいて知っているというのに。

 国の最高権力者である国王と王妃もただの人の親としてやらかした長男を見捨てずにいてくれていると分かるだけに、邪険にもできない。

 レオニールが気に入り、国王と王妃も認めるアレイヤならば子爵令嬢だとしても王家は歓迎するだろうし、邪魔にならないように外遊と称して国外へ消えようとしているのに、弟はあろうことか戻ってこいと言う。


「お前は、ノルマンド子爵令嬢を妃にするのだろう? 俺がいては邪魔……というか、彼女が気にするだろう?」


 学園内でももっぱらの噂になっている。

 レオニールはアレイヤ・ノルマンド子爵令嬢と遠からず婚約するのではないかと。それ故にアレイヤに対する嫌がらせは悪化しているとも聞くけれど。


「アレイヤを妃に……? しませんよ?」

「え?」

「アレイヤは権力が嫌なようです。兄上に靡かなかったのも関わると碌なことにならないからだと聞きました。ゼリニカ嬢もアレイヤがもし王族になるのならフォールドリッジ公爵家の養女にできるように取り計らうつもりだったみたいですけど、どうやら本人は平民に戻るつもりのようでどうにも上手くいかなくて……」

「は、公爵家の養女? 平民に戻る?」


 やれやれと溜息を吐く弟と、目を丸くする兄。

 周囲に待機する使用人たちも会話は聞いているが、笑ってしまいそうになる者と不敬ではないかと恐怖する者に二分されていた。

 驚いた顔からもとに戻らないアルフォンにレオニールは得意げに笑いながら「規格外でしょう?」と話す。


「アレイヤに王族は難しいと思います。だって貴族に染まる気がそれほどないんだから。今はノルマンド子爵家への恩か何かがあるから頑張っているようですけど、普通の令嬢にありがちな令息へのアプローチだとか、淑女の嗜みとかにはまるで興味がないようで……かと言って平民らしさを前面に出しているわけでもなくて、変わった人で」


 他にすることがないから勉学に時間を割いている節もある。甘いものは必要でなければ欲しがらないし、まだ食に対しての抵抗も残っているし、レオニールが絡みに行くとちょっとだけ嫌そうな顔をするけど絶対に拒絶することはない。


 良い意味で王族とは思われていない。


 レオニールの望む対等の扱いをアレイヤはしてくれていた。

 場面によって相応の態度を取ってくれるところにも好感が持てる。平民とは思えない貴族に対する臨機応変な態度はさすが公爵令嬢であるゼリニカも認める令嬢なだけあった。


「それじゃあ、お前はどうするんだ? さすがに臣籍降下は誰も許さないと思うが……」


 自分ならともかく、とは言いはしなかったが、言外に含まれていると理解した上でレオニールは微笑む。

 すべての権力を捨ててアレイヤを追いかけるような男に見えているらしい。

 気楽な身の上という態度だったとしても放蕩や道楽な振舞いはしていなかったはずだが、自身の感情を優先させるような弟だと――いや、むしろ小さな頃のままだと思われているのか。


「いいえ、兄上が望まないのであれば、将来この国の頂点に立つ覚悟を決めます」

「そ、そうか?」


 平然と覚悟を口にされて戸惑いが隠し切れない兄に、レオニールは少し顔を寄せた。

 その表情はいかにも何かを企んでいるといったもので、アルフォンは身構えた。


「次期国王となるにあたって、一つだけ大きなワガママを申し出るつもりでいるのですが、兄上……口添えをお願いできませんか?」


 同じ部屋に使用人やメイドが数人いるが、彼らにも聞こえないような潜められた声。誰も無理に聞き耳を立てようとはしないし、王宮に仕える者として部屋から出ようとする動きもあったが、レオニールは片手で制する。


「……聞きたくないかもしれない」

「アレイヤに危害を加えさせたこと、実はまだ根に持っておりまして」

「絶対後から生まれた感情だろ」


 反射的に返してしまい、兄弟二人の目が合った。

 アルフォンはこれが本題だったかと諦めたように笑い、レオニールは企みを共有する悪い顔で笑った。


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