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公爵家別邸の亡霊事件 2

「ギルベルト様の隊の方でしたか」


 みんなの待つ場所へと向かいながら護衛として付いてくれた騎士たちと喋る。

 知った顔がいないと思ってはいたが、そう言えばギルベルトは第三隊の隊長だったと思い出したのは騎士たちが第三隊だと言ってからだ。

 はっきりと知っていると言えるのはたった二人なのだが、まさかその片方が率いる隊の騎士がいるとは思ってもいなかった。


「レオニール王子殿下の専属護衛騎士の選別も兼ねているようです」

「……ちなみに、レオニールはまだ王太子に任命されないのですか?」

「限りなく近い位置にいる、としかお答えしようがありません」

「まぁ……候補が陛下のご子息二人だけ、なわけないですよね」


 アレイヤは国の行く末を軽く想像して、次期国王候補が二人だけという危うさに理解を示した。王位継承順位というものが存在しているのであれば、たった二人だけというのは無理がある。兄弟での争いや背後の貴族の対立は免れない。

 深掘りして関わりを持ってしまうのは避けたいとそれ以上の追及は止めた。いずれ誰かが即位するのだ。その時に「へえ」と思える程度の距離が開けばいい。

 問題は、レオニールが国王という立場を望んでいなさそうなことだけだろうか。それもアレイヤには関係のない話だ。


「隊長は今遠征に出ておりまして、今回は来られませんでした」


 申し訳ありません、と頭を下げる騎士が二人。この二人は第三隊所属のようでギルベルトの話をしてくれている。


「騎士団の仕事を優先されて然るべきです。怪我無く戻って来られるといいですね」

「隊長に伝えておきます」

「ええ……?」


 今のは「そうですね」と返してもらうのを想定した言葉だったのに、とアレイヤは騎士の熱量に引きつつあった。

 一階の大きな玄関扉前に到着し、第三隊ではない二人の騎士が開けてくれる。


「お待たせしました」


 仕掛け完了です、と外に出れば、期待に満ちた顔が一斉にアレイヤに向いた。

 本当なら恐怖体験――お化け屋敷に入るなら少人数に分かれたり、おどかし役を作ったりと色々薦めたいことはあるのだが、王族を含めた貴族の集団なので、全員で一斉に回るのが無難。図ったかのように全員婚約者も親しい異性もいないメンバーなので、何かあると心の底から面倒な流れが生まれかねない。


「では、入り口へ参りましょう」


 アレイヤの後ろにいた騎士が、使用人用の玄関へ全員を誘導する。ちょっと休憩がほしかったな、と思いはするものの、すでに空は夜に染まり切っている。帰宅が遅くなるのもよろしくない。

 夜会が終わる時間はもっと遅いと聞くけれど。

 せめて一番最後に移動しようと二階の窓から見えたゼリニカのように噴水の水面を見つめた。


「アレイヤ嬢? 大丈夫ですか?」


 長く息を吐き出していたら、ノーマンが振り返る。それに釣られてか全員の足も止まってしまった。


「問題ありません。すぐに追いつくので先に行ってください」

「ですが」

「本当に大丈夫です。……って、私が行かないと騎士の方も移動できませんよね、すみません」


 ずっと屋敷の中を歩いていたから足を休めたかっただけなのだが、そうなると「全員で一斉に移動」ができない。それに、扉を開けてすぐにアレイヤが施した光の粒が待っている。その説明くらいはしておくべきだろう。

 アレイヤの側に付いてくれていた騎士にも一言だけ謝って、集団の一番後ろに追いついた。



+++++



 使用人用入り口という言葉だけで生粋の貴族たちは物珍しそうにキョロキョロと目を動かすのに忙しい。

 まだ扉は開かれていないにも関わらず、興奮しすぎて倒れてしまうのではないかと不安になる。

 そしていつの間にか突入の順番は先導の騎士の次にアレイヤが立っていた。アレイヤのすぐ後ろにはレオニールとノーマンが並び、レオニールのための騎士を挟んでロナルド、ゼリニカ、トワレスとララ。一番最後にはまた騎士。

 開けてすぐにアレイヤの光魔法が散らばっているので残念な気もするが、雰囲気を掴むだけなら順番はどうでもいいだろう。きっと途中で順番を入れ替えるタイミングも来るだろうし、と気楽に考えながらアレイヤは扉が開くのを見つめた。恐怖から先頭を怖がるのも理解はできる。

 わずかに錆ついた音を響かせて開いた扉。


「これは……」


 レオニールの息を呑む音がすぐ近くから聞こえた。恐怖体験への扉を開いたというのにその音は驚きと感動が隠しきれていない。それもそのはず。真っ暗闇のはずの館内には今、アレイヤの光魔法キラキラが幻想的な空間を生み出している。ノーマンも緊張していた表情が和らいで空中を漂う光の粒を目で追っている。

 先頭の騎士に進むように促されて足を踏み出すと、後続のゼリニカたちも興奮した声を上げた。


「ちっとも怖くありませんわね!」

「本当は入るのが恐ろしかったのですけれど、大丈夫な気がしてきましたわ」


 トワレスとララは完全に気を許したようで、早く早くと逸る気持ちが伝わってくる。


「いいのかい? これ、恐怖体験って聞いているのだけれど……」


 君の魔法だろ? とレオニールが声を潜めて声をかけてきた。ノーマンも会話を聞こうと耳を寄せる。


「この先もこうだとは限らないのでは?」


 そうと知っているのは仕掛けを施した各々のはずだと言えば、二人とも「確かに」と呟いて離れて行った。


 ――一体、どんなものを仕掛けたんだ……?


 仕掛けに自信があるからあっさりと引いたのだとは思うのだが、テンションの上がるトワレスとララとは逆にアレイヤは進む気力を奪われた。

 すす、と後ろに下がろうとすると肩を優しく支えられて顔を動かすと、ノーマンが「大丈夫ですか?」と不安そうな顔を見せる。


「怖がらずとも、前には騎士もいますし、後ろには我々がいます」

「もしかして、この先の仕掛けってノーマン様……?」


 怖がる女子をずっと先頭に置いておくような人じゃなかったはずでは、と訝しむよりも先に思い当たることを口にすると、肩を支えてくれていた手がぐいぐいと押してきた。


「命の危険はありませんから、大丈夫ですよ」

「いや、命の危険があったら娯楽として成立しないですけど、あの、ノーマン様? れ、レオニール、ねえ、ちょっと」


 すぐ近くにいるはずのレオニールに助けを求めるが、レオニールも「楽しみだね」とまともに返してくれない。さらに後ろにいる騎士やロナルドが困惑している様子が振り返った時に見えたが、代わりに助けてくれそうにはなかった。


「到着しました。一階の広間です。私は先に出口に行っております」

「えっ、このタイミングで先頭がいなくなるんですか⁉」

「……そういうご命令ですので。それでは、ご武運を」


 無慈悲に去って行く道案内役の騎士は一度も振り返ったりはしなかった。

 扉と壁で仕切られた広間は、通常では食堂として使用されて夜会などパーティが催される時にはダンスフロアにもなる大部屋なのだという。一階は詳しい説明を受けずにさっさと二階に上がったアレイヤにしてみれば新しい屋敷情報になった。

 新情報ではあるが、正しい姿を見る日は来るのかどうか怪しい。


「……そうですよね。階級的にも先行すべきは私ですしね……」


 騎士を抜きにして見た時に、子爵家であるノルマンド家がどうしても地位が低い。ノーマンの生家であるドルトロッソ家は当然というかなんというか、侯爵家なので。


「そうでなくてもアレイヤは先頭だよ。ここはね」

「……レオニールとの合作か」


 好奇心の強いレオニールが先頭に立ちたがらない理由がはっきりして溜息が漏れる。他の誰でもなくアレイヤを先頭に、というのが面白がってやっていることの証明だろう。

 レオニールたちからしてみれば大きなリアクションを取ることが少ないアレイヤの反応が見たいのだ。

 先回りして、後手に回っても逆転の方法を考える。それがアレイヤ・ノルマンドだと理解している。

 諦めた方が早い、と気持ちを切り替えたアレイヤは、広間に一歩足を踏み入れた。

 ダンスフロアにもなるという広間は、現在使われていない屋敷だからか何もなくただ広い空間のように見えた。

 壁際に蝋燭を持った騎士たちが立っているので照明はあるが、時折揺れる火が恐ろしい雰囲気を作っている。


「全員が固まっていると危ないから、この部屋はなるべく二人か三人で組んで、十分な距離を空けてくれ。それから……十二分に気を付けて進むようにね」


 レオニールは恐怖心を煽るのに合った声音でそう言った。

 弛緩していた空気が一気に冷やされる。

 立場の高い人間から発される威圧感は現在求められているものとは異なる恐怖があるんだよな、と心の中だけで呟いて、アレイヤはさらに進む。ゆっくりと。慎重に。

 何もない広間のどこを歩いてもいいようで、アレイヤとレオニールとノーマンのグループと、ロナルドとトワレスとララのグループ。それから、ゼリニカは二人の騎士と一緒のグループに落ち着いている。ゼリニカと位置を代わりたい気持ちがあるのに、レオニールもノーマンもそれを許してはくれない。ロナルドがしきりにこちらに視線を投げてくれているのにも気付いている。トワレスもララもそんなロナルドに声を掛けてはいるが、空気がまた変わったのはその瞬間だった。


「きゃあっ!」


 蝋燭の明かりだけでは何が起きたのかすぐには分からない。声はララのものだと分かるのに。


「大丈夫ですか?」

「え、ええ、なんとか。支えていただき助かりましたわ。騎士様」

「私ごと支えられるなんてさすが騎士様ですわね……」

「……不甲斐なくて申し訳ありません」

「貴方が反省することはありませんわ。淑女二人を一人で支えられるなんて、それこそ鍛えられた騎士様ぐらいのものでしょうし」


 同じグループなのに助けられなかったと落ち込むロナルドの声も聞こえた。三人の声で大したことなく済んだと分かるが、絶対に「何かある」と思わせるハプニングにアレイヤの心拍数は上がっていた。

 すぐ蝋燭を持って照明役に徹しているのだと思われた騎士たちは恐らく、レオニールとノーマンの仕掛けた罠にかかった際に助けるために配置されているのだ。

 ゼリニカに二人の騎士が付いているのも同じ理由だし、アレイヤにレオニールとノーマンが付いて離れないのも恐らく――


「あわぁっ⁉」


 小さく踏み出したはずの足が、盛大に滑った。

 突如崩れたバランスに焦るものの、すぐに体が支えられる。


「ふは、ねえ、アレイヤ。もっと可愛らしい悲鳴は出ないのかい?」


 笑いながら苦言を呈したのはレオニールで、すっぽりと背中から包まれる形で支えられた。


「すみませんねえ、ララ様みたいに可愛くなくて」


 咄嗟に「きゃあ」なんて素敵な悲鳴を出せる女性になりたかったと呟けば、さらに笑われる。


「アレイヤらしい、のかな? でもちゃんと驚いてくれて嬉しいよ」

「いきなり足を取られれば誰だって驚きます。……悲鳴が可愛くないだけで」

「あはは。君を可愛いと思う人間は想像より多くいるとも。それで、僕はこのままどうしたらいいのかな?」


 抱きしめてあげようか? とからかうように両腕をアレイヤの前で交差させようとするので、あえて腕組みして殊勝な態度を見せる。わざと体重をほとんどレオニールに預けてみるがびくともしないところが悔しい。


「殿下もアレイヤ嬢も、おふざけはそこまでにして進んでください。まだ仕掛けは人数分あるのですから」

「怒ってる? ねえねえ、怒ってる?」

「怒ってませんし、怒る理由もありません」


 冷ややかなノーマンにレオニールは心底楽しそうに笑うが、全然離してくれそうにない。体勢を整えてアレイヤから離れようとすると、後方に引きずられた。


「きゃーっ!」


 恐怖や驚きではなく歓喜の悲鳴が響き渡る。


「れ、レオニール……?」

「ん? ごめんごめん。さ、行こうか。まだ足元には気を付けてね」


 何事もなかったかのように体が解放されたが、アレイヤは困惑したままとりあえず一歩を踏み出す。


 ――本当に抱きしめられた?


 もしかしてレオニールも怖かったのか、ととぼけた考えを浮かべてからすぐに否定する。

 広間に仕掛けられたのは油を撒いただとかそういったもので、前世の世界のお化け屋敷でもありがちな足元注意系の罠だ。

 それを仕掛けた側であるレオニールが恐れる要素はどこにもない。

 深い意味があったとは思わないけれど、少し気にしてしまう程度には背中に強く残るレオニールの温度を意識しながら、アレイヤは進んだ。

 複数個所ある扉の中から唯一開く正解の扉を開かなければならず、扉探しに手間取りながらも足元の仕掛けにはもう驚かなくなっていた。爪先に違和感を覚えたら一気に爪先に体重を乗せる。こうすれば足を滑らせることはほとんどない。

 広間の至るところから悲鳴は聞こえるが、段々と楽しむ要素の多い悲鳴に変化していくのを聞く楽しみを得ていた。

 アレイヤが油断したのは、正解の扉を見つけて開いた瞬間にあった。


「ひぃ……っ!」


 顔面に何か、べったりしたものが張り付いた。


「いやあああああっ!」


 あまりの気持ち悪さに振り返る。顔に張り付いていたものから解放される。次の瞬間には乾いた布地に顔面をぶつけた。


「アレイヤ嬢、大丈夫ですか?」


 ほとんど耳に直接吹き込まれた声にぎゅっと体が縮こまる。


「……水に濡れたフリルのようです」


 大丈夫ですよ、と優しいノーマンの声に顔を上げる。

 扉を開けてすぐのところに、濡れたフリルが揺れていた。


「はえ……?」


 なんて単純な仕掛け。

 いや、この仕掛けには覚えがある。


――照明が暗いのなら、突然体に何かが当たれば恐ろしいですね。しかもそれが少し濡れていたり……


 トワレスとララに話したのは、何を隠そう己自身である。

 ということは、仕掛け人はトワレスとララだと言える。


「び……っくりしたぁ……」


 温度を感じる乾いた布地に肩頬を付けたまま息を吐く。

 ほとんど常識のような内容の仕掛けに素直に驚いてしまった自身に一番驚いた。

 安堵から温かさのある方へ身をさらに寄せる。温度ってこんなに安心するものだったっけと考えた瞬間、バッと温度から離れた。


「ノーマン様、申し訳ありません!」


 ノーマン・ドルトロッソに抱きつくヒロイン・アレイヤなんてただの乙女ゲームのスチルでしかないじゃないか。


「アレイヤ? 僕の時と対応違わない?」


 スチルは離れた位置から見ないと意味がない。というか、普通に自分が見られないスチルに意味はない。


「こ、ここ、ここからはトワレス様とララ様の仕掛けたエリアにな、なるよう、です」

「ねえ、アレイヤぁ?」


 レオニールの声を無視して濡れたフリルから距離を取る。

 汚らしいだとかは思わないが、暗がりで触る濡れたものはそれだけで気味が悪く思えてしまう。それが顔に当たったのだ。


「では先頭を代わりましょう。アレイヤ嬢は後ろに」


 ノーマンが背中に手を当てて下がるように促してくれるので素直にノーマンの後ろに隠れるように移動する。


「怖ければ、遠慮なく掴まってくださいね?」

「あ、りがとうございます……」


 濡れたフリルを暖簾のように手で押し上げつつ、アレイヤがすぐ後ろを歩けるように距離を詰めるのを待ってくれるノーマンの服の一部を掴ませてもらった。


「……っ」


 声にならない声がした気がしたが、それよりもアレイヤはどこを掴めば迷惑にならないのかだけが気になってならない。

 目が見えない人は見える人の肩を持ったり、腰のベルト部分を掴ませてもらうと聞いたことがある。さすがにベルトを掴むのは遠慮せざるを得なく、肩を持つには位置がやや高い。

 なので、ベルトの位置よりやや高く、背中の下部分の衣服がたわんだ部分を掴ませてもらった。


「こちら、明かりが一切ありませんのでゆっくりと歩いてください」


 扉を開けて濡れたフリルを越えてすぐに先導役を務めていた騎士とは別の騎士の声に肩が上がった。

 姿が見えないのは明かりがないからではない。姿そのものがない。

 いやもう、これも一つの仕掛けでしょう? と言いたくなる。だが、声の謎はすぐに明かされた。


「広間を出て細い廊下が正面玄関すぐの大階段まで続いております。その細い廊下を挟んだ向かいには控え室等小部屋が並んでおりまして、騎士はその中に待機しております。なるべく開けられませんよう、よろしくお願いいたします。順路はそのまま右方向です」

「親切ですけど本格的すぎませんか……?」

「あら、アレイヤ様は恐怖体験の経験がおありだと聞きましたけれど、違いましたの?」


 いつの間にかすぐ後ろにゼリニカたちが追いついてきていて、不思議そうに聞かれた。


「あれは……故郷の森での経験です。森ではありましたが、月や星の明かりがあったのでここまで何も見えないのは経験がありません」

「そうだったのね……」


 心配そうなゼリニカに反射的に元気に振舞おうと思うけれど、それよりも暗闇の空間に対する恐怖が勝る。

 前世で経験があったとしても、怖いものは怖いし、怖くなると分かっているから挑戦するものだ。心拍数を計測するアプリを使用するタイプのものもあったなぁ、と思い出しながら、さらにノーマンに身を寄せる。少しでも離れれば大声で叫びながらダッシュする自信しかない。


「あ、アレイヤ嬢……?」

「すみません、ノーマン様。正直に申しまして、かなり恐ろしいと感じております」


 怖い。けど、行ってみたいし引き返せる状況ではない。

 恐怖心の中に生まれる好奇心。これがお化け屋敷の醍醐味の一つではないだろうか。


「だったらアレイヤ、いっそ腕を借りたらいいんじゃないか?」


 レオニールの提案に「さすがにそんなこと」と苦笑しながら振り返ると、ゼリニカはロナルドの腕に、トワレスはレオニールの、ララは護衛の騎士の腕に両手を添えていた。


「あ、アアアアアアアアレイヤ様、こ、こここちらは気になさらないでで、でいいですわ。たた例え私の心境があああ今、暗闇空間、の自分で仕掛けたものよよよりも殿下、のうううう腕をお借りしている方おお、が畏れ、お、多すぎて緊張し、しているとしても、ももも」

「トワレス様……」


 声が尋常でないほどに震えている。

 ララは対照的に触れた騎士の腕に興味を示して興奮を抑えているように見えた。鍛えられた騎士の腕、気になりますよね、とアレイヤは無意識に小さく頷いた。


「姉上、大丈夫ですか?」

「い、今のところは平気よ。……アレイヤ様が悲鳴を上げてしまうくらいだもの。ロナルド、なるべく止まらず、早すぎない程度に進みましょうね?」

「ふふ。ええ、姉上。僕の腕を引きちぎるようなことさえなければ、どれだけ強く握られても構いませんから」

「さすがに引きちぎったりはしない。……と、思うわ」


 姉弟の会話も聞こえて、アレイヤも少しだけ恐怖に慣れた。


「……アレイヤ嬢も、よければ腕に掴まりますか?」


 後方の全員の様子を見たノーマンに提案されて一瞬だけ戸惑う。

 確かに男女二人の組み合わせで腕に掴まればそれはお化け屋敷の醍醐味の一つである吊り橋効果が期待できる。しかし、問題はある。


「いえ、ノーマン様の腕を借りてしまうと自動的に私も先頭になってしまいますので、できればこのままでお願いします」

「あ、分かりました」


 それでもノーマンの背中に手を置いているのが気になるのか、ほんの少しでもアレイヤの指先に力が入ると体が強張ったり跳ねたりした。

 なんとか暗闇の廊下を抜ければ、先導役の騎士が「お疲れ様でした」と出迎えてくれた。


「ノーマン様、ありがとうございました。おかげで大きな恐怖を味わわなくて済みました」

「それはよかった」


 涼しい顔を浮かべてはいるが、額に汗が見えてしまった。


「あの、大丈夫ですか……?」

「お気になさらず。恐怖心があったとかではありませんので」


 どうやら男性陣は今のところ恐れを抱いている感じはなさそうなのは本当だ。レオニールもロナルドも平気そうな顔で、むしろ女性陣を気遣う余裕まである。


「むしろ理性との闘いだっただけで……」

「え?」

「いいえ、なんでも」


 理性と聞こえた気がしたが、この場において理性を働かせる要因があったかとアレイヤは無意識に自身の胸元に目をやった。

 そこにあるのは控え目な山が二つあるだけ。

 異性の理性に響かせるようなものだとは到底思えなかった。

 気のせいだったと思い込むことにして、正面玄関前の広い空間で全員を待った。

 先ほどまでの暗闇を忘れさせてくれるほど明るい場所になっていて、その理由がレオニールが置いた魔法道具であると思い出す。

 やはり明るいだけで安心感がある。

 この屋敷へ来て初めてまともに内装を見たが、住んでいる人や管理している人がいないのに綺麗に整えられているのは事前に手が入ったからに他ならない。

 王族だけでなく公爵令嬢も立ち入る場となれば、埃一つ許されないだろう。全員が揃うのにそれほど待つことはなかった。


「そろそろ二階へ向かっても構いませんか?」

「ああ、そうだね。二階はどうなっているのか知らないから楽しみだな」


 騎士の言葉にレオニールが笑顔を浮かべる。

 階段と言っても王家管轄の大きな屋敷である。

 その階段を先頭の騎士に続いてララとレオニール、ゼリニカとノーマン、トワレスとロナルド、アレイヤと騎士が並ぶ。

 ララの小さな悲鳴をきっかけに、階段を色の濃い液体が流れていくのも目撃したが、黒いインクであることと、ゼリニカが騎士に頼んで流してもらったことが明かされて「こんな仕掛けもありますのねえ」と感心した風のララに一抹の不安を覚えたのはきっとアレイヤだけだ。

 二階に到着して、使用人用階段の方へ順路が取られているとの説明を受けた後、ゼリニカとロナルドが同時に後方へと下がってきた。


「この先は私たち姉弟のエリアがありますので、どうぞ皆様――ご堪能あれ」


 妖艶に微笑まれてアレイヤは思わず見惚れてしまう。声と相まってご褒美でしかなかったが、それが隙となったのか、弟御であるロナルドの手が差し出されていた。

 咄嗟にマナーだからと取ってしまったアレイヤは悪くない。と思いたい。

ララとレオニール、トワレスと騎士、アレイヤとロナルド、ゼリニカとノーマンと自然に二人組になったはいいが、階段を上がってそのまま右に進んだ先に入った書斎では二人組だとか順番だとかは無くなっていた。


「…………え」


 全員が書斎に入ったと理解した後、気疲れから足元を見ていたアレイヤは自身のスカートが揺れていることに身を固めた。

アレイヤ自身の体が動いて揺れているのではない。

 咄嗟に書斎の窓を確認する。窓は開いていない。

 人知れず風が、どこからか吹いている。

 ただの風ではない。

 冷たい風だった。

 足を撫でるように風はもう一つの書斎の扉に向かって流れているようだった。


「まるで導かれているようですね……」

「お気に召したかしら?」


 風の流れる方へと目を向けていたノーマンにゼリニカが微笑む。

 そうか、そう言えば魔法のある世界だった。ゼリニカは風属性の魔力を持っていたのだっけ、と思い出してアレイヤは無意識に詰めていた息を吐いた。


「アレイヤ嬢、大丈夫ですか? 姉上の魔法なのですが……」

「だ、大丈夫です。ララ様からお聞きしたお話を思い出しただけです」

「……それなら、いいのですが」


 アレイヤの言葉が聞こえたのだろう。ララの作った話を振りかえる会話が誰からともなく始まっていく。



 かつてフォールドリッジ家には騎士がいた。普段は領地を守る騎士団だが、王都に領主一家が滞在する際には一部が護衛として訪れる。その護衛として派遣された騎士一人が、フォールドリッジの令嬢に恋をした。

 令嬢もいつしかその騎士を想うようになっていた。

 立場を理解していた二人は、結ばれることを望まずにお互いがそこにいてくれればそれでいいと遠くから眺めるだけで満足していた。

 しかし、戦争が二人を強制的に引き離した。

 物理的な別れ。

 永遠の離別。

 騎士の戦死を聞かされた令嬢は七日七晩涙を流し続けた。その後、令嬢は悲しみのあまり自ら修道院に入った。

 時が過ぎ、フォールドリッジ家は公爵位を賜り、今の場所に王都邸を移した。

 死して尚令嬢を想い続けていた騎士は魂の状態で以前のフォールドリッジ邸に戻ってきた。令嬢が修道院に行ったことも、別の場所に屋敷を移したことも知らない騎士は今も元の屋敷で令嬢を探し彷徨い歩いているという……。



 室温が低くなるのを感じてわずかに腕をさすると、扉開けて次へ行こうとしていた騎士が「殿下、お下がりください!」と声を張り上げた。


「どうした?」


 レオニールの声が緊張したものになり、自然とレオニールや女性陣を背に庇うようにノーマンとロナルドが前に出る。

 扉を大きく開け放った騎士は数歩前に駆けて出ると、再び大きな声を上げた。


「そこにいるのは誰だ!」


 書斎の前には複数の騎士が待機していたが、全員が廊下の先に体を向けている。騎士たちの視線の先を追いかける。


「な、なんですの⁉」


 ゼリニカの動揺した声にトワレスもララも身を震わせている。


「あれは……」


 アレイヤもロナルドの背後からわずかに顔を出して廊下の先に目を凝らす。






「騎士……様?」





 白いもやで見通しが悪かったが、見えたのは甲冑を着てゆっくりと歩く騎士の姿だった。



 ――死して尚令嬢を想い続けていた騎士は魂の状態で以前のフォールドリッジ邸に戻ってきた。



 ――今も元の屋敷で令嬢を探し彷徨い歩いているという。



続きは明日上がります。


某有名月刊少女漫画雑誌に掲載された、癖が狂わされると豪語されたあの名作のワンシーンがとても印象的だったんですよね。



そんな少女漫画の恋愛模様に感化された新作も投稿しております。拙い文章は承知の上なのですが、よければどうぞ。

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