恐怖の出発
◯
大学に入って初めての夏休み。
八月も終盤に差し掛かった頃、運命の日はついにやってきた。
「だーいじょうぶだって、みさきち! 今は全然話せなくっても、英語ぐらい慣れてきたら何とかなるって!」
成田空港のロビーで両親に見送られた後、半べそをかく私に真依子は明るい声で言った。
この頃にはすでに彼女からも私の英語力のなさを見抜かれており、何も隠す必要のなくなった私は半ば開き直るようになっていた。
「やっぱり私には無理なんだって。英語もわかんないし人見知りだし……。日本にいるだけでもパニックになること多いんだから」
「そうは言ってもさ、もう離陸しちゃったんだし後戻りはできないよ。そろそろ腹くくったら?」
真依子の言う通り、私たちを乗せた飛行機はすでに日本を発っていた。
機内ではたくさんの人が謎の言語で話をしているけれど、帰りたい帰りたいと後ろ向きになっているのは私一人ぐらいのような気がする。
「真依子は不安じゃないの? これから見知らぬ外国人の家にホームステイするんだよ? 英語が話せなきゃ意思の疎通ができないんだよ? 通訳の人なんていないんだよ?」
マイナスなことしか考えられない私に、真依子は相変わらずの調子で笑う。
「だから、それが面白いんじゃない!」
何の迷いもなくそう言い放った彼女の姿は、まるで後光が差しているかのように私の目には映った。
彼女と私とでは、もはや根本的なものが違うらしい。
一体どうすれば彼女のように、何でも前向きに考えることができるようになるんだろう?
〇
約八時間の空の旅を終え、飛行機はついに目的の地へとたどり着いた。
オーストラリア――の中でもここはブリスベンという都市で、国の中では三番目に人口が多いらしい。
日本でいう名古屋みたいなものだって真依子が言ってたけど、あまりピンと来なかった。
飛行機の中ではあまり眠れなかったため、私は寝不足のまま空港のロビーへと足を運んだ。
対して真依子はよく眠れたらしく、清々しい表情で辺りを物珍しそうに眺めている。
「すごっ、すごっ。外国人だらけだよ。日本人っぽいのもいると思ったら中国語を話してたし!」
興奮気味な真依子の声を聞きながら、私は寝惚け眼を周囲へと巡らせた。
言語も、肌の色も、顔の造りも全然違う人たちが、それぞれの用事を済ませている。
仲間と談笑したり、荷物を漁ったり、旧友と再会したり。
「ね、ね、みさきち。私たちはどこに行けばいいのかな?」
真依子に聞かれて、私は動作の鈍い脳を働かせた。
そういえば、まずはどこに行けばいいんだろう?
現地に着いたら誘導員がいると聞いていたけれど、待ち合わせ場所まではわからない。
車で送ってくれると言っていたから、空港の外に出た方が良いんだろうか。
と、そこであるものが目に入った。
プラカードを持った一人の女性だった。
金髪碧眼の、たぶんオーストラリア人?
よく見ると他にも同じような人が数人待機していて、それぞれが手にしたプラカードには英語が書かれている。
「なになに……『Griffith University』?」
隣から首を伸ばすようにして真依子が言った。
彼女が読んだのはプラカードの文字だった。
ぐりふぃす・ゆにばーしてぃ……『グリフィス大学』。
私もぎりぎりそれだけは読める。
なにせその名称は、私たちがこれから留学する大学のものだったのだから。
「みさきち、あれじゃない?」
「うん。そうかも……」
縋るような思いで、私たちはその女性の方へと歩み寄った。
「あ、あの――」
私が声を掛けようとすると、こちらに気づいた女性はとびきりの笑顔を見せ、
「オー! ××××××! ××××××! ××××××……」
「…………」
まるで機関銃のように喋り出した彼女の言葉を、私は1ミリたりとも理解することができなかった。




