02 妄想ミッション
大きな木の幹から、長身の影が伸びる。
二足歩行で、ゆらりゆらりと忍び寄って――。
現れたのは、人間の男だった。
何やら包帯でぐるぐる巻きにした長い棒のようなものを、腰からぶら下げている。
(男性……武器も持ってるみたい。どうしよう)
これが女性だったらそうでもなかっただろうが、男性相手となると少し怖くなるものだ。
今は特に極限状態。
何があってもおかしくはなく、理性がある人でも獣になりかねない。
そこばかりは、日向も承知していた。
真っ白な髪に白い肌、そして帽子にサングラスをかけた青年。
二十代前半くらいだろうか、日向と年はあまり変わらない。
背は百八十センチ手前くらいで、服装は派手ではないが高級感があり、被災地と不釣り合いだ。
「アマテラス……こんなところで見つかるとは。これも巡り合わせか」
彼は数メートルほど距離を詰め、日向の顔を見るなりそんなことを呟いた。
もっと近付いてきたら、スプレーを出す気でいる日向。
だが、彼が近づいてくる気配はない。
それでも警戒は止めず、蝉がけたたましい鳴き声を上げる中で、じっと睨んでいた。
青年は日陰なのもあってか、サングラスを取る。
血を透かしたような赤い瞳が、日向をじっと見つめていた。
(肌も髪も白いし、目は赤いなんて、うさぎみたい。すごいイケメン……だからって、いい人とは限らないけど!)
その容姿に気を緩めてしまうくらい、珍しい容姿だった。
サングラスを取らずとも、整っているだろうことは分かっていたが――取ってもさらに美形が際立つのは、本当に美しい人の証明なのだ。
「アマテラスって……ソシャゲのやりすぎでは?」
どう返すべきか悩みつつ、日向はそう言った。
日本の神で、ソシャゲにたまに出てくるモチーフという印象だ。
学校で日本神話を習うわけでもないし、日向にはソシャゲ以外で馴染みがなかった。
「俺はソシャゲなるものをやっていない。君を見た瞬間に分かった。アマテラスの転生者だと」
青年はまた意味不明なことを言いつつ、確信しているようだった。
日向は彼が頭のおかしな人なのかと、ひとまず受け入れることにする。
その美貌も相まって、明らかに異質であった。
(うわぁ、変な奴きた……顔はいいのに残念すぎる)
あえて否定しないよう、どう返すか考える。
妄想を否定したところで、逆上されると怖いからだ。
「左様ですか。それはすごいですね。私は急いでるので、この辺で……」
まともに取り合わず、適当な返事をしてその場を凌ごうとする。
背を向けるのは怖かったので、後退りするように日向は距離を取った。
諦めてどこかに行ってくれたら、と思いながら。
「待ってくれ。初対面で申し訳ないが……俺と一緒に来てくれないだろうか? 重要なミッションがある」
青年は日向を見逃すはずもなく、呼び止めた。
(今度はミッションとか言い出した! やっぱ頭おかしい奴じゃん!)
泣きたくなりながらも、今は周りに誰もいない。
それどころか、こんな被災地では法や秩序も守られる保証はない。
さすがに反抗しても分が悪いだけだから、日向は仕方なく立ち止まる。
「……どのようなミッションでございますか?」
ここは営業職員の見習いとして、相手の話を否定せずにニーズを促すことにした。
彼が何がしたいのかを、詳しく探るために。
「ここから五十キロほど南に向かったところにある、月読神社という場所に同行して欲しい」
あまりに涼しい顔で、普通のことのように青年は言う。
表情は乏しく真顔であり、日向がおかしいのかと錯覚してしまうほどだ。
(月読神社? 五十キロ先くらいだったら、場所的に西京市……私が住んでるとこかな。聞いたことないや)
地元民でも聞いたことのない神社だし、場所もピンとこない。
「私は別の場所を目指しているので……」
「そうか。そのついででいい。ちなみにどこを目指している?」
「そ、それは……宇倍市ですけど……」
「ちょうどいい。月読神社は西京市なので、宇倍市の中間地点だ。女性一人だと危険なので、俺が護衛しよう」
「そんな、悪いですって!」
「遠慮しなくていい」
やんわり断ったつもりなのに、青年はゴリ押しで日向について行こうとしている。
またもや泣きそうになりながら、日向はどうすべきか考えていた。
(いつの間にか私が押し売り営業されてる……しかもタメ口! 何なのこいつ!)
とは言え、加害する気は全くなさそうだ。
「あー、そうですか……」
否定も肯定も見せず、日向はゆっくり進むことにした。
「うむ、任せてくれるといい」
当然のように彼はついてくる。
勝手に合意だと認識した様子だ。
(イケメンってコミュ力高めな人多いのになー。さて、この変人をどうやって巻くか……)
そんなことを考えていると――獣道の方からまたカサカサと物音がした。
重い何かが、地面に落ちた木の枝を踏み締めているような音も。
明らかに、そこには何かがいるのだ。
「今度は何……?」
恐る恐るそちらの方を見ると、今度は明らかに人間のものではないシルエットが見える。
生き物が鼻を鳴らす音が、蝉の鳴き声を掻き消すかのように響いた。
「い、イノシシ……!?」
目が合った気がして、日向はつい叫んでしまう。
逃げなければ、押し潰されてしまう――。
その時には既に遅く、重そうな体は猛スピードで突っ込んできていた。
道は狭く、避けたら避けたで崖の下だ。
(そうだ、スプレー……いや、無駄か!)
撃退スプレーは効いたとて、きっとノーダメージではいられないだろう。
こんなところで終わるのだろうか。
諦めて目を閉じ、身を屈ませた。
どうせなら一瞬がいい。
逃げ場はなく――そう願っていると、刃物が肉を切るような音がした。
数秒の時が流れる。
体の痛みはない。
(私、即死した?)
あまりに何もなく、蝉の鳴き声だけが相変わらず煩い山の中。
もう自分は死んだのかとすら思った時、日向は血の匂いを感じた。
慌てて顔を上げる。
アルビノの青年が、日向を守るようにして立っていて――襲い掛かってきたイノシシは血を流して倒れている。
彼が腰に据えていたのは、日本刀だったようだ。
血のついた刀を、静かに持って佇んでいるのだった。
(えっ? 今時、日本刀なんか持ってる人いるの? 被災地に持ってくる? 侍なの?)
色んな疑問が浮かんではくる日向だが、どれも考えるほどに解決しないものだった。
イノシシはもう動かなくなっており、そのまま横に倒れている。
青年は何をするのかと思いきや、刀の血を払うようにして振り、鞘に収める。
その場で膝をついて、両手を合わせるのだった。
(てか、倒したの……?)
少し可哀想に思いながらも、日向はほっとしてしまう。
「た、食べるんですか?」
腰が抜けてしまった日向は、彼の行動が理解できずに問いかける。
「せっかくの命。非常食にできればいいが、俺は食肉加工ができない」
「普通の人はできないと思いますけど……」
「だから、せめて弔っている。殺してしまったからな」
少し祈りを捧げた後、青年は振り向いた。
刀を再び抜くようなこともなく、日向を斬る気はないようだ。
(変な人だけど、謎にモラルだけは高そう……)
今になって、緊張で脈が加速していく。
日向はしばらくそこから動けなくなっていた。
同時に、謎の青年に安心感すら覚える。
もし彼がいなければ、ここで終わっていただろう。
野生動物のことも、被災した後に歩くことも、何もかも甘く考えていた。
(バカだ、私……生きることを楽しんでもないのに、死ぬのは怖いなんて)
ここに来て、ようやく現実を思い知らされたのだ。
自分の中の矛盾が気持ち悪い。
「立てるか?」
青年は白い手を差し出す。
異性であることも、特に気にしていないようだ。
(ま、そりゃそうよね。すっぴんだし、私って大して美人でもないし……)
漫画の中ならロマンスが起こりそうなものだが、今の二人にはそんな雰囲気の欠片もない。
それくらいが気楽で丁度よかった。
「はい……貴方、お名前は? 私は宮崎日向と言います」
その手を取って立ち上がり、日向は服についた泥を払った。
無視して巻こうとすら思っていたが、これからも山の中は歩くだろう。
似たような危険が訪れる可能性は、十分にある。
情というよりも合理的に考えて、彼を利用することに決めた。
神社に付いてきて欲しいというのが彼の要求なら、それくらいは呑んでもよさそうだ。
「宮崎殿か」
「いや、“殿”って……何時代の人ですか!?」
「すまない、変だったか……俺は有栖川旭。好きに呼んでくれ」
話すほどに変な人だが、悪意はなさそうだと日向は感じた。
法律云々はともかく、日本刀を持っていること自体が珍しい。
名前もどこか仰々しく、それなりの家柄の人なのだと察する。
「じゃあ、有栖川さん。私が神社に付いていったら、護衛してくれるんですね?」
「あぁ。月読神社まで行き、あることを確認する必要がある。その後、君を目的地まで送り届けよう」
「それでお願いします」
途端にこれからが不安になった日向は、この変てこな男の妄想に付き合うことにした。
(代わりに妄想のミッションに付き合ってあげるんだから、等価交換よね)
同時にちゃっかりと対価を得て、まずは今夜までに公民館を目指す。
◆◆◆
その夜、十九時頃に、目的の公民館まで辿り着いた。
腕時計をしていたから、スマホを開かずとも時刻は分かる。
位置関係については、旭がコンパスを持っていたのだ。
彼はまるで備えていたかのように、役に立つアナロググッズをたくさん常備している。
避難所になっている公民館には、二十人程度の人々が身を寄せていた。
子連れの家族が多い。
最初は彼らも警戒気味だったが、二人をカップルだと認識して柔らかくなる。
市の職員がここを管理しているようで、受け入れてくれた。
旭の日本刀は隠れているから、登山用の杖だと思われているようだ。
「この辺りでこんな大災害って、初めてですよね。家屋もかなり倒壊してしまって、それで亡くなった方もおられるみたいです」
市の職員は穏やかに話す。
災害時に避難所を空けて管理するため、当番としてここにいるようだ。
「職員さんも、こんな時に全体のことをしないといけないなんて……大変ですね」
「公僕ですからね。それに、我が家は少し壊れたものの、津波の被害にも遭っていませんから、不幸中の幸いです」
「それならよかったです」
「意外と、新しめの家は大丈夫だったみたいですよ」
「じゃあ、思ったより被害は少ないんですね」
「はい。この辺りの人たちは、少なくとも津波では亡くなってないかと」
「それを聞いて、何だか安心しました」
日向は少し職員と話し、ダンボールで仕切られた大部屋を借りることとなる。
津波は来ていたものの、数時間のタイムラグがあったから、皆どうにか逃げたようだ。
「君はよく話すんだな。その服装から、営業職か?」
仕切りの中で二人で寝ることになってしまったが、構わず旭はカバンや刀を下ろした。
「保険営業ですよ。元は高校を卒業してすぐ就職して、ブラック工場にいたんですけどね。二十歳になってすぐ、出入りしてた保険会社のおばさんに誘われて……」
「君のやりたいことだったのか?」
「別に。あそこよりはいいかなって思っただけです。まぁ、マルチまがいな業界ですけどね」
法的にアウトじゃないラインでも、外部から見れば煙たがれるものだろう。
日向はあまり親しい友人はいなかったが、この仕事をし始めてからいよいよ周りに誰もいなくなった。
嫌われる仕事だということも、理解している。
特に誇っているわけでもなく、何となく続けていた。
「……これからは好きなことをすればいい。こうなると、元の世界には戻らないだろうからな」
旭は何かを知っているかのように、静かに言った。
ずっと無表情なのに、ほんの少しだけ微笑んでいる。
異性に免疫はなく、ましてや芸能人も顔負けな美形。
日向はつい、たじろいでしまう。
「そうですよね。毎月毎月、ずっと成績に追われてて……なんだか解放された気になったんです。不謹慎ですけどね。会社もかなりの支払になって、破綻しちゃうんじゃないでしょうか」
日向はこんな時も、まだ他人事だった。
自分で命を対価にするような商品を売っておきながら、そんなことしか考えられない。
(私って、冷たいよね)
天涯孤独な日向が一人で生きていくためには、毎月どうしても成績を残さなければならなかった。
枕だけは避けたが、それ以外のことならグレーなことだって、この二年でやってきたものだ。
二十二歳にもなって、大人になりきれていないのを実感する。
「保険会社なら、本社は東京か大阪か?」
「はい。東京ですね」
「なら……支払能力を問うどころじゃないかもな」
日向の他人事のような冷たさも、旭は特に指摘もしなかった。
彼も変な人だし、この時勢でミッションだとか意味不明なことを言う男だ。
存外、二人は共鳴していたのかも知れない。
「南海トラフが来るとは、ずっと言ってましたからね。まさか日本海側にまで、津波が来るとは思いませんでしたけど。東京の辺りも大変そうですよね」
日向はこの地震が、ずっと前から言われている南海トラフだと信じていた。
直後はそう言われていたし、被害想定が思ったよりも酷かったのだろうと。
「それなら、まだよかったと思う」
しかし、旭は視線を落とす。
どうにも言いにくそうに、唇を縛っていた。
「政府の公式発表も、まだですもんね。情報が拾えませんし……」
何か地雷を踏んでしまったかと、日向は場を収めるように言った。
すると、旭はスマホよりも分厚い通信機器のようなものを取り出す。
「そうじゃない。これを見たら分かる」
その画面に写されたものは、あまりに衝撃的で――日向は言葉を失った。




