海夢の美少女加減がすごい。〜その着せ替え人形は恋をする〜
喜多川海夢の美少女加減がすごい。
これは誇張ではなく、率直な感想だ。
可愛いとか、エロいとか、ギャルとか、そういう言葉では足りない。
不意にドキッとする。
漫画の絵だと分かっているのに、視線を奪われる瞬間がある。
この感覚は、なかなか狙って出せるものではない。
まず前提として、今の漫画界には「綺麗な女性キャラ」は多い。
だが、その多くは実写寄りだ。
桂正和さんも、江口寿史さんも、まさにそうだ。
圧倒的に美しい。
だが、その美しさは、骨格や比率、陰影といった現実の人体美に寄っている。
イラストとして完成度が高く、写実に近い方向の美少女である。
一方で、喜多川海夢は違う。
明確に「漫画の顔」だ。
目は大きく、輪郭は単純化され、鼻も記号的だ。
現実の女性とは造形が違う。
それなのに、美少女に見える。
ここが異常だ。
最大の要因は、目の描き込みにある。
瞳の中の情報量が多い。
だが、単にキラキラさせているのではない。
感情によって、ハイライトの位置やバランスが微妙に変わる。
目が感情の発生源になっている。
次に造形。
顔全体はかなり漫画的に単純化されているが、
まぶたの厚み、頬の丸み、目と目の距離は、絶妙に現実から離れすぎない位置にある。
写実に寄せない。
だが、記号にも落とさない。
この中間点の取り方が、非常にうまい。
そして決定的なのが、影の扱いだ。
喜多川海夢の顔には、影が少ない。
本来なら入れたくなる目の下や頬の影を、あえて飛ばしている場面が多い。
その結果、どうなるか。
顔は立体感を失わないまま、現実感だけが薄れる。
光の中に浮いているような存在になる。
人間というより、「視線を奪う対象」になるのだ。
桂正和さんや江口寿史さんの美少女は、
「そこにいそうな美人」である。
一方、喜多川海夢は、
「そこにいないのに、目が離せない美少女」だ。
これは方向性の違いであり、優劣ではない。
ただ、漫画顔のまま、ここまで綺麗に、しかも安定して描けている例は、正直ほとんど思い浮かばない。
喜多川海夢がドキッとするほど美少女なのは、
盛っているからでも、露出が多いからでもない。
目に情報を集中させ、
造形を漫画に留め、
影を引くことで現実から切り離している。
この制御が、異常にうまい。
だからこれは、
単に「可愛いヒロイン」という話ではない。
漫画という媒体で、
漫画の顔のまま、
どこまで美を突き詰められるか。
その一つの到達点を見せられている、という話なのだ。




