なぜ鹿目まどかは「神」になったのか
鹿目まどかは、なぜ神なのか。
この問いに、きちんと答えられる人は案外少ない。
多くの場合、答えはこうだ。
「世界を救ったから」
「法則を書き換えたから」
「みんなのために犠牲になったから」
どれも間違ってはいない。
ただ、それは「結果」を言い換えているだけで、「なぜ神と呼ばれるのか」という問いへの答えにはなっていない。
本当の理由は、もっと単純で、もっと不親切だ。
鹿目まどかは、説明できなくなったから神になった。
りんごが木から落ちるのはなぜか。
それは、そう神が決めたからだ。
少なくとも、かつての人類はそう考えていた。
重力という言葉も、法則という概念もなかった時代、人はただ「落ちる」という現象を見ていた。
原因はわからない。
けれど、確かに毎回そうなる。
だから、人は「神の御業だ」と呼んだ。
重要なのは、神が本当にいたかどうかではない。
人間が説明できない現象に、神という言葉を置いたという事実だ。
鹿目まどかに起きたことも、これと同じだ。
「すべての魔法少女を救う」という願いは、あまりにも無茶だった。
対象は無限、時間は過去・現在・未来、例外なし。
その結果、鹿目まどか自身は魔女になることすらできず、
人間でも、魔法少女でも、魔女でもない場所へと移行する。
正確に言えば、消えたのではない。
フェーズが移行しただけだ。
そして、彼女がいた痕跡として残ったのは、たった一つの法則だった。
「魔法少女は魔女にならない」
誰がやったのかは見えない。
どうやって実現したのかも観測できない。
ただ、その法則だけが、世界に組み込まれている。
これは、かつて人類が見た「りんごが落ちる」という現象と同じだ。
原因が見えない。
だが結果は確かにある。
だから人は、それを神の仕業と呼ぶ。
鹿目まどかが神になったのではない。
鹿目まどかの行為が、神と呼ぶしかない形で残った。
それだけの話だ。
神とは、万能な存在のことではない。
崇拝される存在のことでもない。
人間が説明を放棄したときに置かれる、最後の言葉だ。
鹿目まどかは、その場所に行ってしまった。
そして私たちは、彼女の姿ではなく、彼女の「結果」だけを見ている。
りんごが落ちるのを眺めるように。




