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雑談三昧  作者: カトーSOS


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ジェンダー

この数年、あらゆる場面で「ジェンダー」という言葉を耳にする。

必要だった時代があったことは理解している。

ただ、久しぶりに子どもたちの姿を見たとき、

その言葉では説明しきれない変化が、すでに進んでいると感じた。


これは、そんな実感を書き留めたものだ。

正直に言うと、私はもう「ジェンダー」という言葉自体が、あまり必要ない段階に来ていると思っている。


もちろん、昔は違った。

男女で扱いが違うのは当たり前だったし、制度も空気も、明らかに偏っていた。だから是正が必要だったし、教育も運動も意味があった。それは否定しない。実際、ここ数十年で社会はかなり変わった。


ただ、最近ふと思ったことがある。


小学生の男の子と女の子が、当たり前のように一緒に学校から帰っている光景を見て、私は正直、衝撃を受けた。

私の子どもの頃は、そんなことはまずなかった。小学生でも、男子と女子は分かれて行動するのが普通だったし、一緒に帰ろうものなら、からかわれる。どこか「男女は交わらないもの」という空気があった。


思春期ならわかる。照れもあるし、距離ができるのは自然だ。

でも、今見たのは、小学生だ。性差をほとんど意識しない年齢の子どもたちが、ごく自然に混ざって帰っている。


ああ、もうここまで来ているんだな、と思った。


さらに聞いて驚いたのが、名簿の話だ。

今は男女別ではなく、50音順で並んでいるらしい。

これは本当に素晴らしいと思う。


思想も主張もない。ただの事務処理だ。

でも、その「何も主張しない」という態度こそが、いちばん強い。


男だから、女だから、ではなく、名前の順。

それ以上でも以下でもない。


この二つを見たとき、私の中で一つの答えがはっきりした。


性別って、もう「ただの個性」なんだな、と。


身長が高い低い、右利き左利きと同じような、個人の属性の一つ。

尊重はするけれど、特別扱いするほどのものではない。

少なくとも、日常生活の判断軸に常に持ち出す必要はない。


だから、正直に言うと、ジェンダー差別を声高に主張している人たちを見て、私は少しズレを感じる。


それを言っているのは、だいたい次の三者だ。

十分な教育を受けていない人、

かつて本当に戦う必要があった時代の感覚を引きずっている古いフェミニスト、

そして、問題があった方が仕事になるマスコミ。


一方で、一般の人はどうか。

多くの人は、そもそも意識の中にジェンダーを上げていない。

差別しようともしていないし、配慮している自覚すらない。ただ普通に生活している。


これは無関心ではない。

社会がある程度、うまく回っている証拠だと思う。


ただし、ここで一つ大事なことがある。


現状の社会が、いまだに「男性社会の枠組み」で動いている、という事実だ。

これは、男性が偉いとか、女性が劣っているという話ではない。競争前提、長時間労働、年功序列、感情を抑えることが美徳とされる価値観。そういう、20世紀型の設計が、まだベースに残っているという意味だ。


女性はそこに「入ってきた」。

是正はされてきた。確実に前進している。

でも、土台そのものは、そう簡単には変わらない。


ここで、多くの議論が噛み合わなくなる。


モラルは、気持ち一つで変えられる。

でも、社会構造は、そんなに簡単に変えられない。


制度や慣行はインフラだ。

善意や正論だけでは動かない。時間もコストも調整も必要だ。


だから、変えるのが難しい構造には手を付けず、

変えやすい言葉や表記ばかりがいじられる。

看護師、俳優、呼称の統一。

どれも「とりあえず揉めないため」の選択に見える。


それ自体が悪いとは言わない。

でも、そこに本質があるとも思えない。


今の子どもたちは、もう次の段階にいる。

声高に平等を叫ばなくても、自然に混ざり、自然に尊重している。


だから私は思うのだ。


ジェンダーを「主張」し続ける段階は、もうかなり前に通り過ぎている。

これから必要なのは、性別の問題ではなく、

人間の生活に合っていない社会構造を、どう現実的に直していくか、という話だ。


静かに進んでいる変化のほうが、本物だ。

小学生の帰り道と、50音順の名簿が、それを教えてくれた。


私はそう感じている。

平等を語る言葉よりも、

平等が前提になった空気のほうが強い。


社会を形づくる仕組みは、すぐには変わらない。

けれど、日常のふるまいや子どもたちの距離感は、

静かに次の段階へ進んでいる。


声が大きい場所に注目が集まるけれど、

本当の変化は、気づかないほど自然に暮らしの中に潜り込む。


その確かさを、私は信じている。

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