1. 修正され続ける場としてのインターネット
昔はよく、
「インターネットの情報は不正確だから気をつけろ」
と言われていた。
私も、その言葉自体は間違っていなかったと思っている。
少なくとも、インターネット初期は。
ただ、最近ふと考えるようになった。
本当に今も、同じ言い方が当てはまるのだろうか、と。
毎日ネットを使い、
本も読み、Audibleで耳からも本を聞いている中で、
どうも感覚が合わなくなってきた。
この文章は、
「ネットは正しい」「本は古い」
みたいな話ではない。
ただ、自分の体感として、
インターネットという場所の性質が
いつの間にか変わってきた気がしている。
そのことを、少しだけ言葉にしてみた。
昔はよく言われていた。
「インターネットの情報は不正確だから気をつけろ」と。
確かに、インターネット初期はその通りだったと思う。
個人サイトが多くて、更新されない情報も残り続けていたし、
間違っていても誰も訂正しないことが普通だった。
だから「ネットは危ない」という感覚が生まれたのも、無理はない。
でも、今は少し様子が違う。
私の体感で言うと、
日常的な知識――生活、制度、仕組みの話――は8割くらい正確だ。
学術的な話になると、9割くらいは正しい。
逆に、芸能ゴシップや噂話になると、途端に精度が落ちる。
あれは5割くらいじゃないかと思うが、正直あまり興味がないので深追いしていない。
この差は何なんだろうと考えると、答えは案外シンプルだ。
今のインターネットは、
「正しい情報を一つ置く場所」じゃない。
複数の情報ソースを同時に並べられる場所になった。
あちこちの説明、意見、一次資料、解説動画が、
同じ画面の中に集まってくる。
するとどうなるか。
三つの情報を見て、
二つが同じことを言っていて、
一つだけ違うことを言っていたら、
人は自然に「どっちだ?」と検証する。
これはすごい変化だと思う。
昔は、本でもテレビでも、
基本的に一つのソースを信じるしかなかった。
間違っていても、検証するのは大変だった。
でも今は、
調べながら、読みながら、聞きながら、
その場で照合できる。
インターネットは、
正解を決めてくれる場所ではない。
正解を確かめる材料が、同時に置かれている場所になった。
だから、全体としての精度が上がった。
もちろん、本は今でも重要だ。
私自身、Audibleで本をよく聞く。
本が比較的正確なのは、理由がある。
商品になる以上、著者だけでなく、編集者や校正者など、
多くの人の目が入るからだ。
ただし、本には敷居がある。
時間もかかるし、
選ぶ時点でどうしても自分の興味に偏る。
深くは掘れるけれど、方向転換はしにくい。
その点、インターネットは入口が異様に広い。
準備ゼロでも入っていける。
しかも、間違いは放置されにくい。
本は、世に出る前に校正される。
インターネットは、世に出た後に校正され続ける。
そう考えると、
「ネットは不正確だ」という言い方は、
もう少しアップデートしていい気がする。
今のインターネットは、
不正確な情報の集まりではない。
修正され続ける場になった。
この感覚を持てるようになっただけでも、
時代はかなり変わったのだと思う。
書き終えてみて思うのは、
これは評価でも主張でもなく、
ただの観察記録に近い、ということだ。
本は今でも大事だし、
これからも読むし、聞くと思う。
ただ、本には本の役割があり、
インターネットにはインターネットの役割がある。
どちらか一方だけを信じる時代は、
もう終わったのかもしれない。
今は、
並べて、比べて、確かめることが
普通の行為になった。
それができる場所が増えた、
それだけの話なのだと思う。
この文章も、
誰かにとっては違う見え方をするかもしれない。
それでいい。
もしどこか一行でも、
「確かにそうかも」と思える部分があれば、
それで十分だ。




