うちのじいさんの話 ― いまこそ会いたい人
家族の思い出というのは、歳を重ねるほど形を変える。
子どもの頃はただ「楽しかった」「面白かった」だけの出来事が、
大人になってから振り返ると、そこに別の意味が浮かび上がる。
私にとって“じいさん”は、その典型だ。
豪快で、適当で、商売人らしい抜け目なさもあり、
それでいて孫には甘かった。
いま思うと、あの人ほど矛盾した魅力をもつ大人は少ない。
このエッセイは、子ども時代の記憶と、
事業主となった今の自分の視点が混ざり合って生まれたものだ。
「昔話」ではなく、
「いまだからこそ理解できたじいさん像」を記録しておきたくなった。
うちのじいさんは、昭和の商売人だった。
豪快なのに細かくて、強気なのにどこか抜けている。
そんな矛盾だらけの男だったが、子ども心には「面白い大人」だった。
自慢話はいろいろあった。
たとえば「鉄板でハンバーグを最初に出したのは俺だ」というやつ。
証拠はない。
誰も確認できないし、世間はそんなこと気にも留めない。
でも本人だけは真剣で、その目は妙に誇らしげだった。
きっと、本当に自分が最初だと思っていたのだろう。
他にも「うちは女の子を雇うとき、ジーパン出勤OKにしたんだぞ」
スナックをやっていたので、当時としては革新的だったこだろう。
鼻高の祖父の顔だった。
今ではどうリアクションして良いかわからない武勇伝も持っていた。
そんなじいさんだが、孫には驚くほど優しかった。
毎週日曜日、必ずどこかへ遊びに連れていってくれる。
遊園地、動物園、デパートのゲームコーナー。
昭和のレジャーの定番コースは、ほとんど制覇した。
けれど、そこにも“商売人の血”が顔を出す。
じいさんは、出かけるたびに領収書を全部とっておいた。
ある日ふと言った。
「これはな、大きくなったら頼むからな」
何を頼むんだ?
「お前らに使った金だわ! ちゃんと領収あるでな!」
……冗談なのか本気なのか。
じいさんの表情はいつものように、ほんの少し笑っていた。
そんなじいさんが、
私が小学五年のときに突然亡くなった。
当時は、ただ「優しいじいちゃんがいなくなった」という悲しみしかなかった。
でも大人になった今、ふと思う。
私はあの頃、じいさんの話を“笑い話”としてしか受け取れてなかった。
あの自慢も、あの冗談も、あの妙なこだわりも、
全部が「じいさんという一人の人間の哲学」だったのかもしれない。
いまなら聞けることがたくさんある。
商売のことも、生き方も、家族のことも。
「なんでそうしたの?」と、
じいさんに真正面から質問してみたい。
幼かった私は、何も返せなかった。
でも大人になった私は、ようやく
じいさんのペースで、じいさんの言葉で、
ゆっくり会話ができる気がする。
じいさん。
いまこそ話がしたいよ。
あなたがおもしろがって話していたあの全部を、
私はちゃんと聞き返したい。
そんなことを思うようになったのは、
私自身が事業主になり、
お金の重さや工夫の意味がわかる歳になったからかもしれない。
天国では、あの領収書、まだ保管してるんだろうか。
書き終えてみて思う。
私はずっと、じいさんを“面白い大人”としてしか見ていなかった。
鉄板ハンバーグの自慢も、領収書の保管癖も、
全部「クセの強いお話」だと笑って聞き流していた。
だが今ならわかる。
あれは、人生を楽しみながらも必死に生きていた男の、
自分なりの“生存戦略”だったのだと。
じいさんは私が小5のときに亡くなった。
大人になった今こそ、もっと話したかったと思う。
商売のこと、生き方、価値観――
きっと子どもの頃にはわからなかった何かを、
いまの私は受け取る準備ができている。
もし天国で、このエッセイを読んでくれているなら、
きっとじいさんは鼻で笑いながらこう言うだろう。
「そんなたいそうに書くほどのもんか?」と。
でも、私はやっと言える。
じいさん、私はあなたのことを尊敬していたよ。
そして今も、ずっと話がしたい。




