なぜ学校は“税金と投資”を教えないのか──高等教育の空白について
社会に出てから誰もが感じることがある。
「どうして学校でこれを教えてくれなかったのだろう?」
特にそう思うのが、税金の本当の役割と、投資という考え方だ。
国民全員が生涯向き合うテーマでありながら、学校教育ではほとんど触れられない。高校は“高等教育”の入り口のはずなのに、実生活に直結する知識がごっそり抜け落ちている。この空白は、今の日本社会のいくつかの歪みにもつながっていると感じる。
私たちは長いこと「税金で社会保障を賄う」と教えられてきた。だけど、実際の国の予算を見れば、支出の多くは国債によるもので、税金は“財布”ではない。税金の本当の役割は、世の中に出回りすぎた通貨を回収して、物価を安定させることにある。つまり、インフレを抑えるためのブレーキのようなものなのだ。
それなのに、この仕組みは学校ではほとんど教えられない。いまだに家計と国の財政を同一視する“誤解モデル”が教科書の中心にいる。中学生でも理解できる話なのに、なぜか義務教育にも高校にも出てこない。「社会保障は税金で支える」という価値観が、既成事実のように残り続けている。
お金に関する本当に必要な知識は、別のところでも欠落している。本来なら高校で学んでおくべきなのは、インフレとデフレの違いとか、投資信託の仕組み、長期・分散・複利といった考え方、リスクとリターンの基本――社会人として避けて通れないものばかりだ。
ところが実際に授業で出てくるのは、企業の種類とか、株式の定義とか、試験問題にしか使わないような知識に偏っている。投資の本質にはまったく触れず、「投資=危険」という昭和の価値観だけを残したまま社会に放り出される。
私自身も例外ではなかった。二十代から株は買っていたのに、完全に“適当買い”だった。本当に理解できたのは、大人になってからだ。きっかけは厚切りジェイソンの本。「なぜ学校でこれを教えない?」と思わず声が出た。
では、なぜ学校は教えないのか。そこに陰謀めいた悪意があるわけではない。ただ、日本の教育は「社会を安定させること」を優先する傾向がある。だから、
複雑な財政構造は避ける
投資は“自己責任”として距離を置く
実生活より、試験科目を重視する
という流れがそのまま残ってしまった。
でも現代では、この“空白”が完全にデメリットになっている。お金の仕組みを知らないまま社会に出て、不安を抱え続ける大人が大量に生まれる。政治や社会保障の説明を鵜呑みにしやすいのも、背景にはこの教育不足がある。
本当に必要なのは、もっと高等教育らしい経済の基礎だ。税金の役割を正しく知れば、ニュースに振り回されずに社会の構造を読めるようになる。投資や複利の概念が理解できれば、将来への漠然とした不安が少しずつ消えていく。
高校とは、本来“社会に出る前の実践学習の場”のはずだ。古典も歴史も数学も大事だけれど、それと同じくらい、お金の構造と向き合う力は必要だと思う。大人になってから慌てて学ぶより、高校の段階で「税の仕組み」や「投資の基礎」に触れていれば、人生の選択肢はもっと広がるはずだ。
振り返れば、私が投資を学んだのは偶然だった。たまたま手に取った一冊の本がきっかけで、「なぜ学校で教えない?」という疑問が生まれた。そしてその疑問は、今の教育が抱える空白そのものでもある。
高校は“高等教育”の入口だ。
社会の仕組みを理解する力を育てる場でもある。
だからこそ、税と投資について学ぶ機会が、もっと自然に与えられてもいい。人生に直結する知識こそ、本当は学校でこそ扱うべきではないだろうか。




