萌えは中毒性がある
言葉は便利だ。
「萌え」と言えば大体のことは伝わるし、深追いしなくても会話は成立する。
けれど、その言葉の奥には、いつの間にか心を連れていく力がある。
気づけば距離がなくなり、笑いながら「嫁」と呼んでいる。
この小さな変化を、軽口のまま流すのは惜しいと思った。
一度だけ、きちんと見てみたかった。
萌えという言葉は便利だ。
一言で説明できるし、いちいち理屈を並べなくても通じる。
でも、その便利さの裏側にある作用は、思った以上に強い。
可愛いは“いいな”で済むけれど、萌えは“欲しい”に変換される。
そこにあるのは、感情のスイッチというより、
所有欲という名のレバーだ。
可愛いは距離を測れる。
眺めることができるし、他人が見ていても気にならない。
でも萌えは違う。
距離が詰まり、こちら側が一歩踏み出してしまう。
気づくと「この子は違う」「特別」「守りたい」
そんな言葉が、まるで自然な感情のように出てくる。
実際には設計された記号が心の中に階段を作り、
気づかないうちに上らされているだけなのに。
だから、萌えには中毒性がある。
依存と言うと少し大げさだけど、
一度ハマると離れにくくなるあの感覚は、
人を「推し」から「嫁」へと連れていく。
嫁と言った瞬間、距離はゼロになる。
現実には存在しないはずの誰かが、
現実の感情の中で特別な位置を占める。
その位置は、空席ではなく仮席だ。
誰にも譲られず、誰にも触れられない席。
笑って済ませられる話なのに、
その笑いの奥に、ほんの少しの本気が混じる。
萌えが中毒性を持つのは、
感情の入り口を広く、出口を狭く作っているからなのだと思う。
日常に近いようで、非日常。
手が届きそうで、届かない。
触れられないのに、触れた気持ちになれる。
その曖昧な距離が、
欲望ではなく錯覚を保存する。
保存された錯覚が、
ある日突然、「嫁」という言葉になって飛び出す。
誰も本気で結婚できると思っているわけじゃない。
でも、言う。
言いたくなる。
その瞬間の照れと喜びが、
中毒の真ん中にある。
現実の結婚とは違う、
けれど感情だけは同じ場所を通る。
ここが、萌えの一番厄介で、
一番面白いところだ。
可愛いは心を動かすけれど、
萌えは心を運ぶ。
運ばれた先が「嫁」という言葉で名前を持つ。
その言葉を笑いながら言えるうちは、
まだ安全だ。
笑いが消えたら――
それはもうエッセイじゃなく、
物語の始まりかもしれない。
萌えは感情の衝動で、中毒性がある。
その先に「嫁」が出てくるのは、冗談であり、本気でもある。
人はときどき言葉で距離を消したくなる。
現実には触れられない誰かに、名前を与えることで、
手を伸ばした気持ちになれるからだ。
書き終えてみると、笑ってしまう部分も多い。
でも、その笑いの手前に、確かに何かが残る。
それで十分だと思う。




