2-19 トレントを求めて
「邪神の使徒か」
生き残った報酬か、信頼の証なのか分からないけど、ハイラムが教えてくれたこと。
エンドレスインフィニットクロニクルで魔王の代わりにラスボスとして登場するのが、邪神の使徒。
なんでも、主人公の行動によって変化するマルチストーリーで、なおかつマルチエンディングの形式のエンドレスインフィニットクロニクルに出てくる邪神の使徒は、特定の個人を指しているわけじゃないそうだ。
ゲーム通りなら、ストーリーで英雄と呼ばれるくらい強い登場人物が、レベル50以上で心に大きな闇をかかえていると、邪神に魅入られて邪神の使徒になってしまうらしい。
その後、邪神の使徒になってしまった者は、強力な力を手に入れる代わりに、行動と思考が破壊と殺戮を目指すものになり、力で世界を蹂躙するという。
詳しくはハイラムが教えてくれなかったけど、特殊な条件を満たした特別なルートによっては主人公が邪神の使徒になり、最終的に邪神そのものと戦うらしいけど不確定要素が多すぎて、この世界だと実行は不可能に近いようだ。
とにかく、ハイラムの主目的は邪神の使徒が誕生するのを未然に防ぐか、誕生直後に最小限の被害で倒すことらしい。
ただ、この世界の歴史を紐解くことで、ゲーム本編の年代と照らし合わせて邪神の使徒が誕生する時期は予想できるけど、どこで誰が邪神の使徒になるか、事前に特定するのは不可能だそうだ。
ゲームと現状で、歴史が少し違うどころか、滅びているはずの国が存在したり、位置が違っていたりして、そもそもゲームで邪神の使徒になる確率の高い人物が確認できないケースも多いらしい。
この話を、私は傷の治療を終えてベッドで目を覚ました直後に教えられた。
これが2日前の話だ。
現在、私は寝泊まりしているオシオン侯爵の屋敷を離れて、王国の北に広がる魔境の森を探索している。
魔境といっても、植生から出現する魔物、全体的に漂う重くて威圧的な雰囲気まで、村の近くの魔境とはまるで違う。
両頬に口裂け女のような傷跡も残らないように治療して、体調も万全だけど、もう少しゆっくりしたほうがいいのかもしれない。
でも、ハイラムの告げた私にやって欲しいことを聞いて、寝ていることなんてできなかった。
義侠心や使命感?
当然、違う。
表情から察するにハイラムも情報を提示しただけで、すぐに私が魔境に向かうと予想していなかったと断言できる。
ハイラムからの情報を得て、怪我を治療したばかりの私が魔境へと向かう理由。
とても簡単で、シンプルなこと。
斧を極めるためだ。
なんでも、目的の場所にはトレントが出現するらしい。
トレント、植物系の高位の木の魔物。
魔物でありながら、伐採スキルが発動する珍しい相手。
エルフの国にある聖域にいる攻撃的じゃないトレントと区別して、魔境などに出現するトレントはイビルトレントと呼ばれているらしい。
多くのエルフが、トレントを親しい隣人だか、敬愛すべき亜神だかのように扱っているとハイラムが言っていたような気もするけど、どうでもいい。
斧を極めるために、斧を振るう対象として、これほど相応しい相手もいないだろう。
というか、トレントは戦争で捕虜にならずに、農奴から平民になっていたら、冒険者となって斧を振るいたいと思っていた対象だ。
予想や予定と違う経緯だけど、これだけ早くトレントと出会えるなら、現状は悪くないのかもしれない。
「信じられませんか、殿下のこと」
後ろからついてきていた猫族の獣人のチャルネトが、心配そうに言った。
私の監視兼見届け人で、戦闘になれば援護をするために、彼女は王国の北の魔境への強行軍に同行してくれている。
格好も、獣魔士という魔法が使えて接近戦がある程度できるという獣人固有のジョブだからか、打撃用の武器兼魔法の行使を補助する2メートルくらいの装飾の一切ない魔樫の黒い杖を手に、いつもの黒い執事服のような物じゃなくて、動きやすそうな黒い革製の防具を装備しているけど、耳の動きを阻害されるのが嫌ということで、兜は被っていない。
まあ、彼女にしたら、怪我が治ると同時に魔境に挑んでいる私の行動は不思議というか、不可解だろう。
もしかしたら、私がハイラムに対して疑念を抱いていて、焦って無茶な行動をしているように見えるのかもしれない。
単純に自己の欲望に対して、抗うことなく行動した結果なだけなので、少し申し訳なくて、応じる言葉も殊勝っぽくしてみる。
「いえ、疑っているというよりも、話のスケールが大きすぎて、自分のような者が関わるような話に思えないのです」
私としても、邪神の使徒に関心がないわけじゃないし、世界の行く末もどうでもいいと思っているわけじゃない。
私のできる範囲で協力を惜しむ気がないのも事実だ。
でも、正直なところ斧を極めたいと思っているだけの15歳の農奴が関わる話でもないと思ってしまう。
実際、ハイラムの話を疑っているわけじゃないけど、世界の危機と言われても現実感がない。
「なにを言っているのです。あなたは殿下と同じように英雄の資質を間違いなく持っています」
「それは……ありがとうございます」
と口にするけど、自分に英雄の資質があるとは思えない。
同年代の者と比較すれば、強いほうだとは思うけど、最強と言えるほどでもない。
どうにもチャルネトを中心に、獣人たちの私への評価が高すぎる気がする。
それに、直接言われたけど、ハイラムも私が邪神の使徒になる可能性を警戒しているそうだ。
レベル50どころか、30目前で足踏みしている身としては、不要な警戒だと思ってしまう。
そんなことをボンヤリと考えながら、こちらに向かってくる頭に角を生やした灰褐色の肌をした3メートルの人型の魔物、オーガの群れに減速することなく突っ込む。
周囲に生えている木々の位置を把握して、オーガの群れの間を縫うように駆け抜けながら、扱い慣れたクルム銅製の鮮やかな赤い大斧を振るうこと8回。
後には、物言わぬ両断されたオーガの死体が8つ。
今ので4つ目のオーガの群れだ。
強さ的にオーガはウールベアと同じくらいだと感じた。
最初の群れはチャルネトの戦い方を見せてもらうために協力したけど、今は私1人でやらせてもらっている。
これは下手に連携するよりも。私が単独で戦った方が早く終わらせられるというのもあるけど、それ以上にトレントと戦う前に、戻ってきた装備と新しい装備に慣れておきたかったのだ。
まだ、マルスト侯爵の試練10回のうちの1回目を生き抜いただけだけど、ハイラムは私の装備のうちいくつかを返してくれた。
その内の1つが、愛用のクルム銅製の片刃の大斧で、手斧の柄を差して携帯しやすようにしたウールベアの革で作ったベルトと収納袋も、戻ってきている。
ただ、鉄蛇草の布鎧などの防具と靴は、破損したこともあるけど、返還を拒まれた。
多分、布鎧とかを分析して、王国で再現できないか試すのだろう。
そのために、私から情報を聞き出そうとしないところに王国のプライドというか、意地を感じる。
まあ、布鎧の代わりになる物は、ハイラムが用意してくれたから、私に不満はない。
現在、足に装備しているのが、ウールベアの革とゴブリン銅で作った安全靴モドキの代わりとなる黒い革製のブーツ。
黒猫ブーツという名前で、防御力はあまりないけど足音を消してくれるダンジョンで入手可能な魔法のブーツ。
魔法のブーツらしく履いている者に合わせて、自動でサイズを調整してジャストフィットして、しかも素足なんじゃないかと思うくらい動きやすくて違和感がない。
でも、個人的には足音が消えることよりも、以前履いていた安全靴モドキよりも優れた地面を踏みしめたときのグリップ力を気に入っている。
そして、防具として黒い革製のベストとズボンを装備している。
……防具じゃないと思われそうだけど、これにも理由があるのだ。
ハイラムから提案された防具が、金属や革など素材を問わずに動きにくくて、違和感が大きいから装備することを遠慮させてもらった。
これもある意味で、翠美鋼のように軽くて動きやすい布鎧が優れているから、発生した弊害だろう。
最悪、防具なしでもいいかと思っていたんだけど、ハイラムから代わりに革製の服を薦められた。
確かに、薦められた黒い革製の製品は、軽くて伸縮もよくて動きやすくて、防御力も下手な金属鎧よりも高いらしい。
素材がなになのかは教えてくれなかったけど、近くにいたチャルネトが目を見開く程度には高額で貴重品なのだろう。
兜もしっくりくる物がなかったので装備していないけど、雨と防寒対策にヘルハウンドの黒いフード付きの毛皮のマントを羽織っているので問題はない。
この世界でヘルハウンドがどういう魔物かは知らないけど、ハイラムによればデビルウルフよりも強い高位の魔物ということだ。
物理と魔法に対する防御力はハイラムが保証してくれたけど、単純な防寒性能ならデビルウルフの毛皮のほうが上のような気がする。
……まあ、よくわからない負け惜しみにも似た感情による無意味な対抗意識だ。
他にも投擲用の魔鋼製の手斧が6つベルトに差さっていて、さらに戦場での反省をいかして予備の手斧もいくつか返却された収納袋に入れていて、予備のサイドアームとして魔鋼製の鉈を2つベルトに吊るしている。
昔から使っていたクルム銅製の鉈も戻ってきたけど、自分の生存を伝えるための手紙と一緒に身分証明の代わりに、手紙の運搬をハイラムから任された冒険者たちに手渡した。
ハイラムは知り合いの冒険者たちと言っていたけど、間違いなく彼らは部下だろう。
公的にハイラムの役職は名誉職ばかりで、実権がないらしい。
でも、獣人たちとの親密さ、転生者関連の情報収集、邪神の使徒への対策に動いていることを考えると色々と想像できる。
王家か、国家の諜報機関の中枢にいるんじゃないかと妄想してしまうけど、そんなことは決して口に出さない。
ハイラムが私に説明しないということは、信頼が足りないか、組織の秘匿性を維持するためだろう。
なら、知る必然性もない現状で、下手につついて藪蛇になる必要もない。
ともかく、村の家族と友人たちに、私の生存を伝えることはできるということだ。
しかし、一方で、斧を極めるために有用そうなトレントの存在を知った現状だと、村に急いで帰還しようという思いのない自分が、どうにも薄情に思えてしまう。
まあ、絶対に帰りたくないと、意固地になっているわけでもないので、マルスト侯爵の試練を生き残って、ハイラムから任せられる仕事を終えたときに、余裕があれば帰ってみるのも悪くない。
なにはともあれ、オーガたちの死体をそのままに魔境の奥へと足を進める。
オーガの死体を持ち帰れば、角と皮が有用らしいのでそれなりの値段で買い取ってくれると思われるけど、私と同行しているチャルネトが持っている収納袋には余裕がない。
元々、容量がそこまであるわけじゃないし、なによりもトレントを入れるスペースと、なにかあったときのために空けておく。
そして、新調した手斧や鉈がクルム銅製じゃなくて、魔鋼製なのにも理由がある。
ハイラムが用意してくれたクルム銅製の手斧や鉈を持ったときに、村の鍛冶師が作った物に比べて違和感が大きかったのだ。
もちろん、第3王子であるハイラムが用意したものだから、一般的なクルム銅としての性能は持っていたんだけど、金属として、あるいは完成品としての精度で村の鍛冶師が作った物に及ばなかったのだろう。
村の鍛冶師が王国出身で、王国にいたときは最高の鍛冶師と呼ばれていたとか、アルコール交じりに話していたのを思い出す。
当時は、前世でもよく聞かされた中年上司の無駄に誇張した妄想交じりの武勇伝と同列のものかと思っていたけど、彼は本当に腕の良い鍛冶師だったようだ。
そんなわけで、違和感の大きいクルム銅製じゃなくて、攻撃力で劣るけど、頑丈さなら信頼できる魔鋼製の手斧と鉈を選ぶことになった。
まあ、新調した2つの魔鋼製の黒い鉈は、現在の体格に合う物を選んだから、サイズ感的にむしろ違和感がなくなっている。
途中で出会うオーガの群れで、防具を体に馴染ませつつ、魔鋼製の手斧と鉈の使い勝手を確認しながら魔境を進んでいると、それが視界に入った。
神々しさも、禍々しさも、見た目には表れていない。
幹の太さは、前世の電信柱ぐらいの大きくもない普通の木。
けど、はっきりとわかる。
目の前の木がトレントだ。
平凡な樹木のような見た目に反して、肺が潰れて、心臓が鼓動を忘れたんじゃないかって、錯覚してしまうような威圧感。
単純な威圧感だけなら、ハイラム以上。
でも、私のなかに恐怖はない。
頭が、血が、感情が沸き立つような衝動に満ちている。
とにかく、1秒でも早く目の前のトレントに、斧を振るいたいと。
次回の投稿は10月25日金曜日1時を予定しています。




