2-18 下賤な愉悦に勝機を
「潜伏ですか?」
激しい痛みと共に、傷口から湧き水のように流れる血で汚れた両膝を石畳に落として、絶望しながら、それでも逆転の目を模索するための時間を稼ぐために、それっぽい疑問を口にする。
それに、少しでも思考することを止めたら、両足の太ももで増殖するように精神を侵食する痛みに飲み込まれて、死地から脱すことなんてできなくなるだろう。
こいつに背後を取られたのは忌々しいけど、その原因が潜伏などのスキルなのか、それとも私のミスなのかは重要じゃない。
そういう原因を特定して、疑問を解消したりするのは、生き延びてから余裕のあるときにすることだろう。
だから、
「潜伏? ああ、狩人の知り合いでもいたのか。俺が使ったのは気配遮断。暗殺者のジョブになると自動で習得できるスキルだ」
背後から喜々とした口調で返事があって驚いた。
もしかしたら、無駄にも思える、この会話を続けることが、こいつの思惑か、あるいは下賤な嗜好が絡んでいるのだろう。
「なぜ、急所を狙わなかったのですか?」
背後から急所を狙われていたら、確実に死んでいただろう。
だから、狙えたのに、狙わなかったことが不思議だ。
片方ならともかく、槍とレイピアは両足の太ももに刺さっているから、急所を狙ったのに外れてということは考えられない。
「なに、狙えなかっただけだ。急所なんて狙っていたら、お前は殺気を感じ取って、もうワンテンポ早く回避して無傷で反撃していただろうさ」
暗殺者の死罪人の言葉は、過大評価だ。
確かに、急所を狙われていたら、より早く強い殺気を感じることができたかもしれない。
でも、それはスキルによるものじゃなくて、経験によるものだから、確実に殺気を感じられるとは言えないだろう。
それよりも、
「翠美鋼の武器に魔力を流さなかったのも、そのためですか?」
魔力を使われなかったことが、奴の存在を感じられなかった要因だといえる。
「それもあるが、魔力を流して翠美鋼の特性を発揮させていたら、速度と威力が出てお前の太ももを貫いてしまうだろう。それは、困るんだよ」
こいつは意味のわからな…………ああ、なるほど、そういうことか。
「……貫通しても、あなたに不都合があるとは思えませんが?」
なんとなく、想像できたけど、時間稼ぎの会話を継続させるために、わざと疑問の言葉を口にした。
「いやいや、だって、お前は槍かレイピアが貫通していたら、一か八か全力で太ももから突き出ている部分を折って、投擲するための物を確保してただろう。諦めの悪いお前みたいな頭を使う奴を相手に、逆転の余地を残すのは悪手だ。面倒で回りくどそうに思えても、着実に勝利の可能性を潰してから、落ち着いて追い込むに限る」
背後から聞こえる奴の言葉を聞きながら、蜘蛛の糸のように細い生存の可能性が見えた気がした。
奴の言葉には、解説しているようで、私を評価しているようでもあるけど、違う。
奴の声色に、隠し切れない嗜虐と愉悦が多分に混じっている。
こいつは強いけど、機械のように淡々と殺すんじゃなくて、能力ある者を絶望させて、あるいは悪足掻きをさせてから、それらを踏みにじるように殺すことが好きなタイプのようだ。
人格的にはクズだけど、勝機を見出す余地はある。
「過大評価ですね」
「公正な評価さ。お前が初手で披露した強力な一撃、タメ切りの応用だろう」
背後からの言葉に、沈黙してしまう。
「…………」
強撃の威力と速度を警戒されても、初見でタメ切りの応用だと見抜かれるとは思っていなかった。
「凄いねぇ、俺はタメ切りなんて、使えるようになって、2、3回試しただけで、実用的じゃないって興味を失ったのに。お前は、試行錯誤と創意工夫を止めなかった。原理としちゃあ、瞬間的に通常よりも数倍の魔力を消費することで、タメの時間を省略したか」
こいつの感心するような言葉に嘘はないのだろう。
強撃の原理を見抜く洞察力も凄いけど、それも私を上げて踏みにじるための前座だろうか。
あるいは、単純にその程度のことは見抜けているという自慢かもしれない。
「……見事な慧眼ですね」
「なに、原理がわかったところで、再現するのには膨大な努力が必要だろう」
「……どうでしょう」
曖昧な言葉を口にしながら、多くの魔力を使う強撃は、隠れて気づかれないように殺す暗殺者の仕事には向かないだろうとも思う。
まあ、こいつのジョブが暗殺者だからといって、職業として暗殺を生業としていたかはわからないけど。
「もっとも、対処するだけなら、そこまで難しくもないがな。連発しないところを見ると、消費魔力も肉体への負担も軽くないといったところか。とはいえ、まったく、これだから貴族は危うい」
背後からの言葉に、本気で首を傾げながら応じた。
「どういう意味です」
ここまでの会話の流れで、どうして貴族が出てくるのかわからない。
「事前にお前を殺したいマルスト侯爵が、お前は斧が使えなければなにもできないと、偉そうに俺たちに言っていたんだ。どこがだよ、まったく。お前は純粋に投擲の腕を競えば俺よりも優れている上に、変則的なタメ切りまで使える。これなら、人数を半分減らす代わりに、殺した奴の武器を拾うのを禁止にしていれば、楽だったのにな」
「私にとっては、ありがたいことです」
本当に、心からそう思う。
斧を失い、投擲も封じられていたら、状況はもっと厳しかったかもしれない。
「お前が大事な息子を殺した強者だと強く認識して、情報を集めて何重にも警戒しているのに、肝心なところで貴族らしく他者を傲慢に見下して墓穴を掘ることになる。困った話だが……」
「だが?」
「それでも、お前を殺して、恩赦を得るのは難しくなさそうだ」
「……そうですか」
「ああ、俺は最初の2人が殺された時点で、他の全員を囮にして、お前を殺す策を導き出したんだからな」
まるで、私が19人の死罪人を殺した動きは、奴の手のひらで転がされたような言い方だ。
なかなか不愉快な解釈だけど、現状を考えると反論することはできない。
でも、それよりも足音が聞こえる。
ゆっくりと背後にいる奴が、私を中心に円を描くように歩き出したようだ。
私の正面で歩みを止めて、勝利を確信したように、下賤な笑みを浮かべている。
「これから、お前を殺す最適解はなんだと思う?」
「さあ、そこから持っている剣を投げれば勝てるんじゃないですか?」
「いやいや、投擲は悪手だ。俺の投擲は奇襲かつ死角からという条件付きで、両足を潰せる程度。下手に投げて、わざと食らって投げるための武器を確保されたらかなわない。周囲に落ちている武器を拾うのもダメだな。少し距離を開けた瞬間に、後ろから刺さっている槍かレイピアを強引に抜くだろう、お前は」
「……どうでしょう」
刺さっている槍とレイピアを引き抜いて投げるという展開を考えなかったわけじゃない。
でも、抜いてから投げるまでに、どうしても無防備な時間ができてしまうから、現実的じゃないと廃案にしている。
奴が落ちている武器を拾うために私から離れれば、検討する余地があるかもしれない。
まあ、奴は落ちている武器を拾う気がないみたいだから、無意味な可能性だ。
「だから、そんな隙は見せられない」
段々と奴の身振りが大きくというか、舞台上の役者のように大げさになっている。
「なら、どうやって私を殺すんですか?」
「シンプルに、近づいてこの剣で殺す」
奴の言葉に、私は顔を歪めて沈黙してしまう。
「…………」
「良い表情を見せてくれる。格上の相手に距離を詰めるのが危険だと考えるのは2流だけだ。俺よりも高レベルでも、斧を持っていないお前なら、剣を持っている俺の方が強い。それに、背後からだとお前が正面でどんな逆転の一手を思いつているかもわからないからな。正面から視界におさめて小細工をする余地をなくす」
「回りくどい言い方をしますね」
「ほう」
「背後から私を殺さない理由を口にしていましたが、単純にそれだと殺すときに私の表情を確認できないからでしょう」
これだろう。
投擲よりも、近づいて剣でという選択は正しい。
斧のない素手だと、私よりもこいつのほうが強いのは確かだろう。
でも、私を殺すだけなら、背後から殺したほうが確実だ。
そうしないのは、警戒しているからじゃなくて、浮かべているであろう私の絶望して悔しがる表情を見るため。
もっとも、背後から正面に回り込んだのは、最低な嗜好だけじゃなくて、正面からでも絶対に勝てるという自信があるのだろう。
「…………ああ、困ったな。バレていたか」
「隠せているつもりなんですか?」
「どうにも修正できない悪癖でね。こいつのおかげで強くもなったが、ヘマをして死罪人にもなってしまったからな。困ったものだ」
肩をすくめながら浮かべる奴の表情は、取り繕うのを止めたからか、より醜悪な笑みになっている。
「セリフと表情があっていませんよ」
おそらく、こいつは勝つことや生きることよりも刹那的な自分の欲求や衝動を優先させるタイプなのだろう。
頭でリスクを理解しているのに、我慢することができない。
だから、背後から急所を狙わないで、正面に回り込む。
大貴族に執念深く命を狙われ、粒ぞろいの死罪人を19人殺し、変則的なタメ切りを使える私は、生きようと、勝利をつかもうと足掻いて、踏みにじって絶望させる相手として、こいつの嗜好に合っているのかもしれない。
醜悪で気色悪いことだけど、おかげで1つだけ生き残るための道筋が見えた。
細くて朧気で、頼りない道だけど、道は道だ。
それしかないなら、どんな道だろうと進むしかないだろう。
「それはしょうがない。お前の目を見ればわかる。生き残ることを諦めていない者の目だ。だが、同時にお前の知性と経験から、この状況がどうしようもなく詰んでいると理解している。逆転の目はないと理解しながら、才気あふれる者が足掻く姿は、なかなか……」
こいつは私の目を見ればと言っているけど、怪しいものだ。
自己陶酔の海に沈んで、愉悦に酔いしれて、冷静な状況分析ができるとは思えない。
…………いや、これは、私の願望かもしれない。
そうであって欲しいと。
こいつが冷静で冷徹な職業的な暗殺者だったなら通じない一手。
私の行う道化の間抜けな詐術に引っかかる程度には、冷静さを失っていて欲しい。
とはいえ、ここでやるしかないということだけは確かだ。
顔を歪めて、衝動に突き動かされたかのように、左の拳を石畳に叩きつける。
なにもできない自分が悔しくて、感情の行き場がなくて、仕方なく拳を振るった…………ように見えることを切に願う。
一切の手加減なしで拳を叩きつけたから、左手は血塗れで指の骨も何本か折れていて、冗談抜きで泣きそうになるくらいには痛い。
絶望したようにうつむいて、視線を下に向ければ、予想通りの物が見えた。
亀裂が入って砕けた石畳。
手ごろな石畳の破片の上に、右手を置く。
近づいてきているこいつからは、両手を石畳の上に置いて悲嘆くれているように見えていると願っている。
表情も、屈辱に満ちたものを偽装するけど、これは比較的に簡単だ。
左手と両足の太ももが告げる痛みに、少し意識をむけるだけで、自然と表情が耐えるように歪んでくれる。
「おいおい、絶望的な気持ちになるのはわかるが、感情任せに自分を傷つけるなよ。これから俺に殺されるのに、これ以上無意味な痛みの記憶を増やすなよ」
優しく諭すような口調だけど、愉悦して見下す色が強すぎる。
不快なノイズだけど、こいつが自己陶酔で視界を曇らせているなら、むしろ大歓迎だ。
立ち上がれない不自然な姿勢からだから、必中かつ必殺を望むなら強撃で投擲するとしても、もう少し近くないと、致命傷を避けられてしまう。
あと、3歩。
「そう、自分を卑下する必要はないって」
あと、2歩。
「お前は強い。俺よりも強いし、才気に満ちている」
あと、1歩。
「ただ、お前よりも俺の方が狡猾で、生きるのが上手かったってだけの話だ」
屈辱から、顔を上げて奴をにらみつける……ようにして、照準をつける。
狙うのは胴の中心。
形状不明、重さ不明の石畳の欠片だと、狙ったところで軌道が多少はズレる可能性が高い。
そう、投擲できる物がないのなら、自力で自作して調達すればいいだけだ。
でも、まだ、成功じゃない。
持ち上げてみたら、石畳の欠片の見えないところが予想以上に大きくて、投擲に手間取ってしまい投げることもできず殺される可能性もある。
それ以前に、こいつに気づかれる可能性だって無視できない。
けど、どうでもいいことだ。
私にはこれに賭けるしかないのだから。
ゼロ、奴が絶殺の間合いに入った瞬間、最速で強撃を発動させて、傷ついた体を限界まで酷使して石畳の欠片を投げる。
奴の胴を狙ったのに、凶悪な飛翔音をまとったそれは、狙っていた軌道がズレた。
でも、問題はない。
石畳の欠片は、奴の醜悪な笑みを浮かべた顔面にめり込んだ。
奴の死は確定。
けど、終わりじゃない。
奴は直前でこちらの動きに気づいたのか、両手に持っていた2本の小剣を投げてきた。
1本の軌道は問題がない、右肩を貫くだけで致命傷じゃない。
でも、もう1本は私の顔に切先を向けて飛翔している。
回避、不可能。
それは偶然か、奇跡か、血塗れの左手を剣の軌道の間に持ってくることができた。
けど、飛翔する剣は左手を貫通しても止まらない。
だから、無我夢中で噛みついた。
なにに?
剣の切先に。
口内は血の温かさと鉄のような臭いと味で満ちている。
でも、私は生きている。
小剣の切先が頭部を貫通することもなかった。
歯で白刃取りをしたようなものだ。
2度と再現はできないだろうし、やりたくもない。
けど、程度はわからないけど左右の頬が切れたようで、血が止まらないから、口内がずっと血であふれている。
口裂け女のような状態だろうかと、どうでもいいことを考えながら、噛んでいた小剣を離して口から抜く。
運の良いことに、奴の投げた翠美鋼の小剣には魔力が流されていなかった。
翠美鋼の小剣が、軽く空気抵抗を無視していたら、速度と威力的に歯での白刃取りは不可能だっただろう。
まあ、予想外の軌道で、私にかすりもしなかった可能性もあるけど、今はどうでもいい。
それよりも、やることがある。
右肩と左手に小剣が刺さり、両頬が切られて、左右の太ももに槍とレイピアが刺さっている現状は、どうみても満身創痍だ。
複数の傷が、それぞれ違った個性的な痛みを主張してきて、出血による寒気と疲労で、一刻も早く意識を失いたい。
でも、ダメだ。
このまま気絶したら、勝者と認められない可能性がある。
闘技場で相打ちのような状態で、致命傷を負うと慈悲を与えられるそうだ。
ここでいう慈悲は、治療とかじゃなくて、速やかに止めを刺すことを意味する。
つまり、ここでそのまま気絶すると、勝利じゃなくて相打ちと認定されて、慈悲が与えられるかもしれない。
だから、遠くなりそうになる意識をどうにか保って、私が勝者だというパフォーマンスをする必要がある。
とはいえ、立てないし、右肩に小剣が刺さっているせいで、右腕は指先をわずかに動かすことすらできない。
主観的には悠然と、小剣の刺さった左手を掲げる。
冷静に考えると、なかなか間抜けな構図かもしれないけど、しょうがない。
現状の私にできる勝利宣言は、この程度だ。
「勝者……」
誰かが、遠くでなにかを言った気がするけど、もう眠くて理解することができない。
次回の投稿は10月11日金曜日1時を予定しています。




