2-17 投擲
目の前には、死罪人が20人。
一度に全員で向かってこられたら、私は死ぬだろう。
わずかな可能性の余地もなく。
それくらい死罪人たちの実力が高い。
元々、恩赦を賭けたバトルロイヤルを開催する闘技場ということだから、これくらいの実力の死罪人のストックがあったのか、マルスト侯爵が権力と財力と執念で集めたのだろう。
私にとっては、困った話だけど。
村長に教えられた1対多数のセオリーを思い出す。
とにかく数を減らすことと、止まらないことらしい。
多数の敵というのは、それだけで脅威だ。
フォレストウルフの仲間を呼ぶ習性というか、遠吠えの能力を利用して、短時間で効率よくレベルアップできないかと思って、全方位から襲ってくるフォレストウルフやデビルウルフと一晩中戦うという地獄のような経験から、数が脅威だということは経験として理解できる。
相手が自分よりも弱くても全方位から襲われると、どうしても対処が遅れたり、おろそかになってしまう。
それでも、ちゃんとした防具を装備していれば、致命傷や重傷の確率を下げられる。
けど、今の私は、防具と呼べる物を装備していない。
運悪く軽く手足を切られて、攻撃や回避の動きが悪くなれば、状況はすぐに悪化するだろう。
だから、自分よりも数が多い相手と戦うときは、どれだけ素早く数を減らすことができるかが重要になる。
そして、止まらないことも重要だということだ。
これは、動きを止めてしまうと、すぐに囲まれてしまうから。
即席のつたない連携でも、全方位を囲まれるのはまずい。
戦場でも体感したけど、弱い敵でも死角から攻撃されると恐ろしい。
その上、現在のところ私を囲んでいるのは、ザコじゃなくて実力者。
だから、囲まれないように、どこまでも動いて戦場の主導権を握るしかない。
とはいえ、作戦もなしで闇雲に動くのも危険だ。
無策で動いて良い相手じゃない。
けど、長考が許される状況じゃないのは確かだ。
でも、バトルロイヤル開始の鐘の音が鳴るまでという意味だけじゃなくて、実のところ、少しだけ時間はある。
死罪人たちの視点に立つと、私に勝てる確率はかなり高い。
すぐに、全員で全方位から襲うのが、無難で手堅い策だと理解しているだろう……頭で。
けど、連中は同時に、予想する。
自分が先陣を切るべきだろうか?
殺す対象である私は、全員で襲えば殺せるとわかると同時に、1対1だったら勝てないとも理解できるくらいの実力が全員にはある。
全員で襲ったとしても、先陣を切った数人は絶対に死ぬと予想もできてしまう。
私1人を殺せば死罪から恩赦で、生きる道が見える。
なのに、他の死罪人のために、死のリスクの高い先陣を切れるだろうか?
無理だ。
恩や人質で、行動を縛られていない限り、助かる道が見えているのに、隣にいる死罪人は自分の命を投げ出す対象じゃないだろう。
勝利を確信していても、我が身可愛さで、誰も最初の一歩を踏み出せない。
だから、私には少しだけ時間がある。
死のリスクの高い先陣を誰が切るのか、押し付け合うから。
でも、それも無限じゃない。
いずれは誰かが、言葉巧みに、リスクを分散して調整して、攻撃が開始するだろう。
つまり、私はこの時間を最大限に活用しないといけない。
生き残るために。
重要なのは白髪の獣人と赤髪の優男をどうするかだ。
2人が連携していなくても、同時に攻撃をしてきただけでもよくない。
危険な2人を対処している間に、その他の奴に死角から容易に攻撃されてしまう。
結論として、どちらかには初手で消えてもらうしかない。
思考する。
半包囲している死罪人の立ち位置、強さ、装備。
最初から最後まで、動きと展開を、無数に予想して、思考して、予想して、思考して、予想して、思考する。
沸騰した頭で、粗雑に導かれた急造の解は、完璧と呼べるものじゃない。
変化する状況に応じて、発生するほころびに対処するためにも、即興でアレンジする必要がある。
けど、一応、生路が見えた。
動き出したら、やり直しはない。
一発勝負だ。
バトルロイヤル開始を告げる鐘の音が、闘技場に響く。
死罪人たちが即座に動くのを警戒したけど、動かない。
距離を詰めないで、半包囲を円のような完全に包囲するように動くだけでも効果的なのに、どうやら彼らの一歩は重いようだ。
だから、私から動く。
といっても、間合いを詰めたりはしない。
ただ、ぶしつけな視線を向けるだけだ。
できる限り相手が、不快になるように。
「なに、見てんだ」
白髪の獣人が、顔をしかめてこちらをにらむ。
この手の挑発の経験が、前世も今世もあまりなかったので、上手くできるか心配だったけど、彼の表情を見る限り上手くできたようでよかった。
相手が挑発に乗ってくれたから、さらに誘導するために、口を開く。
「いえ、獣人の死罪人というのがいるのだと、不思議に思いまして」
普通に考えれば、獣人というのも一つの種族でしかないから、多くの者が強さに憧れるとかの傾向はあっても、全員が同じ気質なわけもなく、死罪になるような突き抜けた者がいたとしても、不思議でもなんでもない。
けど、相手を煽るために、さらなる言葉を組み立てていく。
「ああ?」
「獣人の方たちと多くの時を過ごしたわけじゃないですけど、多少粗暴なところはあっても、死罪になるような方たちじゃなかったので」
意外そうに口にした私の言葉に、白髪の獣人はより不愉快そうに顔を歪めて応じた。
「……オレをクソみたいな連中と一緒にするんじゃねぇ」
「……クソ、ですか?」
なんとなく、目の前の白髪の獣人の思考が予想できたけど、大げさにわからないという風に、首を傾げる。
「ああ、弱い奴を守るのが、強者の義務だとか、真の強者を邪魔するクソみたいな弱者の言い訳を口にするクソ共だ」
忌々しそうに告げる白髪の獣人。
彼には周囲の大人や社会が、理不尽で頭が固いように見えたのだろう。
思春期になると、前世でも今世でも、若者が陥る現象で、珍しくもない不満だ。
社会に出て経験を積むと、ダサくて古臭くみえた考えが、堅実で重要だと理解できて、いつの間にか嫌っていた理不尽で頭の固い大人に、自分もなっているというどこの社会にもある現象。
なので、個人的に彼の考えや葛藤を揶揄する感情はない。
けど、挑発しないといけないので、最も感情を逆なでする言葉を口にする。
「なるほど……自己紹介ですか?」
「……ああ?」
白髪の獣人から、表情が抜けてポカンとしている。
私の口にした言葉を瞬時に理解することができなかったようだ。
なので、
「あなたはここにいる。つまり、誰かに負けた敗者で弱者です。そして、あなたに勝った強者に文句を言う弱者。だから、あなたもクソなんじゃないですか?」
嘲るように、煽るように、言葉を口にする。
獣人という種族は弱者を虐げることを認めていない。
けど、強者に敬意を向けるから、他の種族から見ると暴挙や圧政でも、強者なら獣人の社会だと豪快だと、咎めることなく容認されることも珍しくないそうだ。
つまり、目の前の白髪の獣人は、そんな獣人の社会でも容認されない行為をしたか、強者と見なされなかったのだろう。
それだけお前は素行が悪くて、弱かったのだろうという事実を突きつけているわけで、かなり寛容で忍耐力に優れていれば別だけど、白髪の獣人は、ここで突出することがよくないと、頭で理解できたとしても、自制することができないはずだ。
「おい!」
赤髪の優男が、私の挑発の意図を察したのか、白髪の獣人を止めようと声をかけるけど、
「……てめぇ、死ね!」
怒りで顔を赤くした白髪の獣人が、翠美鋼の槍を構えて突進してくる。
予定通りだ。
白髪の獣人が突出したことで、赤髪の優男が援護しようにも、わずかな間ができる。
通常なら、この程度の時間を稼いでも、白髪の獣人を倒す前に、赤髪の優男の援護があるだろう。
でも、私には奥の手がある。
魔鋼の戦斧を横に振りかぶり、その場で迎え撃つかのように偽装。
迅速に反応するために、脱力しながら間合いを見極める。
躊躇いなく白髪の獣人が間合いに入った瞬間、強撃で跳躍するように踏み込み、魔鋼の戦斧を横に振り抜く。
白髪の獣人は、油断していたわけじゃない。
けど、死地に踏み込みながら、間合いの外だと見誤った。
体を上下に両断された後で、驚愕の表情を浮かべるけど、もう彼にできることはない。
それと同時に、木製の柄だけを残して、手に持っている魔鋼の戦斧の斧頭が、予想通りに砕けた。
戦斧の残骸となった柄を、投擲スキルで近くいる死罪人に投げる。
ここから、時間との勝負だ。
投げた柄が戦果をあげたのかの確認する余裕もない。
地面に落下しようとする白髪の獣人の頭を左手で保持。
手のなかで、顔が動いて、うめいたような気もするけど、気にしない。
こいつの生死になど、思考を割く余裕なんて皆無だ。
戦闘力がないとわかっていれば、それでいい。
空いている右手で、白髪の獣人が手にしている翠美鋼の槍を奪う。
魔鋼の戦斧を失って、翠美鋼の槍を手に入れたわけだけど、この槍で死罪人たちと普通に戦おうとしたら、間違いなく私は死ぬ。
わずかな可能性もなく死ぬ。
槍スキルなし、槍を扱う訓練もしていないのだから、レベル差があって武器がマシになっても、私の不利は変わらない。
だから、周囲の連中の予想を外す動きをする必要がある。
死罪人たちの虚を突き、死を意識することで恐怖させて、疑わせ続けないといけない。
自分たちは有利じゃないのかもしれないと。
そのためには、冷静に思考する時間を奪うために、状況を動かし続ける必要がある。
左手に持った白髪の獣人を投擲スキルに従って、赤髪の優男に全力で投げた。
正確にいうなら、投げたのは上半身だけで、下半身は石畳の上に倒れたままだ。
赤髪の優男は、危なげなく避ける。
私の身体能力と投擲スキルの力があっても、獣人の上半身は重くて大きいから、相手にとって避けるのはそれほど難しくないだろう。
なら、どうして投げたのか?
もちろん、意味がある。
切断面から、血と内臓を撒き散らしながら投げられた白髪の獣人の上半身は、赤髪の優男が避けたことで、石畳に命中して爆散するように血肉を飛散させて奇怪な造形物になり果てた。
死者への、あるいは死体への冒涜にしか見ないし、思えない。
けど、必要な行為だ。
なにしろ、避けて白髪の獣人の上半身の末路を目撃した赤髪の優男は、驚愕、恐怖、嫌悪、それらの感情が混ざったような表情をしている。
わずかでも、相手の冷静さを削れるなら、躊躇う理由が……いや、余裕がない。
翠美鋼の槍に魔力を流すと、浮き上がったんじゃないかと錯覚するほど軽くなった。
翠美鋼製の武器の能力を実感して驚きながらも、槍をそれっぽく構えて赤髪の優男に向かって間合いを詰める。
私の動きに赤髪の優男は、一瞬だけ驚きの表情を見せたけど、すぐにニヤリと余裕の笑みを浮かべてレイピアの切先をこちらに向けてきた。
手にしている槍のほうが、レイピアよりも間合いは長いけど、その程度のことは技量の差で簡単に覆されるだろう。
だから、工夫が必要となる。
赤髪の優男は、私が槍で攻撃すると思っているようだ。
間違いじゃないけど、翠美鋼の槍で勝ち筋のない白兵戦をするつもりはない。
あと一歩で、翠美鋼の槍の間合いになるというところで、投擲スキルを起動。
翠美鋼の槍が、私の予想よりも速く飛翔して翡翠色の閃光となる。
赤髪の優男は、迅速に動いた。
翠美鋼の槍で白兵戦をしてくると思っていたようで、赤髪の優男は虚を突かれたような表情をしながらも、動きに遅滞はない。
私の視線と動きから、槍の飛んでくる軌道を予測して、防ぐためにレイピアを動かす。
失敗したかと思い、心臓が氷の手につかまれているんじゃないかと錯覚してしまう。
絶望的な気分に心が覆われそうになるけど、予想外の結果によって回避できた。
赤髪の優男の振るったレイピアは空を切り、翠美鋼の槍は阻まれることなく飛翔して、彼の眉間を貫く。
……助かった。
いや、翠美鋼の武器に慣れていないから、引き起こされた偶然か。
翠美鋼の槍の軌道が、私の想定よりも少しだけ高かったのだ。
原因はわかっている。
翠美鋼の特性だ。
魔力を流すと軽くなって、空気抵抗がなくなる。
そんな物を投げたら、軌道が普通の物よりも、落下しないから軌道は想定よりも上にズレてしまう。
赤髪の優男も、堅実に私の視線や動きから、軌道を予想したけど、結果的にフェイントで誤認させた形になってしまった。
偶然に助けられるように窮地を脱して不安と安堵で感情がグチャグチャになって、心臓が激しく自己主張してくるから、色々と落ち着かせるために深呼吸をしたいけど、そんな余裕はない。
回数と肉体への負荷を気にしないで、素直に強撃で投擲していればとかの後悔と反省も後だ。
大きな2つの脅威は排除できたけど、私の不利は変わっていないから。
赤髪の優男に突き刺さる翠美鋼の槍と、死体が持っているレイピアを回収。
余裕な強者のフリをして、ゆっくりと視線を周囲に向ける。
死罪人たちは、強い2人がわずかな間に殺されたことで、私を実力以上に強者と見なして怯えているようだ。
命中するという確信もなかったけど、私の投げた戦斧の残骸は死罪人の1人にあたったようで、彼は腹部を押さえてうずくまっている。
周囲を刺激しないように、悠然とうずくまる彼に近づく。
「ま、待って」
近づく私に反応して、苦痛と恐怖を貼り付けた顔を上げてなにかを彼は口にしようとしたけど、翠美鋼の槍を突き刺して沈黙させる。
周囲に立つ死罪人たちの位置と武器は、視線を巡らせたときに修正済み。
ここからは、死罪人たちに決意も決断も許さない。
手にした翠美鋼のレイピアに魔力を流して、状況の変化についていけないで茫然として無防備に見えた死罪人を狙い投擲スキルに従って投げる。
投げなれている手斧以外だと、斧スキルによる上乗せはないけど、それでも適切な間合いで投擲すれば回避も対処も許さない必殺の一撃となるようだ。
本当に、投擲スキルを習得していてよかった。
なければ、すでに詰んでいただろう。
「ギャアァァァーーー」
少し離れたところで、翠美鋼のレイピアに胸を貫かれた死罪人が倒れる。
彼の武器も回収したいところだけど、それよりも先に翠美鋼の槍を突き刺して殺した死体のかたわらにある翠美鋼の剣を回収。
続けざまに死罪人が死ぬのを見て、このままだとダメだと思ったのか、4人の死罪人たちが動き出すけど、悪手だ。
10人規模ならともかく、4人くらいなら身体能力と投擲スキルで対処可能。
距離を詰められないように動きながら、同時に投擲を回避されない距離を維持して、手にした武器を投げていく。
翠美鋼のクセに合わせて、照準をわずかに下げる修正も加えている。
「ガァア」
「バカな」
倒れた死罪人から、武器を奪うか、投擲した武器を回収して、また投げる。
武器がない時は、倒れている生死不明の死罪人を投げた。
速度がどうしても出ないから、牽制にしかならないけど、手近にある武器を拾う一瞬を稼ぐのには十分だ。
絶え間なく変化する現状に合わせて、死罪人と落ちている武器の位置、安全かつ絶殺の間合いを見極めて、これからの展開を修正。
頭が沸騰しそうで、肺が深呼吸を要求するけど、無視だ。
立っている死罪人が10人を切ったところで、死罪人たちがようやく一斉に動き出すけどタイミングが遅すぎる。
包囲できる人数でも位置でもない。
向こうは白兵戦を望むけど、私は動きながら遠距離からの投擲を断行する。
ここまでくれば、一方的な戦いだ。
相手の土俵に上がらないで、こちらの得意なことで押し切る。
観客たちが、妙にざわついているような気もするけど、気にしている余裕はない。
そのまま動きながら投擲をし続けて、視界から立っている死罪人は一掃された。
……妙だ。
観客が熱狂していないこともだけど、なにかが気になる。
素早く倒した死罪人の数を確認していく。
石畳の上の死罪人の死体は投擲によってグチャグチャで人数がわからないけど、戦いの流れは記憶している。
だから、記憶を頼りに数えなおす。
……17、18、19……1人足りない!
どこで、見逃した。
いや、それよりも、残りの1人は今どこに?
答えは背後で発生した殺気が教えてくれた。
とっさに回避を試みるけど、両足の太ももで発生した激痛によって中断される。
「すげぇな、今の反応するか。これは急所を狙っていたら、確実に避けられていたな」
振り返ると、そこには中肉中背の妙に影の薄い男が、2本の翠美鋼の小剣を腰の鞘から抜きながら、勝ち誇った笑みを浮かべている。
素早く、視線を下げれば、両足の太ももを見覚えのある槍とレイピアが、器用に貫通することなく後ろから刺さっているのが確認できてしまった。
即座に投げられる武器と死体はなし。
両足は負傷して、素早い回避は不可能。
…………ああ、どうしたらいいんだろう、逆転の目がない。
次回の投稿は9月27日金曜日1時を予定しています。




