第8話 終
メリッサは、しばらく内容を理解するまでに時間がかかった。
女神様に頼んで?
聖女の任を解いた?
メリッサの頭の中では疑問が多すぎた。
「理由をお聞きしても?」
口を開いてから、聞かなければ良かったとメリッサは思った。
自分では聖女として力不足だったからだ、と殿下の口から言われる気がして、無意識に身構える。
だけれど、ジェイド殿下は、その理由を顔を赤らめて目線を逸らして言った。
「メリッサと早く夫婦になりたくて…」
「え」
恥ずかしげに紅潮させた顔を掌で覆う。こんな殿下は初めてで、メリッサは唖然とした。
「メリッサに出逢ってからずっと聖女の仕事ばかりで、恋人らしいことを何も出来なかったから…。国も落ち着いてきたし、メリッサには聖女としてではなく、普通の女性として私を見て欲しかったんだ」
「私もそろそろ孫の顔が見たくてな」
「式典でのメリッサがあまりに可愛かったから、私も早く花嫁衣装が見たかったの」
王族みな口を揃えて言う内容に、メリッサは不思議でならない。
「私はもうジェイド殿下の婚約者ではないのでは…?」
聖女でなくなり、自分の肩書きが無くなった今、ジェイド殿下の隣には並べないと思っていた。
新しい聖女様が誕生して、婚約者は代わり婚約破棄はすでに行われていると思っていた。
「何故そんな勘違いを?」
「メリッサ、貴女はもう少し自分への自信と、周りからの愛情に気付くべきよ」
国王と王妃は口を揃えて嗜める。
殿下はメリッサの手を取った。
もう、逃がさんとばかりに力強く。そして優しくメリッサに囁いた。
「どうして君を離してやれよう。私はもう君以外を愛する事はできないのに」
◇
数ヶ月後。
国を挙げてジェイド殿下とメリッサの結婚式が行われた。
その前日に、夢の中に再び女神様が現れた。
神々しいその姿は、親心を含んだ慈愛に満ちている。
『結婚おめでとう。だがあの者で本当に良いのか?逃げるなら今のうちだぞ?』
悪戯っ子のように言う女神様に、メリッサは笑った。
『ふふ、そんな事言って、女神様が殿下のこと認めているって知ってますよ』
そうでなければ、殿下の前に現れ、更に願いを叶える事などしないだろう。
メリッサが城に戻ったあの日。ジェイド殿下は全てを懺悔するように語った。長年一緒に居たはずなのに、それはメリッサの知らないことばかりだった。
「そもそもメリッサ。私が君に婚約を申し込んだのは、8年前。君が聖女になる前だったんだよ」
「え?」
殿下は、照れ隠しのように飲み掛けの紅茶を一飲みした。そして昔話をするように語り始めた。
「私が10歳の時だったかな。政務に関わり始めた頃だ。視察に訪れた辺境地に、可愛らしい令嬢がいてね。私は一目惚れをした。可憐でよく笑う彼女に目を奪われて、私は婚約するなら彼女が良いと王に進言したんだ。身分差はあったけれど、ロベール家は王族に長年友好的な家系だったから、王の承認は難しくなかった」
ロベール。今は亡きメリッサの旧家だ。
「何度か視察を名目に君に会いに行った事に気付いていただろうか?君はいつも明るく忙しなく働いていたから、知らなかっただろうね。でも私はずっと君のことを気にかけていて、何度も声をかけようとしては撃沈していたのを覚えてる。長年それを見ていたバラムは、いつも私のヘタレ具合をからかっていたよ。それからようやく、私も君も適齢期になって、婚約を申し込もうと意を決して招待状を送った。だけれどその日。君は聖女の力を与えられた。王城に来た君は、すぐにでも聖女として国の為に力を注ぎたいと必死に訴えてきたね。私はハッとしたよ。色恋の前に、君の家や民がどれだけ苦しんでいるかを知るべきだった。王族としてやるべき事があった。君は私のお陰で国は救われたと言うけれど、それは違うよメリッサ。私は君に言われるまで国よりも君との未来ばかり夢見る愚かな男だった」
メリッサはそれは違うと首を振る。殿下はずっと国のことを考え、民のために全土を駆け巡った事を、近くにいたメリッサが一番理解していたのだから。
「それからは目まぐるしい日々だったね。聖女の力で救えた命だけ、君には沢山苦労させた。何日も眠らずに看病に明け暮れた日もあったし、吹雪の中、被災地に赴いた事もあったね。あんなに毎日忙しくしていたのに、君はいつも明るくて笑顔で、私は益々君に惹かれていった。8年間、君は聖女として尽くしてくれた。もう充分すぎるくらい、メリッサは国の為に尽くしてくれた。そう思ったから、私は女神様に頼んだんだ」
・・・
・・・・・
『其方をいい加減解放しろと、この私に言ったのはあやつだ。なのに、まだ想いも告げておらずに其方には逃げられたという。あれ程のヘタレ男は見たことが無い。8年も一緒にいて何をしていたのだ』
『…それは私にも非がありますわ』
メリッサは、今回ジェイド殿下と話し合ってお互いの気持ちを何も知らなかったのだと気付いた。想っているだけでは駄目なのだ。言葉にして初めて伝えることができる。忙しさを理由に、殿下との将来から目を背け逃げていたのはメリッサの方だった。
『私にはもう家族がいません。彼を失ったら私には何もない。だから向き合うことから逃げていたのです。そんな私が聖女では無くなり、肩書が無くなって、今まで繋がっていたものから見放されるのが怖くて逃げてしまった。だけれど違ったのですね。私にはもう、心配してくれる人たちがいて、私を愛してくれる人がいる。だからもう、私は”聖女”ではなく”メリッサ”として生きていけます』
『…そうか』
女神様は、瞳を満たして満足そうに微笑んだ。
『今までご苦労であった。其方を解放しよう。これからは自分の為に幸せになりなさい』
キラキラと視界が輝いた。心地良い空気を纏い、メリッサは目を覚ます。
満たされた感情と、解き放たれた喪失感に、メリッサは一粒の涙を流した。
頬を拭い瞳をぎゅっと閉じると、メリッサは前を向く。
扉のノックが聴こえた。
入ってきたマリアは、満面の笑顔で言った。
「メリッサ様。本日は世界で一番美しい花嫁に仕上げますからね!」
end.
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