賢者の石 4 【父と娘】
「ワーズ、ただいま」
「おかえり、帰りが遅かったな……む、ずいぶん大物を狩ってきたな」
イグノラが持って帰った枝角や鹿肉に目をとめてワイズマンが目を丸くする。
「うん、ちょっとあって」
「そうか、まぁあまり無茶はしないようにな。それと今日、八番罠の近くで魔物がいた跡を見つけた」
「魔物?」
「ああ、イグノラはまだ魔物を見たことなかったな」
「うん、どんなやつなの?」
「まぁ、魔物と言ってもいろいろといてな。イグノラは魔物と聞いてどんなものを想像する?」
「うーん、絵本で読んだお話しに出てくるやつだと、身体が大きかったり、角が生えていたり、鱗だったり、毛むくじゃらだったり…」
だんだんとイグノラの声は小さくなっていく。その視線の先は気まずそうに、大きくて角が生えてて鱗が生えているワイズマンに向いている。
「ははは、そうだな、俺みたいな姿は魔物と呼ばれたりもする。だから俺は人里に降りずにこんな山奥に住まっているわけだ」
「ワーズは魔物じゃないよ。だって優しいもの」
「そうか、まぁ俺が言うのもなんだが、容姿だけで魔物と判断するのは良くないな。中には恐ろしい姿をしただけの善良な妖精や精霊という者もいる」
「ワーズは妖精なの?」
「俺は……どうなんだろうな。魔物ではないつもりだが、自分ではわからん。魔物の容姿はさまざまで、どれ一つ同じものはないと言われている。魔物は子供を産まないし番にもならん」
「そうなの?」
「うむ、魔物は元は動物であったり、妖精であったり、或いは人であったりしたものが変質したものだと言われている。なぜ変質するのかはわかっていない。同じ環境に在っても、魔物化するモノとしないモノがいるし、同じ動物から魔物化しても、その容姿も能力も異なることがほとんどだ。つまり元が一緒でも魔物になった時点で全くの別の生き物に成り変わるということだな。そういった観点からすると俺も魔物の一種なのかもしれんがな」
実のところ、精霊や妖精、魔物といったものの分類は生物学的にされている訳ではない。更に加えるのであれば、この世界の神や悪魔と呼ばれる存在も、どういったものか定義されていないのが実情だった。
これらの唯一共通と考えられている点は、自然発生または変質はするものの、繁殖しないという、一点に限られる。
では、魔物と妖精や精霊はどのように区別しているのかと言えば、これも明確な区別はなく、人間にとって害悪かどうかを基準として区別しているだけなのである。
更にその人間にとって害悪かどうかという点に於いてすら、悪戯妖精や悪森精霊、疫病神など、人に禍をもたらす精霊
や妖精、神がいる時点でその区別すらあいまいなものになっているのだった。
「もし魔物に会ったらどうしたらいいの?」
「そうだな、魔物と呼ばれる存在は大抵の場合、人に害悪を成す存在で且つ、非常に強い力を持っている事が多い。可能ならば戦うよりも逃げる方が賢明だろうな」
「ワーズでも勝てないの?」
「どうだろうな、何度か魔物とは戦ったことはあるが、勝ったこともあれば戦わず逃げたこともある。さっきも言ったが、魔物はそれぞれは容姿も強さも能力も全く違う。大切なのは彼我の力量を正確に見抜く目と、その時の状況判断、ということだな」
「うーん、難しい!よくわからない!」
「はは、まぁ分からなくても問題はない。例え勝てる戦いでも逃げることもあれば、勝ち目がなくとも戦わなければいかない場合があるってことだ」
そう言ってワーズはイグノラの頭をぐりぐりと撫でつけながら話を続ける。
「それでだな、この付近に魔物がいる可能性がある以上、放ってもおけない。明日から本格的に山を見回って魔物を追い出そうと思う」
「大丈夫なの?」
「まぁ魔物相手とはいえ、そうそう遅れをとるつもりはないから心配するな。お前にだって見せたことのない切り札も一つや二つある。これもその一つだが……」
そう言いながらワイズマンは山小屋の床板の一部をめくり、床下から大きな木箱を引き上げた。
木箱には、油紙に包まれた武器防具が一式納められていた。
「これは何?」
「昔、俺が使ってた具足だ」
具足は小手と脛当て、部分鎧と言えば良いのか、左肩左胸に金属を宛がった胸当て、そして鋼で出来た1.5mほどの長さの八角棍だった。
ワイズマンは、留め具や革帯の状態を一つ一つ確認しながら作業台の上に並べた。
やがて全ての具足を確認し終わると、脛当て、胸当て、小手の順で身に着けていく。
「おー!ワーズかっこいい!」
手放しで褒めるイグノラの言葉にワイズマンの鼻の孔がプクリと広がった。
ワイズマン自身は気付いていないが、嬉しいのをこらえているとき、ワイズマンの鼻の孔がプクリと広がることをイグノラは知っている。
「そ、そうか。まぁこれでも昔、武で名を馳せた身だからな」
そう言いつつ、八角棍を構えてふんっ!と振って見せるその姿は、娘にいいところを見せたい父親そのものだ。
本人は武で名を馳せたといってはいるが、当時は隷属され戦場で無理やり戦わされていただけだ。
ただ、ワイズマンが敵陣から恐れられていたことは事実であり、また鉄棍の悪魔と言われていたため、名を馳せたというのもあながち間違えではない。
「それと、今回の魔物についての注意だ。魔物の痕跡とさっき言ったがな、だいぶ酷い有様だった。この時期にはあり得ない樹氷の確認と血を吐いて死んでいる動物を数匹見かけた」
ワイズマンの言葉は近くまで来ている魔物が、魔術の類いまで使う可能性を示唆している。大地を凍てつかせる何かと、生物に血を吐かせるような何か。
先ほどまでのどこか明るい物言いを潜ませて、ワイズマンは言葉と続ける。
「一体の魔物が氷と毒を使うのか、氷の魔物と、毒の魔物の二体がいるのかはわからない。まぁ相手が一体であっても二体であっても手ごわいことには違わないが、できれば一体であることを祈るのみだな」
「ここにも魔物はやってくるの?」
「どうだろうな。明日もう一度調べてみるが、魔物はどうやら北の山を越えてやってきている様子だった。このまま南下してくるとなると、目立たないここはともかく麓の村や猟師村は危ないだろうな」
「そんな!」
「この辺の山は麓の村も含めて俺も気に入っているからな。俺が魔物の一匹や二匹追い出してくるからイグノラは心配する必要ないぞ」
「……ワーズは魔物と戦ったことあるんだよね?」
「あるとも。馬の魔物と狒々の魔物だ。……どっちもちゃんと勝ったぞ?」
「どんな魔物だったの?」
「馬の魔物はとにかく馬鹿でかくてな。野生の馬を何頭も引連れた悪魔と言うに相応しいやつだったよ。矢は通じず、こっちの馬は怯えるか従属するかで役に立たない。あいつは大きく、強く、疾かった。こっちは徒歩、相手は馬。てんで相手にならなくてな。多くの兵で群れを囲みなんとかヤツを孤立させ仕留めたんだが……今にして思うと、あれは孤立させたのじゃなくて、ヤツはわざと群れから外れたんじゃないかと思う。魔物になっても、群れを守る気概を持ったあいつは最後まで群れの王だったよ」
一般的には魔物は理性や知性がないと思われがちだが、魔物になったものでも、理性や知性を保ったままのものがいる。
そういった魔物は得てして手ごわい事が多い。ワーズが討伐した馬の魔物もまた高い知性を備えた魔物だった。
「狒々は?」
「狒々は最悪だったな。森に棲みついた魔物がいるって言うんで、退治に駆り出されてみれば仲間はいつの間にか樹上に引き込まれて、気付いてみたら俺以外は全て早贄のように吊るされていたよ。なんとか勝つことはできたが酷い怪我を負った」
「最後はワーズ一人で戦ったの?」
「あぁ、そうだな。最後は俺一人だったが、何人か残った仲間が樹上に吊られながらも支援してくれたから勝てたんだ。その仲間は結局死んでしまったが、あいつらがいなければ俺も吊るされて殺されていたかもしれん」
「そんなに魔物って強いんだ……怖いね」
「あぁ、だから魔物と戦うなんて考えるな。まずは逃げることを考えた方がいい。さて、話はこれくらいにしてそろそろ食事支度をしようか」
「うん」
やがて鹿肉を使ったシチューが出来上がり、いつものように二人きりの食事が始まった。ワイズマンは食事をしながら、テーブルの上に奇妙な形をした木の根のようなものを置いた。
「イグノラ、この根のことを少し話しておこう。何かの役に立つことがあるかもしれん」
「へんな形ね。まるで出来の悪いお人形みたい。これは何なの?」
イグノラが変な形だと言うのも良くわかる。木の根は手足をだらんと垂れ下げた人のような形をしていた。
「正式な名前かは知らないが、薬効人参と呼ばれていたりするな。霊薬や魔法薬の材料にもなったりする根でな。煎じ方を間違えなければ魔術を素とした病気や毒などにも利く。ある程度、錬金術と呼ばれる学問を知っている必要があるが、なに、そう難しいものでもない」
「それの作り方も教えてくれるんでしょ?」
「あぁ、毒の魔物のこともあるからな。今夜の勉強はこれにしようと思っている。実際に薬も作るからそのつもりでな」
「うん」
「この根が生えている場所を見つけるのは、手間はかかるがそれほど難しくはない。育成場所に少々難があるが、幸いこの山でも育っているのを見つけた。主に清流付近の涼しい場所に生えることが多いが、何より特徴的なのはこの根が生えている場所は周囲にほとんど草が生えないことだな。そうだな、おおよそ半径2~3mの範囲で他の草は生えないと思っていい」
「なんでそんなことになるの?」
「この根は薬効はもとより、煎じるまでもなく非常に栄養価が高くてな。育つために周囲の栄養素を奪ってしまう。この根が育った場所は収穫した後でも何もしなければ一年は草が生えないと言われている」
「なんか、すごいね。役に立つのか迷惑なのかよくわからない根なんだね」
「そうだな、まぁ話しはこれくらいにして煎じ方を教えよう。イグノラ道具をそろえてくれ」
「うん、わかった。あ、その前に、えっと、お話があるんだけど……」
「ん?なんだ?」
「えっとね、今日獲ってきた鹿の事なんだけど……」
イグノラは今日、猟師の集落に行ったことと、そこで出会ったコニーのこと、そのコニーを助けるために鹿を狩り、姿を見られたことをワイズマンに説明した。
「そうか、まぁ問題ないだろう。俺とは違い、イグノラは姿を見られて困るような容姿をしているわけじゃないからな」
「でね、コニーに”誰だ!”って聞かれたから”戻り岩の精霊の子だ”って答えたの。あと一応、名前は違ロゼットって名乗って、顔はお面で隠したの」
「お面?」
「うん、お面!自分で作ったのよ!ほら!」
そう言って、外出用の袋の中から木彫りの仮面を得意そうに取り出すと、被って見せた。
「これは……」
「ね、ワーズに似てるでしょ!私、戻り岩の精霊の子だから、ワーズと親子だから!似てて当然だし!」
それは確かに、ワイズマンのような蜥蜴顔をモチーフとした仮面だった。ワイズマンの大きな角と違い、小さな角が付いている辺りにイグノラのこだわりを感じる。
当のイグノラは、どこか必至な様子だ。その様子をみてワイズマンは思う。
(あぁ、そうか。親子としての繋がりを欲していたのは俺だけでは無かったのか)
そこまで気が付くと、自然とイグノラが欲しがっている言葉も解った。
「イグノラ、人助けはとてもいいことだ。それが良いことだから、俺も人に虐げられても、目の前に困った人がいれば助けてきた。さすがは……さすがは”俺の自慢の娘”だ。良いことをしたな」
そういって娘を優しく抱き寄せる父に、娘は仮面でくぐもった声で「お父ちゃん……」と、つぶやいた。
この日、初めて娘と呼ばれ、父と呼ばれ、二人は8年という歳月をかけてようやく本当の親子となったのだった。