賢者の石 5 【北からやってきたモノ】
翌朝、親娘2人は昨日話したように行動を開始することにした。
二人とも、昨晩制作した薬効人参の薬も背嚢にしっかりと入れてある。
ワイズマンは、かつての戦装束に身を包み、魔物を探しこの一帯から追い出すため。
イグノラはコニーとの約束通り、精霊の戻り岩に行き、魔物についての注意を麓の村と猟師の集落に伝言を頼むため。
魔物による危険が迫っていると言えるこのタイミングで、イグノラが人と顔を繋げた事と、会う約束を取り付けていたのは幸いだったと言えるだろう。
イグノラは、早々に蜥蜴面を着けると、精霊の戻り岩へと向かうことにした。
やがて精霊の戻り岩が見えてくると、イグノラは岩の前で人がしゃがみ込んでいることに気が付いた。よくよく見てみると、それはコニーのようだった。
「おはよう、コニー。待たせたかしら」
のろのろと顔を上げるコニーは目を真っ赤に腫らしていた。よくよく見れば昨日会った時と同じ猟師装束のままだった。
「ロゼッタ……」
「私の名前はロゼットよ。そろそろ覚えてくれないかしら。……何かあったの?様子が変よ?」
「お願い、助けて……」
そう言うと、コニーはボロボロと泣き始めた。
昨日、イグノラと別れたコニーは猟師村にまっすぐに帰った。大量の鹿肉を持っていたためその歩みは遅く、村にたどり着いたのは陽がそろそろ暮れようかという頃だった。
いつもなら、猟師村は夕食の支度時で家の煙突から煙が上がっている時間帯だ。
しかし、コニーが見たのは凍てつき、静まり返った猟師村だった。
村はずれの弓の練習場も、村の中央広場の大木も、そして村人も、全ては凍り付いている。
そんな村の惨状に、コニーは鹿肉を放り出し、急いで自分の家へと駆け戻り、空きっぱなしになっていた家の入口から中へと駆け込んだ。
「父ちゃん!母ちゃん!」
家のリビングで母親を抱え、座り込んでいる父親を見つけたコニーは駆け寄ろうとした。
「近づくんじゃない!」
そう父親に強く制止され、コニーは思わず足を止めてしまった。
よく見れば父親は血を吐いているようで、顔色も悪い。更に母親は息があるのかもわからない。
「コニー、お前が無事でよかった。いいか、よく聞け。お前はこれから麓村まで行ってこの猟師村で起こったことを伝えてこい」
「父ちゃん、そんなことより手当をしないと!」
近寄ろうとするコニーを父親が怒鳴りつけた。
「いいから話を聞け!ごほっ」
「父ちゃん!」
「来るんじゃない!コニーよく聞け!魔物が猟師村を襲った。熊のように大きなオオカミの魔物だ。やつは毒と吹雪を吐く。俺と母さんは毒にやられた。村は夏だというのに見た通り氷漬けだ。俺に近づくとお前にも毒の影響があるかもしれん。俺は、そう長くはもたないだろう。お前は麓村まで行ってこのことを伝えてこい」
「でも……」
すぐにでも駆け寄ってきそうな雰囲気のコニーに、父親は言葉を続ける。
「いいか、お前にしかできないことだ。魔物を狩るにしろ、村を捨てるにしろ、お前が魔物のことを伝えなければ麓村は何の備えも出来ないんだ。麓村とは持ちつ持たれつだ、猟師村の血縁も多くいる。少しでも助かる可能性があるのなら、すぐにでも伝えてほしい。……お前は、今日から猟師としても一人前だと今朝伝えたはずだ。聞き分けろ」
うつむいて、小さく頷くコニーを安心させるように、父親は笑た。
「それでこそ俺の息子だ」
「助け呼んでくるから、それまで絶対に死んじゃだめだからね」
「大丈夫だ、俺はここで母さんを守ってお前の帰りを待っている。よし、行け」
「うん」
コニーは後ろ髪を引かれる思いで麓村へ向けて駆けだした。それを見送る父親はどこか満足げな様子で静かに目を閉じるのだった。
村を出たコニーは、麓村まで一心不乱に走りつづけた。灯りを持っておらず、とうに陽は落ちたため、月明かりだけが頼りだ。
昼まであれば一時間も走れば麓村までたどり着く距離だが、一人で初めて狩りに出て、ろくに休憩もとっていない。その上慣れない夜道とコニーの疲労はピークに達していた。
ふらふらになりながら走り、ようやく麓村の灯りが見えてきたことに力を得てなんとか村の入口にたどり着いたと同時にコニーは倒れてしまった。
夜番についていた村人に助け起こされ、抱えられるように村長宅まで運ばれながら、猟師村の惨状をなんとか話すことができた。
村長宅で全ての事情を話し終えたコニーに対して、村長は非常とも言える結論をだした。
「コニー、よく知らせてくれたな。これからすぐにでも村を守るため魔物の対策を行わなければならん。猟師村の様子を見に行かせるのは夜が明けてからじゃ」
「なんで!早くいかないと父ちゃんと母ちゃんが!」
「魔物はいつ、どこに出るかわからん。今はここの守りを固めるのが先じゃ」
「そんな!」
「……聞き分けてくれ」
結局、その日のうちに猟師村への救援はされなかった。
麓村は夜を徹してかがり火を焚き、柵の補修が行われた。
コニーも手伝いを申し出たが、走り通しだったコニーの様子に、村長宅でゆっくり休むように言われた。
眠ることができないまま、ベッドに入り、ぼんやり見慣れない天井を眺めながら、思考はぐるぐるとループし続けていた。
父親の言葉、動かない母親、凍り付いた村と人々、魔物のこと、出口のないまま、まとまらない思考のまま、その出口にたどり着いたのは夜がそろそろ明けようかという頃だった。
「ロゼッタ……」
そう、ぽつりとつぶやくと、がばっと起き上がるり村を抜け出した。
”精霊の子なら何とかしてくれるかもしれない”そう思いついて”精霊の戻り岩”へと走ったのだった。
「そう、村が魔物に……」
イグノラの警告は間に合わなかった。それでも、コニーは無事だった。それにまだ自分にできることはあるはずだと思いながら、コニーに話の続きを促した。
「父ちゃんが血をいっぱい吐いてて、母ちゃんも動かないし、俺どうしていいのか……」
「大丈夫よ。私に任せておいて、魔物の毒に効く薬なら持ってきているわ」
「本当!?」
「うん、私の父ちゃんに教えてもらって昨日作ったばかりなの。魔物は父ちゃんがきっと山から追い出してくれるわ」
「父ちゃんって戻り岩の精霊様なんだろ。大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。父ちゃんはすごく強いんだから。オオカミだってイノシシだってあっという間にノシちゃうのよ。それよりも今は猟師村に急ぎましょう」
「あ、うん、そうだな」
こうして二人は、猟師村に急ぎ向かうことにしたのだった。
一方、昨日見つけた魔物の痕跡から追跡を開始したワイズマンは、魔物のものらしき足跡を見つけて苦い顔をしていた。
(大きいな……それにこの足の形はオオカミか)
見つけたのは馬の蹄ほどあろうかというオオカミの足跡。その足跡をいくつか棍の柄で形がはっきりわかるように突いて全体の大きさを推測する。
足跡から推測するに、それは巨大な熊ほどの大きさだろうか。オオカミが変質して魔物になったのだろう。
時折、足の数まで変質して増やしている魔物もいるが、足跡から推測するに足の数はそのまま四本のままだと予測がついた。
他にそれらしい足跡も見つからず、狼の魔物はどうやら一体だけのようだった。
ワイズマンは背嚢から匂い消しの実を取り出すと一つをよく噛んでから飲み込んだ。
それから魔物が残していったのだろう、氷混じりの土を手で掬うと顔や腕、足と全身に丁寧に塗りこめていった。
そうして、魔物に匂いで気付かれないよう、入念に準備をすると再び追跡を開始した。
追跡途中で、昨晩見たように、山の動物や木々が凍り付いているのをいくつも見かけた。
徐々に下がる気温に、確実に魔物との距離が縮まっていることを実感しながら、ワイズマンは野生動物以上に音と気配を消して追跡を続けた。
唐突にその音は聞こえてきた。
「メキッ、バキッ」
遠くからでも聞こえてきたそれは、何かを噛み砕くような音だった。
ワイズマンは慎重に音の出処を探ると、そこには、予想通り巨大な熊ほどの大きさをした、灰色のオオカミがこちらに背を向け、自分の体格ほどの大きさのイノシシの腹に頭を突っ込み、喰べているところだった。
「カロロロロ……」
やがて、満足したのか、オオカミは口から冷気と瘴気を吐きながら喉を鳴らすとイノシシの腹から突っ込んでいた顔を上げた。
オオカミの首は、二つあった。
一方は冷気を、もう一方は瘴気を口から吐き出すそれは、灰色の強い毛に覆われ真っ白な目をした美しい魔物だった。
オオカミの魔物”魔狼”は、二つの首を別々に動かし、辺りを警戒するように窺うと、移動を始めた。
ワイズマンには気付いていなかったようだったが、魔狼の脚は麓村の方角へと向いている。
このままでは、間違いなく麓村へとたどり着いてしまうだろう。村までの距離もそれほど離れているわけでもない。
ワイズマンは魔狼を見送ると、再び行動を開始し、急ぎ先回りをすることにした。
そして、魔狼が通るであろう、位置に当たりをつけると、手近の樹にするすると登って行ったのだった。
麓村や猟師村のある山を越えて更に北へ向かうと、大森林へとたどり着く。魔狼はそこの生まれだった。群れの主として、若いオオカミたちを率い、平和に暮らしていた。
その平和が破られたのは大森林の面した北の帝国の政変があってからだ。内戦が起こり、大森林も戦場となったのだ。
戦火で森が焼かれ、群れは住処を追われた。餌となる動物たちも、戦争のため食料として狩りつくされた。
他のオオカミの群れや、熊や虎などの大型肉食獣との争いで、力のない仲間から順に一匹、また一匹と倒れ、やがて残ったのは、群れ主とその番の二匹のみだった。
その番も傷つき、傷が膿んだため、そこから病を得てもう間もない命という状態だ。
折しも一年の中でも一番寒さの厳しい季節で、食料となる動物たちもすっかり見かけることがなかった。大柄だった体格はすっかりと痩せ細り、つがいはとうとう牙が抜け落ちてしまった。
満身創痍の二匹のオオカミが最後にたどり着いたのは、深い霧のかかった谷だった。
その谷は真冬の時期だというのに妙に温かく感じ、腹も減らなかった。
しかし実際には、吐く息は白く凍り付いており、何にも口にしていない二匹の体力は徐々に失われていく。
ただただ、谷底を彷徨い歩き、やがて二匹は歩くことをやめた。
寝てはいないが、起きてもいない。思考がまとまらない生暖かい微睡の中で、やがて二匹の狼は静かに、寄り添うように息を引き取った。
二匹の狼が息を引き取り、やがて白骨化し、その骨すらも風雨にさらされ崩れそうになるころ、相変わらず霧が立ち込めている谷に一人の老人が訪れた。
老人は谷底に横たわるオオカミの骨の傍まで来ると、手に持っていた杖で骨の周囲をぐるり、ぐるりとかき混ぜ始めた。
十回ほどもかき混ぜ続けると、老人は満足そうに一つ頷くと、霧に溶けるようにその姿を消した。
老人が去ってからしばらくは何事も起きなかった。
変化が見られたのは三日たった夜のことだった。周囲の霧が老人がかき混ぜた空間に渦を巻くように集まりだしたのだ。
次に変化が訪れたのは三十三日後だ。風化直前だった骨に艶が現れ、肉が付き始めたのだ。
次の変化は毛皮が生え、二匹だった骨は一つに混じり合い、一体二頭骨格が完成していた。
もう、寒いのは嫌だ。腹が減るのも嫌だ。怪我で病を得るのも嫌だ。
三百三十三日後。一体二頭の魔狼は数年ぶりとなる遠吠えを上げると、谷を抜け、南にある山脈に足を向けたのだった。
新しい身体は力強く、山を越えるのは容易だった。山を越えた先は、北の大森林と比べて十分に暖かい気候と、食べきれないほどの豊富な獲物がいた。
魔狼となる前なら、群れでしか倒せないような大きな獲物も氷の息と毒の息を使えば簡単に狩ることができた。
魔狼にとって暑くもなく、寒くもなく、餌となる動物が多いこの地域は理想の環境といえた。
しかしある日、山中を彷徨っていると、魔狼の鼻孔が不快な臭いをとらえた。
それは昔、魔狼となる前、故郷の森を焼いた”人”の臭いだった。
寒さとも病とも餓えとも無縁となった魔狼であったが、己が森を追われる原因となった生き物のことは忘れてはいなかった。
臭いをたどり、やがて見えてきた人の集落を魔狼は襲った。
魔物となる前、ただただ恐ろしかった森を焼く炎と、それを扱う人とという生き物は、氷の息を吹きかけるとあっという間に凍り付いた。
故郷の森から追い出そうにも、堅い鎧と鋭い剣に阻まれていたが、毒の息で苦しげに血を吐き転げまわった。
(何と脆弱な!故郷の森を焼いた生き物はこんなにも弱かったのか!)
魔狼の心を占めたのは、力がなかった自分と、人に対しての怒りだった。
やがて集落で動くものがいなくなったのを確認すると、魔狼は集落から去た。
わずかな臭いから、集落から少し離れたところにはまだ別の集落があるようだった。
”明日はそこの人間たちを殺しに行こう”そんなことを考えながら魔狼は山に帰っていった。
翌朝、山でイノシシを狩り、朝食とした魔狼は、昨日あたりを付けた二つ目の集落に向かうことにした。
魔狼は、イノシシを食べている間から妙な気配を感じていた。臭いは分からないが、確実に何者かがこちらを伺っている気配だ。
気配は一度は離れたが、先回りをしたのか、向かう先から再び動揺の気配を感じるようになった。行く先の樹上がからほんのわずか、不自然な音がしたのを魔狼の耳が捉えた。
どうやら相手は、頭上からの不意打ちを狙っているらしいと、手の内を読むみ、魔狼は素知らぬ顔で、その下を通りぬけることにした。
不意打ちに対する不意打ち。攻撃を仕掛けて来たところを、氷と毒の息で迎え撃つつもりだ。自分の耳でも聞えぬような小声で氷と毒の息を吐く準備をする。
『|@*$+~$%$+#;£%*÷~*《我が息は凍て付き全てを蝕む》』
『|&◇~#↑◇∴Д¥+;↑◇∴Д¥*¥↑◇∴Д¥ш《毒は地を腐らせ水を腐らせ風を腐らせる》』
はたして、音がした辺りの真下に踏み入れた時、頭上からガザガザと葉が揺れる音と共に襲撃者が魔狼を襲う。
魔狼は音が聞えた方へと二つの首を向け、即座に氷と毒の息を吹き付けた。
「!!」
上を向き、吹き付けた氷と毒の息は確かに襲撃者に直撃した。しかし、直撃したのは枝をより集めて作られた人の大きさほどの人形だった。
次の瞬間毒を吐いた方の左目に鋭い痛みが走った。
魔狼のすぐ近くの茂みから飛び出した鉄棍は、正確にその目を突き刺したのだった。




