9話 人形の手入れ
「大我、オレの体がベトベトするんだが」
「あっちゃー、それはこの前のお漏らしが原因かも」
「オレはお漏らししてねぇ!」
「――痛っ!」
公園でのジュースお漏らし事件と警察職務質問事件からまる二日たった。それ以来胡蝶は人形の身体に不調が出始めていると言い始めた。
「それと身体から変な匂いもする……なぁ、オレの身体はどうなってるんだ、教えてくれ大我!」
「胡蝶それはな……ハァ」
「な、何だよ……まさかオレ、身体が変になって死ぬ前兆がでてるのか!?」
「いや、それはない。ただ胡蝶が汚れて不調になってるだけだ」
胡蝶は目が点になり、自分の身体を調べ始めた。すると確かに球体関節部分に汚れが溜まっていたりした。因みに胡蝶の身体がベタつくのと変な匂いがする原因は前回漏らしたジュースが乾いて糖分がべたついたのと、拭ききれなかったジュースが腐って異臭を放っているからだ。
(まずい、どうするオレ……まさか自分がこんなに汚れているとは思わなかった。このまま汚いままだと大我の愛玩人形じゃいられなくなる)
どんなに美しい人形の乙女でも汚れてしまえば魅力は半減どころか最低になってしまう。だから早く身体を清潔にして綺麗にしなければならない。
「大我、オレを綺麗にしてくれ……いや、綺麗にしてください、お願いします」
「おいおい、急に改まってどうした!?」
「オレにとって身体が汚れてるのは死活問題って事だ。だから頼む、オレを綺麗に――」
「――わかった、けどなぁ……俺、人形の手入れの仕方を知らないんだ」
「なっ……あっ、えっ? 嘘、だろ?」
嘘であってほしい。そう願い胡蝶はもう一度大我に手入れの仕方を確認する。しかし大我は『ゴメンネ、……テヘッ』と人を苛つかせる態度をとり、胡蝶をブチ切れさせた。
「てめぇそれでもオレのオーナーか! ぶっ○してやる!」
「じょ、冗談だから、ちゃんと手入れの仕方は分かる」
「なんだと……それでもやっぱてめぇをぶっ○す」
「ヒィー!?」
相手が死活問題を抱えてる時に冗談を言うのはいけない(戒め)。
……。
「さて、さっそく胡蝶の手入れの仕方だけど、確かお前が入ってたダンボールに説明書があってそれに手入れ方法が載ってあったんだ」
「ほぉ、それにはなんて書いてあったんだ?」
「うん、人形を手入れする際はオーナー様は人形と一緒にお風呂に入って綺麗にして上げてくださいって書いてあったぜ」
そう言って説明書の内容を伝え終えた大我は、胡蝶に笑顔でグッドポーズを決めるとさっそく風呂の準備を始める。しかし胡蝶はガシッと大我の肩を掴んでその風呂の準備を阻止した。
「おい待て、お前適当な事言ってオレの裸を見たいだけだろ、この変態」
「うん、見たいよ」
「うをっ!? こいつ開き直りやがった……くそっ、オレも随分軽い女だと見られたもんだな。というわけで大我、お前には少し痛めつけが足りないようだな」
「バカそうじゃない! 俺は胡蝶を軽い女の子じゃなくて――大切な俺の可愛い愛玩人形の女の子だと思ってるよ」
キュン。
突然の愛の囁きに胡蝶は胸がキュンキュンし、大我への好感度が上がった。少しチョロすぎないだろうか。
「大我、オレそう言われて嬉しい、だから――」
「うん、わかってるよ胡蝶、さっそく俺とお風呂に――」
「――行くわけねぇだろ変態。さっさと本当の事を言いやがれ!」
「……ハイ」
良かった。胡蝶はチョロい女の子ではないようだ。流石にこれ以上ふざけるのは良くないとして大我は真面目に今度こそ本当の手入れの仕方を胡蝶に伝える。
「これはマジの話だ。説明書によると胡蝶は特殊な丈夫なシリコン素材で肌ができてるから液体で身体を手入れしても良いって書いてある。ただし体温より低い温度でだ」
「なるほどな、だからさっきお風呂に行く準備をしていたんだな」
「そのとおり、だけどその後の手入れがどうしても……うーん――っておいっ! 何で服を脱ぎ始めてるんだ?」
「何でって、今からお風呂で身体を洗ってもらう為に決まってんだろ」
「誰に洗ってもらうんだ?」
「何言ってんだ大我、お前しかいないだろ」
……。
こうして結局大我と胡蝶は一緒に浴室に入る事になった。ただし大我は入浴しない。服とズボンを袖まくりして、顔には目隠しのタオルがギッチリと巻かれた状態だ。一方胡蝶は着ているものを全て脱いだ状態で浴室の椅子にちょこんと座って待機した。
「それじゃあ頼むぜ、オレの身体を綺麗に洗ってくれ」
「流石に洗うのは目隠ししてたら無理だって」
「ふぅん……その状態のままでいてくれたら少しくらい前の方に触れられても見逃すのになぁ」
「是非このままでやります! いえやらせていただきます、胡蝶お嬢様」
「あっ、その胡蝶お嬢様って呼び方良いな、暫くその呼び方をしてくれて」
「ハイかしこまりました、胡蝶お嬢様」
大我は目隠しした状態では無理だと言ったが実は嘘だった。何故なら大我は特殊な訓練を受けており、目隠しした状態で作業を行うことを可能にしている。なので人の身体を目隠しで洗うくらい簡単にできるのだ。
(大我のやつ、目隠ししてるのにシャワーの位置と蛇口の位置も間違えずに触って操作してる。もしかして本当は見えてるのか?)
胡蝶は大我を疑ってじーっと大我の顔を見るが、目隠しが透けていたりズレている事は無かった。
(あれ? 今更だけど、大我は服を着ててオレは何も着てない。これって自分で言っといてアレだけど不公平じゃねえか。そう考えると急に恥ずかしくなってきた)
「胡蝶お嬢様、いかがされました?」
「不公平だっ!」
「へっ、何が不公平なの?」
「――ッ、なんでもない!」
大我は胡蝶が羞恥心を感じ始めている事に気づく事なくシャワーで胡蝶の長い黒髪を濡らしてやった。そして手にシャンプーをつけて優しく胡蝶の頭を優しくマッサージするように洗い始めた。
(うわああああっ、なんなんだコレ、頭を洗って貰ってるだけなのに気持ちが良い……もし、頭だけでこの気持ちよさなら身体だとどうなるんだ!?)
胡蝶は今までにない程に緊張すると同時に、未知の体感に動揺した。そして大我も自分と同じような反応をしているか気になり、確認する為にチラ見した。
「……よし、そろそろ頭を洗い流すぞ」
「――えっ? あぁ良いぞ(あれぇ?)」
大我は別に緊張して動揺などしている素振りは無かった。寧ろ淡々としている。
(やっぱ不公平だ、余裕な態度を見せやがって)
こんな事なら目隠しを取ってやれば良かったと胡蝶は後悔した。一方、大我の方は胡蝶とは全く別の事を考えていた。
(こうして目隠ししながら何かをする雰囲気、懐かしいな)
大我は手にボディソープをつけて泡立てるとそっと胡蝶の後ろの身体に泡を塗る。そうすると胡蝶は一瞬ビクッとして小刻みに震える。
そうだ、この感じ。目隠しすることで神経が研ぎ澄まされて、手に触れるもの全ての構造がわかるようになる。
(あっ……今の俺、少しヤバイかもしれない)
そう思いつつも大我は作業を続けた。
これは胡蝶の肩。関節がスッポリと手の平に収まる。ついでにくっきりとした鎖骨の溝に指をわざと引っ掛けて引いてやる――まるで小銃の引き金を引くように。
――パンッ!
大我の心の情景で何かが発射される音が響く。
「――あっ」
胡蝶は小さい悲鳴を発した。そして鎖骨を引っ張られた衝撃で背筋をピンと伸ばした為に、後ろに体重がかかり仰向けに倒れそうになる。
「――ひぅ!?」
この時、倒れそうになる胡蝶を大我は手で受け止めようとした。しかし泡で手が滑ってしまい、そのままズルリと胡蝶の身体を自分の鍛え上げらて膨らんだ胸筋で受け止めた。こうして意図せず胡蝶を自分の身体にスッポリを収める体勢にしてしまった。
「大我、てめぇ良くもオレの鎖骨にイタズラをしやがっな。真面目に身体を洗ってくれないならただじゃおかねぇぞ…………えーと、大我?」
いつもならば胡蝶が怒った瞬間大我はすぐに謝罪する。しかし今は急に固まって動かなくなり、胡蝶を受け止めたままでいる。これは少しおかしい。
「おい、どうした……あっ、お前もしかして我慢できなくなったからそうやってオレの事を感じようとしてるのか? だとしたら全く変態な人形オーナーだな……け、けどまぁ、そうやって必死に抑えようとしてるなら一応誠意は感じれる訳だし、だからその……一瞬だけなら今の状態のオレのを見ても良いぜ?」
胡蝶は自分で衝撃的な発言をしている自覚はあった。けれど今この雰囲気でこう言った発言をしなければ新たに大我と絆を深めることができない気がした。
「い、いいか……見ていいのは一瞬だけだからな? もしそれ以上見たら目を潰してやるかな!?」
胡蝶はドキドキしながら大我の目隠しを下にズラした。すると大我は鋭い目つきでギロリと胡蝶を睨んだ。
「えっと……どうしてオレを睨んでるんだ? 何かオレお前の気に触ることをしたのか――キャッ!?」
大我は急に胡蝶を引き寄せる。そしてそのままギュッと力強く抱きしめた。
「フゥー……フゥー……こ、胡蝶……俺はお前を……」
実は大我はさっきまで平常心を装っていただけだった。しかし目隠しによる神経の研ぎ澄ましと、胡蝶を受け止めてしまったことによって異性の身体を急激に意識してしまった理由により、理性という安全装置を外してしまい。そのまま心の引き金を引いて撃発させて、欲望という名の弾丸を発射した。発射した弾丸はもう制御できない。
「――大我怖い……怖いよ、オレそんな怖い顔をした大我に……抱かれたくない」
「えっ、あっ……俺はいったい?」
――弾丸は胡蝶を掠めた。
大我は胡蝶の泣きそうな声にハッとして意識が戻った。そして自分が何をしようとしてたのが気がつき急いで胡蝶から身を離した。
「ごめん、俺はお前に興奮して……すまない、これ以上ムリだ! 悪いけどあとは自分でやってくれ!」
「……大我っ!」
胡蝶は一人で浴室に残された。
「……バカ、変態……それとごめん、さっきのオレ、お前を受け入れきれなかった……本当にごめんオレは愛玩人形失格だ」
――まだまだ二人の間には信頼と絆がたりないようだった。