ひとつ目
暁みなもはいつも不機嫌だ。
何かに苛立っているような雰囲気を纏い、誰かと親しげに話しているところなど一度たりとも見たことがない。
以前、クラスの女子が話しかけた時なんかには、眉間にしわを寄せ不機嫌さを一層強め、会話の意志など微塵も持ち合わせていないといった風に見事に拒絶の態度を表していた。
暁みなもとは中学二年の時からずっとクラスが一緒だった。当時からその近寄りがたさは健在で、最初は仲良くなろうと試みた輩もいつしか諦め、暁みなもという孤高の存在が出来上がったのだ。高校に進学してもそれは変わらず、むしろ不機嫌オーラは増したようにすら思える。文化祭や体育祭などの学校行事には必ず不参加だった。
暁みなもを腫れ物扱いする輩は少なくなかったが、いじめの類いはなかったと思う。もちろん、僕の知る限りではあるけれど。
しかし、暁みなもに近寄りがたいのは、なにも彼女の不機嫌な態度だけにその原因があるのではない。
暁みなもはとにかく完璧なのだ。成績は常に学年トップで、模試なんかでは全国で上位5人に入るほどだ。運動神経も抜群で、高校の全ての運動部からの熱烈な勧誘を軒並み断ったという伝説を持つ。
その上、なんといっても彼女は美人で、スタイルもよかった。黒髪ロングのストレートで、キリッとした吊り気味の目に整った鼻。身長は百六十五センチくらいで細身だが出るところは出ている。今でも彼女を我が物にしようと、猛アタックを試み散っていく輩が後を絶たない。
そんな完璧超人であるが故、彼女を自分とは別次元の人間と考える気持ちも分からないことではない。僕自身、彼女との接触はあまり望むものではない。別に彼女のことを嫌っているわけではないし、どちらかといえば面白い、興味深い人として良い方向に捉えている。
けれども今のように二人きりになってしまうと、非常に気まずいというか誰か来てくれないかなというか居心地の悪さをどうしても禁じ得ないわけで。
高校二年生になって、僕は初めて委員会というものに入った。それまでは自分の時間をなるべく多く確保しておきたかったので、そういった役職は避けてきたのだが、どうしても僕以外には選択肢がないという状況に陥り、美化委員という不本意な肩書きを得たしまったのだ。
暁みなもも僕と似たようなもので、今まで面倒ごとを避けてきたツケが回ってきた形だ。
美化委員というのは、昔で言う風紀委員に近いだろうか。学校の清掃活動を指揮するのが主な役割だ。正直そんなもの必要なのかと思うけれど、なってしまったものはしょうがない。
ちなみに今は生徒の清掃意識に関するアンケートの集計を行っている。無駄に項目が多いせいで、こうして放課後に居残るはめになってしまった。このアンケートにどれだけの意味があるのか僕にはさっぱり分からなかった。
「なかなか時間がかかる作業だね」
「……………………………………」
めっちゃにらまれた。
試しに話しかけてみればこれだもんな。暁みなもとしてはこれが正常な反応だ。むしろここで普通に返事を返してきたら、僕は驚いてしばらくは固まってしまうだろう。
単に僕がこの重苦しい静寂に耐えきれなくなって返事を期待せずに話しかけただけだ。ほとんど独り言みたいなものだ。
アンケートの集計も佳境にせまり、あと一分とかからずに終わらせることができるだろうといった時、暁みなもがアンケート用紙を机の上から落とした。空中をひらひらと舞う紙は僕の足元に着地する。
あの完璧超人の暁みなもでもこんなミスをするんだな。少し意外ではあったがなんだか可愛らしいじゃないか。
おそらくはクラスの誰もが見たことがないであろう暁みなもの人間らしさを見ることができ、ちょっぴり得した気分になった。
僕は紙を床から拾い上げ、暁みなもへと手渡す。暁みなもは最大級の不機嫌さを顔にたたえ、乱暴に僕から紙を受け取る。拾ってあげたんだから、なにもそんなに敵意を表さなくてもいいじゃないか。少し、ほんの少し、極めて少し、イラついた。
「暁さんってどうしていつもそんなに不機嫌そうなの?」
口にしてしまったと思った。僕としたことがつい感情的になってしまった。今までの十七年間の人生で、なるべく波風たたせぬよう何事も穏便に済ませてきた。そんな僕がこんな刺のある発言を、あろうことかあの暁みなもにしてしまうとは、不覚だ。
これからしばらくは委員会として共に活動することも少なくないだろうに、良好な関係は最初から諦めていたが、なるべく険悪にならないようにしようと思っていたのに。
いつもみたいに無視と睨みのダブルコンボかな、それとも何も言わずに帰ってしまうだろうか。
「――――――――――――――――――ふ、不機嫌?」
しゃ、喋った……………………
あの暁みなもが、授業中以外では決して口を開くことのなかったあの暁みなもが喋った、だと。
しかも暁みなもは怒っているようではなかった。驚きや困惑といった感情がその整った顔から読み取れる。一瞬にして額から汗が吹き出した。なんか地雷でも踏んだかな。
しかし、暁みなもがいつも不機嫌なのは彼女を知る人間であれば必ず知っていることだ。それは本人だって自覚しているはずで…………
「ごめん、なんか変なこと言っちゃったかな?」
暁みなもから返事はない。完全に膠着してしまっている。
どうしものか。あと少しでこの煩わしい作業ともおさらばできるというのに、なんでか気まずい空気になってしまった。
「――――――に、――――見えるのかな?」
「え?今何て言ったの?」
「だ、だから!私って不機嫌に見えるの!!?」
「うわ!?」
暁みなもが何か呟いたのをなんとか聞き取ろうと耳を傾けたところを予期せぬ大声でカウンターをくらい、椅子から転げ落ちそうになる。あの暁みなもが怒鳴るとは、僕は相当のことをやらかしてしまったのか。
「えっと、不機嫌に…………みえるよ。だっていつも怒ってる顔してるし、話しかけるとすごく睨んでくるし………………」
「!!?」
なんだかこれだと、責めてる感じになってしまったか。しかし、まさか本人に自覚がないのか?あれだけ不機嫌そうにしてるのに?僕はてっきり、あなた達みたいな凡人に割ける時間など私には無いのよ!みたいな風に思っているものだと考えていたのだけれど。暁みなもの顔は赤くなったり青くなったりを繰り返して、その普段は決して緩むことのない口をパクパクさせて、小さくうめいていた。
「そんな………………嘘……………………」
「もしかして、暁さんが不機嫌なことに誰も気づいてないと思ってたの?」
「そ、それは………………」
「多分クラスの人全員気づいてるよ」
「ひぇあ!!?」
なんだかとても可愛らしい声がもれた。
どうもやはり自覚はなかったみたいだ。そうなると意図的に人を寄せ付けないでいたわけではないのかな?
ともあれ、暁みなもは皆が思っているよりも冷たい人間ではないのかもしれない。今僕の目の前で顔を真っ赤にしてもじもじしている姿を見れば、誰しもが彼女に対して多少なりとも親近感を抱くことは間違いないだろう。
「それじゃあ、自分ではイライラしてるのを隠せてると思ってたわけだね。周りの人がビクビクしてるの気がつかなかったの?」
僕にしては饒舌に暁みなもを攻め立てる。なんだか面白くなってきた。
彼女の場合、不機嫌にみえなかったとしても容姿端麗、文武両道な完璧超人であるからよっぽど人間関係構築技術に長けていなければ今とあまり変わらないかもしれないが。
そこで一つ、極めて単純な疑問が頭に浮かぶ。
「そもそもいつも何にイライラしてるの?相談くらいなら乗ってあげられるけれど」
「そ、そうね…………」
周知の通り、暁みなものは常に不機嫌だ。そりゃあイライラすることは世の中に探せばいくらでもあるだろうけれど、顔に出てしまうほどのものにしょっちゅう出くわすことはあまりない。暁みなもは何か大きな悩みでも抱えているのではないか、というのが僕の推測だった。
暁みなもは僕の問いかけに、意を決したような表情で、
「私……昔からイライラしやすい性格で、ちょっとしたことでも…………しょうがないって分かっててもイライラしちゃって、それで友達も……できなくて、そんな自分にまたイライラしちゃって………………」
泣きそうな、震える声でこたえた。
「だから…………クラスの人に話しかけてもらえたときはすごく嬉しかったの。でも…………なんて答えたらいいか分からなくって…………イライラしちゃって…………」
僕は暁みなもに関して一つ思い違いをしていたらしい。
それは、彼女は決して完璧超人なんかじゃないってことだ。運動神経抜群で成績優秀な彼女でも、人並みに、下手をすれば人並み以上に悩みを抱えているのだ。
ギャップ萌えというやつだろうか。僕はそんな彼女にすごく好感が持てる。できることなら彼女の助けになりたい。
「そういうことなら、解決策はいたって単純だよ」
「そ、そんな!もう何十年もこうなんだから!い、今さら直すなんてこと………………できないよ」
「いや、その癖を治すのは確かに大変だけど、そんなことしなくてももっと簡単な方法があるよ」
僕は会話をしながらも進めておいたアンケート集計の残りを全て終わらせ暁みなもの顔を見る。
「イライラの原因を一個ずつ解決していけばいいんだよ」
「…………え」
「そうすればイライラすること自体なくなるんだから、簡単な話でしょ?」
「そんな………………無理だよ。だいたい友達なんてそんな簡単にできないし…………」
「それなら僕と友達になろうよ。それで、暁さんのイライラの原因を解決する手伝いをするよ」
「なんで…………そんなことをしてあなたに何の意味があるの?迷惑かけちゃうだけだよ…………」
「友達を助けるのに理由はいらないものなんだよ」
「いつから……と、友達になったのよ」
そんなことを言って暁みなもは顔を背けたが、案外満更でもなさそうだった。これくらい強引にやらなければ彼女の悩みは解決しないだろう。
暁みなもは赤くさせた顔をこちらにもう一度向け、
「まあ、でも、友達になってあげるわ。あなたもどちらかというと…………いつも一人でいるみたいだし」
「どうもありがとう。よろしく暁さん」
「よ、よろしく、吉良くん」
おや?にやけているのを隠せてないですよ暁さん。不機嫌さに限らず表情が顔に出ちゃうタイプなのかな?
なにわともあれ、こうして暁みなもの不機嫌な原因を解決していく日々が始まった。話をきいた限りかなりの数がありそうだが、一つ一つ地道に潰していくしかないな。
「よし、集計も終わったし帰ろうか。けっこう時間かかっちゃったね」
「そ、そうね。それで…………その………………」
「ん?何?暁さん」
「だから…………その………………」
何かを言いたそうにもじもじする暁みなもの顔が段々と険しくなっていき、普段と変わらない不機嫌顔になっていった。暁みなものコミュ障っぷりはかなり重症のようだ。
なんとか自分で切り出すことができるかしばらく待ってみたが暁みなもが怒りの形相としか思えない顔をしてきたので、先読みして助け船を出すことにした。
「たしか、暁さんとは帰り道同じ方向だったよね?今後の作戦会議も兼ねて一緒に帰らない?」
「そ、そうね!一緒に帰ってあげる!」
あからさまに表情が晴れあがり、即答する暁みなも。おそらく他の生徒は見たことではないであろう暁みなもの笑顔。やっぱり不機嫌な顔よりも笑ったときの方が何百倍も可愛いじゃないか。
この笑顔が見られるならお悩み解決を手伝うなんてまったく苦にならないだろう。
そうして僕たちは教室をあとにした。
それにしてもさっそく一個目の原因が解消されたわけだが、そう考えるとこのアンケートの存在意義もある程度認めざるを得ないようだ。




