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人間と杖と

 「くそっ、あの大女めっ!!」

 騎士レイス・アイザックは怒りに任せて路地に並ぶ大樽の一つを思い切り蹴飛ばす。

 「ぬぐっ!!!」

 空ではなかった樽にはレイスのつま先大の穴が空き、たっぷり詰まった林檎酒が吹き出した。

 

 レイス・アイザックは地上界にある名家ペイズ家の護衛を司る親衛隊の三番隊隊員であり、未だ無等級の中年の人間だ。

 幼少の頃より類稀な容姿とそれなりの知性に恵まれ、両親からも絶大の期待を受けてきた。

 しかし、世が世なだけに彼の美貌と知性は上手く活かされず、むしろ戦闘力が中の下であることが災いして未だにその才は日の目を見ずにいるのである。

 そんな彼が名家の護衛任務に着くことができたのは、まさしくそれなりの知性と彼に与えられた強運によるものだ。

 入隊時の筆記試験では総合順位の十二番目、次いで行われた戦闘試験では中級モンスター炎の精霊イグニメントに危うく殺されかけたが、捨て鉢にぶん投げたレイピアがイグニメントの急所に命中し事なきを得た。

 そうしてなんとか入隊を許された彼は、その後もなんともいえない幸運に恵まれ、レイス家から幾つかの勲章を送られている。

 そんな彼は、親衛隊内ではラッキーレイスと呼ばれているが、プライドの高い彼はその呼び名を全く気に入っていない。


 「ぐぅっ!くそっ!一体今日は何だというのだ!気に食わぬことばかりだ!」

 拳を叩きつけた樽の蓋が割れ、また林檎酒が飛び散る。

 「ぬわっ!!くっそー!」

 我慢ならなくなったレイスはレイピアを抜き、樽を切り裂く。


 「はあはあ、しかし、まあいい。」

 レイスは一言呟くと、腰に着けた鞄から一本の杖を取り外した。

 「あの大女め…。これは戦利品として貰っておくぞ…」

 レイスは杖をレイピアのそれと同様に素振りする。


 ミカエラと交戦した瞬間、レイスの一撃はミカエラが無意識に小手に収納した杖を弾き出していた。

 交戦時の一瞬の閃光は、レイスの一撃が杖を弾き出す際にミカエラもフィスも気付かないほどの小さな杖の急所であるツボを刺激し、込められた魔力が一瞬放出されたことによる光だった。


 再び腰の鞄に杖を収納したレイスは林檎酒で濡れた体を拭くこともせず、威風堂々と路地を歩き出す。

 「おい…、人間」

 人気のない路地に突然響き渡る甲高い声にレイスは歩みを止め、辺りを見回す。

 「だ、誰ぞっ!」

 レイピアの柄に手を掛け、レイスは戦闘姿勢になり周囲を警戒している。

 「こっちだ、馬鹿者。鈍い奴め」

 大きな布をばたつかせたような太く軽い音に、レイスは上を見上げる。

 レイスが見上げた先、立ち並ぶレンガ造りの壁の更に上の隣家と繋がる石製の瓦屋根に黒い三日月くちばしの大きな鳥が留まってレイスを見下ろしている。


 「ぬっ!何ぞ鳥め!話すのか!?」

 未知の恐怖にレイスの柄を握る手に力が入る。

 「わ、吾に何か用か!」

 「まあまあ、そう緊張すんなよ人間。つーかあんた、喋るモンスター見たことねえのかよ。わしはそっちの方が驚きだっての」

 そう言うと、三日月くちばしの大きな鳥は呆れたようにため息をついた。

 「ぬぅ…、吾はペイズ家親衛隊三番隊隊員レイス・アイザック。言葉を操る鳥よ、貴様名を名乗れ!」

 そう叫んでレイスは屋根の上の巨鳥にレイピアの鋒を向ける。

 「クワックワッ。何ビビってんだか…、わしはボルドラだ。とある女神に仕えとる」

 ボルドラと名乗る巨鳥は片方の翼でくちばしを隠して体を震わして笑っている。

 「してボルドラよ!吾に何用か!」

 「ったくうるせえ奴だな。そんなでかい声出すんじゃねえよ、そこまで衰えてやしねえ。もうちょい静かに話せよ」

 ボルドラがレイスを制すとレイスはレイピアの柄から手を離し、ボルドラに向きあうように背筋を伸ばした。

 「そうそう、ちっとは落ち着いたか?レイス殿よ」

 「いちいち無礼な奴め、何の用なのか早く言わぬか」

 ボルドラは「無礼なのはあんたもだぜ」と小馬鹿にしたように笑って続ける。

 「まあ、用と言うほどの用でもないんだが…。杖だ、その杖。あんたの持っているそれ、あいつのだろ?」

 ボルドラの問い掛けにレイスは腰にしまった杖を気にする。

 「これは、金髪の生意気な女戦士から頂戴した…。戦利品だ、決して盗んだわけではない」

 「あーあー、いいんだよ盗んだかどうかなんて関係ねえの。レイス殿よ、あんたそれが何なのかわかってるか?」

 レイスは腰から杖を取り外し、まじまじとそれを眺めている。

 「あー、やっぱりわかってないんだな?間抜けだが、しかしなかなか運のいい奴だなレイス殿」

 「…これが何だというのだ」

 「それはな、あの大女にとってなかなか大事な物なの。ざっくり言っちまえばそんじょそこらの魔術師じゃ叶わないくらいの魔力がたっぷり詰まってんのよ?」

 「だからあんたは超ラッキー」と言ってボルドラはまた笑った。

 「レイス殿、あんた魔法は使えるのか?」

 レイスは再びレイピアを抜き、振り回す。

 「吾は騎士ぞ!魔法など必要無し!!あんなものは剣技を持たぬ半端者が使うものよ」

 そう言って得意気にレイピアを掲げるレイスを見てボルドラはけらけら笑った。

 「クワックワッ!やっぱりあんたは面白いなあ。いやあ、そういう馬鹿で真面目な奴は嫌いじゃない。それじゃあひとつ、わしからあんたへプレゼントだ」

 そう言うとボルドラは屋根から滑降し、三日月のくちばしを大きく開いてレイスを一飲みにした。

 足をじたばたさせるレイスの半分を口に突っ込んだまま、ボルドラの胸が大きく膨れ上がる。

 ボルドラの胸が内側から緑色に輝いたところで、ボルドラはレイスを勢い良く吐き出した。

 まるで人形のように力を失っているレイスはボルドラの粘着く唾液をまき散らしながら、受け身もとらずに吐き出された勢いのまま地面を転がっていく。


 「クワックワッ!弱いね、弱すぎるよレイス殿…。だから、あんたに力をくれてやる。その杖を身に着けたまま強く念じればいい。…それだけで十分だ」


 「ね…ねん、念じ…?」

 地面に伏せって力も入らないままレイスはそう呟いてそのまま気を失った。

 静寂の中、力なく横たわるレイスに近づき、ボルドラは彼の耳元で一言呟くと空へと飛び上がっていった。

 

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