世界の終わりと始まりと
即死だった。
青年の胸を貫いた矢は、彼の心臓を一突きにし、その鼓動を止めさせた。
一瞬のこと。
吾もルルディ様も、そして金髪の女戦士ミカエラも予期せぬ出来事だった。
吾の目に写ったあの邪悪な赤い瞳は笑っていたように思う。
吾はそれを確認してすぐ奴を追ったが、奴は崖からの靄に紛れて消えてしまった。
吾が再び青年の元へ戻ると、そこには叫び、泣き崩れるミカエラの姿があった。
そして、彼女を傍らで抱くルルディ様もまた涙を流しておられた。
「ああ!嘘だ!起きてください!主様!主様ぁぁ!!」
青年にすがりつくようにして泣き喚く彼女を見ていられなくて吾は目を逸らした。
暫くの間、それがどれほどなのかわからない程の時間、ミカエラの叫び声だけが響いていた。
「…ミカエラ殿。もう、落ち着きなさい」
「主様!主様、主様!!」
「彼は死んだ!死んだのだ!!…もう、眠らせてあげなさい」
吾は押し黙って肩を震わせるミカエラの肩を抱いた。
主の死、その悔しさは経験などしたくないことだがその気持だけはわかる。
もしルルディ様が、など考えたくもないことだが、今の彼女を見ればそういった最悪の事態を考えずにはいられなかった。
吾とてこみ上げる感情を抑えるので必死だったのだ。
青年フィスとの付き合いは短かった。
だが、吾は感じていたのだ、彼の愛を。
不思議な感覚だった。
彼と共に戦ったことで、触れ合ったことで感じたのだ。
温かさ、優しさ、雄大さを。
彼は吾よりもずっと若い姿だったが、きっとその経験は吾のものとは比べ物にならないほど濃密で重要なことばかりだったのだろう。
吾らは世界の変貌を望む狂神を倒したが、その代わりに大変なものを失ってしまったのだと、そう感じざるを得ない。
「レイス…。だれ?誰だったの!?」
「わかりませぬ。私が向かってすぐ、行方をくらましてしまいました…。赤く輝く邪悪な瞳、私が確認できたのはそれだけで…」
「…邪悪…光る」
「ああ、気味の悪い赤く輝く瞳だった」
吾がそう言うと、ミカエラは主に突き刺さった矢を眺めていたように思う。
それから、ルルディ様の矢を借りると二つを見比べてミカエラが話しだした。
「…ルルディ、この矢はどこで?」
「どこの物かはわからないけれど、それはカーバンクルの持ち物だった物よ」
「アストゥス…、主様…」
ミカエラはそう呟くと、吾らに一枚の羽をよこした。
白く大きな羽だった。
「…それはアストゥスの羽。あなた達の記憶にある場所ならどこへでも連れて行ってくれる。それであなた達の世界に帰って…」
吾にはミカエラが何を思っているのかわからなかった。
ミカエラは主の亡骸を抱きかかえると、何も言わず吾らに背を向けて歩き出した。
ルルディ様がどこぞへ行こうとするミカエラを一旦は止めようとなさったが、吾はそれを制した。
護るべき者を失い、絶望している彼女にこれ以上掛ける言葉は無いと思ったからだ。
段々と遠くなっていくミカエラの背中を見つめるルルディ様は、とても悲しそうな顔をしていらした。
きっと、ルルディ様も吾が思うところと同じだったのだと思う。
やがてミカエラの姿は荒野の向こう側へ消えていった。
吾も、ルルディ様も去っていった彼女の残像を追うように暫くの間ミカエラの行った先を眺めていた。
「…レイス」
「はい、何でしょう?ルルディ様」
「私は死なないわ」
「……はい」
ルルディ様は強く、優しいお方だ。
主を失くしたミカエラと自分が死んだ後の吾を考えてくれたのだろう。
しかし、吾はルルディ様を置いて死ぬことは絶対にしないし、ルルディ様を先に逝かせることなどさせはしない。
フィスとミカエラ。
彼らは吾らにとって最も大切なことを教えてくれたのだ。
あの二人が吾らにそう感じさせてくれたのだ。
「帰りましょう…。私達の世界へ」
そう言ったルルディ様は吾の手を握り、羽を握りしめた。
羽は雄大な自然を思わせる良い香りを漂わせていた。
香りが風に乗り、遠くへ飛んで行くのを感じた。
気が付くと吾らは、漂い、風に舞っていく香りを目で追っていた。
その時、視線の彼方から一羽の鳥が吾らに向かってくるのが見えた。
「レイス、何か来るわ!」
飛んできたのは、白く大きな美しい鳥だった。
白き鳥は吾らのそばに降りると、じっと吾らを見つめ、話した。
「どこへ?」
「…父のところへ連れて行って」
ルルディ様はまるで決めていたかのようにそうお答えになった。
父上のところへお戻りになられる、吾はその判断に少し驚いた。
しかし、それもルルディ様に何かお考えがあってのこと。
吾は主の意思に従う。
「街の名は?」
「ジベ・ディーテ」
「乗りなさい」
淡々と進められる会話。
吾らは白き鳥に言われるまま、その背に乗った。
白き鳥は吾らを背に乗せると、一瞬にして空高く舞う。
目まぐるしく変わっていく景色を眺めながら、吾は思いにふけっていた。
吾らが倒した者は確かに強大で恐ろしげなものだった。
しかし、いくら事情を聞かされたとて吾にはその実感が湧かないのだ。
世界の均衡、生物の融合、管理局。
フィスやミカエラが正義だと直感的に感じた、だから戦った。
だが、それは何のためだったのだ。
吾らは世界を守ったのだろうか。
そもそも世界は狂わされていたのか。
何もわからない。
「レイス…、ミカエラもフィスも自分を信じて戦った。そうでしょう?」
ルルディ様はまるで吾を覗き見たかのようにそう呟いた。
「…そう、ですな」
吾も自分を信じたのだ。
きっと、ルルディ様も。
では、フィスを殺したのは誰だったのか。
何のために殺したのか。
もし、フィスとミカエラが女神を殺さなければ彼は死なずに済んだのか。
フィスを殺した者にも彼を殺す理由があるのは確かだろう。
フィスを殺すことで何かが変わると信じていたのだろう。
一体何が、何が変わるというのだ。
空を廻る天界の星々を見上げていると、ふいに白き鳥が体を傾け始めた。
もう、着くのか。
そう気付いてから、吾らが地に足を着けるまでの時間は瞬く間だった。
吾らを背から下ろすと、白き鳥は何も言わず、再び空へと戻って行った。
「さあ、行くわよ」
随分と久しい。
吾がこの街を訪れたのは親衛隊の入隊試験で来たのが初めてだった。
あれから十年も経ったのだ。
巨万の富に溢れるこの街は、すれ違う者の誰も彼もが小奇麗で清潔な格好をしている。
薄汚れた鎧兜の連中や剣や弓を携えた者もほとんどいない。
きらびやかな門構えの店や家々と綺麗に整った石畳を進んで行く。
大通りを進む道の先に一際目立って大きな門がある。
あれが、ルルディ様のお父上がいらっしゃる所、ペイズ家本邸。
「まさか、この門を自分が開けてもらうことになるとは思いもしなかったわ」
門の目の前ではたと止まったルルディ様は体の幾倍もある門を見上げ、門兵の所へ行く。
「ちょっとあなた。ここを開けなさい」
出し抜けにそう言われた門兵は不信感を露わにし、ルルディ様を邪険に扱った。
「貴様ら、この御方がどなたかわからんのか?ヒルト様の御息女ルルディ様ぞ!とっとと門を開けろ馬鹿者!」
「あ?ヒルト様の御息女がそんな汚えなりなわけ無えだろ!鬱陶しい乞食だな…、どっか行きな」
「き、貴様!!」
「何だ?やんのか?」
吾が門兵と悶着を起こしている間に別の門兵が慌てた様子で門へ駆け寄って行くのが見えた。
「な、なな何やってんだあ!この女!!」
門には穴が開いていた。
そして、その穴をくぐり抜けていくルルディ様を見た。
「ふふっ、ルルディ様…なかなかやりますな」
吾は兵を押しのけ、ルルディ様の後を着いて行く。
「焦れったくて面倒よ。門なんて」
「全く、その通りですな」
邸内に入ると、入り口に待ちかまえている執事やメイド達が大慌てでルルディ様に駆け寄ってくる。
「誰です!勝手に入られては困ります!」
「衛兵!衛兵!不審な者が侵入しています!衛兵!」
「うるさいわね…」
「ルルディ様、仕方ありますまい」
「お父様はきっと書斎よ、行きましょうレイス」
以前とは全く違うルルディ様の様子に執事もメイドもたじろいでいる。
騒ぎ立てる者共を無視してルルディ様は階段を上って行く。
吾は込み上げてくる笑いを堪え切れず、顔を歪ませてルルディ様の後を追う。
「何笑っているのよ?」
「いえ…、あの慌て様、おかしくてたまりませんな」
「ふふ、そうね」
「ルルディ様にはもう、邸宅はお似合いになりませんな」
「きっとそうね」
階段を登り、二階の廊下の端にヒルト様の書斎はある。
入り口の前で止まったルルディ様はその木の扉を打ちつけた。
「お父様、ルルディです」
「…お入り」
ヒルト様は突然の来客に驚きもせず、窓辺に座って本を読んでおられた。
ヒルト様はそういうお方だ。
物事に動じるということがない。
むしろ、いつも何かをお考えで、余計なことに気を逸らす暇がないといった方がいいだろう。
「どうしたんだい?ルルディ」
「お父様、世界の均衡とは何ですか?」
「世界の?ああ、何か知ってしまったんだね?」
「私とレイスは、今し方世界を変えようという者共に会い、そして殺しました」
「ん…。ルルディは何を残したんだい?」
「…何も、残せませんでした。結局はどちらも失ってしまいました…。管理局とは、世界の均衡とは何なのですか?」
ルルディ様がそこまで話されたところで、ようやくヒルト様はルルディ様を見なされた。
「……アントス?」
ルルディ様を見た途端、ヒルト様は動揺なされた。
それも当然だろう。
今のルルディ様のお姿は、まるで違う。
長く伸びた艶のある銀色の髪、そして白く美しい肌、筋肉質で絞まった体にすらりと伸びる長い手足。
どうみても人間の姿ではないのだから。
「お母様に、似ていますか?」
「ル、ルルディ…。ああ、よく似ているよ」
目を点にしてルルディ様を見つめておられたヒルト様は、そう言って微笑んだ。
「どうしたんだい?その姿は」
「友に、力を与えられました」
「友人ができたんだね…。どんなひとだい?」
「フィスとミカエラという、不思議な青年とエルフの巨人です。フィスは、何だか近くにいるだけで安心感を与えてくれる温かい人。ミカエラは優しく強く、そしてフィスの事が大好きでした。でも、フィスは…」
「…フィス君が」
「え?」
「いや、何でもない。それで、倒したのは?」
「女神です。フィスはアインと呼んでいました。女神は今の世界を間違ったものだと言い、フィスとミカエラはそれを止めようとしていました。だから、私は、なぜだか…彼らの味方をしたいと思ったのです」
「そうか…。頑張ったんだね、ルルディ」
「でも!結局何も守れなかった…。管理局はなくなってしまって、それだと世界の均衡は冒険者のせいで崩れると」
「…管理局は、委員会を失い、天界と異界を失った。そして、天界ではもう既に融合モンスター達が新しい生態系を築こうとしている。地上界の管理局はまだ無事だけど、三界で一番規模が小さいからね…。情報も、数も、もう前のようにはいかないだろう。でも、それでいいんだよ、ルルディ」
ルルディ様は落ち着いてそれを聞いておられたが、吾にはそれが信じられなかった。
ヒルト様は何故そんなことを知っておられる。
「お父様、それではこれから世界はどうなってしまうのですか?」
「簡単に言ってしまえばね、ルルディ…。変わっていくのが世界だよ。お前達はそれに適応していく必要がある、そうだろう?だから今までの形が好きならそれを立て直せば良いし、気に入らないなら変えてしまえば良い。ただ、どこにでも反発は生まれる。…今も女神の死から新しい時代が生まれようとしているしね」
「新しい…時代?」
「そうさ。死した女神から生まれたものは、もっと手強いだろう。世界は、均衡を保つためにいつだって変化しているんだよ」
「そ、それは一体どういう…」
「ヒルト様!!」
突然開け放たれた扉から、息を切らした兵士が飛び込んで来てそう叫んだ。
「一体何事か!!」
「人間だ!一人の人間が化け物を引き連れてここに!」
「人間!?」
吾は邸宅の外へ飛び出した。
一直線に庭を抜け、門を抜けた吾の目に映っていたのは、惨劇ではなかった。
赤く輝く邪悪な瞳の一人の人間と五人の異形の者共。
「貴様は!!」
「やあ、ラッキーレイス。久しぶりだねえ、僕を覚えているかい?」
「ジョー…コック!なぜ貴様が!そやつらは何だ!」
「んー?彼らは…そうだな、支配者だよ。もちろん、僕もそう…。ふふっ、驚いたかい?」
「何をわけのわからぬことを!」
「あーあー、君は頭が悪いな。まあいいや、僕らはヒルトに用がある。そこを通してくれない?」
「そうはさせぬっ!!ここは吾が守り通す!」
覚悟はできている。
ルルディ様をお護りし、吾も死なぬ。
敵は六人、まずはジョーを叩く。
その時、吾の肩に何かが触れた。
「ヒ、ヒルト様!ここは危険です、邸内へお戻りくださいませ!」
「大丈夫、下がりなさい」
ヒルト様は吾を制し、自ら前へ出た。
何故ヒルト様はここまで出ていらしたのか。
吾にはもう何もわからぬ。
「へー、自分から出てくるんだね」
「客人を饗すのは主人の務めさ。…ところで、ペイズは諦めたのかい?」
「そうだね、もう必要ないから。目の上のたんこぶがいなくなったら、もう自由じゃない?」
「やっぱり君は賢明だな…。で、私に何か用があるんだって?」
「うーん…用というか、一度見ておきたかったんだ。…三賢人が一人、アウディーカの姿をね」
「それはそれは…。それで、後ろの五人はお茶を飲むのかな?」
「こいつらに食事はいらないよ。なんて言っても女神の子だからね。強いて言うなら強者を相手取ることが彼らの食事みたいなものかな」
ジョーは笑っている。
不気味な卑しいあの面構え、吾は好かぬ。
「君が、フィス君を殺したのかい?」
「…そうだよ」
「なぜ、と聞くのは野暮かな?」
「ご存知の通りだよ」
「では、なぜわざわざここまで来たんだい?」
「…宣戦布告だよ。これから世界は僕らのものになる。新しい時代の幕開けだよ!」
「な、何をわけのわからぬことを!」
もう我慢ならぬ。
フィスを殺し、尚世界を自分のものなどと。
「フィスの仇!散れ!!」
吾の一振りは空を切った。
ジョーは軽い身のこなしで吾の一撃をかわし、そして一発の矢を放った。
矢は吾の肩をかすめ、邸へと向かって行くと、巨大化し建物を貫いた。
「な!」
しかし、振り返った吾の前にはジョーも他の五人の異形もいない。
「くそっ!また逃げたのか!!」
「…レイス、これからお前はどうする?」
「ヒ、ヒルト様…」
「彼らはアインの言う世界ともフィス君の守ろうとした世界とも違った世界を作ろうとしている…」
新しい世界。
ジョー・コックと五人の異形者が作り上げる世界。
吾は、吾は…。
「迷ってもいいのさ。お前の戦う理由はルルディだろう?ルルディが無事ならばそれで良い、それだってお前にとっての正しい世界のあり方だ。レイス、お前が戦えなくても、お前じゃない別の者が世界のために戦おうとする…。それが、世界の均衡だ。誰かの手によって動かされるものではない。世界が変わるのは世界の意思なんだよ…」
「私は…。ヒルト様のおっしゃる通り、ルルディ様をお護りすることが私の戦う理由。万人の世界を守るためではありませぬ…」
「レイス、それでいいんだ…。お前達はそうやって世界を作り、そして世界は終わっていく。それが変化だよ、何かが終われば何かが始まる。自然の摂理さ」
ヒルト様はそう言って吾の目をじっと見つめ、微笑んだのだ。
吾はひと。
世界を終わらせ、作り上げるもの。




