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御令嬢と騎士と 2

 突然感じ始めた高揚感を抑えるので精一杯だった。

 ルルディの体は小刻みに震え、手にも身体にも汗がじわりと湧き出していた。

 意思とは無関係に上がろうとする口角を無理矢理真一文字に結び、できるだけゆっくりとルルディは椅子から立ち上がった。

 「つまり何があるかわからない、この街は危険かもしれない状況になった、ってことね?あなたはそう言いたいのよね?」

 「はっ、その通りであります」

 「…あなた、名前は?」

 「…レイス・アイザックと申します」

 「レイス・アイザック、少し部屋を出ていなさい。す、すぐに呼ぶからあまり遠くに行っては駄目よ!」

 ルルディがレイスに背を向けてそう言うと、レイスは歯切れの良い返事をして部屋を出た。

 レイスが部屋を出た瞬間、ルルディはその高揚を一気に発散させた。

 「やった!やったわ!!こ、これでくだらない日常が終わるのよっ!!私はここから出るのよ!!」

 ルルディは両手の拳を顔の前で握りしめ、ぴょんぴょん飛び跳ねたかと思うと、「こうしてはいられないわ」と呟いて大慌てでクローゼットへ向かう。もはやその笑みを抑えることはできていない、こんなに楽しみな旅の支度は、初めて天界に向かうと聞いた時以来だった。

 クローゼットの中いっぱいに吊るされたきらびやかなドレスを払いのけ、その奥に隠れるように置かれた木箱から黒い毛皮のローブと使い込まれた編み上げのブーツ、シャツにベスト、それからズボンと古びたサーベルと赤銅色の小手と革袋を取り出すと、ルルディはドレスを脱ぎ捨てそれらを装備した。


 「お母様…」

 そう呟いて両腕に着けた小手を愛おしそうに頬を当てる。

 クローゼットから出たルルディは、床に散らばったペイズコインを拾い集め、更にドレッサーの引き出しに並べられた宝石類を革袋に詰め込み、鏡に映る自分を眺めた。

 「…レイス・アイザック。入りなさい」

 再び部屋に入って来たレイスは一旦跪こうとして止まり、腰に手を当てて悪戯を目論む悪ガキのような笑顔で仁王立ちするルルディにゆっくり視線を向ける。

 「…ルルディ様。そ、その格好は?」

 「さ、逃げるわよ」

 レイスに近づき、その両肩に手を付くルルディ。

 「え、あの…。逃げる?」

 「そう、逃げるのよ。あなたが言ったのでしょう?ここは危ないって」

 そう言って真っ直ぐな目で自分を見上げるルルディを見てレイスは何かを悟ったように頷いた。

 「ルルディ様の安全は必ず私が保障致します」

 レイスは胸に手を当て跪く。

 「当たり前よ。まず、誰にもバレないようにここから私を出しなさい」

 「バレないように、でありますか?堂々と出掛ければよろしいのでは…」

 「そうはいかないわ。それじゃあここから出られなくなるかもしれないじゃない…、いいから!とにかく私をここから連れ出しなさい!」

 「お、仰せのままに」

 立ち上がったレイスは窓を開け、外の様子を確かめる。

 それから部屋の扉を開け、半分だけ体を出して廊下の様子を伺う。

 「ルルディ様、少しの間お待ちを」

 レイスはルルディにそう言い残して部屋を出て行った。

 

 少しして戻ってきたレイスは大きな木箱を引きずっていた。

 「ルルディ様、こちらにお入りください」

 レイスが木箱を開くと手を指してルルディを促す。

 「わ、わかったわ」

 ルルディはレイスの運んできた果物の香りのする木箱に体を押し込んだ。

 「本当に、窮屈ねこれ」

 「申し訳ございません。しかし、周囲の者もルルディ様がこんな物に入っているとは思いますまい」

 レイスが自信ありげに頷く。

 「さ、行きましょう」

 レイスは木箱の蓋を閉じ、台車に載せたそれを部屋から引っ張り出した。

 窮屈な木箱の中は、時々地面の凹凸にいちいち飛び跳ね、その度ルルディが頭を蓋にぶつけて彼女は声を上げないようにするので必死だった。

 ガタガタという騒がしい音を立てながら木箱は引きずられていく。

 箱の中で口を抑えたまま息を殺していたルルディの脇を甲冑の鳴る音や革靴の床を鳴らす音が通り過ぎて行ったが、そのどの音もレイスを気にしている様子は感じられなかった。

 少しの間引きずられていると、「失礼します」というレイスの呟きが聞こえ、そして箱ごと体がふわりと浮き上がった。

 今までの台車よりももっと不安定に、ふらふらしながら時々落ちるようにガクンと体が沈み込むのをルルディは感じていた。

 その急に落ちる間隔が一定ではないので、途中何回かルルディは舌を噛んだ。

 それが続くと、ゆっくりと箱は高度を落とし、再びガタガタいいだした。

 「おいおい、ラッキーレイス。お前、そんなもの運んでどこ行くんだ?」

 誰かの声がする。

 ルルディは箱の隙間からそれを覗き見ようとするが、隙間が細いため、ちらちらとしか外の様子が見えない。

 「はっ隊長殿。こ、これはただの木箱であります。ご、ごみを捨てるのを手伝おうと思いまして集めて参ったのであります」

 「ごみだ?ははっ、お前も愁傷な奴だな。というよりも暇な奴だな、暇なら酒でも飲んでおけばいいんだよ、どうせ何も起きやしねえ。それにごみってんならあのベーゴマ女も一緒に捨てちまってくれよ」

 隊長と呼ばれる男はそう言って高らかに笑うと木箱を叩いた。

 「隊長殿。ルルディ様はベーゴマ女などではありませんぞ!あのお方は我々の守るべきお方、そのような言い草は許せませんな!」

 レイスが突然憤慨したように強い口調で隊長に楯突くのが聞こえる。

 「なんだ?ラッキーレイス。…まあ、そう怒るな、お前は本当に忠犬だな」

 隊長と思しき男はそう言うと硬いものがごつりと鳴るのが聞こえ、大きな笑い声と共に足音がそこから遠ざかって行った。

 

 「申し訳ございません」

 レイスが独り言の様に呟くのをルルディは箱の中で聞いていた。

 しかし、ルルディに怒りは無かった。

 ただ、力いっぱい両手を握りしめていた。

 また少しすると、木箱は台車から降ろされ、引きずられ始めたかと思うとその動きを止めた。

 「さあ、もう大丈夫です」

 外からレイスの声がして、木箱の蓋が開く。

 狭い木箱からむくりと体を伸ばしたルルディは下唇を噛み、目を潤ませていた。

 「ル、ルルディ様!?お、お怪我でも致しましたか!?」

 レイスは慌てた様子で両手を振り回して動揺している。

 「な、なんでもないわよ!さあ、私を安全な場所に連れて行くのよ!」

 木箱から飛び出したルルディは颯爽と裏庭の先にある鬱蒼とした木々の中に駆けこんで行く。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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