イン・ワンダーランド13
「アル――
答えを返そうとして、気付く。楽しげな雰囲気すら漂わせて俺を誘うアルファの目に宿るどろどろとした光に。
それは最終的に、己の願いを叶える為ならなんでも捨て去ることのできる人間の目。
否、そもそもその目を持っているのは、ここにいる人間全てなのだ。
それは俺も例外ではない。
だから、例えアルファの言葉の全てが真実だとしても、それを信用してはならない。
極論、誰も信用してはならないのは皆が自分の願いに忠実だからである。
顔で笑いながら、心で嘲笑うのが、探索者だった。
あのファーストが、ダンジョンマスターであり、この場の全員を自由にできるはずの彼女が敗れた理由を想像する。
鴻ノ巣か、アルファか。ファーストの敗因は二人が笑顔で持って奇襲を仕掛けたに違いないのだ。
100年以上のつきあいのある者に対して行える非道。それができるのが探索者だ。
目を閉じる。そもそも結論は決まっていた。利に揺らぎ、情に溺れようとも、決まっていた事実は覆せない。
俺は、最初から、この場に立ったときから結論を持っていた。
アルファや鴻ノ巣に勝てないとわかりつつ反発したのは、つまるところそれが原因だ。
「俺は、弱い。でも悩むまでもないってのはわかってんだ。俺が一歩踏み込めばいいってだけのことも、今まで背けてた全部に向き直ればいいってことも、ただ……ただ、な。この選択を選ぶのはやっぱりファーストの事が好きとか嫌いとかじゃなくて……」
俺の様子に、あ? と鴻ノ巣が胡乱げな声を出す。覚悟を決めて目を開けば、俺を見ているアルファはニコニコと、誘いを断られることなど微塵の想像もしていない笑みを浮かべている。
全ての覚悟を決めて気付くことがあった。
アルファは、俺が一番嫌いな人間の目をしていた。
それは鴻ノ巣も、この場にいる人間全てが同じだ。
今まで気付かないふりをしていた。そしてそれから目を逸らそうと必死に抵抗をしていた。
俺の弱さは、こんなところでも影響している。振り払うように声を上げた。
「くく、はは、ははははははッ。そうだよ、そうだったな。なぁ、決めたよ。決めたから言うよ。鴻ノ巣、アルファ」
(俺は、俺のことが嫌いだった)
弱くて、進む道がわかっていなくて、知識がなくて、何もできなくて、甘えるだけの俺が嫌いだった。
それでも意地を張って、願いに縋り付いているような俺が嫌いだった。
探索者は、たった一つの願いの為に、何もかも捨てられる人間にしかなれない。ダンジョンマスターがそういう人間を選んで連れてくるからだ。
俺も全部捨ててきた。
日常も、家族も、友人も、人生も、将来も、夢も、未来も、人としての全てを。
それでいいと思っている。そうしなければならないと決めている。だから捨てた事実に何の後悔も抱けない。
最低な人間だ。最悪な人間だ。死ぬべき人間だ。だから好きになれないし、嫌いになるしかない。
だから、俺は、俺と同じ人間の事が嫌いだ。俺と同じなのだから。
俺は、探索者の目をしている人間が嫌いだったのだ。
俺がアルファのことが嫌いなのはそういう理由だったのだ。
「アルファ」と奴を呼ぶ。金髪の女は少女を踏みつけ、にこにこと笑って「なんですか? 決まりましたか?」と言葉を返してくる。
踏みつけにされた少女を見ながら思い返す。今は閉じられてしまったその瞼の奧を。
ファーストの目は、俺達とは違った。真摯だった。俺達のことを考えている者の目をしていた。
俺はそんなファーストの目が苦手だった。なぜだかはわからない。しかし苦手意識のまま嫌うように行動してしまっていた。
(そして、俺は無意識に探索者たちの目を嫌い、このギルドに馴染まなかった。だからずっと一人だった。一人でいるしかなかった。だから、なんでも一人でなんとかしようと思っちまった。そしてそんな俺をファーストだけが助けてくれた)
アルファの足下には血溜りに沈むファーストがいる。アルファと鴻ノ巣によって痛めつけられ、無惨に転がされている。
(今日は、悪かったな……。謝ってももう遅いかもしれないがやっぱり俺には……)
「アルファ。やっぱな、いくら考えてもダメなんだわ」
ぴくり、とアルファの雰囲気が変わる。目に敵意が宿る。そして答えをわかっている癖に俺に問う。
「何がですかー? ちゃんと言ってくださいよ。言葉にしないとわかりませんよー」
握った手の中には剣がある。アルファまでの距離は20メートルほど。今の俺にとってそれは遠すぎる距離だ。障害は無数。確実な妨害がある。だから、何をしても無駄なんだろう。
傷付けることは不可能。この距離を縮めることでさえ至難。しかし気付いてしまったからには、どうしてもそうしなければならなかった。
これが全てに目を背けてきた因果なのだ。俺が、もっと早く直視していれば別の可能性があった筈だとしても、今の現実は変えようがない。
だから今からでも、少しだけでも取り戻さないといけない。
「悪い。俺は反吐が出るほどにお前のことが嫌いだ。だから、お前の世話になるぐらいならファーストを選ぶ」
言った。決めて、外に示した。だから、これは決まっていたことだった。
決別と共に全周囲から本気の殺意と敵意が俺に降り注ぐ。それに耐えながらアルファへ向けて一歩を踏み出した瞬間。
「殺すな」
鴻ノ巣の言葉とほぼ同時、一瞬にして俺へと踏み込んでくる三人の男たち。音すら越える速度で彼らが抜いた刃は首、胴体、背骨と一撃で俺を殺せる場所で止まる。俺の手は動かない。否、反応すらできていなかった。
押さえつけるまでもなく、ただのそれだけで行動不能となった俺へ鴻ノ巣は笑顔を向けてきた。
「吉原、余りはしゃぐな」
稚気や敵意でもなく、単純で純粋でただただ暴力的な殺意に背筋が凍る。
歯を噛みしめる。この場の誰よりも死んでいない俺だが、死んだ経験はある。だから、死の先に何があるのかも知っている。殺意に怯える必要などないことを知っている。
何より、この世には死よりも恐ろしいことが存在する。それを考えれば、ただの脅しに過ぎない眼光に何故怯える必要があるってんだ!
全身に気合いを入れ、重圧を振り解く。そんな俺を見て鴻ノ巣は頭をボリボリと掻いた。
「まぁ、決断しちまったんだからそうなるわな」
鴻ノ巣はそうして数秒ほど顎に手を当て考える姿勢を見せると、「アレス」と一人の探索者の名前を呼んだ。
「なんですか? 鴻ノ巣さん」
鴻ノ巣亘理は教会の中でもファーストにほど近い場所を指さし、そこに置いてある長椅子を片付けるよう周囲の人間に指示を出す。
「そこでアレの相手をしてやれ。ただし、殺すな。怪我をさせるな。剣の手ほどきをするように、優しく相手をしてやれ」
「は? はぁ、いいんですか? すっぱりと殺してしまえばいいのでは?」
ざわつく探索者たちに鴻ノ巣は冷たい表情をして応える。アルファは鴻ノ巣に完全に任せているのか口出しをしない。
「そういや対探索者戦についちゃ教えてなかったな。アレス、今、そいつに関して注意しなきゃならんことは何かわかるか?」
「えっと、これを邪魔、されないこと、ですかね?」
ファーストを指さしたアレスに対して、いいや、と鴻ノ巣は首を振り、咎めるように答えを告げた。
「これが終わった後に自棄になられることだ。全部諦めて、どうでもいいと願いも捨てて、終わっちまって、不死者の身体で対人特化のスキルを組んで俺達に挑むようになることだ」
「でも、そんな経験値が……」
反論しようとしたアレスがあっ、という顔になる。
アレスの反応に鴻ノ巣が頷いた。
「そうだ。この《ゼーレ金貨》で吉原だけはそれが可能なんだよ。もともとただの人間で、レベルが4しかない奴にはどんな可能性も存在している。俺達には時間だけなら嫌になるほど存在しているからな。何百年でも何千年でも掛けて、俺達を殺せるようになるだろうさ」
うげぇ、と鴻ノ巣の答えにアレスが苦い顔で口ごもる。周囲の連中もその可能性を思いついたのか、今まで羽虫を見るような目だったのが、苦い顔で俺を見始める。
「探索者の厄介な部分は死なない、のではなく殺せないという点にある。例え新しいダンジョンを手に入れたとしても、殺しても殺しても甦る復讐者がついてきたらどうだお前。探索どころの話じゃねぇだろう? 最悪、それにかかり切りにならなきゃならなくなる」
だから丁寧に心を折れ、と鴻ノ巣はアレスに告げた。
「お前に命令したのは吉原よりも年下で、吉原よりも後からここに来た唯一の人間だからだ。
いいか? こいつが二度と俺達に逆らいたくなるように惨めに負かせ。心を折って二度と立ち上がれないように教育してやれ。そうして初めて脅威じゃなくなる。俺達の勝利に傷をつけるなよ」
はい、とアレスは頷くと、動けない俺を殴りつけるようにして移動させるのだった。




