去りし時、抱かれた想い
ディランは、自分が死ぬという事実を空が霞む頃に、妖精たちの知らせで知った。
それが何を意味するのか。この世界で生きて、最期まで走り抜いた、ということ。目を覚ませば、愛する人、愛する人たちがいる。美しいこの世界を、未来を、ディランは任せることにした。
ーー終わった。全てが終わったよ。
ディランは家族に、アーナに、全ての人々に伝えようと思った。
自分が生きていて、幸せだったこと、幸せはいずれ全ての民と家族にも。
生かしてくれて、ありがとう。
人が悲しみに暮れることのないように、自分の眠る場所が盛大に幸せの曲が流れるように、工夫した。
アーナの涙が笑顔で染まるよう、最期にとっておいた魔法を使う。
これは、お別れとディランの死の旅を綴った、命の旅。
彼は現実のあの人と出会う。
人の命と、そこに息づく愛と優しさの物語。
ディランの死後、彼が死んだという事実が魂の流れに沿った深い闇の運河の流れから始まる。
そこにはすぐるさえやってこられない。
死と生がはっきりと別たれている。
ディランは眠るように長い長い川を流されていた。時折美しい声が聞こえるが、それが誰のどこの世界の声なのかは分からない。
ただ流れは変わることなく、ずっとずっと続いた。
ディランはその流れを逆らうことなくずっと漂うように流されていた。ただ、ふとした瞬間に、何かを思い出して、声に聴き入った。まるで魔法のような音が、彼の心の何かを思い起こさせる。
あれはいつだったろうか。深い闇の中、一人で息をして目を覚ました。大勢の声が聞こえていたはずなのに、そこは靄がかかる、暗い暗い場所で。
『母さん?』
嵐の神に尋ねた。彼女の姿は見えないが、彼女が側にいることは分かった。
吹き抜ける風は荒々しく、けたたましいほどの轟音が鳴り響いた。嵐の神がしばらくしていなくなった。
命の虎は、嵐の神の言葉を知らぬまま、大地を造ることになったのだ。
ーー混乱した。あのとき。何もかも分からないまま、自分が望むものを造っていた。自我はあった。寂しさという気持ちも。心の中がずっと塞いだまま。あれが最初の頃の私だった。何もないあの場所に、命を、どうしても、造り出したかった。
流れる運河は過去の彼を映した。旅路に記憶の中に留まっていた者達を映した。映画のエンドロールのような。
ーーふふ・・。私は過去を寂しいと思っていたのだろうか。生きる糧も含めて、こんなにも濃密な人生はないのだが・・。
ディランには分かっていた。
これは、最期だからではない。これから次の物語のために、思い残した記憶を、消し去っているのだ。
ーー私の次の人生をよりよくしたいから、か。無くなっても根底は変わらない。誰かの人生が私の人生を知り、何かに思い馳せ、私が生まれ変わった先でまた出会えるなら。それを人はなんと呼ぶだろうか。運命?いいや。歩いている路が重なっただけ。また会いたいと思えば、会えるのが世界のさだめ。私はそう思うことにしている。生きていることで、きっと前が見える。その時の悲しみがいつかは笑顔になる。手を差し出せないなら、無理をしない。見てくれている人が必ずいる。笑って欲しい。笑って、最期を見ていてい欲しい。難しいなら、私はそっと君の横にいるよ。死んだという事実も無視してね。
運河の流れを止めるものはいない。流れて、流れて。
『お前、一体どういうつもりだ!』
激しく誰かを罵倒する声が聞こえる。懐かしい。低く掠れた男の声。
『な、何をするんです?』
弱者の声を響かせながら、怯えるフリをする女性。
『お前、忠と関係を持とうとしたな。』
祖父の怒りが伝わってくる。祖父には祖母の行いを許せるわけが無かった。祖父にとって、祖母は愛する女性なのだ。時代が、時代で無ければ、祖父とて、忠を苦しめたいとは思わない。
「だから・・・。何だというのです?息子は望んで・・」
「馬鹿もの!忠は、迷惑だからと私に進言してきたんだ!お前という奴は・・・。」
祖父の拳は硬く結ばれている。怒りの矛先を探している。
「あの子が望んで・・」
「忠はお前よりも頭が良い。だから・・。お前のその気持ちが悲しみだと知っておるよ・・。お前にとって・・・。忠はただの道具か?私と同じように、ただの道具か?」
祖父は投げかける。自分に。
「・・・えぇ。そうよ・・・?あんたなんて、ただの道具。今だってもう何も出来ないじゃない?お金も、使い切ったでしょう?」
祖母は、ザブリエルは笑った。祖父の悲しみに暮れる姿がみたいがために。
「・・・。お前は何も分かっていない。孫の卓が生まれから、お嫁さんと喧嘩していたな?」
「・・・?何のことです?」
「お前の恥ずかしい発言だよ。卓はお前の息子ではない!お前は、忠を産んだあと、次に子供が産めなくなったのを忘れたか。」
「・・・な、なんのことです・・・?」
ザブリエルは驚愕したまま、言葉を失った。
「・・・。お前・・・。」
祖父は言葉を選ぼうとした。けれど、彼にはもう説明することができない。ザブリエルは咄嗟に側に落ちていたハサミを手にしていた。それが祖父の喉に突き刺さった。
ザブリエルは消したかった。自分の記憶から、どうしても消してしまいたくて。だから、それを教えた祖父を殺すしかなかった。
ーーあたしは、誰も、愛してなんか・・・
目の前の男性を愛した始まりの魔女は。愛する夫の子供を身ごもり、産んだ。彼女は、愛を知ってしまった。
そう。あのときと同じ。王妃となった瞬間。あのときも愛を囁きあった。けれど、ザブリエルは、最期まで知り得ないままにあの日、あのとき。夫を殺した。愛を囁いた夫を殺害することが、ザブリエルの魔力を戻す方法だと、勘違いした。
彼女は、出会っていたのだ。もう一度。今世で。たった今殺した相手は、彼女が亡くなった後に同じように今世へと流れた、あの、王子だ。
ザブリエルは、確かに微力の魔法なら使える。それは魔女の根底にある知識によってだ。そして、愛し合った二人がもう一度出会った。ザブリエルは理解出来なかったのだ。最初に愛した、本当にもう一度出会えた、唯一の相手。
ーー愚かな女。・・・?では、彼女はどうやって?どうやってあの地に・・・?
ディランは胸の中のざわざわしたものが徐々に運河の波を乱していった。
ーー魔力が残っていない。いや、転移の方法はあるだろうけれど。けれどあの中にいた。どうやって?私は・・・、私は!
ディランは胸が張り裂けるような不思議な感覚に陥った。生きていれば、すぐにでも調べに行くはずだ。
けれど彼はもう死んだ。もう来世を目指しているのだ。
ーーどうしても、どうしても行かないと。彼女以外の存在・・・。エイド・・、あの男は分かって招いた。そう。彼はそれを望んだ。彼の裏切り、か。・・・。来世がまともであることはない。
流れ、流れ、流れ。
先を知ることは、ない。けれど、ディランの新たな使命が、すでに彼の中で決まった。死者の記憶が消える。この運河はそうなるようになっている。
けれど、彼は、記憶を抱いたまま流れた。決して奪われないよう、彼の記憶を持ったまま。
やがて、ディランは新たな魂となる。行き着いた先で、彼は名前も変わり、風貌も変わった。
けれど、遺された最期の問題を解決しなければならない。彼の人生は一度終わっても、まだ続く。彼が、命の虎という姿の伝説であり続ける限り、彼はその足は、歩き続ける。未来へ向かって。
どんな問題も笑顔で。
「さぁ、ゆこう!」
彼は先陣を切って歩き出す。まだ見ない未来へ、明日へ。
あるこう かれのもとへ
わらっている ここだよ って
みてごらん たくさんのでんせつが
みたかい みたかい
われわれの だいちにあいを あたえてくれる
ほら ないてばかり
わらって きみは わらうと すてき
しらないことを しらないって
それも しんじつ
けれど おうは ぜんぶに 幸せを って
おわり? いいえ はじまったんだ
物語の 結末? いいえ これは、序章
新たな物語が、ページを開けば広がる。
「おじいちゃん!この先の話しを聞かせてよ!」
「あたしもしりたーい!」
エイドはそっと本を開く。結末なんてまだ描いていない。彼は、武器をおいてから、書き物を描くようになった。
それは愛する王に綴る、最期の言葉。同じ時代を生きた、たくさんの仲間達。それがやがて未来の彼に届くように。
「・・・、素敵なお話しを聞きたいかい?」
エイドはそっと書き終えた本を手にした。
「「やったぁ!」」
子供達は笑顔で喜ぶ。
ーー見せたかった景色。見たかった景色。俺のこの想いが続くのなら。どこかでもう一度、貴方のその背を守りたい。そして、もう一度愛する人と共に・・・。
子供達が描いた絵の一つ。笑う、愛する妻。その隣には自分と、ただ一人の王。
「おじいちゃん?」
「そうだね・・。
昔々ーー。遥か昔の話し。そこには美しい毛並みの虎が住んでいた。その背には大きな翼が。
ーーこれは、私だけが知った、伝説。彼のために書き記す。
新たな物語を、始める前に。
愛すべき者達にもう一度出会えるために。
ディランという伝説の終りを記す。
貴方が望む未来に、遺す言葉。
拝啓 ディラン
貴方に背き、魔女の転移を行ったのは私です。貴方がどんな反応をするか、考えながら書き記しておきます。
最初に断っておきます。これは、私の物語。貴方と交わった事も偶然ではなく、必然。貴方が城の裏手を通ることを見越し、あの場所にいた。私は、私の信念に基づいて行動し、この世界の母親の元で教育を受けていた。
私には使命がありました。魔女を討つ。これは私の生まれ故郷に残る、最も重要なこと。私は騎士であり、王に付き従う。そして、魔女は私が付き従うはずだった王を失わせた。彼の地にはもう、王はいません。
私は運が良かった。貴方という、新たな王に従い、本願だった魔女を討ち取れた。
貴方は、私を憎むだろうか。怒るだろうか。
私は、貴方を王だと、真実の王だと思った。そして、実際に素晴らしい王だ。私は、全てのことが終り、国に帰るつもりだった。けれど貴方という王から離れてしまうこと、そして私が一体何をしたのかを話せぬままに終わることの罪悪に苛まれ、残る決断をした。
貴方の知らない、貴方が見たことのない場所には、私はもう帰ることはない。この世界で生きて、死ぬ。
ただ、私は貴方に嘘を伝えた。私もまた、転移してきた存在。貴方が知る由もない、また別の異世界の住人。
ディラン。私の王よ。この世界も広いが、あまねく異世界には、貴方の知らない、貴方が知る必要の無い事実と、この世界にはもっと多くの異世界人がいることを、今後のためにも書き記す。
今世のために生き、来世のために亡くなった、王の中の王ディランの部下より。
書き記した物語を読みふけるのは、ディーン。彼は、この手紙を読み、知った。そして、今度こそ、大きくため息をつく。
「・・・終わったのか、始まったのか。どちらでもない、か。エイド。君の名前すら書いてくれていない・・・。」
ディーンは悲しげに、けれど満足げに笑った。
「そうか。そういうことか。彼のこの手紙が、私の新たな物語へと続くのか。」
ディーンは書物を読みながら、彼の心意が至る所にあることに気づいていた。それは、異世界を転移するための図式。遺された彼からの手紙には上手に隠されていた。それらを瞬時に読み解いたディーンが、ある意味では頭の良いあの葵衣なのだとも言えた。
「エイドはもうこの地で生まれ落ち、死んでいくという循環に入った、のか。私は、異性界にまで、手は出さない。が。面白い、とは思う。いずれ異世界の客人を招けるようにしておこう。私のような・・・。」
一人で呟いて、少しだけ頷き、全ての書物をしまい直した。
ーーもう頭に入った。二度と、彼の元へは戻らない。いや、彼が私の元には、か。
王は還り、また世界に勇気と笑顔を運ぶ。彼は知らない。世界が広くて、少しも飽きないことを。
また会おう、新たな異世界の住人達よ。




