つなみと絆
その日は、陽彩にとっては運命の日だった。大きな波が、全てを攫い、何もかもが手から消え、家族の愛が流されていった。
避難所の生活はもの悲しく、誰もが必死にもがいていた。悲しみを捨て去るのではなく、抱いて、それを乗り越えるために泣くのではなく、声をかけた。
寄り添うことも、間違いなく必要だった。陽彩が十五になったばかりで、次に通う高校生活もなくなった。失ったものが、それだけだったら良かったのに。
陽彩には、もう両親もいない。弟も失った。友達は、何人か生きていたけれど、それでも彼らは虚無の中、過ごしていた。
泣き出して、頭がおかしくなった子もいた。
ーー耐えろ、私。
陽彩はそうして、周囲を明るくしようと笑ったり、話したり。彼女の心は日増しに疲れていった。
そんなある日だ。皆が食事をしようと集まっている中。一人のおじさんが目に入った。外からみんなを眺めるだけで、何もしようとしない。陽彩は、何故か、彼から目が離せなかった。
陽彩はおじさんというジャンルがあまりよくないものだと、無意識に考えてあまり関わらないようにしていた節があった。けれど、彼は違った。死んだように身体を横たえているのに、目は精気に満ちていて、みんなのことを注視している。
何故か気になる。そして、いつの間にか声をかけに向かった。
「おじいさん!一緒に食事をとりましょう?」
わざとふざけるように言った。そう言ったら、貶されるかもしれない。そしたら他のおじさんと同じだと陽彩も考えるはずだった。
「・・・いつも元気に声がけをするんだね。偉いね。」
おじさんは、穏やかに答えた。少し微笑んで。
「・・・。食べようよ、ごはん。」
陽彩は何故か泣きそうになりながら、言った。
「君の分もみんなの分も行き渡ったら、もらうよ。大丈夫。」
おじさんはあくまで、最後に行くと言った。
「・・・。じゃあ、もし、足りなかったら、私と半分こしよう!」
幼い子供のように、陽彩は食い下がった。おじさんは、ただ、首を振った。
「生きるのは、若い子の勤めだ。ないなら仕方ないんだ。」
おじさんは、悟っているように伝えた。陽彩は首を振った。
「違うよ。物知りさんは若い人にものを教えてくれる。そう父さんが言っていたの。」
「・・・君のお父さんは、とても良く、物事を理解していたんだね。君の才能はそれを受け継いだ。受け継がれるために、君は・・・。」
そこで、ようやく身体をおこした。
「負けてしまったなぁ・・・。君の為に生きよう。私が君を立派にするよ。きっと驚くような人生が待っている。私は葵衣。とある会社の社長をしていたんだ。今はもう残ってない。だから、君の為に前を向いて、新たな人生を見せてあげる。」
彼はそう言って、陽彩と一緒に食事を採った。彼の話しはとても難しいのだが、とても勉強になることばかりだった。
陽彩やそのほかの学生達は、彼のまわりで勉強するようになった。彼は難しい話しをかみ砕き、無償で教えた。学校を諦めた子供達は、いつしか、彼から学び、徐々に自分で物事を知るようになった。
彼は朝に勉強を教え、昼には食事を共に採り、その後は彼が学んできたものを実際に見せてくれる。
彼は、建築関係や、物流、配管設備。様々な事を学んできたエキスパートだった。彼は言った。学ぶことができるから、生きていける。生きるために、学んだ。だから恐れなくて良い、と。
頭がおかしくなっていた子は、いつのまにか元通りになった。葵衣が見せてくれる学びが、彼女の心の救いになった。
そうして、徐々に子供達は大人になって、街の復興を手伝いに行ったり、外に出て、外から手助けをしたり。
生きる道はばらばらだった。でも、共通の言葉があった。
『葵衣先生の言葉で、生きていけるんだ』
葵衣は、陽彩を後継者と名指しで指名した上で、会社を設立した。手腕が確かな彼を社長と呼ぶのは何も不思議ではなかった。
彼が何故、ひとりで死を選ぼうとしていたのか。何かがきっと彼の心を支配していた。孤独のまま、消えたいと思い、それを実行しようとした。
それを、陽彩は止めた。陽彩は、彼を見ると、心臓が跳ねた。いつしか、恋心が陽彩を占めて、葵衣の隣に立つことが、照れたり、言葉にすることが難しくなったり。
そのたびに、葵衣は少しだけ困惑して。けれど、彼の心も何かが浮いたり沈んだりするようになった。陽彩が嬉しそうな顔をすれば、共に笑顔になる。
彼女の親代わりなんだと、なんとか、精一杯自分のこころを正そうとした。溢れるものが、留まらないことも、ある。
二人は、お互いを想いながら、仕事をした。笑い合ったり、語り合ったり。周囲の社員が、二人を近づけるようにそっと押したり。
二人が隣に立つことはなかった。
死が別つ。
葵衣の葬儀は、とても多くの人が参列した。行った事業は大勢の人々を幸せにした。
その中で陽彩だけが、抜け落ちてしまった。
愛していると言えば良かった。共に生きたい。
陽彩が望んだ言葉は、聞き届けられる。彼女の人生の終りに。
参列者の一人、阿東拓は、泣く陽彩を眺めていた。彼もまた、葵衣先生のおかげで人生をやり直すことになった一人だ。
彼は今、自分の人生をかけてやり遂げようとしている事業がある。そのために、最後に別れをしに来た。
しかし、陽彩が泣く部屋の前で立ち止まり、聞いた言葉が胸の中にあったものを再び思い出してしまう。
ーー俺が愛していると言えば良かった相手は、今、生きている。陽彩と違って、俺の相手はまだ、いる。
拓は、胸に沈めていた想いを、届けようと決意した。
ーー俺が事業で失敗しても、笑顔でいてくれる人。歩けるなら、彼女と。もう決めた。陽彩。ありがとう。お前もきっと、来世で会えるよ。あの人も、君を愛していたから。
拓はなんとなく心で呟いた。
阿東拓という人物は、よく言えば物腰柔らかで、察しの良い人物。定評はあるが、物事をしっかり見極めるまで、決して動かない。人は亀のようにのろまだと言うが、実際は、彼ほど速やかで、全てが一気に終わってしまえる人物はいない。
葵衣が拓という若者に伝えたことは、全て彼の持っていたものを少しだけ背を押しただけ。葵衣が実直に積み重ねていくタイプだというなら、拓は持っていた力を二倍以上の力でその先を示す。才能は生まれて持っていた人ほど、隠している。
恵まれた容姿であることも、拓の人生では大きく動かした。周囲の見る目は、見た目や先入観から入っていく。
眼差しや、その人の持つ熱量が、人より視線を受けやすく、気づかれやすく。葵衣はそういう拓だからこそ、出来ることがあると伝えた。
荒波が阿東拓という人生を変えた。一人では出来ないことも、大勢が集まれば出来る。彼の瞳に映る葵衣という輝かしい存在を、見つけた。
向く方向は同じだった。人を助け、人と笑顔になりたい。そこに偽善というものはなく、共に歩む者を集める。それができれば、阿東拓というたった一人だった、孤独の中で生きていた存在が、葵衣のように、輝いていく。
羨望を向けるに値する人物は、確かにこの世を去った。
心には永遠に生きる。
拓が行っている事業は、大勢が集まる集会や、祭り、あるいは大きな催しに関わる事業の運営だった。
部下には高利武信という優秀な部下がいる。彼の第一印象は背の高い無口な人。会話をすれば分かるが、かなりのシャイだが、思っている以上に軽口を言い、周囲が気づけば彼の話しに耳を傾ける、ある意味では周囲を巻き込むタイプ。
そんな彼を雇い入れた拓の彼への印象は、学生時代から変わらない、温かみのある人物。共に仕事をしていればよく分かる。人の目線に立ち、驕らないで変わらず気さくに話す。相手が何を考えているかを、二歩も三歩も先に考える。
「おい、拓!」
会社に戻ると開口一番、うら若き乙女で名を通しているマリィ草壁が勢いよく二階のセットルームから声をかけてくる。
「どうしましたか?草壁さん。」
「どうしたもこうしたもねぇ!今日があたしの命日だって、何でいわねぇんだ!」
マリィの口の悪さは教えてくれた先生受け売りだというが、実際はどうなのか。
「おや、マリィ殿の命日?というのは。」
そこへ、地下のラボに籠もりきっていた遠野博が出てきて、驚いたようにマリィを見上げる。
中央にある階段が三階まで貫く、変わった形の建物。そこが拓の会社だ。
「そもそもだな!あたしの命日にどこへ行きやがった!」
「・・・。私の恩人である葵衣先生の葬式に行っていたんだ。すまなかったよ、草壁さん。君の命日は明日だと勘違いしていてね。」
拓は心から笑いを噛み殺していた。そもそも、命日ってなんなのかを知っているのだろうか。
「へ?明日?」
「えぇ。年齢に相応しい数のろうそくをたてるつもりだったんですよ。確か・・・。」
「うおぉぉぉぉい!!年齢の分、ろうそくはいらねぇ!あと、うら若き乙女の年齢を暴露するんじゃねぇ!」
「そうですね。失礼しました。」
「マリィ殿の誕生日のことですか?」
ようやく、なんの話しをしていたのかを理解した博が大きくため息をついた。
「そうですよ。遠野さん。画像修正お疲れ様です。コーヒーいります?」
「いやいや。いらんですよ。あれは仕事終わりに飲むものではないんで。まぁ、マリィ殿のおちゃらけで目が覚めちゃいましたが。」
猫背の身体を大きく伸ばし、ゆっくりと階段を昇る。見た目は老けているが、鋭い眼差しや、肉体改造をある程度しているだろう筋肉がちらりと見える。年齢よりも若い彼は、この会社で古参の一人だ。特に武信とは違った、ある意味ではイケメンのおじさんである彼が拓と仕事をするようになったきっかけは、もちろん葵衣先生だ。古い友人だと紹介され、それがきっかけ。
話せば分かるが、彼はヲタクだ。マリィへの言葉遣いや、端々にヲタクの特徴が匂う。けれど、イケメンで筋肉への愛を語る。
ちぐはぐしているが、仕事への熱量もすごい。拓が信頼する仲間の一人。
「そうですか?草壁・・・。もういない・・・。」
マリィは気づけばいない。
「・・・最近どうしてマリィ殿は仏壇から出てくるんでしょうね?」
博は拓の横に並んで立つ。
「さぁ?亡くなったあとって幽霊なんですよねぇ・・。」
二人は冷静にため息をついた。
マリィ草壁は年齢はあえて伏せるが、二年前に亡くなった。あの日、あの大きな地震が原因で。自殺。苦しんで亡くなった彼女の仏壇を引き取ったのは拓だ。
マリィと仲が良かったとかではない。行き場のない彼女を引き受けた。気まぐれというにはぞんざいすぎるだろう。あえていうなら、『同じ苦しみの中生き抜こうとした仲間』という気持ち。
頑張ったな、という弔い。
そして、現在。どういうわけか。彼女はその仏壇から抜け出し、うろうろしている。現状は、この会社内でしか彼女はいられない。
最初こそ驚いたが、今ではもういるのが当たり前になっていた。
「そのうち還るだろうって話しをして、もう半年ですね。」
「ふふふ。その記憶を抹消させたいよ・・・。なんででしょうね?」
博は拓が原因だとは考えているわけではないが、よくよく考えても答えが出ない。こんな事象、どこへ行っても体験できない。ヲタク心をくすぐる出来事だ。
ただし、それはマリィが幸せならの話し。いくら幽霊でもきっと感情が伴ってここにいる。心残りというやつだ。
ラルフレン家の長男、フレミア・ラルフレンはその日も魔法の研究を行っていた。魔法学校卒業から僅か二年で魔法研究ラボの一つ、フレイムセンター室長に選ばれ、現在最も魔法学校専任学長に近い男と言われている。
その彼が、ラボで共に共同研究を行っていたシェア・リフィムとの実験に失敗した。
シェアは今も深い眠りについたまま。
ーーどうしてこうなったんだ?シェアとの計画通り、もう一つの青い星との路を造るために・・・。
フレミアは困惑と混乱と焦りを抱えた。けれども、彼女の計画は間違いなく上手く完成されていた。けれど、一方通行だという可能性を忘れていた。
路が相互だと勘違いしていたのだ。つまり、シェアは向こうへ行ったはず。けれど、肉体がここにある。
ーーどうすれば・・・。どうすれば・・・。
焦りが失敗を生む。だから、フレミアはシェアの様子を見るに留めている。
ーー・・・。
彼の実験は他にもあるが、この一つが手詰まりになった以上、動けない。彼が彼の性格上、周囲への配慮も怠らないために、父親であり、現在の魔法学校専任学長には報告済みだ。
シェアが今も魔法学校修了学徒であったから。
だから、彼の将来の路が閉ざされたかもしれない。それも踏まえて、フレミアは頭を冷静にするために、実験途中のものも、研究のための勉強も、すべてをみないことにした。
宮部明菜は、阿東拓という存在について、よく考えている。あの日、あのときから時が過ぎて、いつの間にか二人のあいだには溝ができ、遠い存在のようになった。傷ついたのは、お互いさまで、それでも距離を開けたのは、拓であり、明菜だった。
結婚まで秒読みのある日。
明菜の友人であり、拓の部下でもある高利武信と喫茶店で優雅にコーヒーを飲んでいた。
「明菜。一つだけ聞きたいことがあるんだ。」
武信は不意に思い出して、尋ねた。
「明菜の婚約者って、他に女がいるよな?」
武信は友人のために、秘密裏に裏取りをしていた。明菜が不幸になるくらいなら、結婚なんてさせたくない。それほどまでに、可愛い妹のような友人だと想っている。
「・・・知っているけど、気づかないふりをしているわ。」
「・・・相手が社長の息子だからか?そんなやつと結婚するのは・・」
「のぶ兄ちゃん。ありがとう。」
明菜は心底ありがたいと思っている。兄のように慕い、優しい彼が諭そうとすること。全ては自分のために。親が逝き、誰もいない中。
先生と、拓、武信。博とも知り合えた。こんなに温かな家族を持っているのは自分だけ。いずれは、独り立ちしないといけない。
愛する人ではなく、付き合い、プロポーズされた。相手の家族はみんな生きている。みなが家族になれるというが、裏では結婚してやると言っている。
明菜以外の女性と関係を持っている。それを公にしてはいないが、いずれはっきりする。
明菜は悲しいとは思わなかった。愛がないのに、結婚するんだ。そんなことで悲しみなど感じられない。
孤独だった。でも、いずれは。
「なぁ、明菜。俺と一緒に俺の会社で働こう。実は面白い事象が起きているんだ。」
武信が唐突に笑みを浮かべて誘う。
「・・・へ?」
「いいから。きっと楽しいぞ。」
明菜は驚きつつ、頷いた。拓と会うのは久しぶりかもしれない。
ウェインという音を立てて、会社の扉が開いた。
「よお、博。拓。ここで何しているんだ?」
二人は振り返った。武信と明菜だった。拓は一瞬、顔を曇らせたが、博は笑みを浮かべ、
「久しいですなぁ、明菜ん。博も丁度どこかへ行ってしまったぞ。」
「あれま。そうか。いつでも会えるだろうから問題ないだろう?」
「はははは。マリィ殿と会いたいということですかな?」
武信は大きく頷いた。
「あぁ。だから、これから明菜はここで働かせて欲しい。」
「えっ?」
拓があからさまに驚く。
「駄目か?明菜が働くのに問題でも?」
武信が強くきつめに尋ねる。
「い、いいや?わ、分かった。手続きはやっておく。」
拓は慌てていそいそと三階に向かう。
その時。
「おいっ!拓。昨日の今日で悪いが・・・。」
マリィは突然、一人の女性が現れ立っていることに気がついて、
「なんてこった!うら若き美女がこんなところにいるなんて!」
階段の中央で浮きながら留まる。
「・・・。」
明菜も驚く。透ける姿はどうみてもあれだ。
「・・・す、すごく可愛らしい女性のお名前をお聞きしても?」
明菜はやっとの思いで尋ねる。
「なんちゅうこと・・・!あたしの名前はシェア・リフィム。魔法学校修了学徒二年の超絶恵まれた魔法学徒さ。」
ここで、ようやく。マリィは名前を紹介した。今まで誰も名前を尋ねなかった。死んだ時の名前があるから。たぶん、その名前だと思い込んでいた。
「「「・・・へ?」」」
拓も、武信も、博も驚いて、同じように言葉を紡ぐ。
「ま、魔法、学徒・・・?」
明菜も目を丸くしながら、ちょっとだけ困ったように笑った。
「つ、つまり。シェア殿は転生し、その先でこちらとコンタクトをとる手段を模索したと?」
博は興奮気味にシェアと会話する。
「そうそう!でも帰れねんだよ、これが。実験は成功したかと思ったんだ
よなぁ。」
「ほうほう。ならば、わたくしも助力してもよろしいでしょうか。こちらでは、魔法といった力は使えませぬ。こちらから、帰るために電気を使うとか。」
博のノリノリとは裏腹に、拓も武信も明菜ですら困惑する。
シェアの話しがあまりに壮大で、現実感がかなりなかった。けれど。
「そうそう!ディラン様の教え子達と知り合えるなんてまさに奇跡!時間がねじ曲がりこちらに辿り着く可能性を、ディラン公王陛下は教え、遺してくださった。こちらの世界では、『葵衣』と呼ばれたと聞いている。」
それが、拓と武信と、明菜が現実だと理解させた。
シェアは語った。葵衣は世界を渡り、シェアの住む大地を美しくし、多くの民を先導し、世界を救った。
いわば神様のようだった、と。亡き今でも、彼をレジェンド・オブ・キングと呼び、その名は広く知れ渡っている。
彼が亡くなった時、彼のために、他国の神々がやってきて、お別れをした。葬儀は悲しみには覆われず、喜びと感謝を謳い、誰もが来世に出会う彼を待っていると伝えた。
拓はその話が本当なのだと思った。葵衣先生はどこへ行っても変わらなかった。転生先が、妖精やら魔法やらある世界には驚いたが。
こうして、目の前にその世界の一人がいて、彼女は戻りたがっている。
拓は決めた。
「みんな。分かっていると思うけど。」
「問題ありませぬ。私はもう、救うと決めておりますぞ。」
「俺もだ。葵衣先生の名をだされて、黙ってられるか。」
「私もお手伝いするわ。シェアさん。絶対に帰れるわ!ここには、最強の三人がいるのだから。」
明菜の零れた言葉に、拓が驚いた。武信はニヤニヤと笑い、博は大きく頷いた。
「そうなのか?」
シェアは三人を改めて見つめる。
「そうよ。三人はね。昔、時空を貫く装置を必死で考えて組み立てようと設計図まで書いた、本物科学者たちよ。実験する前に止めたの。葵衣先生と同じように、あの、つなみが原因で。」
津波が来る。誰もがそれを予想して、高い場所へ走った。歩けない者は担げる者が担いで。走った。
走って、走って、走って走って走って・・・・・・・・・
波は高かった。それは全てを連れ去っていく。生きていた者も、死にゆく者も。逃げ切った者も、失った大きさを噛み締めて。
これが、現実。流されていった全てが。
「逃げろ!次のがくるぞぉぉぉぉーーーーーーーーー!!!!!」
高台に登り切れていない若者に叫んだ。彼の足を、波が攫った。拓は張り裂けんばかりに叫んだ。逃げ切れそうだった命も、助けられずに、連れて行かれた。
「・・・・・・!!!!!」
叫びは、叫び声は、届かなかった。生きろ!魂の限り、生きるんだ。
拓の心に残った、救えない人間の数で苦しめられる彼を、葵衣先生は静かに諭した。
『君のその人々の数は、きっと君が生きるための年数になる。心が強い君なら分かる。人の命の重みは、平等で、助けられなかったのではなく、君が生きるために、前を向くための数だ。みんなが言っている。生きろ、と。』
葵衣先生は、そう言って、虹色の羽根を渡した。
『これは・・・。君の役に立つものだ。君が救えなかった存在を、他に救えるものへ、力を貸すんだ。その時、君は理解する。』
今も、その羽根は拓が持っている。その羽は、キラキラと輝いている。調べたが、どんな鳥とも違う、変わった羽根。
「明菜。・・・それで、今回は、その。」
拓はもごもごと、詰まるように話す。拓も明菜もお互いの溝を埋めることができない。本来なら、二人が恋人のまま、結婚という形になるはずだった。
親がいなくなり、二人にはどうすることもできない心の穴が出来た。二人は完成させるはずのピースをどこかに落としたまま、疎遠に。
「気にしないで。私がお願いしたようなものよ。それに・・・。婚約者の相手を気遣う必要もないって、知っているでしょう?私、婚約破棄も考えているわ。」
明菜は微笑んだ。彼も武信と同じように調べたはず。いや、武信に指示したのは拓だろう。彼は今も優しい。
「・・・それは。明菜の自由だ。俺が決めれることもでない。俺にとっては、明菜の幸せを願いたい。」
拓は、真剣な面持ちで明菜をじっと見つめた。
「・・・。そう、ね。」
「おう、二人揃って、なにしんみりしてんだ?」
突然壁から突き抜けてくるシェア。
「ふふ。シェアさんの言葉遣いって、先生受け売り、なのよね?どんな先生なの?」
明菜はシェアをじっと見つめる。彼女が戻れる方法をみんなで考えるとは言っても、本当にどう帰せるのか。
「あたしの先生?オルダン・ルトイットっつう先生なんだが、昔はエルフィンだったんだって言う変わり者でね。オルダン先生の魔法をみれば分かるけど。とんでもないほどの逸材なんだよ。たまに教室を崩壊させるから、みていて愉快爽快。」
シェアの嬉しそうな顔。明菜は釣られて笑ってしまう。
「とても素敵な先生なのね。私、魔法の世界に行ってみたいわ。」
「なら、死ぬしかないだろう?それは止めておけ。」
シェアが真面目な顔をする。明菜も素の顔に戻る。
「好きな奴の側から離れる必要なんて無いだろう?」
シェアは明菜の頭の上を撫でるような素振りをして急にいなくなる。
「・・・。」
残された明菜は、拓をじっと見た。拓もまた、明菜をじっと見た。
フレミアは、オルダンと共に、シェアの救出する方法を探った。どうしてそうなったのか、という点は明らかだが、帰ってこれない理由は別にある。
一方通行という可能性。それは向こうでは魔法という概念がないということ。つまり、いけたとしても、戻ってくる方法がない。
魔法使いができる一つに、転移魔法があるが、それでは何人の人間が犠牲になるか分からない。神獣達が集まってできる魔力量があってこそできるものだから。
今回の出来事が魔法学校に伝わって、もう二週間が経つ。フレミアは罰を覚悟していた。しかし、オルダンは彼を擁護している。魔法研究はそれほどまでに難しく、危険なこと。シェアはそれを納得した上で、フレミアと共に研究していた。
オルダンは知っている。シェアの憧れは好きと同一であると。フレミアを羨望の眼差しで見つめ、愛していると物語る瞳。
だから。フレミアは責められる必要は無い。今回、シェアだけが大変なことになっているだけましなのだ。これでフレミアも一緒だったら。気がつける者もおらず、もっと大事になっていた。
素直で実直なフレミアだけが残ったことに意味がある。
「なぁ、明菜。さっき、婚約者から連絡が来たんだ。」
「え?そうなの?」
明菜は驚く。連絡先は自分の携帯しか教えていないはずだった。
「あぁ。ここで働くことを先方に話したからな。それで。」
武信は、小さくため息をつく。
「君の結婚式は一時的に止めるとのことだ。こちらとしては、一時的ではなく、永遠に止めてかまわないと伝えたんだが。」
武信のわりと怒っている物言いから察するに、向こうの親御さんが何か言ったのだろう。
「・・ありがとう。式については、何一つ進んでいないの。式場は決めたって言われたけれど。私の望む会場ではないし。向こうの両親が選んだドレスも似合わないので断ったら睨まれて、それまでかな。」
明菜は現状を話した。
「・・だろうな。まぁ、正式に婚約破棄の準備は整っているから。明菜がサインしてくれたら、の話しだけど。」
「・・・そうね。サイン、するわ。」
明菜は武信を見る。武信は少し嬉しそうに笑った。
「明菜。ありがとう、な。」
お礼をいわれ、明菜は小さく笑った。
あのとき、明菜は、シェアの言葉が胸に刺さって。拓はこちらを見ていた。お互い、何も言わなかった。
別れが辛いことだと知っているから。それなら、死ぬ前に伝えられたら。
明菜には、これが何かの天授だと思った。いや、葵衣先生が亡くなったその時に何かを残してくれたのかもしれない。
愛とは、愛し合えることだ。明菜は、拓を今でも愛している。そして、宅がもし同じであったなら。
シェアと一緒に過ごして、明菜の固まっていた心が、少しずつ解けていく。彼女が明菜の心を解いていく。
ディラン・ジェクシムという公王を、シェアは知らない。けれど、様々なところでその名を聞く。有名な人。誰もがその名を聞けば、素晴らしい人だと言った。
シェアが魔法学校で教育を受けてから十年は経った。少なくともディランという公王が魔法学校でもその名を聞くほどには、彼が魔法への道しるべを作ったそうだ。
「オルダン先生もディラン王がすごいと思うか?」
「え?それはもう。あの人は俺の爺様が褒め称えるほどだったから。魔法について知らねぇ子供達に魔法を教えていたよ。」
「へぇーー。つぅか、ディラン王ってどんな人だったんだろう?凄い人ってのは分かるんだけど。」
「有り体に言えば、ただの人だったってさ。まぁ、伝説っちゃう神様でもあったんだが。」
そんな会話をしていると、フレミアがシェアを呼びに来た。
「シェア。そろそろ来ないのか?」
オルダンは視線でシェアを促す。シェアはにへらと笑って、
「そうだね。じゃ、行ってきます。」
と、オルダンに手を振った。オルダンは二人をじっと見つめて見送った。
ーー結ばれるかはフレミア次第か・・・。
博は、シェアと会話していた。
「つまり、魔法でこちらにきて、魔法で帰るつもりだった、と。」
「おう。そうなんだよ。」
「こちらでは、魔法は使えないという罠があったんですな。」
「うむうむ。」
「だとしたら、電気がやはり使えそうですな。」
「高圧電力を流す?」
「まぁ、幽霊なのかどうかも微妙ですからなぁ。肉体はあちらにある、と。」
「あるでしょうね。向こうの世界ではフレミアが保護してくれているはずだし。」
「フレミア?」
「あ、え、えーと・・。」
シェアは照れたように顔を隠す。その時、博は頷いた。
「うんうん。恋ですな。では、なんとしても戻らねば!」
「え、えーと。頼むぞ。」
「もちろんですぞ。」
博は笑って頷いた。博にも、妻がいる。彼女は同じヲタクで、今もラブラブだ。二人で推しの買い物へ行ったり。幸せそのものだ。周囲が認めなくとも、武信と拓が幸せだな、と言うだけで、いいのだ。
明菜と拓は書類整理をしている。三階には事務と共用のワークスペースがあり、小さな会社ながら、売り上げは徐々に上がっている。
「ところで、明菜。」
拓はちょっとだけ詰まりながら、言う。明菜は顔を上げる。
「今度・・・、一緒に食事に行かないか?」
明菜は少しだけ驚いて、頷いた。
「えぇ。行きましょう。」
「明菜の好きなものって変わらないか?」
拓は少し安心して、尋ねる。
「うーん・・。魚とかがちょっと苦手になったかも。」
「・・・それはそうだな。」
拓は頷いて、何か考えてから、
「じゃ、軽めの洋食屋へ行こう。」
と、微笑んだ。
魚は元婚約者の会社や両親が生業にしている。拓はそれを即座に理解した。
二人の関係は、少しだけ修復される。
武信が用意した婚約破棄の手続きが終り、向こうの家は示談という形である程度のお金を渡そうとしたが、武信と拓が一切許さず、慰謝料を払わせた。その後、会社自体が傾きつつあるという風の噂を聞くが、今後関わらないその人々に目を向けることはない。
フレミアは妹のリンダと共に食事をしていた。魔法学校中等学徒に在籍する彼女と食事をするのは久しぶりだ。
リンダが誘ってきた理由は、シェアの話しだけだろう。リンダも、兄の状況がとてもまずいことは、周囲から噂で聞く限り、断言できる。
一人の女性徒を危険に満ちた行為に置かれさせた。
魔法学校では、緊急会議が開かれ、今後の実験等を一時休止となった。シェアの肉体は現状維持を保たせている。
リンダは兄の監視を頼まれていた。兄の優秀さはもちろん知っている。けれど、少人数での実験は危うさがあることを、知らないとは言わせない。
「それで、兄さん。話すことは一つだけよ。」
「・・・。そうだな。」
フレミアは小さくため息をついた。
「罰はないって聞いているの。だけど、兄さんへの学位取り下げも検討中よ。もちろん、再学習も含まれているわ。・・・それまでにシェアさんが戻る可能性はないでしょう?」
リンダの言葉はきつめではあるものの、いろんな意味で甘い。リンダの心境では、兄を悪く言うことができないからだ。
少なくともラルフレンの一家の一人で、その名を受け継いだ家系は正当な家と言われている。その他の魔法使いの家系も紐解けばラルフレン一族に辿り着くが、全てが分家と言われるほど、多くの魔法使いが誕生した。
これはディラン公王の意向が強く、またマイケル大統領による長年の努力による。二人の偉人は、魔法学校の歴史に大きく根付き、今もまさに彼らをモチーフにした銅像が建とうとしている。
その時、わたわたと走ってくる若者がフレミアのもとに駆け寄ってきた。
「ふ、フレミアさん!目覚める可能性が出てきました!」
フレミアは立ち上がった。
「兄さん?駄目よ、今行ったら・・・。」
リンダは引き留めようとしたが、フレミアは急いでシェアのもとへ向かった。
博が考え抜いて出した内容をコピーし、他の三人に手渡して説明した。
「と、いうわけで。磁場を使って彼女の肉体への返還を行う。調べても、やはり電気を使うことが良いみたいですからなあ。」
「・・・まぁ、セオリーなんだろ。幽霊だし。或いは幽体離脱した魂、か?」
武信は頷いた。
「上手くいくといいですね?」
明菜は楽しそうに笑い、留まるマリィに視線を向ける。
「そうだな。あたしは何をされるのかドキドキのわくわくなんだがな!」
マリィはもとが科学者気質があるため、自分を対象にした実験を恐れてはいない。それが今回の事件を引き起こしたのだが。
地下にある博の部屋は、高度な実験が可能な部屋になっている。そこへは、マリィも初めて入った。
「ビリビリするな、この部屋は。」
マリィは呟く。博は頷いて、
「なるほど。でしたらやはり電気を介する実験が一番良さそうですな。すぐに準備しましょう。」
「きゅ、急に始めるのだな?」
マリィが少しだけ不安そうに言う。それに気がついている博が、まったく別の話をはじめる。
「・・・私が考えていることなので、違うと思うならそう言ってくださいますかな?」
博はマリィの瞳を見た。
「マリィ殿は、異世界の元の場所に、恋する者がおりますな?」
「・・・あ、あぁ。」
マリィは驚いて、小さく頷く。
「ならば、帰りたいであろうことは、よぉく分かりまする。これは、この世界で起きたことですがな。」
「お、おう。」
博は会話をしながら装置の準備を進める。手を休めない。
「以前。遠くにいた恋人と連絡がつかずに困っていたことがありましてな。けっきょく、彼女は亡くなっていたんですよ。・・・武信の話です。私は結婚できて、幸せではありますが、友人の辛そうな顔は今も心に残っておりますゆえ。」
マリィは頷いた。しばしのあいだ、この会社にいたから。三人はそれぞれの悩みを抱えていた。
「そうか。悲しいのは、本人だけではないのか。」
「それはそうですよ。マリィ殿は、愛する者の場所へ一日でも早く戻れるのが、私の仕事でする。」
博はにっこりと笑った。マリィは自分の居場所を思い浮かべる。
バリッ、バリバリッ
とても大きな音がなる。響いてこないが、突然どこかが裂けるように、空間が破れた。
『シェア!』
破れた向こうに、外国人のような容姿の男性が焦って声をかけてくる。
「フレミア!」
マリィは破れた向こうに飛びかからんばかりに前のめる。
『そ、そこは大丈夫なのか!?』
「貴殿がマリィ殿の恋人様であるな?」
博が少しだけ遠くから、それを眺めて尋ねた。
『あ、あなたは?』
「これから、マリィ殿を帰還できるよう助力させてもらいまする。そちらでも態勢を整えくだされ。」
『!!!!』
向こうの世界がゆらゆらとゆがみ始める。
「マリィ殿。いくであります。」
博は、機械を操作し始める。室内が、キラキラと壁に光を反射させる。
「ま、待ってくれ!みんなと別れを!」
「マリィ殿。みな、ちゃんと見ておりまする。この部屋にいると危険ですからな。別室でみておりますゆえ。別れなど、今度会うときに必要であれば言いますゆえ。」
博は笑っている。おそらく本当のことだ。
「マリィ殿が新たな世界で幸せになってくれることだけを、祈っておりますゆえ!」
博の言葉が、反響し、マリィは、シェアという元の身体に戻った。
「プハッ!ここは・・・。」
いつものラボの一室。ベッドの周囲にはたくさんの人々が集まっていた。
「フレミア!戻ってこれたぞ!」
フレミアは隣に座っていた。そして悲しそうな顔をして頷く。
「・・・。なぁ。あんたら、フレミアに何かしていたのか?」
フレミアの周囲にはラルフレンの一族の人が囲っていた。これから、フレミアの懲罰が言い渡される。
「・・・。そうか。そうなんだ・・・。あたしは、向こうの人たちの言葉を忘れない。だから、こっちでも有効だと思ってんだ。」
シェアは魔法を使った。見たことのない、魔法。驚いたラルフレンの一族は、手が出せなかった。
シェアが使った魔法。電気による強い電撃だった。死に至らしめるほどの力はない。けれど、新たな魔法を生み出したシェアに魔法学校は頭を痛めるしかない。
彼女はフレミアの罰を無かったことにするよう、伝えた。魔法学校はそれを飲むしか無かった。攻撃魔法を作り出したシェアに太刀打ちできないという事実と未知の魔法を持ち帰った功績を称えた方が、後々良い方向へ向くと、考えるしか無かった。
また、フレミアに関しても、重大な問題として扱えるほど、本来は問題では無かった。ことが大きくなってしまった理由が、魔法学校専任学長という役目を担う可能性のある一人だっただけだ。
フレミアは自分がその大役を務めると一言も言っていないにも関わらず、周囲が勝手にもちあげ、問題を大きくした。
現学長は、それを認識していた。にもかかわらず、それを許した。学長は任を解かれることになった。問題の大きさを理解していなかったのだ。特に小さなラボが実験を失敗することぐらいよくある。学長が父親だという理由で、周囲が彼の甘い判断を許さないようにしていた。
けれど、学長の物差しもおかしかった。自分を守るために、息子を切ろうとした。
そういったいくつもの理由が重なった。
「明菜。君が側にいなかったとき、私は自分を愚かだと嘲っていた。」
拓は、花束を差し出し、明菜に言う。
「君が苦しんでいることに耐えきれず、君の婚約者を調べたり。馬鹿だと言っても言い。」
「・・・。」
明菜は拓の言葉を聞いた。一つ残らず聞き止めようと。
「君が好きで、ずっと好きで。でも距離をとった。怖かった。君も失う事になったらと。馬鹿だよな。好きなら、好きだと伝えて、一緒に暮らそうと言えば良かったんだ。」
「・・・うん。」
明菜の頬に光が伝う。
「好きだ、明菜。君となら絶対に幸せいられる。君を苦しめる者は全て消し去るよ。愛している。結婚して欲しい。」
拓の言葉は最後、震えていて。
「・・・はい。私も愛している。ずっと、ずっと・・・。」
二人の想いはこうして結ばれた。ひょんなことから異世界からやってきた少女が、何やら赤い糸を結んでくれたらしい。
どこにいても、ディランという公王は、人を幸せにしなければ許さないようだ。二人の愛が結ばれるように、死んでなお、活躍している。
一方のシェアとフレミアも婚姻し、結ばれた。二人の愛もまた、揺るがない。彼らは、向こう側の人々のことを語らった。まるで夢物語だったとシェアは言う。そして、かならずどこかで会えると、信じた。
現代を生きる人間達は、つなみを乗り越え、新たな家族や未来を歩んでいる。一方で、異世界の伝説達や、嵐の神は次世代の若者達の手によって、新たな国へと変化しつつある。
この先、異世界と現代が交わることは・・・ない、とも言えない。
葵衣が死んで、ディランという公王が異世界と橋渡しになったとしたら、それは新たな冒険の始まり。
さぁ・・・、次は貴方の町に、異世界から訪問者が来るかもしれない。出会ったら、必ず訪ねて欲しい。
『ディランという名の王は知っているだろうか』、と。




