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12.徹夜明け

 その日も無事に朝を迎え、さっそく森の深部に向けて出発しようと馬に乗った時、ダンテは肝心な護衛の姿が一人、見えないことに気が付いた。


「エルーカはどこだ?」


 従者たちに辺りを探させるが、見当たらなかった。案内人のマイニを含め、他の面々はそろっている。しかし魔法使いがいないのでは森の奥に進むことができない。


 程なくして、少女の元々のツレである青年が、茂みの向こうから彼女を背負い戻って来た。

 一瞬逃げられたかと焦ったダンテは胸をなでおろす。


 当のエルーカはまだ寝ている。


「おーい起きろ。今日も魔物どもを蹴散らしてくれよ」


 声をかけるも、エルーカの反応はない。

 するとアスラクのほうが、急にへらへらし始めた。


「実はその~、どうもこの子、昨日は一晩中遊んでたみたいで」


「なんだと?」


「いや俺は寝かしつけたつもりだったんですけどね? 近くによっぽどきれいな花でも咲いてたのかな」


「・・・神の森で夜遊びできる度胸はうらやましい限りだが」


 ダンテは嫌な予感がし、自然と早口になる。


「だがこいつは三晩寝なくてもいいと言っていたよな? あと一晩は平気なはずだろ?」


「いや~それが~、森に入る前にすでに一晩寝てなかったんすよね」


「嘘だろ・・・三晩寝なかった後はどうなるんだ?」


「ご覧の通り爆睡してますね」


「エルーカおい!! 起きろ!! 頼むから!!」


 ひとしきり周囲から怒鳴られ、揺さぶられ、頬をつねられた結果、エルーカは少しだけ瞼を上げた。


「眠いのにごめんなー、エルーカ。もう少しだけ起きてられるか?」


 アスラクに請われても、ダンテに叫ばれても、眠気は簡単に拭えるものではない。


 妖精の国で暮らしていた頃からエルーカは睡眠欲だけは失くさず持っていた。三日経つ前に眠れば一晩で平常に戻るが、それを過ぎると三日分の眠気が一気に襲い来て、ほぼ一日中動けない。エルーカが誕生日にもらった魔法は、もともとそういう制限がかけられているものであった。


 そうでもなければ、エルーカはいつまでも遊んでしまう。それはさすがに困ると父妖精が兄姉たちに訴えたためだった。


「・・・」


 エルーカはアスラクの肩に顔を突っ伏した。

 彼女が作った土の壁は一晩で自動的に魔法が解け、もう消えており、今のところ非力な人間を守ってくれる魔法は何もなかった。


 ダンテはしばし眉間を押さえて天を仰いでいたが、間もなく頭を切り替える。


「マイニ。今日、俺たちの行く先で最も脅威となるものはなんだ?」


「――サンザシの魔物」


 離れたところから、案内人の少女が答えた。


「サンザシの木にとりついている魔物は匂いで人を惑わし、自分のもとにおびき寄せて殺します。松明を燃やしたり、匂いを紛らわせるものを持って歩けば惑わされません」


「わかった。おい松明を用意しろ。マイニ、他にはあるか?」


「・・・特に凶暴な魔物はほとんど昨日のうちに倒されましたが」


「なんだ?」


「普段なら、あまり姿を見せない魔物も今はなぜか攻撃的になっています。私たちの知らない動き方をするかもしれません。また、一所に長く留まることで魔物が集まって来る可能性も」


「とにかく進めというわけだな。それでいい」


 ダンテは無理やり笑みを作った。


 結局彼らは前進を選び、隊列を組み直して出発した。

 魔物の執拗な襲撃とエルーカの活躍の結果、護衛は数を減らしつつもいまだ無傷の者が多い。突如盾を失ってしまったことは誤算であったが、まだ余力は十分残っていた。


 一時戦線離脱したエルーカのことは引き続きアスラクが背負い、後方から付いて行く。

 

「なあ、エルーカ。ほんとに起きないのか?」


 あまり笑えない状況であるにもかかわらず、アスラクはどこかおもしろがるような口調で、眠り続ける少女へこっそり呼びかけた。


「このまま起きないなら、今日で全員死ぬぞ?」


 夢うつつの声は子守歌のようで、触れているところから人の体温が感じられて気持ち良く、エルーカはどんどん深い眠りに落ちていく。

 アスラクが何を言っても、もう聞こえなかった。


「そろそろお暇する頃合いかねえ。エルーカもそう思うか?」


 揺られるままにエルーカはこくこく頷いていた。



 *



 魔法の起こす衝撃音がしなくなった森の中は、一層暗く不気味な場所となった。


 多くの松明に火を灯し、煙の臭いに包まれ探検隊の一行は進む。皆、口数は少なく緊張感が常に付きまとい、周囲を油断なく警戒する。


 サンザシの匂いは、今のところ感じない。

 そもそも今は花も実もないはずの時期である。


「・・・」


 後方の風下にいたアスラクは、少し身をずらして煙を避けた。


 するとその時、誰か、と呼ぶ声がかすかに聞こえた。


 それは風音に紛れそうであったが、何度か繰り返していたため、やがてもう幾人かの耳にも届いた。


「人間の声か?」


 魔物はあらゆる方法で人間を惑わす。

 それゆえダンテはまず疑ったが、案内人のマイニは肯定した。


「こちらに向かって来ています」


 彼女の言う通り、声は徐々に大きく、複数聞こえるようになり、間もなく木々の暗がりの中から走り来る別の探検隊の人々と、その頭上を追い越して伸びる蔓が見えた。


 最初に探検隊を襲った緑の蔓とは異なる。それよりはずっと細く、黒く枯れたように乾いており、ミシミシと軋む音を立てていた。


「うわあ!」


 誰かが腕に絡んだ蔓を振り払うと、黒い蔓は容易く折れる。だが足に絡まれた者は転ばされ、森の奥に引きずり込まれた。


 ダンテは腰に備えた短剣を抜き、自らで蔓を払う。先に逃げてきた者を見やれば、意外にも見知った顔であった。


「お前らフラッグ商会の連中だな! この先に何がいる!?」


 商売敵というほどでもないが、あまり彼の家に友好的ではない試練の競争相手。厚いコートを着た、身なりの良いフラッグ商会のラニエロ・フラッグの腕を捕まえ、ダンテは怒鳴りつけるように尋問した。


「し、知らない! この蔓が急にどこからともなく現れて・・・」


「くそっ、マイニ! これはなんだ! マイニ!!」


 案内人の少女を呼ぶも、混乱の中、彼女の姿はどこにも見当たらない。すでに奥へ引きずり込まれた可能性もある。


 一方で、黒い蔓の複数がアスラクを執拗に追いかけていた。


「なに、なに、なに!?」


 エルーカを背負っているため、弓も何も使えないアスラクは、素早く木々の間を縫い、巧みに追っ手をかわしているが、蔓はあらゆる方向から迫り、逃げるほどに数が増えてゆく。


 他の人間も襲うことには襲っているが、黒い蔓には明確な優先順位があるようだった。


(・・・もしかして)


 背負っているものをちらりと窺う。

 エルーカは激しく揺られても眠ったままだ。


 アスラクはエルーカをその場に落とした。


 すると黒い蔓は走り去るアスラクを追わず、倒れたエルーカを包み、持っていってしまった。


 同時に、周囲で暴れる他の黒い蔓も引き下がってゆく。

 まるで目的のものを見つけ、もうアスラクらには用がないとでもいうように。


「・・・」


 このことは一体どういう意味を持つのか。それまでの軽薄な表情を消し、アスラクは無言で黒い蔓を追った。


 相棒の背から蔓の繭に寝床が移った後も、エルーカは眠っている。ただ、少しだけ夢に現実の匂いが混ざり始めた。


 甘い、サンザシが香る。


 地下世界にはなかった、エルーカの知らない香りだ。エルーカを包んでいた黒い蔓が解けると、その辺りにはサンザシがいくつかまとまって生えていた。


 まだ花も実もつかない時期であり、実際、そこのサンザシの木は芽吹いてもいない。


 甘い匂いを発しているのは、裸の木に長い尾を巻き付けた、猫のような大きな魔物であった。


 黒い体に白い斑点がある。顔の半分以上ある真っ黒な目は光を映さない。涎を垂らす大きな口からサンザシの香りがするのである。


 猫は黒い蔓の運んできた人間を、虫を食むように喰らっていた。


 黒い蔓はサンザシの木ではない。猫の魔物の一部でもない。エルーカは逆さに吊るされ、枯れ木のような妖精に覗き込まれていた。


「――どんな願いも叶うなら、私はお前の死がほしい」


 夢の中でエルーカは友の声を聞いた。


 放り投げられた体に猫が反応して前足を伸ばす。


 だがその爪が掠める直前に、矢が前足を射た。


 エルーカは暴れた猫に弾き飛ばされ、遠くに落ちた。射手はこれまで一度も弓を使わずに温存してきたアスラクで、転がる少女を真っ先に回収する。


「囲め!」


 入れ替わりに、追いついたダンテと護衛たちがサンザシの魔物へ火矢を射た。猫は避けたが、黒い蔓を伸ばしていた枯れ木のほうは燃え、苦しげな悲鳴を響かせる。


「―――」


 アスラクに抱き起こされた時、エルーカはうっすら目を開けた。


 今が夢か現実かはわからない。だが何か、知っている誰かが助けを求めている気がし、ぼんやりした視界の中で暴れている毛玉らしきものを見て、あれがその誰かの敵だろうかと思った。


「エルーカ?」


 指先を振れば、鋭い衝撃が走る。


 アスラクの肩越しにエルーカが放った魔法は、魔物の体を縦三つに分割した。


 サンザシの香りを濃厚にまき散らしながら、魔物は塵となって消える。


「エルーカ? 起きたのか?」


 アスラクが一度下ろして確認するが、エルーカは再び目を閉じた。まだ眠気は取れない。


 魔物の脅威は消え、攫われた探検隊の何人かは無事救出された。その中には、なりゆきで合流しているフラッグ商会のメンバーも混じっている。


「本当に助かった。恩に着るダンテ・ロヴェーレ」


 フラッグ商会の身なりの良い男、ラニエロが心から感謝しているように頭を下げた。


 ダンテはその男の鼻持ちならない性格を多少なりとも知っていたため、この素直な謝辞を意外に感じたが、それだけ恐ろしい思いをしたということなのだろう。


 試練の競争相手であることはいったん忘れ、ダンテは朗らかに相手の肩を叩いた。


「まあ、お互いこんなところで死ぬわけにはいかんだろ。てっきり俺たち以外は引き返したもんかと思っていたが、そちらはまだ挑むのか?」


「いや。もう戻る。魔物に荷をほとんど取られ護衛もはじめの半分になってしまった。これ以上は進みたくとも進めない。そちらはまだ挑めるのか?」


「ああ。こっちには最強の護衛が付いているからな」


 訝しむ相手に、ダンテはサンザシの木に寄りかかって寝ているエルーカのほうを目線で示した。


「寝ぼけながら魔物を殺せる頼もしい魔法使いを雇っている。一日中寝てたんだし、そろそろ起きるだろ。遅くとも明日には。起きるはずだ。たぶん。きっと」


 まだぐっすり寝ている少女の姿は不安を煽るが、ダンテはあえて楽観的でいるようにした。少女のことはツレの青年にまかせ、話を戻す。


「しかし、森を出るにしても今からでは遅いだろう。じきに日が暮れる。今夜は俺が面倒を見てやるから明日帰れ」


 すると、ラニエロの頬がぴくりと震える。


 しかしすぐに笑顔を作り、ダンテの純粋な親切心に再度感謝を示した。


「あなたこそ神のようだダンテ・ロヴェーレ。この恩は一生忘れない」


「そうか? 明日にでも忘れそうな顔に見えるがな」


 ダンテは自分で言って陽気に笑い飛ばした。

 その頃に、どこにもいなかったマイニが木の影から現れた。


「ああ、やっと出てきたか。お前は毎度毎度逃げるのが誰よりも早い」


 雇い主の嫌味にもマイニの表情は変わらない。


「・・・野営されるのであれば、この辺りがよろしいでしょう。大きな魔物のいた場所は縄張りになっているので、他の魔物はあまり近づきませんから」


「わかった」


 ダンテも無反応な少女にこれ以上絡むのは諦め、さっさと従者たちへ野営の支度を命じた。


 エルーカが目覚める前に、やがてサンザシの香りは消え、枯れ木は燃え尽きた。

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