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畿内制圧戦

 延暦一三年、おおよそ七五〇年ほど前に平安京として今の都が定まった。応仁の乱によって町並みは焼き払われ、内裏の築地もそこかしこが破れて近所の子供が入り込む有様であった。

 先年の上洛の際に、上京を中心に復興を行った。しかし庶民の暮らす下京はまだ手が入っていない。

 施餓鬼を行いはしたが、焼け石に水といった様子であった。

 三好の統治でも同じく施餓鬼をしていたと聞き及んでいるが、根本的な解決に至っていない。

 街は焼け落ち田畑は荒れ果て、それでも都ならばと流民たちが集まってくる。そしてただでさえ少ない食をめぐって人々が相争い、治安の悪化を招いている。


 三好勢が都の郊外に陣を敷いた理由もそこに起因する。洛中ではそもそも兵糧の維持ができないほどの状況なのだ。

 故に、洛外の拠点に補給を頼ることになる。

 あえて洛中を明け渡し、織田軍の疲弊を招こうとしたのであろう。遠く美濃より近江を横切って遠征しているのだ。それも来る途中で一切略奪をしていない。

 であれば国元から食料を運んでおり、その兵站にかかる負担は相当のものになる。

 

 と考えるのは織田の軍政に慣れてしまっているからであろう。あやつらの考えはもっと雑で、わずかな食料を住民から奪うことで治安が悪化する、程度の考えであったようだ。

 そもそもこちらがそういった狼藉を一切禁じていること自体を認知していなかった。


 御所様は武衛様と共に武衛陣に入る。周辺の建物を借り受け、護衛の兵を配すると、洛外の開いた土地に陣屋を築いた。

 そこには膨大な量の物資が集積されていく。数か所に渡って築かれた陣屋は、万の兵を収容し、同数の兵を一年養えるほどの食料が運び込まれた。


 拠点を得て遠征の疲れを癒した織田軍は、一斉に洛外に陣取る三好の兵と戦いを始める。

 

「かかれ!」

 殿の命で儂は美濃衆を率いて勝竜寺城を攻めた。岩成主税介が籠っておるが、急な進撃によって奴らは横の統制がとれておらぬ。

 放った使者の首が城外にさらされると、援軍は来ないと悟った岩成は即座に城を捨てて遁走した。

 美濃衆の一人、坂井右近政尚は逃げる敵を追撃し、五十の首級をあげて殿より賞された。

 坂井の一子、久蔵は小姓として殿に仕えており、この戦闘の折には父の政尚の側にいて、矢を放って敵兵を射抜いたという。

 

 勝竜寺が落ちたと知れ渡るや、三好の一党は山城を捨てて逃げ出した。当主たる長慶は飯盛山の城にこもって機をうかがう。

 

 そして、三好一党にとって最大の悲劇が訪れた。

 摂津の交野において、三好一党とのいくさにおよび、織田の大勝となった。そのさなか父を逃がそうと殿軍にあった嫡子の義興が討ち死にする。討ったのは美濃国人の仙石権兵衛であったという。もともと病がちであった長慶は飯盛山の城に逃げ込んだのち、頓死する。

 当主と跡継ぎが不在となった三好一党は混乱に陥った。

 先年には最も頼りとする弟たちが相次いで戦死しており、基盤が揺らいでいたこともあった。

 飯盛山は和議によって開城し、織田に明け渡された。

 そして摂津守護の池田勝正は城を明け渡し降る。高屋城の三好長逸も城を捨てて堺へと下がった。

 飯盛山での和議はあくまで開城の交渉のみで和睦がなされたわけではない。そもそも互いに将軍を担いでおり、その名分がなくなるまで戦いを終わらせることもできない。

 高屋の西で堺より出撃してきた三好勢を鎧袖一触で蹴散らす。このいくさで三好の柱石であった安宅冬康が討たれる。

 堺はそのまま織田に降り、岸和田より三好一党は本拠である阿波へと逃亡した。

 淡路を攻めるにも安宅水軍は当主が討たれたことで復仇に燃えており、九鬼や佐治の水軍は紀伊半島を越えての遠征は難しい。ここでいったん三好への追撃は取りやめられた。

 京の南、大和の国では興福寺の後援を得て筒井一党が郡山城で挙兵する。形勢の不利を悟った松永久秀は、単身上洛して殿に降った。

 信貴山の城を攻めていた筒井は背後に織田の援兵が来たことで攻撃を中断し、そのまま織田に降る。

 当地で降った国人土豪らを陣営に加え、織田の兵力は六万を数えるほどに至った。


「お殿様、これ以上人が増えると厳しきことになりゃあす」

「五郎左、藤吉郎を補助せよ。あとひと月持たせればよい」

「かしこまってございまするに」


「丹羽様、兵の数が増えるとは聞いておりましたがなん。おそがいばかりに米が減るのだで」

「うむ、ところでのん。藤吉郎はすでに儂と同輩だで、様付けで呼ばれるはちと居心地が悪いでや」

「う、うむむ。しかし儂を引き立ててくださったり手助けをしていただいておりますがのん……承知でや。加勢ありがたきことでなん、五郎左殿」

「おう、任せおくがよからあず。米五郎左の異名はこういった時に使うものでなん」

 ちなみに、五郎左は殿の偏諱をいただき、嫁は殿の妹御に当たる方であった。

 儂と同じく一門衆に連なるものとなっておる。


「決めたでや、儂はもっと出世して、引き立てていただいた殿や権六殿、五郎左殿に恩を返すでなん」

 此度のいくさで箕作山の城を落とす功を立てておるし、先だっての上洛では京の町衆の人気も高い。

 働きは抜群であって殿の信も大きい。

 すでに儂に対しての恩と呼べるものは十二分に返してもらっておると思うが、本人が励みとするのであればそれはそれでよかろう。


 こうして上洛してよりひと月の内に、畿内の勢力図は大きく塗り替えられた。近江、山城、摂津、河内、和泉、大和がほぼ斯波の勢力下にはいる。

 武衛様はそのまま管領として武衛陣に入り、御所様の補佐をすることとなった。

 御所様のお側には細川與一郎をはじめ、三淵晴員、一色藤長、京極高吉らの幕臣が侍る。

 しかしそれだけでは幕府の政務が滞ることもあり、武衛様のもとに人が配された。


「はあ!?」

 藤吉郎が武衛様付きに任じられた時の第一声である。

 ほかには、明智十兵衛、村井貞勝ほか、吉良五郎様、勘十郎様が京にとどまることとなった。

 

「権六は観音寺の城主を命じる。長光寺に佐久間久六を入れよ。日野の蒲生は貴様の組下とせよ。また安土には中川重政を入れるでや」

「は、ははっ!」

「京と美濃をつなぐ最も重要な役割じゃ。心して勤めよ」

「かしこまってございまする」

 

 こうして足利義輝公が再び京の主となり、斯波、ひいては織田の勢力下となった。

読んでいただきありがとうございます。


ファンタジー戦記物です。

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