畿内情勢と武田の滅亡
殿の宿泊所として、妙覚寺を当てられた。彼の寺は日蓮宗の本山であり、守りが堅かったことと、法主が殿の義弟に当たる日暁殿であったことが大きな理由であろう。
甥にあたる竜興殿は、妙覚寺にて学問を修めることとなり、のちに美濃にて領地が与えられることを約束されていた。
此度の上洛戦の功によって、織田家には幕府評定衆の役職が与えられている。また知行として、近江南部、六角旧領と、大津、堺、山崎の支配権を与えられている。
帰国する前に、織田家の主たる重臣が集い評定が開かれていた。
まずは喜六様の進言により都の西に当たる大山崎に陣城が築かれた。
「堺は三好一党とのよしみいまだ深く、油断ならざりし情勢は変わりませぬ。また畿内の国人どもは幕府にすら面従腹背でありましょう。されば御所様に逆心を抱くは必定にございましょう」
「続けよ」
「京の西と南に防衛線を築きます。西の山崎は交通の要衝にして商売の要。まずはここに城を築き尾張衆よりいくさ上手な者をおいて押さえます」
「半介」
「はっ!」
佐久間半介は即手勢に招集をかける。山崎の城の城代であろう。この時すでに儂は観音寺城主の任を与えられている。
「南は大和路になりますが、信貴山と多聞山を安堵した松永殿に任せましょう。背後より目付として筒井を当てます」
筒井と松永は不倶戴天と言ってよい間柄だ。本来ならば領地替えなどをするべきであろうが、今ここでそのような強権を振るうことは得策ではない。
松永が背けば筒井に攻撃される。場合によっては正面に三好、背後に筒井と袋のネズミとなる。さらに三好を見限って織田に降伏している以上は、再び三好に着くとは考えにくいことであった。
「まあ、松永弾正殿は相当な寝業師でありますがねえ……」
「布衣の身より立身せし器量は見事なる者であるがや。それにそれほどの者を扱えねば天下を取るなどおぼつかぬであろうがのん」
「まあ、兄上はそういうと思いましたよ。とりあえず筒井の目付で蠢動は避けられるでしょう」
「うむ」
「坂本ですが、宇佐山の城に森三左殿を、大溝にいる磯野殿と連携していただく体制を。堅田の水軍衆も琵琶湖水運の利権を安堵すればよいでしょう。いざとなれば琵琶湖を渡って兵を運べる体制を整えればよいかと」
急速に広がった支配領域は安定したとはいえず、面従腹背の国人たちは、いざ織田が不利な態勢になった折にはどこまで信じられるものかわかったものではなかった。
今は当面治まってはいるが、なにがしかのほころびがあればいつ背かれるかもわからぬ情勢に、針の目途をくぐるような緊張感を覚える。
織田は四方に敵を抱えていた。
「まずは順次片付けていくしかなかろうが。まずは伊勢と伊賀であるなん。河内の南方の畠山も不穏にてあらあず。越前は浅井に任すでや」
「はっ! ひとまず朝倉との盟は途切れておらぬゆえ、織田にではなく御所様に従うようにと伝え申す。しかし、それで話が通じぬようであれば……」
「備前、貴様に先陣を任せてもよいか?」
「望むところにてございます」
先日の内紛で、小谷より北の地の支配が及ばなくなっていた。もともとが浅井と朝倉の双方に属すような形となっているような豪族たちである。磯野員昌の所領である高島郡大溝城との陸上の連絡は途絶え、船を用いてやり取りしているありさまだった。
ただ、明確に離反したわけではない相手に強硬な姿勢を表すと、いまだ先代に心を寄せる家臣らが反旗を翻す目算が非常に高い。
北近江の失陥は何としてでも避けたい状況であった。
事実上半減した浅井長政の戦力では織田との不均衡が大きく、松平と同じような立場で、将軍家の被官となり、守護代に任じられることで支配の正当性を保つこととした。そして南近江の守護代は儂が任じられることとなった。
本来の守護である六角は滅亡し、京極は御所様の側に仕える立場となって守護の座にはない。
こうして山城、近江は織田の勢力で占められることとなる。畿内の体制は当面はその状態で落ち着くこととなるが、四国勢がいつ上陸するかもわからず、堺に細作を置いて様子見となった。
一方、東の方でも動きがあった。
信濃の北半分は飯山より南下した上杉の手に落ちていた。南半分は遠江より北上した今川が落とし、西の木曽は遠山の伝手をたどって織田に付いた。武田はかろうじて上原城を支えているが、その失陥も時間の問題と思われていた。
甲斐は四方を山に囲まれた天然の要害であるが、信濃失陥によって晴信の求心力はがた落ちとなっている。もはや信頼できる兵力は側近の馬廻り、旗本のみとなっていた。
今川に逃れた太郎義信と飯富昌景は晴信に不満を持つ勢力の糾合に成功した。そして武田正嫡の名分を掲げ、甲斐南東の下山郡より攻勢を始める。
北条も富士山を挟んだ反対側より兵を出し、今川に向く兵を減らすためけん制する。
こうして兵力の集中ができなくなったこともあり、今川の大軍に抗しきれなくなった。
下山を抜き上野の城が陥落したことで、躑躅ヶ崎の館では抗し切れぬと判断した晴信は逐電した。事ここに至っては甲斐の諸豪族たちも降っていく。
甲斐の国府を占領した今川義元は、娘婿である義信を武田家当主に据え、事実上の家臣とした。ここに大名家としての甲斐武田家は滅亡したのである。
しかし、先代の武田晴信を見つけられずいまだ火種は残る有様であった。
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