戦支度
御所様を奉じて上洛する。それは甲斐に今川、北条が攻め入り、信濃には上杉が攻め入っている。そんなさなかに宣言された。
上洛そのものは規定路線であり、東西に立った将軍家を一統することが目的である。
供奉する軍勢は、命令ではなく募集したところ、我も我もと現れる。
尾張にいたころは頭数をそろえるのにも苦労していたが、今では数え切れぬほどの兵が集まろうとする。
軍資金の調達に証文を発行し商人に買い取ってもらっていたものが、今では矢銭を命じなくとも持ってくる。
その有様に殿も半ば呆れているようだった。
「権六よ、まことにおそがいことだで」
使い切れないほどの軍資金。村々から供出されてくる兵糧、物資。
アリの群れのようにぞろぞろと集まる兵たち。
それらすべてを自由に扱えるとなれば目もくらむような心地であろうと思う。
「で、ありますなん。これまで道を誤りし者どもを笑えませぬ」
「うむ、よほど強く心をもたなば、殷の紂王がごとき暴虐のふるまいをなすことになりそうでなん」
「さように思われておる間は大丈夫でしょうがなん」
「権六よ、我が道を誤りしときは貴様が止めよ」
「かしこまってございまするに。一発ぶん殴ってお目を覚まさせよう程にて」
「うむ、頼むだわ」
殿の顔には苦笑いが浮かんでいる。
「命を懸けて諫言するは臣下の務めですわなも」
留守居の大将は大殿が務められる。三河には松平二郎三郎広忠殿、美濃衆は先日元服した斎藤竜興殿、後見には道三殿が付く。
「ふん、婿殿なれば斯様なる大軍を率いたとて誤ることはあるまいに」
大軍はそれゆえに統制が難しい。これまでに顔を合わせたこともないような、それも国をまたいでの連合である。
御所様の前で武功を立てれば末代までの語り草になる。名誉であると考えての参陣であるが、区々たる戦術は殿の指揮に慣れている尾張、美濃衆が主力となるだろう。
「お殿様、さすがに全員は難しいでや」
「左様か。すぐに連れていける数はいかほどでや?」
「二万にて」
藤吉郎は小荷駄を統括する奉行に就いていた。二万の軍を維持できるほどの物資を調達して管理する手腕は見事としか言いようがなかった。
これまでも万に届く軍を動かすことはあったが、領内でのことであった。自国を出て大軍を動かし、維持することは並大抵のことではない。
「うむ、見事じゃ」
思わず口をついて出てくる褒め言葉に、藤吉郎はニカッと笑みを浮かべると頭を掻く。その有様が妙な愛嬌を醸し出し、この小男が人を動かすことに長けているゆえんかと思う。
「丹羽さまがコメの調達を請け負ってくれておるゆえにございまする」
ここで並の者ならば功績を独り占めしようとするが、藤吉郎にはそういったそぶりはない。常に人を立て、働きの良い部下を推挙してくる。
「そなたの申しよう殊勝でや。のちにはその働きに応じた知行をくれてやる故楽しみにするがよからあず」
「ははっ、藤吉郎、その日を楽しみにお役目に励みまする!」
「して、此度の仕事で貴様の目についた者はどうでや?」
「のちに名前を書き記してお渡しいたしまするに」
「うむ、頼んだ」
木下衆の出自には商家の次男、三男と言ったものが多い。
名目上は斯波家の所領となっている尾張、美濃、三河における管理を、守護として織田家が請け負っているという建前だ。
そして、おおもとの弾正忠家は守護代のさらに家老という出自ゆえに、一国を動かせるだけの被官がいない。
字が読めるもの書けるもの、算術ができるものは常に不足していた。
商家に生まれた者は読み書きや計算の教育を受ける。基本的に跡継ぎの長男が死んだ場合の代わりであるが、場合によってはのれん分けなどで支店を任されることもある。ただそれは稀なことであった。
結局は後を継いだ兄にこき使われ、部屋住みのまま生涯を終えるものも珍しくない。そういう意味では商家も武家も変わりない事情があった。
藤吉郎はそういったくすぶっている者の受け皿となり、有能なものは織田家に推挙する。
立身の道があるとなれば、彼らも必死に働く。そして仕事はいくらでもあって常に人が足りていない。
織田家に仕官がかなったものは実家との縁を使って仕事をする場面も出てくる。様々に事情はあるが、彼らも必死にこの厳しい世を生きていた。
「殿、使い番が参りましたでや」
馬廻りの川尻与兵衛が一人の兵を連れてきた。
「うむ、その面は彦右衛門の家来かや」
使い番の顔を見ると、殿はその所属を言い当てる。
「はっ、滝川様より書状を預かっておりまする」
差し出した書状を殿は直接受け取る。
小姓を介して受け取ることは少なくなった。形式による時間の無駄をことのほか嫌う性分ゆえで、必要な時には完ぺきなまでに儀礼をこなして見せる。
「……ふむ。権六よ」
「はっ!」
「ちょうど良き機会ゆえ頼まれてくれぬか?」
「頼み、にございまするか?」
「うむ、藤吉郎を引き立てたいでや。しかしあ奴には足りぬでなん」
「武功にございますな」
「うむ、三河で小勢を率いて戦ったことはある。だが一手の大将としての経験がないのだわ」
「なるほど」
「あやつの配下には武辺者が居らぬでな、こころあたりは無きかのん?」
「ふむ、されば川筋ものではいかがですかのん?」
「なるほど! あ奴らであれば藤吉郎との縁もある。集まりすぎて兵の手も余っておるだわ」
「北伊勢にございますか」
「うむ、北近江を通るにしても浅井が寝返りを打ったならば我らは窮地に陥るでな」
「北伊勢を制圧して六角に圧力を加えることもできますな」
「ようわかっておるでねあーか。忙しき所すまぬが貴様は藤吉郎の介添えをしてやってくれぬかのん」
「ご下命、かしこまってございまするに」
「うむ、頼むでや」
使い番が走り、走り回る藤吉郎を捕まえてきたのはそのすぐのちのことであった。
「お殿様、いかなるご用向きにございまするか?」
「うむ、北伊勢が不穏な情勢でや。貴様は兵二千を率いて滝川彦右衛門の後詰となれ」
「は、ははっ!?」
「貴様を引き立てようとするならば武功が足りぬ。無論、今のまま吏僚としての道もあろうがなん。一国一城の主、目指して見ぬか?」
「……ははっ、お殿様にはこの藤吉郎に手柄を立てよとのおこころざし、確かに受け取りましてて御座いまする」
「うむ、励め」
その一言を受けると、藤吉郎は現れたときと同じように駆けだしていった。
「あれは、唐の国で言う孫悟空じゃな。雲に乗っていずこかへうせおったでや」
殿のあきれたような、それでいて温かみのある言葉は、大殿にうり二つであった。
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