木下兄弟
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熱田の奉納武芸祭りはあれより毎年開かれることとなった。秋の収穫後の祭りで、その前後のひと月関銭が免除される。
故に大きく人が動き、商売が活性化する。殿は関銭の免除について、徐々に範囲と期間を広げていくようだ。
代わりに商いの利に対して税をかけると聞いている。そのようなことをすれば税収が減ると反対意見が家中から出ていたが、祭りの月の税はすでに前後の月の税収を大きく上回る。
無論その月に当て込んで商売が活発になっているということもある。しかし、関銭に煩わされずに荷を遠くに運ぶことができれば、より商機と言うものが増えるという。
人々が豊かになれば、争いは減る。喜六様の農事改革によって収量は大幅に改善した。すると境目争いや水、入会地の騒動が目に見えて減っていった。
「人は衣食足りて礼節を知ります」
「食うや食わずでは形振り構っておられぬ、と言うことにございますか」
「そうだね。わずかな食料をめぐって親子が殺し合うような世の中はやはり地獄だよ」
「まことに……」
「だからね、流民を集めて雑穀の栽培をさせている」
「ああ、あちらの畑ですか」
「蕎麦とかは手間がかからない割に収穫が多い。荒れた土地でも育つ」
雑穀を税として取る代わりに、余剰となった米を彼らに分け与える。そうして増えた民を開墾や街道整備に回していた。
街道整備にも反対意見が多かった。
「そのようなことをしては敵に一気に攻め寄せられるでや!」
「ほう? いま清須まで軍を派遣させられるような敵はどこにおるでや?」
「いや、しかし、万が一のことがあっては……」
「そのために境目に砦を設けておる。また、物見やぐらを街道の要地に建てた。変事あらばすぐに知らせが届くようになっておるでや」
「む、なるほど……」
「そして変事があった地に即座に兵を差し向けるに、道が悪くば時を喰う。それゆえに、道を整備せねばならぬでや」
殿は甲斐の武田大膳大夫晴信が、本拠から信濃に抜ける街道を整備していることを引き合いに出した。
そのこともあって、家臣たちも納得していく。
「旦那様、薪の買い付けが終わりましたで」
日吉は喜六様について、様々な仕事と学問を学んだ。
「いやあ、すごい子だね。乾いた土地が水を吸い込むように一つ教えれば十のことを身に着ける」
最初にもらった俸禄で、酒を買い込み朋輩らにふるまった。
「儂がここに仕えることができましたるは、皆様に命を救っていただいた故でや。その御恩にわずかでも報いることができればと思いまして、この一席を設けたがや」
「日吉、おのしゃあ大器ものじゃ。なかなかこういうことはできぬでなん」
日ごろから日吉の面倒を見ていた又左衛門利家が日吉と肩を組んで騒ぎ始めた。利家は小姓衆から馬廻りに昇格し、朋輩からの信も篤い。
その利家が真っ先に意気投合したものであるから、柴田衆の中にもすんなりと受け入れられた。
不幸な身の上は、特に珍しいものではない。親を、兄弟を、いくさや病、飢饉などで失ったものは多かった。
特に目を見張ったのは武芸鍛錬で、真っ先に利家に相手を申し入れたことだ。
「又左様! 儂に戦い方を教えてくだされ!」
「よからあず。槍を持て!」
日吉は手槍を持つと利家と向き合う。
「かかってまいれ!」
「おう!」
意外に腰の入った構えで利家に突きかかる。
「ぬるい!」
突きを払われ、槍ごと日吉が吹っ飛ばされる。砂埃を浴び、まだら模様の顔のまま再び突きかかり吹き飛ばされる。
それを幾度も繰り返すが進歩は見られなかった。それも当たり前で、一日鍛錬して強くなれるならば苦労はない。
それでも、もっとも強い相手に挑みかかる姿は、日吉の根性を皆に見せることとなった。
「家族を呼び寄せてからはより仕事に身が入っておりますなん」
日吉の実家は中村にあった。あったというのは一家どころか親類一統含めて一色に移住した。
日吉の実の父は戦で落命しており、母上が継父を迎えられていた。しかしその男がろくでなしで、清須の使用人であったが、問題を起こして追放されていた。借金がかさんで日吉と小竹を人買いに売り払った。そしてついに、日吉たちの姉も売り払われそうになっていると聞き及び、日吉と意気投合していた利家が朋輩を引き連れて中村の家に乗り込んだのである。
そのまま継父は逃げ去った。母上はいきなり侍に取り囲まれた家で、天秤棒を構えて戸口に立った。
「おのしら! うちの娘には指一本触れさせんわなも!」
「母ちゃん! 俺だ! 日吉じゃ! 小竹もいるでや!」
「ふぇっ!? 日吉! あんた無事だったのかや!」
「ああ、いまは柴田様の所で下働きしとる」
「おお、おお、なんまいだ、なんまいだ……」
涙を流しつつ手を合わせて祈りをささげる姿に、もらい泣きをする利家とその仲間たち。
「うむ、日吉。よかったでなあ。うんうん」
「おう、俺、今度の休みには家に帰るでや」
「うむ、たまには孝行せねばのう」
そろばんの扱いを覚えた日吉は目覚ましい働きを見せた。今では台所役として、食料や物資の買い付けを担当していた。
「殿、日吉の働き、誠に殊勝でや」
「うむ。そのことについて清須の殿から褒美を預かっておるでや」
「おう、それは重畳にてあらあず」
数日後、日吉を呼び出した。
だだだだっと足音が聞こえる。こやつは常に走る。少しでも多くの働きをなさんと陰日向なく駆けまわる。
「日吉が来てから飯がうまくなったでや」
「うむ、あ奴の指図する漬物は実にうまいでのう」
「塩気が効いておるのう。いくさ稽古の後にはたまらんでの」
兵たちの評判も良い。よって、この褒美はあやつが自らの力で勝ち取ったものだ。
「お呼びにござりまするか!」
「うむ、日吉、勤め」
「はっ!」
「お主を士分に取り立てる。お主の父は織田の兵であった。その志を継ぐがよい」
「……ありがた、き、しあわせにございま、する……に」
下げた頭の真下に水滴がこぼれる。
「中村の家の側には大きな桑の木があったでな。木下と名乗れ。それとな、ここからは清須の殿からじゃ」
「は、ははっ!」
「殿のお言葉でや。我が幼名より一字を使い、藤吉郎を名乗るがよい。だそうでや」
「ははっ」
「小竹もお主の良き助けとなっておる。見事なる気働きにてあらあず。よき名をつけてやれ」
小竹は弓の才を見せていた。寡黙だが、気づくと的確な仕事をしており、兄が陽ならば弟は陰と言った風情だ。学問は兄と同じくらいできると聞いておる。
「はっ、では小一郎と」
「うむ、兄弟で力を合わせて仲良くのう」
「ははっ!」
尾張は発展の途上にある。そして景気が良くなると、様々な人間が入り込む。
伊勢方面は願証寺との和睦が何とかまとまっているが、尾張との国境の村でいくつかのいさかいが起きている。原因は市の島の服部左京が蠢動しているとの風評が立っていた。
市の島は津島の南方に位置する輪中で、願証寺を後ろ盾に勢力を維持している。次なる火種は北伊勢方面にくすぶり始めていた。
殿はそこを見越して蟹江に城を築き、そこに滝川彦右衛門を入れた。甲賀の実家より一族を呼び寄せ、着実に力を増している。
滝川の一門は武勇に優れ、勇敢な兵が多いと聞く。伊勢にいたこともある滝川彦右衛門一益はすでに多くの情報を集め、侵攻の機会をうかがっていた。
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