40.殺したければ殺せ
平静を装っていたラスタンも、ルクレティアにいきなり殺しにかかられるとは思ってもみない。
ラスタン自身も、周りの取り巻きの兵士たちも、ルクレティアが抜剣して刃を突き当てるまで何もできなかった。
「な、なにを!」
「あんたがオズワールお兄様の命令でエルフを殺すっていうんなら、それは勝手にやりなさいよ。私も勝手に、あんたを殺すから」
「バカなことを。我々は、オズワール殿下の配下の軍だと言っているでしょう! 何をやっているのかわかっていらっしゃるのか、これは王国に対する明確な反逆ですぞ!」
「あら。私は別に、お兄様の命令に逆らうなんていってないじゃない。ただ、平民のあんたを王族の私が無礼討ちするだけよ」
「俺はもう平民じゃない! 士爵位をもらった立派な貴族だ」
これまで冷徹だったラスタンが、始めて感情の色らしいものを見せた。
「同じことよ。たかだか、下級騎士でしょ。王族の私からみれば、そこにいるエルフと何も変わらないわよ。ゴミクズだったら、好きに殺していいんでしょ」
「お、俺は、オズワール殿下の軍師であり、参謀次官になるのだ。いや、すぐにも参謀本部総長となり、総軍の指揮官ともなる男だぞ!」
「そんなの知らないわよ。今のあんたはゴミクズだから、殺す。私は何かおかしいことを言ってるかしら」
おかしいことしか言ってない。
ここで第二王子オズワールの腹心であるラスタンを斬れば、すでに王権を握った王国中央軍と争いになるのは明白である。
普通なら、こんなのはブラフだと思う。
常人の考えなら、そんなことができるわけがない。
しかし、相手はあの猪突姫なのだ。
これまで冷静を保ってきたラスタンの額に、じわりと汗がにじむ。
ラスタンどころか、卓越した知性の天与の才能を持つハルトですら予想もつかないことをやる女だ。
傲岸にして浅慮極まりない姫将軍の風評は、子供だって知っている。
その場の感情で、何をやるかわかったものではない女だ。
しかも、エリーゼが呼んできてくれたのか、処刑台の周りを多数の民衆とともにハルト大隊千五百人が銃を構えて臨戦態勢で囲んでいる。
北方軍の兵士たちだって、集まりつつある。
大要塞の街の住民たちは、よそ者であるラスタンの兵たちを不審そうな目で見ている。
このノルト大要塞では、ラスタンたちの方が圧倒的に少数派なのだ。
これは、ラスタンの側の分が悪かった。
「なるほど。確かにラスタン卿の言動には、姫様に対して失礼がありました。侮辱罪に当たるでしょう」
輝くアダマンタイトの宝剣を突きつけたルクレティアの後ろから、銀髪の老将クレイ准将が重々しい声でつぶやく。
ここで全員を葬ってしまえば、事が明るみに出ることもないという意味を暗に含めた明確な脅しである。
「さあ、ラスタン。私は邪魔しないから、さっさとエルフを処刑しなさいよ。それを見届けたら、私もこの剣を思いっきり突き抜くから」
やはりブラフではない。
すでに刃先が当たった首から薄っすらと血が滲んでいるラスタンは、息もつけない。
完全に、両軍が膠着状態に陥ったところで、エリーゼが助け舟をだした。
「ハルト様、エルフの魔術師を処刑したということにしてエルフの森に帰してはいかがでしょうか」
「どういうことだい?」
「はい、エルフの顔など貴族には見分けがつきませんから。エルフの森に放てば、誰が誰だか見分けなどつきません。それで、お互いの面目も保てるのではないでしょうか」
王国貴族のエルフへの差別意識ってそこまで酷いのってハルトは若干引くが、そういう事情があるなら好都合だ。
「そうなんだ。それでいいか、ラスタン殿」
「こんなのは無茶苦茶だぞ。クソッ! いいわけないが、仕方がない。今回はそれで剣を納めてもらえますか、姫殿下」
ラスタンが折れると、ルクレティアは凶暴な笑みを浮かべて、ゆっくりと剣を引いた。
だが、剣を鞘に納めるわけではない。
牙を剥いたように笑い、抜き身を掴んだままのルクレティアは、さっさとここから出て行けと無言で威圧している。
あくまでも、威嚇は止めないルクレティアに、ラスタンたちはすごすごと退散していった。
「エリーゼが、いい案を出してくれたから助かったよ」
「い、いえ……」
エリーゼは、少し気まずそうに顔をそむける。
本当なら高い魔力を持つエルフの魔術師たちは、ハルトの陣営に取り込んで利用すべきだったかもしれない。
でも、ハルト様の近くに、あのエルフたちを置きたくない。
そう思ってしまった。
王国の王族、貴族の特に男性は幼少の頃より、エルフは唾棄すべきゴミであり、下等にして汚らわしく醜くて卑しい存在だと徹底した教育を受けている。
いくら、王国の支配下にある属領民とはいえ、本来であればここまで激烈な差別をするいわれはない。
事実、ドワーフや獣人たちは、亜人種でもほとんど差別を受けていない。
なぜエルフだけが、ここまで蔑まれるのか。
その理由は、王国の支配に最後まで頑強に抵抗したためとも言われるが、本当は脅威となりえる強大な魔力を有していることと、その美貌ゆえであった。
もし王族、貴族がエルフたちの美しさに目をつけて、愛妾として囲ったらどうなるだろうか。
一代であれば問題ない。
しかし、王族や貴族にエルフの血を引く子供ができれば、強大な魔力を持った子孫が誕生することになる。
数代も時を重ねれば、やがてエルフの血筋に人族の国が乗っ取られてしまうことになるかもしれない。
王国はそれを嫌ったのだ。
そのため、地方のたかが士爵に過ぎないエリーゼすら、エルフには偏見があるのだが、ハルトから遠ざけたかったのは差別心からではなかった。
なんというか……。
エルフが縄で縛られているせいで、ただでさえ大きい胸が強調されてすごいことになっているのだ!
布一枚の粗末な服に身を包んだ彼女らは、ブラジャーなんて高価なものは身につけていない。
ああ、特に一番前にいる、エルフのリーダーっぽい子のおっぱいは危険すぎる!
一方で、それに比べて私は……と、エリーゼは自分の胸に手を当てる。
決して小さいわけではないが、ルクレティア姫様にも勝てないし、潤んだ瑠璃色の瞳でハルトに熱視線を送っているエルフには絶対勝てない。
なんで下着も付けてないのに、あんなに大きくて柔らかそうで、それなのにまったく垂れてないなんてありえない。
なんで、何の支えもなくあんなに前にバーンってなってるの?
魔法で乳を浮かせているのかとすら思ってしまう。
生まれつき天然で、あんなたわわな巨乳だというなら、もう反則だ!
それに、ハルトには王国貴族的な偏見がない。
商家では、好んで美貌のエルフを愛人として囲っている金持ちもいるらしい。
自分でも商売をやっているハルトの価値観は、どっちかというとそちらに近いだろう。
戦闘力が人並みのエリーゼでは絶対に勝てない、強大な超兵器を有しているあのエルフどもがハルトの側で仕えるようになったら、自分よりも愛されてしまうのではないか。
言ってしまえばエリーゼの進言は、アドバイスでもなんでもなく、単なる嫉妬だった。
「本当に申し訳ありません、ハルト様……」
騎士の忠義と、女である自分との間で揺れる心。
エリーゼは拳を握りしめた手を胸に当てて苦しそうに俯くと、ハルトの背中に小さく謝罪の言葉を漏らすのだった。
今日のまとめ、王国が危機感を感じるほどエルフは(おっぱいが)ヤバイ。





