32.王国侵攻軍の終わり
シャルル王太子の盾となる王国魔術師団と、少数の護衛騎士のみを連れて、ワルカスは商都ダナンへと向かって逃げた。
コンデ侯爵麾下の第二軍一万、その軍師はワルカスの腹心スタンプである。
こちらの情勢を知って、必ずや救援の軍を向かわせてくれるはず。
「急げ! 急ぐんですよ!」
馬にも乗れず、馬車の上で指揮棒を振り回して喚き散らしているワルカスは、もはや邪魔にしかなっていなかった。
連れている近衛兵の数は少なくとも、警護にはまだ五百人近い大魔術師団が残っていた。
大陸に二千人しかいないと言われる魔術師の、優に四分の一がここにいる。
まさに大国の王太子であるシャルルを守る、地上最強の護衛隊であった。
個々が大きな力を持つ魔術師は、大きな戦を左右するほどの力はないが、要人警護には最適であった。
防壁魔法で敵の放つ矢を弾くことができるし、攻撃に転ずれば弓兵よりも強い射撃戦力ともなる。
「王太子を全力で守るのです。こんなところで、未来の英雄が殺されてたまるものですか!」
逃げるシャルル王太子の陣にも執拗な追撃がかかり、矢が雨あられと降り注いだが、それでもワルカスは助かると信じていた。
第二軍と合流すれば、まだ敵を包囲殲滅できる!
殿軍が決死の覚悟で敵を食い止めてくれたおかげだろう。
近衛兵や魔術師が多数犠牲になったものの、程なくその追撃も振り切って、敵の魔の手から逃れられたと思った瞬間。
突如、前方に現れた帝宮魔術師団より、激しい魔法攻撃が降り注ぐ。
「きゃぁああ!」
ワルカスの近くで、防壁魔法を張っていた耳の長い金髪で白い肌を持つエルフの魔術師が、集中砲火に耐えきれずに倒れた。
「何をやっているんです!」
必死に守って倒れたエルフに、ワルカスは侮蔑の言葉を浴びせる。
王家の魔術師は、王国の属領であるエルフの国の出身者が多い。
魔術に長けたエルフたちは、王国に武力で支配されてからずっと魔術師の才能を持つ子供を送り続けており、エルフの国そのものを人質に取られているので逆らうこと無く、便利に使い潰せる戦力であった。
「何が起こったのだ、助けてくれぇ!」
空が一面、魔術の煌めきで満ちるのに恐れおののいて、シャルル王太子は馬車の奥に隠れて震えてしまっている。
この馬車が落ちたら王国侵攻軍は終わりだ。
ワルカスに言われずとも、魔術師たちは、必死に防壁魔法を支える。
左右から上から、正面から、逃げるシャルル王太子の馬車の一団を囲むように現れた敵魔術師の数は、四百人近い。
今の帝国軍が出せる魔術師のほぼ総数である。
「バカなぁ! なな、なんでこんなに展開が早いのですか!」
もはやバカな! を連呼するマシーンと化しているワルカスに向けて、巨大な炎弾がバーンと炸裂した。
衝撃で大きな王家の馬車が揺れるほどで、ワルカスも悲鳴を上げて腰を抜かした。
守っていた魔術師たちが耐えきれずに倒れて、また絶対防壁が薄まってしまう。
「お前らが遅すぎるんだよ!」
炎弾を放った帝宮魔術師団長アシュリーは、吐き捨てるように叫んだ。
彼女は銀髪の髪で褐色の肌を持つダークエルフである。
王国に支配されてる森のエルフと同じような事情で、帝国に使役されている。
前方で、崩れ落ちる王国軍一万五千と、一気に突き抜けて勝利を決定的なものにしようとする帝国軍三万の戦いが終盤を迎える頃。
後方では、世にも珍しい王国魔術師団五百と、帝宮魔術師団四百による、大規模な魔術戦闘が行われていた。
力の強い魔術師は、大陸全土でも二千人ほどしかいないため、魔術師団同士による大規模戦は類がない。
魔法のエネルギー弾や、衝撃波、凄まじき風斬、巨大なる炎弾……。
様々な魔術が乱れ撃つ戦場は、混迷を極めていた。
空を飛べる魔術師は、地形を無視したアクロバティックな機動が可能になる。
王国の第一軍が崩れたら、シャルル王太子を後方に逃がそうとするのはわかりきっている。
それを狙って、ヴィクトル皇太子が伏兵を放つのもまた当然だった。
絶対にシャルル王太子を殺させるわけにはいかない王国軍と、王太子の首さえ取れば勝利を確実にできる帝国軍。
その思惑がぶつかりあって、大陸の西の森に住まうエルフと、東の森に住まうダークエルフの奇妙な代理戦争が起こっていた。
「みんな頑張って耐えて! もう少しで味方の陣だから!」
腰を抜かしたワルカスに変わって、声を枯らして魔術師の統制を取るのは、王国魔術師団で最大の魔力を持つエルフのシルフィーだ。
王国ではエルフの魔術師の地位は低いので、団長にすらなれないが、シルフィーは強大な魔力を持つエルフ族の長の血筋である。
自然とエルフの魔術師たちは、シルフィーの指示を頼りとした。
一方、帝国軍の魔術師は、アシュリーの指示で、王国の魔術師を休ませぬように波状的な攻撃を仕掛ける。
「消耗戦になる! 無駄打ちはするんじゃないよ!」
この局面、実はこうなるとヴィクトル皇太子がアシュリーに事前に予言してみせたものだ。
あの小さな皇子様はここまで見通していたのかと、アシュリーは空恐ろしいものを感じていた。
だがその恐ろしい皇子様がこちらの犠牲が少ない形での勝利を予言しているのだから、これほど心強いものはなく、ゆっくりと包囲しながら王国魔術師のマナを削り取っていく。
「何をやってるんです!」
そこに、ようやく抜かした腰を立て直したワルカスが立ち上がる。
「仲間の治療を……」
「どうせマナ切れしているんでしょう。そんなことにマナを使ってる場合ですか!」
間が悪いことに、無駄に博識なワルカスは魔術戦闘についても熟知していた。
魔術師の総力戦となれば、魔法力であるマナがどこまで保つかの勝負になる。
防壁魔法を張って使い切って倒れたエルフの魔術師は、生きていようが死んでいようがマナ切れでもう役に立たない。
そんな連中を回復させるのに、マナを無駄遣いしてはならない。
「でも、このままだと死んじゃいます」
「ゴミ同然の耳長が死んだからといってなんなんです。こんなゴミムシを治療する必要がどこにあるのですか! 戦闘の邪魔になっているなら、こうしてやります!」
「ああ!」
シャルル王太子を守るために、命をかけて戦ったエルフの魔術師を、ワルカスは馬車から投げ捨てた。
「さあ、役立たずのゴミムシは死にました! あなたたちもゴミクズのように捨てられたくなかったら。命をかけて戦うのです!」
あまりにも非情。
冷酷なワルカスに、それでも幼き頃より王国のために尽くせと教えられてきたエルフたちは逆らえない。
先の戦闘で数を減らしたとはいえ、王国軍の魔術師と帝国軍の魔術師の数はほぼ互角と言ってよかった。
結局のところ、戦闘の結果を決めたのは士気の高さといえる。
使い捨ての道具としてゴミクズ同然に扱われている王国のエルフ。
ついこないだまでは、帝国のダークエルフも同じような地位に置かれていた。
変わったのは、あの小さな皇子様が帝政改革を行ってからだ。
帝宮魔術師の制度にも抜本的な改革が行われて、身分や種族にとらわれない完全な能力主義となった。
それで、ダークエルフの長であるアシュリーが、もっとも魔術に長けたものとして団長にもなれたのだ。
それどころか、アシュリーは帝国子爵として故郷の闇の森を与えられている。
「粗野なあたしが、貴族様だってね」
貴族の位などどうでもいいが、アシュリーに闇の森を領地として与えるということは、ずっと人間に隷属させられてきたダークエルフの自治権の回復を意味した。
圧政からの解放者として、ダークエルフたちがヴィクトル皇太子を愛好し守り抜こうとするのは当然である。
小さな皇子様の勝利は、ダークエルフの勝利なのだ。
そうして、愛すべき皇子様は、ダークエルフの魔術師たちにもう一つの力を与えた。
パンパン!
乾いた銃声が響く。
そのたびに、王国軍の魔術師や騎士たちが悲鳴を上げて倒れた。
火を吹いたのは、ハルトが教会のパイプオルガンで作った手銃とそっくりの武器だった。
ヴィクトル皇太子は、カノンの撤退戦で拾い集められた残骸を研究、再生産し、ここで初めて試験運用させたのだ。
「なんなの、あれは一体、きゃ!」
マナ切れすると同時に、帝国軍の魔術師たちは手銃を取り出し、輝く銃身から黒鉄の弾を撃ち込んでいく。
帝国軍の魔術師は、マナ切れしても魔法を使える。
その事実が、ギリギリのところで持ちこたえていた王国魔術師団の士気を瓦解させた。
「なにをやってるんです! もう少しなんですよぉ!」
なにをやっているとは、シルフィーが言いたいことだった。
マナ切れしても、シルフィーは馬車の前で弓を引いて戦っているのに、指揮棒を振り回すだけのワルカスはなにもやっていない。
しかし、騒ぐのも無理はなかった。
王国第二軍らしき軍勢は、もう目視できるところまできている。
逃げ込めるところまで、本当にあと一歩であった。
「すでにみんなマナ切れしております。王太子様たちは、どうかお逃げください!」
健気にもシルフィーは、冷酷なワルカスや無能な主君を最後まで守り抜こうとした。
その姿に、同じく冷遇を受けてきた亜人種であるアシュリーも同情を覚えて、死なない程度に衝撃波を飛ばして、抵抗を打ち破る。
「護衛は何をやってるんです! どこに逃げろと、ぎゃぁああああ!」
ワルカスは最後まで悪態をつけなかった。
アシュリーの魔法によって、両腕をスパンと切断されたからだ。
「無能な貴族が、ただでは殺さないよ!」
「いだいいだい! わだじの腕が! 誰かぁ治療してくれ、頼む、治療を、ぎゃぁ! ぐぎゅ!」
醜いムシケラめ。
なんでこんな人間のバカ貴族どものせいで、エルフとダークエルフが殺し合わなければならないのか。
その腹いせにアシュリーは、ワルカスの頭を思いっきり踏みつける。
ワルカスはそれでも見苦しく泣きわめいていたが、何度も何度も恨みを込めて頭を踏みつけるうちに、やがてその身体はぐったりと動かなくなった。
自らの愚かさと罪を数えて、ゆっくりと死んでいくがいい。
「敵の王太子捕らえました!」
アシュリーがワルカスを痛めつけている間に、アシュリーの部下がシャルル王太子の拘束に成功する。
「わわ、私はルティアーナ王国の王太子シャルル・ルティアーナだぞ!」
恐怖で震えていたシャルル王太子ではあったが、最後に精一杯に虚勢を張って見せる。
そのあたりは、王族として教育を受けた者といったところであろうか。
その戦場に出てるとは思えぬ、綺羅びやかな金襴緞子の衣装を見て、アシュリーは笑みを浮かべる。
「確かに敵の王太子だね。では王太子の首をはねよ!」
「な、なにを……」
まさか殺されるとは思っていなかったシャルル王太子は、驚愕に目を見開いたまま首をはねられた。
「殺してよかったんですか?」
アシュリーの部下は尋ねる。
王太子を捕らえておけば、戦争は終わったのではないかというのだろう。
「あの皇子様の指示なのさ。ここで王太子が戦死すれば、第二王子と第一王女の派閥で王国は真っ二つに割れる」
いや、あの皇子様の場合、策謀を張り巡らせて割ってみせると言ったほうが正しいか。
敗戦続きの帝国は、今回の貴族反乱の痛手もまだ回復していない。
時を稼ぐための一手であるだろうし、王太子など捕らえずとも、この戦争は確実に勝てるというヴィクトル皇太子の自信の現れでもあった。
「敵のエルフはどうしますか?」
「ほっときな、もう敵の第二軍が来る。ずらかるよ!」
光の森のエルフと闇の森のダークエルフは仲がいいわけではないが、同じ境遇にあった種族として殺すのは忍びない。
アシュリーたちは、自分の仕事を済ますとさっさと飛び立っていった。





