31.敗北のワルカス
「こうか。それとも、こうか? これもいいな……」
第一軍、一万五千の陣中にあってワルカスは、軍師の指揮棒を右へ左へと振り回して、ポーズを研究に勤しんでいた。
すでにワルカスの頭の中では、勝利が確定している。
王国軍がノルト大要塞を落とし、帝国奥深くまで侵攻して帝都を陥落させて、帝国に勝利する。
まさに、前代未聞の歴史的快挙。
シャルル王太子と共に王国軍を勝利に導き、帝都の門を颯爽とくぐるワルカスの姿は、歴史絵巻に描かれて、王国史に永久に刻まれることとなるだろう。
そしてこれは、偉大なる大宰相への第一歩だ。
気取ったように見えてはいけない。
それでいて、さり気なく高い知性と偉大さをアピールする必要がある。
この戦の勝利を決めたのは、天才軍師ワルカスの智謀だと無知蒙昧な大衆にわからせることまで考えると悩ましい。
実に悩ましい……。
おっとそうだ、シャルル王太子とも打ち合わせねばならなかった。
あの凡庸な王太子は、ワルカスがシナリオを作ってやらないと演説すら何もまともにできない。
もちろん王太子を立てねばならないから、王佐の立場を考えると今回の演出は……。
「作戦参謀閣下! 大変です」
「なんだ、騒々しい!」
いいアイデアが浮かびそうだったのにと、内心で憤るワルカスは渋々と伝令に応対する。
「帝都から帝国軍の大軍勢が出陣! こちらに向かってきております!」
まさかの報告を受けて、さすがに頭を切り替える。
帝国軍が本当に出てくるとは思わなかった。
軍師ハルトの言っていたとおりになったか。
ざわりと胸騒ぎを感じる。
だが、第一軍の兵数は一万五千だ。
やけっぱちになって帝国軍が帝都を空にして突っ込んできたとしても、その虚を第二軍か第三軍が突いてくれれば、敵の意図は自ずから瓦解する。
そうなれば、むしろ帝都包囲戦よりも楽だろう。
分進合撃、ワルカスの戦術意図は十分に達せられる。
戦術の圧倒的優位を持って、包囲殲滅するだけだ。
「それで、敵の数は?」
「それが……」
伝令の兵士は、一瞬詰まった。
「早くいいなさい!」
「およそ三万との報告です!」
ワルカスは開いた口が塞がらない。
「三万! 三万と言いましたか」
「はい、複数の経路で報告が上がってきております。ほぼ間違いはないかと」
ワルカスは、兵士に掴みかかる。
「そんなバカな、ありえません! 帝国の門閥貴族派は何をやってるんです。その対応で、ヴィクトル皇太子がそんな兵力を集められるわけが」
「そう言われましても……」
そこにさらに、新しい伝令が入ってくる。
「ブルームバーグ陥落! 反乱軍の首謀者ブリューゲルト大公爵は討ち死にとのこと!」
頭を横殴りにされたような衝撃で、しばしワルカスは呆然とした。
理解できない。
しかし、ワルカスが呆けている間にも事態は刻々と悪化していく。
敵襲の報告を受けて、集まってきた騎士や幕僚たちが、実質上の作戦司令官であるワルカスを囲み始めた。
「ワルカス参謀閣下、これは大変な事態ですぞ!」
「この事態をどうなさるのですか。ご指示をいただきたい」
「な、何かの間違いでは? そうだ、もう一度! もう一度偵察を送って確認して……」
「参謀閣下! そんな悠長なことを言っている場合ではありません。帝都から出た三万の敵兵は、もう目の前まで来てますよ」
「こういうときは、まず状況確認です。とりあえず、偵察を……」
「敵軍の先鋒、前方に現れました!」
「なんですと!」
見間違いではない。
ワルカスの目にも、状況が見えてその顔は真っ青になる。
思えば、王都で指示を出しているだけだった名門貴族の息子ワルカスは、これが初陣なのだ。
自分のシナリオでは絶対ありえない事態を前にして、足はガクガクと震え、視界はぐにゃりと曲がる。
その歪んだ視界からも、敵軍の先鋒である騎兵隊が見えている。
展開が速い、速すぎる!
王国軍側は明らかに浮足だっていた。
帝都へ悠々と進撃していたはずなのに、突如目の前に自分たちの二倍の数の帝国軍が現れて、真っ直ぐとこちらに向かっている。
動揺しないわけがない。
ここで、遅ればせながらシャルル王太子も乗っている馬を従者に引かれて、ワルカスのところまでやってきた。
「ワルカス。わわ、私はどうすればいいのだ」
軍事には素人のシャルル王太子にも、この状況はマズいと理解できるほど状況は逼迫していた。
「包囲殲滅せよ!」
突然のワルカスの指示に、幕僚たちは仰天する。
「一万五千で、三万の敵を包囲ですか!?」
こいつは何を言っているのだ。
「第一軍は、シャルル王太子の近衛軍であり精鋭であります! 五百名を超える大魔術師団もいるんです! 優勢な王国軍が負けるはずがない。正面から迎え撃って、包囲殲滅! 断じて行えば必ずや女神ミリスの天佑があります!」
両手を広げて天を仰ぎ、指揮棒を振りかざしてワルカスが叫ぶ。
もはや、気が触れたとしか思えない指示であった。
机上のエリートであっても緊急事態に慣れてなかったワルカスは、帝国軍を包囲殲滅するという自分の妄想の中に逃げ込んでしまったのだ。
もはやその血走った眼には、眼の前の現実は見えていない。
「仕方がない、参謀閣下のご命令だ。長槍兵を前にだして、突っ込んでくる敵の正面を押さえよ! その後ろから弓と魔法で援護だ。急げよ!」
作戦参謀のワルカスの無茶な指示に対して、王太子の幕僚たちはよくやったと言えよう。
騎馬突撃には長槍、何も間違っていない。
その上で、遠距離射撃も展開して、殺到する正面の敵を、全力で押さえてなんとか突破を押さえようとした。
倍近い敵に、包囲殲滅など望むべくもないが、やれと言われればやるまでだ。
だが、居並ぶ長槍の陣を持ってしても、数で勝る王国魔術師の強力な弾幕を持ってしても、黒騎兵の突進力を押さえることはできない。
なにせ女神ミリスの恩寵とも称えられる、ヴィクトル皇太子自らの出陣なのだ。
これでたぎらぬものは、帝国騎士ではない。
そして、先頭を駆け抜けるのはただの黒騎兵ではなく、殿下の近衛中の近衛である最強の黒竜騎士団だった。
それを帝国の剣と謳われるシュタイナー将軍が、自ら陣頭に立って指揮している。
前に突き出された長槍を、なんと黒竜騎士たちは飛び越えた。
その姿は、まさに翼の生えた竜が如く。
二千を優に超える数の黒竜騎士たちが、槍衾を軽々と飛び越えて、王国兵士の頭を踏み潰しての突破に成功した。
一度陣を突き崩された歩兵は、もう統制が効かない。
隊列をくずした兵士が我先にと逃げ出して、全体に激しい動揺が広がり、王国軍の陣が次々に潰乱していく。
シュタイナー将軍に、傍らの黒竜騎士が叫ぶ。
「あそこに見えるは王国の本陣! 一気に叩き潰して敵将の首を取りましょうか」
シュタイナーは、戦功に逸る騎士を止める。
「いや待て、それには及ばぬ。ヴィクトル殿下より与えられた任務は、敵の士気を挫くこと。このまま一気に突き抜けて敵を敗走せしめよ」
敵の本軍を一気に潰すという欲望を押さえて、帝国軍の先頭を走った黒竜騎士団は、ただ真っ直ぐに王国軍の陣を突き崩した。
数に勝る帝国軍を、愚かにも横に長く包囲しようとした王国軍は、薄い横っ腹を突き抜かれて脆くも崩壊した。
その後ろから帝国軍の大軍勢、雲霞の如く押し寄せる。
慌てるのは、王国軍の本陣である。
「陣形が分断されました。このままでは、兵が敗走します!」
「逆包囲されますぞ。参謀閣下、いかがいたす!」
ワルカスの失策を糾弾するような口調で、騎士や幕僚たちが騒ぐ。
それを見て、ワルカスは冷徹に叫ぶ。
「王国軍は、全員持ち場を死守せよ!」
「はぁ?」
「死守せよと言ったぁ!」
すでに陣形が崩れて敗走し始めているのに、何を言っているのだこいつはと、幕僚はワルカスの顔を見た。
完全に血の気が引いてデスマスクのような白い顔に、血走った眼をギラギラとさせるその形相は、もはや悪鬼のようだ。
「参謀閣下、それはあまりにも……」
「皆の者は、殿下を逃がすために殿軍となるのです! 最後の一兵までも帝国軍と戦え! シャルル王太子と軍師である私は、第二軍に向かって逃げ……いや転進だ! 転進する! 合流すれば、まだ勝機も十分にある。貴官らはその時間を稼ぎなさい」
ただ、これは正しい判断と言えるかもしれない。
シャルル王太子が討たれれば、王国遠征軍は終わりなのだ。
もうあまりに遅いのだが、ここまで敗北してようやく帝国軍を包囲殲滅できるという妄想を捨てたワルカス。
合流するとなれば、兵五千しかない第三軍ではなく、兵一万を数える第二軍に向かってであろう。
今頃、第二軍は帝国の商都ダナンを落として、こっちに近づいてきているはずだとワルカスは思った。
指揮をしているのは、ワルカスの腰巾着である参謀本部次官補のスタンプだ。
必ずや救援に向かってきてくれているはず。
そちらに殿下と合流して戦えば、まだ勝機はある。
「どうする……」
「どうもこうもあるまい。シャルル王太子殿下を守るためとあらば、致し方ないではないか」
「承知した! だが参謀殿、覚えておれよ、生きて帰った後は失策の責任は必ず取らせるぞ!」
帝国軍の突破力に破れたといえ、第一軍は王国軍の精鋭である。
王太子に従う騎士たちは、非情な命令にもかかわらず、殿軍を引き受けた。
残存する本陣の大魔術師団と、わずかな近衛兵だけ連れて、ワルカスとシャルル王太子は第二軍に向けて必死の逃亡を開始するのだった。





