17.朝焼けの侵攻
まだ夜も明けきらぬ頃。
帝国駐留軍司令官ドハン将軍は、帝国本国から増派した軍団を加えて、一万の兵を引き連れて王国軍司令部のあるレギオンの街を目指して進軍していた。
「フハハハ、勝ったなこれは!」
戦いは、戦の前に決まるとはよく言ったものだ。
もともとのドハンの指揮下五千の兵に加えて、さらに帝国軍最強の黒騎兵連隊千五百騎を中核とする五千の援軍。
そして、さらに動く戦術兵器とも呼べる帝宮魔術師団の十名が随伴していた。
会戦を行える規模の大軍である。
見渡す限りの大軍に、帝国軍のシンボルである黒竜旗がひるがえる様をみれば、心躍る。
朝焼けの奇襲を受けた王国軍は瞬く間に壊滅し、レギオンの街にも偉大なる帝国の旗がはためくこととなろう。
「ドハン将軍。五千の軍を有する、天才とうたわれたグレアムに勝った相手ですぞ。油断は禁物です」
帝国本国から援軍を率いてきたヴェルナー准将は、勝ち誇るドハンをたしなめる。
「おうよ! だからこその大軍よな。グレアムが五千で倒しきれなかった『幻の魔術師』相手だからさらに一万、さすが皇太子殿下は大器であらせられる!」
「それはいいのですが。もし我々が負けるようなことがあれば、殿下の威信にも関わります」
皇太子派が帝国の主流であれたのは、出自にとらわれず有能な人材を登用する皇太子の改革が成功し、王国軍との戦争に対して優勢でありつづけたからだ。
それも、南方戦線でグレアムが敗死してからというもの、陰りが見えている。
この北方でも負けるようなことがあれば、門閥貴族派が盛り返す恐れもあった。
だからこそ皇太子は、猛将ドハンの短慮を補うべく、慎重なヴェルナー准将を援軍に差し向けたのであろう。
「負けるはずがなかろう! レギオンの王国北方軍を打ち破り、あの憎き姫将軍ルクレティアと『幻の魔術師』の息の根を止め、俺は天下の大将軍、貴様は将軍に昇格する! 簡単な話ではないか!」
やれやれと、ヴェルナーは嘆息する。
帝国軍は、何よりも神速を尊ぶ。
旅団規模の援軍を編成し、補給も手配し、これほどのスピードで駆けつけるのに、どれほど苦労させられたことか。
「それにしても、困ったのはノルト大要塞のミスドラース伯爵の態度ですね」
ヴェルナーが大要塞に援軍を入れようとしたら、入城を拒まれたのだ。
「おうよ、あの臆病者め! 危うく作戦が台無しになるところだったではないか」
それもドハンは何もしていない。
ヴェルナーがなだめすかして、なんとか軍をわけて、大要塞の通過だけを認めさせたのだ。
「まあ、伯爵の懸念もわからなくはないのですが……」
今の皇帝が若かりし頃、気に食わない地方領主の領地が取り潰しになることが何度かあった。
そうなれば領主は大人しく従うか、決死の覚悟で反乱を起こすかの二択になる。
だから、地方領主は自国の領土に帝国本軍が入ってくるのを嫌うのだ。
「ミスドラースのやつは、王国に内通しているのではないか……」
「滅多なことを言わないでください! 少なくとも伯爵は、そんな愚かな男ではありませんぞ!」
ミスドラース伯爵は、あれでもノルト大要塞を百年守り、帝国に長らく仕えた家柄だ。
猜疑心の強い性格だからこそ、いまさら王国に寝返ることなどするわけがない。
「……そういう噂があったのだ」
「それこそ、敵の離間の策というもの。疑心を煽るのが敵の策なのですよ。伯爵にそんな疑いをかけて、内紛になれば、王国の思う壺ではありませんか」
懸念があるとすれば、帝国軍に追い詰められたと伯爵本人が思い込むことだ。
噂があったとドハンが言ったが、慎重なヴェルナーは敵の流言飛語による不穏な空気が、大要塞の中で蔓延しているのに気がついていた。
ヴェルナーは、伯爵の疑心を解くだけで精一杯で、敵の間諜を捕らえるような時間はなかった。
もう少し自分が早く到着していればと悔やまれるところだ。
これも、あの『幻の魔術師』の仕業なのだろうか。
南方で華々しい戦果を上げたと思えば、今度は北方に現れて策を用いて暗躍する……。
気高く俊英であらせられる皇太子殿下が、御尊顔を曇らされるのも無理はない。
底の見えぬ恐ろしい相手だった。
「フン。あの愚か者は、俺たちの邪魔さえしなければいい」
「本当は、伯爵の軍もお借りしたかったのですが」
レギオンの王国軍は、猛将ドハンの連勝で数を減らしているとはいえ。
まだ六千か、七千は居て、攻城兵器も残っているはず。
帝国軍一万に加えて、あと千でも二千でも、伯爵の軍の上乗せがあれば倍の戦力で当たれるのに。
「あんな腰抜けの軍など、邪魔になるだけよ!」
ヴェルナーは、二度目のため息をつく。
これではドハンの幕僚は苦労しているであろうなと思う。
だが、悪いことばかりでもない。
ドハンの単純さは、兵にはわかりやすいのだ。
命令は単純であればあるほどいい。
極論、一軍の将は、攻めどきと引きどきだけさえ心得ていればそれでいい。
攻めはドハンに任せるとして、ここまでと定めるのはヴェルナーの仕事になりそうだ。
ドハンがやたら倒すのにこだわっている王国の猪突姫はともかくとして、『幻の魔術師』は少なくともその正体を暴いてやらねばなるまい……。
そう思ったとき、ヴェルナーは妙なものを発見した。
「なんだ、これは?」
不気味な立て札が立っていた。
そこには、『危険! 入るな!』と、薄暗がりの中でもわかるほど大きく書かれている。
「ハハハ、つまらぬ虚仮威しよ!」
ドハン将軍は、ズバッと立て札を馬上から槍で叩き伏せる。
「将軍お待ちを、これは何かの罠かもしれません」
「そう疑心を煽るのが敵の策だと、先程ヴェルナー准将自身が言ったのではないか」
「それは、そうですが……」
どうにも気になる。
「もう王国のレギオンの街は目と鼻の先だ。こんなところで、止まっているわけにはいかんぞ」
「なんとか迂回できませんか?」
「何を言うか。こんな大軍で通れる道が他にあるはずもない。仮に出来たとしても、迂回しているうちに夜も明けてしまうし、敵に見つかってしまう」
薄暗い朝焼けのうちに敵の虚を突いて強襲、登る朝日を背に大軍勢を持って一気に敵の大本営を蹂躙する。
ドハンは必勝の策を持って、ここに望んでいるのだ。
「ですが、立て札があるということは、敵が侵攻を予想していたということ」
「そうだな。俺はハッタリだと思うが、ヴェルナー准将が言うように罠があるかもしれない」
「では……」
「だが、罠も踏み潰して進めばいい。敵が目の前に待ち受けているのに、恐れを抱く帝国兵など一人もおらんだろう」
猛将ドハンとて歴戦の将、愚かではない。
部下の懸念はきちんと聞き取るが、ここまできたら攻めるしかないのだ。
こうしてヴェルナーの意見を聞いたのも、皆の心を一つにするためだった。
「では、罠を警戒して進むということで」
それでいいと、ドハンは頷いた。
待ち受ける敵を恐れることなく、大陸最強の帝国軍一万の軍勢は、まっすぐレギオンの街を目指して進む。
やがて、その視界に攻撃目標である敵の街が見えた。
「やはりハッタリだったようだな。全軍突撃!」
そう猛将ドハンが号令をかけた、その瞬間。
軍の前方で、凄まじい閃光と轟音が鳴り響いた。
先頭を疾駆する誇り高き黒騎兵の一団が、あっけなく吹き飛ばされた。
血しぶきとともに、ドサッ、ドサッと落ちてきたのは、無残な姿になった騎士と軍馬。
「しょ、将軍、停止命令を!」
罠を警戒していたヴェルナー准将が慌てて絶叫したが、もう遅かった。
続けざまに前と、そして後ろからも大爆発が起った。
激しい爆風とともに撒き散らされた鉄片は、絶叫と怒号のなかで、帝国軍の将兵の命と士気を確実に削り取っていく。
爆発とともにもうもうと立ち込めた煙にまかれ、視界まで遮られる始末。
「な、なんだぁ!」
自ら槍を構えて前進していた猛将ドハンも、あまりのことに呆然となる。
薄暗がりの中で、赤々と噴き上がる炎。
ハルトの居るレギオンの街に侵攻しようとした帝国軍の、地獄の一日が始まる。





