最終話求婚が、また来る
「翌日、応接間で待っていると、執事が「ヴァレン様が庭にてお待ちです」と告げに来た。なぜ庭だろう、と首をかしげながら向かうと、そこには珍しく私服姿のルーカス様が、大きな苗木の鉢を抱えて立っていた。
「これを、届けに来た」
「木、ですか?」
「学園の裏庭のと同じ種類だ。お前がよく話しかけていたと聞いた」
心臓が跳ねた。まさか、あの念話のことを知っているのだろうか。動揺する私をよそに、ルーカスは苗木を庭のガゼボに下ろし、ぶっきらぼうに続けた。
「異常気象の予兆、俺たちだけじゃ気づけなかった。お前と、その木のおかげだ。だから、礼がしたかった。団の中では、お前の報告がなければ今頃どうなっていたか分からない、という話で持ちきりだったくらいだ」
侍女がお茶を運んでくる間、私たちは無言で苗木を見つめていた。うららかな陽の下、小さな葉が風に揺れている。
『久しぶりだな、レティシア』
苗木から、聞き覚えのある念話が届いた。裏庭の大樹と同じ木らしい、幼い声だった。
『こやつ、お前のために似た木を、街中探し歩いておったぞ。三日もかけてな』
「ちょっ、木、余計なことを言うな……!」
慌てる私の顔を、ルーカスがじっと見ている。
「三日も、探したんですか?」
「別に。ただの礼だ」
耳が赤いのは気のせいだろうか。ぎこちなく視線を逸らすルーカスを見ていると、こちらまで笑いがこみ上げてくる。しばらく無言で苗木の世話をする私たちの間に、穏やかな沈黙が流れた。それは気まずさではなく、不思議と居心地の良いものだった。
ルーカスは口数が少ないが、苗木の葉の向きを気にして水やりの角度を細かく調整するなど、意外なほど世話焼きな一面を見せた。無骨な指先が小さな葉をそっと支える様子に、私はつい見入ってしまう。
「そんなに見られると、やりにくい」
「あ、ごめんなさい。つい」
二人して気まずく視線を逸らし、また同時に小さく噴き出してしまった。
ふと、遠い記憶の断片がよぎる。こことは違う、もっと騒がしい世界で、誰かと並んで木を見上げていたような――そんな懐かしさだった。うまく思い出せないが、悪くない気分だった。
「その、木と話せることは、いつから知って?」
「団の古老が知っていた。木々は正直者を好むと。お前のことは、昔から気になっていた」
思いがけない言葉に、今度は私の頬が熱くなる番だった。
「これから、団の遠征が増える。お前の力がまた必要になるかもしれない」
「はい、いつでもお申し付けください」
「それに、お前が長年、その力を誰にも信じてもらえなかったことも、団の古老から聞いた。……悔しかっただろう」
思いがけない一言に、胸の奥が詰まった。誰にも言われたことのない言葉だった。
「……少しだけ、悔しかったです」
素直にそう答えると、ルーカスは僅かに口元を緩めた。無口な彼にしては、精一杯の表情だったのだろう。
「……それと、俺自身も、また会いに来たい」
思わず顔を上げると、ルーカスは真っ赤な顔で視線を逸らしていた。
『そういえば、こやつ、求婚の言葉を用意してきたはずだが』
木がぽつりと漏らした一言に、ルーカスの肩がびくりと跳ねた。
「お前、それは言うなと言っただろう……!」
「求婚の、言葉?」
私が聞き返すと、ルーカスは耳まで真っ赤にして黙り込んでしまった。しばらくの沈黙のあと、絞り出すように一言だけ。
「……また、来る」
そう言い残して、逃げるように帰っていく背中を見送りながら、私は笑いを堪えきれなかった。
昨日まで、私は婚約者に選ばれなかった、地味で価値のない娘だった。今日、私は木にまで急かされる不器用な騎士に、選ばれかけている。
人生とは、分からないものだ。地味だと言われ続けたスキルも、認められなかった八年間も、無駄ではなかったのかもしれない。
その夜、裏庭の木にそっと話しかけると、笑いを含んだ念話が返ってきた。
『次は、ちゃんと言えるといいがな』
私も、同じ気持ちだった。
数日後、ルーカス様から届いた手紙には、次の遠征の予定と、あの苗木の名を一緒に考えてほしいという、なんとも彼らしい不器用な一文が添えられていた。名付け親を任されるほど、木にも懐かれる私の日々が、これからも少しずつ賑やかになっていくらしい。
地味だと笑われ続けたスキルが、こんな未来を連れてくるとは思わなかった。婚約破棄されたあの日から、私の世界は確かに変わったのだ。
窓の外では、庭の木々が夜風にざわめいている。その中の一本が、まるで私を見守るように、いつもより優しく葉を揺らしている気がした。
誰にも信じてもらえなかった小さな声に、これからはきっと、耳を傾けてくれる人がいる。それだけで、十分だった。完




