十話
「これが川か。海と錯覚するような大きさだな……」
燦燦と輝く太陽の元、向こう岸が見えない広大で巨大な河川を見て雄斗は呟く。
この川はサンテルト川。【アヴェスター】三大河川の一つでありイーラジ王国の周辺にある川はすべてここより分岐したものだそうだ。
ぐるりと周囲を見渡すと人気はないが河川近くには無数の建物や建物跡がある。
建物はここら一帯を管理しているアラム家が所有する建物であり建物跡は数百年前、この近くにイーラジ王国の首都があった時の名残だという。
「しかし何故【アヴェスター】まで来た俺は水着姿になっているんだろうか……」
「おや鳴神君は服を着たまま川や海で遊ぶ人だったのかい?」
隣にいる水着姿のシャハブが両肩に担いでいたクーラーボックスを下ろして言う。
中を開けてみれば氷と水に浸された飲み物や果物、アイスなどだ。
「俺の世界ではそう言う人もいるんですよ。
いやそれはいいとして、どうしてここにいるんだろうかと思いましてね」
「まぁまぁ。この暑さだし川で涼むのも悪くはないだろう?
それにここは我が一族が自慢できる数少ないところだからね。僕も招待したかったんだよ」
川から吹いてくる涼やかな風。外の暑さに反した予想以上の冷たく心地よい風だ。
それを浴びてシャハブは視線を細め、遠くの大河に目を向ける。
「何か悩ましいことや難しいことを考えるとき、僕はここに来るんだ。
この雄大で果ての見えない河川を眺めていると悩んでいたことが自然と整理されるからね」
「まぁ確かに。こんなものを前にしていると自分ひとりの悩み事なんてちっぽけに思えますね」
果ての見えない水平線に太陽の光を浴びて青く輝く川。
古代、水が希少だった【アヴェスター】では川は大地や海と同じく生命の温床の地と言われていたそうだが、この光景を見ると確かにそう感じざるを得ない。
「それに楽しみじゃないかな? マリアたちの水着姿が拝めるのは。皆スタイルがいいから男としては眼福だろう?」
──ああ、心配しなくても僕が見るのはフーリただ一人だけさ。君は雪菜ちゃんやマリアたちをじっくりたっぷり嬲るように見るといいよ」
「……。シャハブさん、俺はここ数日の間であなたたちの印象が大きく変わっていっているのですけど」
雄斗とて神々が高潔な人ばかりでないことは知っている。
だがアザードにシャハブ。マリアが語っていた二人は雄斗が思い描いていたイメージとは大きくかけ離れていた。
いきなり勝負を仕掛け、それがかなわないとなると駄々をこねるアザード。
真面目だと思いきや唐突にスケベな話を振るシャハブ。
戦うときの2人の頼もしさを見た後だと、余計に残念に思えてしまう。
「僕たちはまだかわいいものだよ。
アルシア様はちょっと周りが引くくらいの親馬鹿だし、ラフシャーン様はある意味アザード以上の問題児だよ」
「……。もういいです。
それよりもあいつら遅いですね。俺たちに色々な準備をさせておいて何をやっているんでしょうか」
レジャーシートを引き終えて雄斗は文句を漏らす。
「女性は準備に時間がかかるものだよ。
その間にでも彼女たちの麗しい水着姿への賛辞を考えておけばいいんじゃないかな」
「参考までにどういうことを言うつもりなんですかシャハブさん。ぶっちゃけますが俺はそう言うのは大の苦手です」
知り合いの女性がいないというわけではないが深い仲になったことはない。
褒めるといっても普通にきれいだとか可愛いぐらいしかボキャブラリーが思い浮かばない。
「そう悩むことはないさ。心が感じたままの言葉を言えばいいと思うよ。
少なくとも僕はいつもそうしている」
「なるほど……」
男として戦士としてもはるかな先達の言葉。
それを胸に刻んだ時だ、背後に人の気配を察する。
「ほう、これはこれは……!」
「……!」
姿を見せた女性陣──マリアと雪菜を注視した雄斗は大きく口を開ける。
まずマリア。ワンピースタイプの水着で清楚な白色だ。しかしサイドが綺麗にカットされ肌が大きく見えるいわゆるモノキニ型だ。胸元も大きく開いており思わず視線が吸い寄せられる。
次に雪菜。彼女は全く予想外の黒ビキニを着ている。マリアに匹敵するであろうスタイルを黒の少ない布地が隠しており、しかもサイドが紐で結ばれている、いわゆる紐ビキニだ。
「素晴らしいよフーリ。君の美貌と優しい空気はいつも僕を慰め、癒してくれる。
これでしばらくは何があっても大丈夫だ。戦と政に悩み苦しむ僕をこれからも支えてくれ」
「もちろんですわ、あなた」
公衆の面前だというのに抱き合う二人。
ちなみにフーリはマリアと同じワンピースタイプの水着で布面積も普通だ。
シャハブたちが作り出した胸焼けする二人の世界から目を背け、雄斗は改めて雪菜、マリアの方を見る。
(心が感じたままに、ね)
先達のアドバイスを思い出し、雄斗は口を開く。
「あーなんだ。二人ともよく似合っている。本当に、驚いた」
頬に熱を感じながら雄斗は言う。
それを聞き雪菜は頬を赤く染めて顔を伏せるが嬉しそうな笑みを浮かべる。マリアも当然という風な態度を取るが浮かべる笑みはいつもよりも深く、嬉しさに満ちている。
悪くない感触を感じた雄斗はさらに思ったことを口にする。
「それとだな。二人とも凄くエロい。
マリアの白の水着は清楚でありながらお前らしい健康的な色気が凄いし、雪菜の黒ビキニはらしくないがよく締まった体に見事フィットしているし、その恥ずかしがる様が只ならぬ色香を出している。
素晴らしいの一言に尽きる」
言い終えると同時、マリアは笑顔で間合いを詰め、平手で雄斗の頬を張る。
こちらが動く間もない、絶妙な速度と威力の張り手に雄斗の体は浮き、地面に叩きつけられた。
(……思うまま褒めたのに。なぜこうなる?)
左頬に痛みを、心中に疑問を覚えながら雄斗は起き上がる。
そして体を起こした時にはマリアと雪菜は遠くに離れていた。そしてこちらを見るや冷たい視線を向け、そっぽを向く。
「あらあら。すっかり嫌われちゃったわね」
「ああも男の欲望を前面に出したコメントをしたのですから当然かと」
「うーん、私の未来の夫候補者は無自覚なオープンスケベですか。ある意味兄様と同じぐらい困った人ですね」
そう言うのは遅れてやってきたネシャートとレイリ、ファティマの三人だ。彼女たちの水着姿もマリアたちほどではないが素晴らしい
ネシャートは赤のビキニを着て元々放っていた色香を倍加させているし、レイリは大人しい彼女に似合う藍色や水色の色彩のワンピース、ファティマもレイリと同じく雰囲気に似合うフリルなどが付いた布地の多い可愛らしいビキニ姿だ。
揃った一行はそれぞれ川辺で遊ぶ。日光浴や魚釣り、ボートで海のように広い川に出たりなど。
そして雄斗は最初は敷いたレジャーシートに寝そべり日光浴をしていたが、ビーチバレーなどに誘われるなど、適度に体を動かす。
何試合かした後、皆と共に休憩し、雄斗はシャハブに一言告げてサントルテ川に潜る。
魔力を使って心肺機能、呼吸を高め、川底に向かう。周囲を見渡すと、澄んだ青色の川が太陽の光を浴びてより鮮明な青の輝きを見せ、その中を多種多様な魚を始めとする海洋生物たちが自由気ままに動いている。
その様は海の中を自在に踊る舞手を連想させる幻想的な光景だ。
(綺麗だなぁ)
川だというのに海の底にいるような光景に見とれ、雄斗は思う。
しばしそれをぼーっと眺め、満足し浮上しようとした時だ、視界の隅に雄斗と同じように海に潜ってきたマリアの姿が目に入った。
しかし彼女は周囲の美しい光景に目をくれることなくひたすらどこかに向かって泳いでいく。こちらにも気づかず表情もどこか暗い。
一瞬放っておこうとも思うが仲間であり、最近では共に身の処遇を考えさせられている者同士。気になり後をつける。
しばし後をつけたマリアは海底にある巨大な岩壁にある穴に入っていく。彼女が入ったあと少し時間を置き、後を追う。
(……神殿?)
水面から顔を出して雄斗が見たのは古びた建物だ。手入れがされておらずボロボロになった教会に似た感じの。
到着していたマリアは砂浜に腰を掛け物思うような顔をしている。改めて見るといつもの明るさや元気の欠片もない。
(帰るか)
話しかけられる雰囲気ではない。そう思い頭を水面に突っ込もうとした時だ、神殿奥から巨大な粘体生物が姿を見せる。
そしてそれは背中を向けているマリアに向かっていく。考え事に集中しているのか彼女はそれに全く気付いていない。
(ちいっ!)
【異形種】ではないが、それから危険な気配を感じ取った雄斗は水面から飛び出す。同時、粘体生物は無数の触手を生やすとマリアの体にまとわりつく。
「鳴神君!? えっ!? こ、これはダルヤースライム!?」
手足を縛られ宙に持ち上げられるマリア。それを見て雄斗は【万雷の閃刀】を召喚。雷を無数の鏃に変えてマリアを束縛する触手を打ち抜く。
動きを止める粘体生物。その間砂浜に落下していたマリアを雄斗は抱き留め着地。痙攣している粘体生物に止めを刺そうとするが、
「待って鳴神君! 殺さないで!」
何故か腕の中にいるマリアに止められる。
思わず彼女を見て何故止めるのかを視線で問うが、マリアは神殿の奥を指差す。
すると彼女が指さしたところから小型の粘体生物が数匹──否、十数匹が出現する。
「なんだあれは……!」
「多分子供のダルヤースライムだよ。あの大きいのは親だろうね」
「というかダルヤースライムってなんだ。モンスターか」
「【アヴェスター】の川や海にいる巨大なスライムのことだよ。大人しく温厚な生物として有名なんだ」
「その割にはお前を襲ってきたんだが」
雄斗がそう言うと、マリアは困ったような顔になる。
「例外は自分の縄張りに侵入された場合かな。多分ここを根城にしていたんだね。
しかもわたしを捕らえたところを見るとまだ自分で餌を取れない子供たちにわたしを与えようとしていたんだと思う。あと子供がいるから気が立っているというのもあるね」
「そうか。──んで、どうするよ」
軽く息をつき雄斗は言う。
マリアの言う通り大人しい生物なのか、攻撃された親スライムは攻撃してこず、その場にじっと留まっている。
ただ雄斗たちに対する戦意は感じる。マリアの言う通り近づけば再び攻撃してきそうな雰囲気だ。
そして子供スライムたちはそんな親の真似をしているのか、それとも攻撃された親を庇っているのか、親スライムの周りに集まってきていた。その様はいざとなれば親同様、こちらに襲いかかってきそうにも見える。
それを見てマリアは視線を細め、言う。
「行こうか、鳴神君」
「……。わかった」
無益な争いをする気はない。雄斗は頷きマリアと共に再び浸水する。
再び海底を泳ぐ二人。マリアは別の洞窟に入りその後を追うと、先程と似た空洞と遺跡がある砂浜に出た。
今度は珍客がいないことを確認し、二人は砂浜に体を寝そべらせ一息をつく。
「ありがとう、助けてくれて」
「別に大したことじゃない。あんなスライム、お前でもすぐに対処できただろう」
「そうなんだけどダルヤースライムは海の守り神なんて言われているからね。
なるべくなら傷つけたくないんだ。特に親子連れなわけだし」
「そうか。……ところで先程見た遺跡やここの遺跡はなんだ?」
「ファルナーズ様から聞いた話によると過去のアナーヒター様が造ったものらしいよ。
こんなところに作るのだから秘密の場所だったらしいけど」
マリアの言葉を聞き雄斗は立ち上がると改めて周囲を見渡す。
広さ50メートルはあろうかという洞窟と砂浜に破損してある遺跡。こちらは先程見た教会と似たような作りだが建物の上部がなぜか消し飛んでおり破損状況がひどい。また天井には穴が開いて太陽の光が差し込んでいる。
「ここ、何か曰く付きの場所だったりしないよな」
「そんなことはないよ。──ああ、建物が壊れたのはわたしとシャフナーズがここで修行している間、ちょっとやらかしたからだよ」
「何やってんだお前たち……」
思わず突っ込む雄斗。しかしマリアはそれに反応せず砂浜で膝を抱える。
いつになく元気がないマリアを見て、何か明るい話題をしなければと思う雄斗。そこでマリアが口を開く。
「はぁ、最近、考えることが多くて大変だよ」
「そうだな。俺も最近自分のことで世界がいろいろ動いているのを知って頭を悩ませている」
「そうだねぇ。……結婚かぁ。どうしようかな」
マリアが放つ複雑な心境が籠った一言。
おそらく自分だけではなくシャハブのことも含まれているのだろう。
「なぁ、何でお前あんなにフーリさんに食ってかかったんだ?
あの人も言っていたが神々が複数の妻を娶るのは多元世界では常識みたいなものだろう」
それでなくてもマリアの反応は過敏すぎるように思えた。
シャハブとフーリについては雄斗は顔を会わせる前からマリア当人から話を聞いていた。先代アナーヒターと同じく自分を導いてくれた頼れる先達。兄や姉のような存在だとも。
色々と思うところがあるだろうがマリアの性格から考えてまず祝辞を言いそうなものだが。
「わたしはあの二人をずっと昔から知っているの。二人の仲の良さもお互いをとても強く思っているのも。
そして二人とも二人目の妻は迎えないと断言していたわ。お互いがいれば十分だと」
マリアの言葉に雄斗は思わず頷く。
先程の川辺で時折二人の様子が視界に入ったが周りのことなど見えていない、実に仲睦まじい夫婦だった。
正直あの様子では二人目の妻などいらない──というよりもたとえ迎えても間に入る隙が無いように思えた。
「なのに前言を撤回した。しかもその相手がお前と因縁のあるシャフナーズだから、あの反応か」
「わたしとしてはシャフナーズを迎えることが不思議でたまらないの。わたしもシャフナーズもシャハブさんたちにとっては妹のような扱いを受けていたから。
なのに……!」
そう言って表情を歪めるマリア。
その嫉妬の感情に支配された顔を見て思わず雄斗は突っ込む。
「お前、シャハブさんが好きだったのか」
言うと同時、マリアの頬に朱が差し、こちらをギラリと睨んでくる。
無粋な指摘をしてしまったことで彼女からくる反撃に備え雄斗は小さく身を浮かす。しかしマリアは不機嫌そうな息をつくだけだ。
「あーなんだ。お前、こうなることは神となった時にわかってただろ。相手を探そうとはしなかったのか」
「もちろんしたよ。知り合った人たちは皆、個性的だけど悪い人じゃないよ。お見合いパーティみたいのにも何度か参加したこともあるし。
でもこうビビッとくる相手はいなかった」
「じゃあその中で一番マシな相手に今からでも婚約を申し込んだらどうだ?」
「それはできないよ。雪菜ちゃんに悪いから」
「俺かよ」
冗談めかして雄斗は言う。
しかしよほど思詰めているのか、彼女は素直に頷く。
「うん。君といるとすごく楽。遠慮なく馬鹿やれるし喧嘩もできるし、素のわたしでいられる時間も長いし。異性として好きではないけどそれなりに好意もある。
──でも雪菜ちゃんが悲しむから婚約を申し込むことはできない。それに鳴神君も多分わたしに対してはわたしと同じ心境だろうし、そんな相手に婚約を申し出られても迷惑でしょ」
「……」
正確な指摘に雄斗は口を挟めない。彼女の言う通りマリアは親しい異性で友人以上の域を出ていない。
何より自分はいずれ【アルゴナウタエ】から去る人間。アナーヒターとしてこれから十数年生きるであろう彼女とは歩めない。
だが──
「……あーなんだ、マリア」
「何?」
「お前さえ嫌じゃなければ、ビビっとくる相手が見つかる前の間婚約してもいいぞ。まぁ俺が【アルゴナウタエ】を辞めるまでの短い期間になるが。
一応念を押して言っておくが昨日のお前みたいに冗談で言っているつもりはない」
マリアの言う通り今のマリアへの気持ちは仲のいい異性の友人だ。しかし本当に困っているならばできる範囲で力になりたいとは思う。
「それとお前と婚約することは、俺としてもメリットがないわけじゃない。【アヴェスター】の神々と親交を深める機会は増えるだろうし、彼らと仲良くなり俺の平穏な生活を守るよう助力を乞えるかもしれない。
雪菜や叢雲家に関しては気にするな。元々条件付きで婚約しているんだし、似たような条件でお前と婚約しても文句はないだろう──」
「そっか。なら本当に婚約しちゃおうかな」
甘えが籠ったマリアの声を聞き、思わず雄斗は視線を彼女に向ける。
先程まで膝に顔を伏せるようにしていたマリアはこちらに顔を向け、笑みを浮かべていた。
かすかにうるんだ瞳とうっすらと赤く染まっている頬。今まで見たことがない女性としての色香が強く漂うそれに思わず雄斗は目を奪われる。
「……なーんてね、冗談だよ!」
数秒見つめ合ったのち、マリアが笑いながら言う。
その豹変ぶりに思わず雄斗は「へっ?」と気の抜けた声を出す。
「鳴神君の気持ちはありがたく受け取っておくよ。でもやっぱり雪菜ちゃんを悲しませるのは嫌だから、お断りさせてもらうね」
「おい、さっきも言ったが雪菜に関しては気にしなくても──」
その先を言おうとした雄斗の鼻先にマリアは指を突き付ける。
「わたしは気にするよ。それと鳴神君、そろそろ雪菜ちゃんの気持ちに向き合って答えたらどうかな。
気付いていないなんてことは流石にないよね」
笑顔から一転したマリアの真顔。それを見て雄斗は渋面になる。
言いたいことはわかる。婚約して数ヵ月、彼女が自分に向ける好意が女が男に向けるそれになりつつあることが。
「……人の心配している場合かよ」
「それ、鳴神君にも言えるよね。いい加減男を見せなさい」
そう言って立ち上がる彼女。大きく背を伸ばし、溌溂とした笑顔を見せる。
「うん、決めた。鳴神君が【アルゴナウタエ】を去る来年の春までに相手を決める!」
「そんな簡単に決められるのか……?」
「わたしに婚約を申し出ているのは陛下たち【アヴェスター】の方々だけじゃないから。
知らないと思うけど結構人気者なんだよ、わたし」
Eカップ相当の胸を張っているマリア。
いつもと変わらぬ様子を見て雄斗は今の今まで悩んでいたのはなんだったんだと心中で突っ込む。
「まぁ頑張れよ。もし相手が決まらなかったら悲惨だけどな」
「その時は雪菜ちゃんを正妻に迎えている鳴神君に貰ってもらうからよろしくね。わたしは第二婦人でもかまわないから♪」
「絶対お断りだ。つーか俺が雪菜を娶ると決まったような発言は止めろ」
「あら、じゃあわたしが正妻で雪菜ちゃんが側室かな? うーん、後から申し出てそれはちょっと複雑だなぁ」
「人の話を聞けよ……」
突っ込む雄斗にマリアはあははと明るく笑う。
軽い冗談を交えて雄斗をからかうマリアはいつも通りに見える。とはいえ完全に悩みが無くなったわけではないだろう。
だが冗談を言える程度の元気は出たようだ。これならしばらくは問題ないだろう。多分。
(話をしたかいはあったってことかね)
そう思いながら雄斗も砂浜から立ち上がる。
「さて、そろそろ戻るとしようかな。あんまり姿を見せないとみんな心配するからね」
そう言ってマリアは水面に姿を消す。雄斗は軽く息をつき、その後を追うのだった。
◆
「う~ん。いいお湯。癒される~」
アザード邸の湯殿にある十数人が一気に入れそうな大きな湯船につかり、マリアは大きく背筋を伸ばす。
マリアたちが使用しているここは客人専用の風呂とのことだ。銭湯を思わせる広さを持つそれはさすが大英雄の家というべきか。
「ずいぶんご機嫌だねマリア。何かあったの?」
そう言って湯船につかるのはレイリだ。
マリアは「別にー」と軽い口調で答えるが彼女は静かにこちらに近づいてくる。
「昼間、サントルテ川で遊んだ後──ううん、海底遺跡から鳴神君と戻ってきた後かな」
平静な瞳を向けてくるレイリ。しかしその眼には強い関心がある。
「彼と何を話したのかな。ううん、もしかして何かあった?」
「何もないよ。ちょっと話をしただけ」
そっけなく言うマリアだが直後、雄斗の顔を思い出し小さく噴き出す。
再び追及してくる親友から逃げ、マリアは体を湯船に浮かす。
そして昼間の遺跡で見た雄斗の顔──ぎこちなさと面倒さ、そして少しの気遣いが入り混じったのを再び思い出し、微笑む。
(全く、鳴神君は……)
正直、彼が──仮初とはいえ──婚約を持ち掛けてきたのは予想外だった。
よほど自分がシャハブの結婚や自分の未来について思い悩んでいたということかもしれないが。
情けないと思う一方、自分を見ていてくれたことが少し嬉しく思う。
(そう言う話、鳴神君がすることはほぼなかったもんね)
雄斗にもそう言う話が全くないわけではない。なんだかんだで【アルゴナウタエ】で実績を上げている彼は所属する女性職員や指導を受けた学院の生徒たちからはごくわずかだが人気があるのだ。
そして片手で数える程度だが直属の上司であるマリアにそう言った女性から雄斗を紹介してくれないかと頼まれたこともある。まぁ雄斗の事情を話しやんわりと断ったが。
(もしかして鳴神君、気づかないうちにわたしに惚れているとか? ……まぁないか)
一瞬脳裏に浮かんだ万が一の可能性。しかし普段の雄斗を思い返し、あっさりと消す。
マリアとて一人の女性。異性から向けられる視線にはそれなりに鋭い。そして彼が向けてくるそれは友情の域を出ていない。
そしてそれに例外はない。婚約者である雪菜に対しても。
(あれだけ雪菜ちゃんが好意を示しているのに全く変化がないのよね)
婚約者と言う関係になっての数ヵ月。最初こそ淡い想いだった雪菜のそれは、今や完全に恋となっている。彼の家に通うときの恥ずかしがりながらもどこかうきうきとした姿はまさに恋する乙女そのものだ。
だが雄斗はそれに薄々気付いているようだが応える様子はない。婚約者となっても雪菜に対する態度は優しくなっているがそれは恋人に向けるものではなく、年下の後輩を気遣うそれだ。
ああは言ったが、果たして答える気はあるのだろうか──
「なるほど。確かにレイリさんの言う通りさっぱりした顔になっているわね。眉間の皺もすっかり無くなっているみたいだし」
ちゃぽんとした音を立てて【アルゴナウタエ】最大の爆乳を湯船に浮かばせるネシャート。雪菜も静かに湯船に入ってくる。
「鳴神君と何を話したのかしら? 彼に問いただしたけど特に何もの一点張りなのだけど、言いにくそうな顔をしてもいたのよね」
ニコニコとした笑顔を浮かべながら言うネシャート。
流石は年の功。普段通りの顔を作っていた雄斗の微細な動きを見逃さなかったようだ。
「お互いのいろいろな事情について相談して、考えがまとまっただけです」
こちらに不安そうな眼差しを向ける雪菜に聞こえるよう、はっきりとした声でマリアは言う。
「そうなの。──しかし鳴神君も結構罪作りな男の子よね。
この数日で三人もの女の子から興味を抱かれるのだから」
「三人?」
「だ、誰なんですか?」
目をしばたかせるマリアに湯船から立ち上がる雪菜。
「ファティマちゃんにシンシア姫、アイシャさんの三人よ。
特にアイシャさんは参ったわ。すっかり彼を気に入ったみたいで、自分の婿候補の一人にしてやってもいいなんて言うんだから」
困った顔をしてネシャートは話す。初耳の話に思わずマリアは目を丸くする。
先日の巣の殲滅作戦直前、彼女からいろいろと雄斗について尋ねられたそうだ。
(自分を傷つけた相手に興味を持つなんて相も変わらず独特な……いや、彼女らしいともいえるけど)
しかも上から目線の発言。マリアは苦笑する。まぁ雄斗が聞けば絶対に拒否するだろうが。
「アイシャやファティマちゃんはわかりますがシンシア姫とは接点ありましたか?
先日の掃討戦で一緒に戦ったぐらいだと思うのですが」
「そうね。でもあの様子を見る限り、それだけじゃなさそうだけど」
「ど、どんな様子だったんですか?」
「命を救われたとはいえ随分好意的だったわ。彼女とは何度か式典で顔を会わせているけど、あれはその時に見せる儀礼的なものではなかったし」
ネシャートの言葉を聞き、マリアは雄斗の来歴を思い返す。そして首をひねる。
いくつか大きな戦いに巻き込まれた雄斗だが記録上ではシンシアと接点を持ったことはない。彼女の故郷でもある【オリュンポス】にも行ったことも。
(同じ【七雄宝物】の所持者だから?)
一番あり得そうな可能性はそれしかない。だがそれだけで【オリュンポス】の姫君が個人的に好意を持つものだろうか。
「あの子は、どうするのかしらね」
立ち尽くしていた雪菜を湯船につからせネ、どこか遠くを見るような眼差しをするネシャート。
あの子とは雄斗の事だろう。ネシャートもある意味雄斗に似た来歴の持ち主。昔のことを思い出しているのだろうか。
「あ、あの! 明日ってお休みでしたよね!?」
再び湯船から立ち上がる雪菜。
まるで戦いに挑むような顔をしている彼女を見て、マリアは瞳を目を丸くする。
「そうだけど、どうしたのいきなり」
「もしかして鳴神君をデートに誘おうとしているかしら?」
「……。はい!」
からかう口調のネシャートに雪菜は数拍沈黙したのち、頷く。
それを見てネシャートは一瞬唖然とし、次の瞬間微笑む。
「それで、あの、ネシャート様」
「皆まで言わなくていいわ。しっかりとしたデートプランを立てるとしましょう。
と言うことだから私と雪菜は、先に上がるわね」
そう言って彼女は雪菜と共に浴槽から去っていく。
「大人しいと思っていたけどやっぱりマリアの同僚ですね。
勝負に出る機をわかっているわ」
「そうだね。……まぁネシャートさんの挑発に乗った気もするけれど」
最後の方は誰にも聞こえない小さい声で呟くマリア。
アイシャ達のことはこの場で出す必要はなかったはずだ。後で雄斗の上司であるマリアに言えばいいだけのことだ。
おそらく雪菜に発破をかけるためなのだろう。彼女なりの気遣いと言ったところか。
二人からやや遅れて浴槽から出るマリアとレイリ。着替える最中、マリアはぽつりとつぶやく。
「二人はデートか。わたしはどうしようかな……」
「数時間だけなら付き合えますよ。久しぶりに街を見回ってみません?」
脱衣場で髪を乾かしながら言う親友にマリアは「んー……。考えておく」と言って部屋に戻る。
部屋の角にいる雪菜とネシャートの姿が目に映る。二人は地図やPCに表示されている店を真剣な表情で見つめ、入念なデートプランを作成しているようだ。
邪魔をしては悪いと思いマリアは寝る前のケアを済ませベットへ。柔らかい布団に身を沈ませる。
(……なんでだろう)
睡魔が襲ってきて視界がぼやける中、マリアは不思議に思う。
明日の雪菜と雄斗のデート。頑張れと思う。しかし同時にこうも思う。
何故かそれを以前ほど喜べなくなっている──と。
次回更新は8月19日 夜7時です。




