八話
「……なぁ、雪菜。今からマリアは歴代のアナーヒターに向けて崇拝と感謝の舞踊を捧げる儀式なんだよな」
「そうですね」
「なのに何でこんな見物客がいるんだ? これじゃあまるで見世物だぞ」
周囲にいる大勢の一般人を見まわして雄斗はどこか呆れたような口調で訪ねる。
彼がいるのは石造りの神殿。そしてその中央には直径数百メートルはあろうかと言う巨大な湖がある。
ここはスーラ神殿。【アヴェスター】最高峰の山であるヴァンダーマ山脈の中腹にある神殿で、初代アナーヒターが誕生した聖域とされている。
アナーヒターはもちろんその関係者にとっても重要な場所であり、アナーヒターにとって重要な日には今回のようにさまざまな儀式が行われるらしい。
神の儀式と聞いてから雄斗はてっきり肩がこるような厳かなものと思っていたのだが、会場となる眼下の湖とその周囲には大勢の一般人の姿がある。
「神の儀式と言っても様々ですよ。兄さまの場合も人を招くことはありますし。まぁこれほど大勢ではないですけれど」
「そ、そうです。姉様や兄様の時も儀式によってお祭り騒ぎをしたこともありました。もちろん雄斗さんがイメージされているような儀式もありますけど」
「そうか……。俺はまだまだ勉強が足りんな」
ファティマ、雪菜の言葉を聞いて乾いた笑みを浮かべながら雄斗は言う。
「それにしてもマリアの奴も大変だな。
シャハブさんの結婚式に参加するために【アヴェスター】にやってきたはずなのに」
「今日は神殿での舞踊。明日は王城でイーラジ国王との謁見とシャハブさん達との対面。後日にも細かい仕事がいくつもあるわ。
でもこれが神としてのお仕事。特に私やマリアのような継承した神の世界に普段からいない神々は、その世界に帰省すれば慕う者や世界に対して何かしらの奉仕をしなくてはいけないのよ」
共感するようにネシャートは言う。
そう言えばと雄斗は思いだす。二カ月に一度の割合でマリアは【アヴェスター】に帰省しているが、帰ってきた後は気疲れした様子が見られた。
詳しくは語らなかったが、いろいろと苦労しているのだろう。
「面倒くさい話だ……。神じゃなくて本当に良かった」
「そうですね。アザード兄さまも行事は面倒そうにしています。
フェリドゥーンになりたての頃は儀式が嫌で逃げ出そうとしたこともあったそうですし、今でもたまにそのようなそぶりを見せることがあります。
──おかげで何かしらの行事があるたび、【竜討旗に集う勇士】の皆さんは厳戒態勢を敷いています」
「苦労しているなぁ……」
「鳴神君も他人事じゃないけどね。
もし何かしらの理由で【高天原】に行くようなことがあればマリアと同じか近しい目に合うんじゃないかしら。
神ではないけど現【万雷の閃刀】の継承者なのだからね」
「……そうなのか、雪菜」
「え、えっと。どうでしょうか……?」
視線を向けると、雪菜はしどろもどろという風になる。
と、そこへ何者かが近づく気配を感じる。視線を向けると神殿の巫女とそれらに引きつられたファルナーズと見覚えのない少女の姿がある。
「あんたも来たのか。少し驚いたな」
「私はこう見えても代々アナーヒターを継承してきたサーラ家の人間よ。アナーヒターに関する公事は顔を出すわよ」
「そういうもんか。ところで隣の女の子はあんたの妹か」
心底不本意そうな顔をしているシャフナーズから視線を横に映す。
彼女の隣にいる雪菜やファティマと近しいと思わせる少女。透き通るような白肌を持つシャフナーズに似た顔立ちで、水色の髪をツインテールにまとめ、華美ではないが清楚と清潔感漂う衣服を身にまとっている。
「初めまして。ルリ・サーラと申します。先代アナーヒター、ファルナーズ・サーラの娘です」
花が咲くような微笑みを見せ挨拶するルリ。一見普通の少女に見えるが一つ一つの動作に無駄がなく綺麗だ。
「先代の……。つまりシャフナーズ、あんたの姪か」
「ええ。ファルナーズ様に似て利発な子よ」
「そうだな」
一見戦いとは無縁そうな令嬢の恰好をしている彼女だが、ファティマと同じく並外れた魔力と外見に反した強い戦士の気配がその身から感じられる。
何事もなく成長すれば二十代になるころには現在の雄斗の匹敵、または同等の技量を持つではないかと思う。
「久しぶりですねファティマさん。お元気そうで何よりです」
「あなたもねルリ。……以前に比べて背が伸びたわね。私と同じぐらいかしら?」
雄斗たちと挨拶をかわしたあと、向き直る二人の少女。顔見知りなのか親しげに会話をかわす。
そんな少女二人を見ていると神殿内に銅鑼を叩いたような大きな音が響く。ファルナーズや近くにいる神殿の人間の視線を追うと湖の中央にマリアが立っていた。
再び神殿内に銅鑼の音が響き、湖に立つマリアは舞い始める。女神の力を使っているのか、水面の上を地面にいるような動作で舞う。
「……綺麗」
女神としての神聖さが強く漂う踊りを見たルリが小さく呟く。
神具である剣と盾を手に展開される静と動の舞踊。静の舞からは無辜の民を守り励まし癒す様が、動の舞からは戦場に挑む戦士を昂らせ、また自らも剣を取り敵に挑む──そんな印象を受ける。
アナーヒターと言う存在そのものを現した踊りであると開始前神殿の巫女より聞いていたが、まさにその通りだ。
舞が終わり神殿内に詰めかけた民衆や信者たちから盛大な拍手が送られる。汗一つかいていないマリアは周囲に向けて一礼し神殿に戻っていく。
それを見届け雄斗たちも移動。更衣室兼待合室のような役割を果たしていた部屋に入る。
「綺麗な舞でしたマリアさん! 姉さまのようでしたよ!」
「ありがとう雪菜。アメノウズメである舞香さんと同じと思われるなんて光栄だね」
「去年も見ましたがさらに洗練されていました。シャハブ様がいたら感涙するか、先代のようだと褒められたことでしょう」
「ファティマもありがとう。でもちょっと褒めすぎかな。ファルナーズ様の舞に比べたらまだまだだよ」
そう言いながらも嬉しそうな顔のマリア。
と、二人を見ていた彼女の視線が雄斗の後ろにいるルリとシャフナーズの方を向く。
「ルリ。……それとシャフナーズも来ていたんだ」
「一応、私はサーラ家の当主だし、この子があんたに話があるって言うからね」
口調こそ穏やかだが刃のような鋭い眼差しをお互いに向ける両者。
時や場所を選ばない二人に雄斗が呆れていると、そこにルリが割って入る。
「お久し振りです、マリア姉さま。お婆様やお母さまにも引けを取らない見事な舞でした。
……ところで、あの話について、考えてもらえましたか」
やや緊張したような顔立ちでルリはマリアに問いかける。そしてシャフナーズは二人をじっと見ている。
事情を知らない雄斗たちが顔を見合わせた時だ。マリアは一度まばたきし、少し申し訳なさそうな顔で言う。
「それについては以前と同じかな。
神軍は今のところ必要もないし、後継も【アルゴナウタエ】の方が忙しいから育てる余裕はないから」
神軍とは神が保有する独自の戦闘組織だ。アザードの【竜討旗に集う勇士】やシャハブの【星天団】がそれにあたる。
もう一つの後継はその言葉通り次代の神候補──すなわち当代の神が直接指導する弟子のことだ。
この二つは神となったものの特権であり、神軍の構成や後継は当人の望み通りになる──よほど突拍子もない限り──場合が多い。
とはいえマリアのように持たない神も珍しくはない。神自身の年齢が若いといった様々な事情や理由でだ。
「で、ですが姉さま。姉さまがアナーヒターを継承されてもう三年。
さすがにどちらも持っていないのはいろいろな意味でまずいのではないでしょうか」
「それは正直同意よ。私も先日、何人か後継候補を選出したし。
まぁ今のところ、私の後を継げるような実力を持った者はいないけれど」
そう言ってシャフナーズはルリを見る。
それを感じたのかルリは意を決した顔となる。
「せめて後継の候補者だけでも選抜を……いいえ!
私を後継にしてもらえませんか!」
懇願するようなルリの声。シャフナーズはかすかに眉を吊り上げ周囲にいる神殿の巫女たちはよく言ったというような顔つきをしている。
どうやらルリの本題はこれのようだ。さてどうするのかと雄斗は思い、目を丸くしているマリアを見る。
「……ごめんねルリ。ありがたい申し出だけどさっき言った通り、わたしには後継を育てる余裕はないの」
数拍、間をおいて真剣な顔でマリアは言う。
表情が歪むルリへ静かで断固たる声音で続ける。
「ましてあなたは【アヴェスター】にて将来を嘱望されている若手。数年後には新たな神を継承してもおかしくはない。
そんなあなたをまともに育てられず将来を潰してしまったら、それこそファルナーズ様やサーラ家の人たちに申し訳が立たないわ。
シャハブさんやアルシア様、ラフシャーン様たちを始め、他の神々からも神軍や後継の誘いが来ているのでしょう? あなたの将来のためにもそちらを検討したら──」
「私は!」
マリアの言葉を遮るルリ。
かすかな涙声を含んだ、しかし強い声音で彼女は言う。
「私は、あなたの後継になりたいんです!
そしてアナーヒターを……ううんアナーヒターじゃなくてもいい。母やあなたみたいな立派な女神になりたいんです。
あなたの後継になればそれがかなうと──」
「なら猶更、わたしの後継になるべきじゃないよ」
マリアの声にルリはびくりと体を震わせる。
硬く冷たい、拒絶だけが籠った声。思わず雄斗がマリアを見ると、暗い目をした彼女の姿がある。
「わたしはファルナーズ様や他の神々の方と違って自分のことで手一杯な未熟者なの。
ファルナーズ様を目指すのはいいけど私を目指すなんてことは止めなさい。あなたの人としての器が小さくなってしまうわ。
……でも忠告はありがとうルリ。あなたのいうとおりどちらも所持していないのは流石に不味いわね。
後継はともかく神軍については近々国王陛下やキアー王子殿下に相談してみるわ。あのお二人ならきっといい知恵を貸してくださるでしょうし」
「マリア、姉さま──」
深淵のような闇を宿した眼を消して、マリアは笑顔を浮かべる。
だがルリは今にも泣きだしそうな顔をし、後ろに一歩下がる。
雄斗にもわかった。どういう理由か知らないがマリアは何が何でもルリを後継にする気はない。
「マリア、私もルリに後継になるよう打診しているの。
あなたがいらないのであれば私がもらうけど、いいかしら」
ルリの肩に手を置いた──いや少女を支えるような姿勢でシャフナーズは言う。
挑発的な声音だが表情はなぜか複雑そうだ。
「……正直わたしと同じぐらいお勧めできないけど、ルリがいいのであればわたしは止めないよ」
「……。そう。
──ところで話は変わるけど、私との【神格交換】に応じる気はないのかしら」
「ないよ。と言うかその話、まだ生きているの」
うんざりしたような顔になるマリアにファルナーズは誇らしげに胸を張って言う。
「当然でしょ。私は代々アナーヒターを継承してきたサーラ家の直系よ。
私がアナーヒターを継ぐのが正しいことで【アヴェスター】の人々もそれを望んでいる」
睨み合う女神二人。それを見ながら雄斗は隣にいるネシャートに言う。
「ネシャートさん、本当ですか」
「ええ。彼女の言う通り【アヴェスター】の一部の人たちから絶えず声が上がっているわね。
保守派の人たちがアナーヒターを先代の娘であるシャフナーズさんに、正当な継承者に返すべきだと」
【神格交換】とは言葉通り、二人の神が所有している神を交換し合うことだ。
もちろんなんでも交換できるわけではない。例えば軍神を所有している男に大地の女神を継承することはほぼできないし、光の神を宿しているものへ夜や闇の神の神格を渡すことも不可能だ。
譲渡される当人が交換される神格と適性を持つこと、また両者同士の間で合意がなされていれば交換は可能とされている。
「何度言えばわかるの。わたしがアナーヒターの正統な後継者。戦えなくなるまで他の誰にも渡す気はないよ……!」
「アナーヒターとして活躍しているのは皆もわかっているわ。でもそれは【アルゴナウタエ】として。
【アヴェスター】でも広く慕われている当代のアナーヒターが【アヴェスター】にいないことに、【アヴェスター】のために戦わないことへ不満を持つ人はあんたが思っている以上に多いのよ。
それに後継や神軍も持たず婚約する素振りもない。歴代のアナーヒターを知る保守派の方々からの我が家に時折嘆願しに来ることもあるのよ」
「そうだな。シャフナーズの言う通りだ。
我がトゥールでも一部の爺や婆、熱狂的なアナーヒター信者からそう言う声は上がっているな」
突如聞こえてきた声に雄斗は大きく目を見開く。
そして皆が同時に声のした方を振り向く。控室の入り口横、そこにはくすんだ金髪の男がいた。
身長は170程度の小柄で不敵な笑みを浮かべる顔つきは一瞬、少年と見間違うような童顔だ。
だが彼が放つ圧が外見通りの年齢ではないことを教えてくれる。漂う歴戦の戦士の空気はエドガーや鹿島と同等、いやそれ以上だ。
そしてこの人物を雄斗はもちろん、この場にいる全員は知っている。【アヴェスター】最強、変幻自在であり常勝不敗の軍神。そして全世界に十人もいない神であり【神殺士】の一人。
ラフシャーン・ピルズ・ウルスラグナ。当代のウルスラグナ神だ。
「ラフシャーン様……! どうしてここに!?」
「おいおい、つれないことを言うなよマリア。お前のアナーヒターと俺のウルスラグナは所属する国は違えど、共に【アヴェスター】を守ってきた同胞だろう。
そいつが久々に帰還して儀式を行うんだ。眠気を蹴っ飛ばして様子見に来るぐらいはするさ」
くあ、と欠伸をするラフシャーン。
「マリアとシャフナーズとの【神格交換】ねぇ。
まぁ問題はないだろ。どちらも女で女神も大地母神の系譜だし、何事もなく力は使えるだろう。
俺としてはどちらでもいいが、周りのうるさい声を一つ黙らせるなら考慮してもいいんじゃないか?」
「そんな必要はありません。誰が何と言おうとアナーヒターはわたしが、ファルナーズ様から引き継いだものです。
あの方がそうしたようにわたしも引き継ぐべきもの引き継ぎます。そんな理由で他人に譲り渡すなど言語道断です」
「そうかい。ま、それならそれで構わんが。
ただシャフナーズは諦める気がないようだからいい加減、落としどころを決めたほうが良いとは思うぞ。
女神二人がいつまでも神器を巡って相反しているのはいいニュースじゃないからな」
そう言って再び欠伸をするラフシャーン。どういう訳か知らないが妙に眠たそうだ。
言われたマリアとシャフナーズは同時にお互いを見て、そっぽを向く。
「さてルリ嬢。本命にはフラれてしまったわけだが。
シャフナーズの後継になるか、俺の神軍に入るか。どうする?」
「わ、私は……」
「ははは。その様子じゃまだ本命に未練ありありだな。ま、俺は急がないからゆっくり決めろ。
そう言うわけだお前たち。将来有望な若手を焦らすなよ?」
「わかっています。この子に無理強いはしません」
シャフナーズがそう答え、マリアは視線を逸らす。
ラフシャーンは二人──と言うよりもマリアを見て苦笑するも何も言わず、今度は視線を雄斗の方に向けてきた。
「お前が鳴神雄斗か。明のジジイ、陽司の後継。当代の【万雷の閃刀】の使い手。
……ほう。二人もそうだったがいい腕のようだ。少し剣を交えたくなるな」
「ラフシャーン様」
「冗談だ。せめて封印された記憶と力を完全に取り戻せば試したくはなるだろうがな。
それにまだ俺も全快していない。無駄に戦えばアルシアの奴がうるせーからなぁ」
制止するマリアにラフシャーンはそう言ってからからと笑う。そして笑顔のまま、いきなり彼の頭が下に落ちる。
そして聞こえてきた寝息に雄斗たちが呆気に取られる中、マリアが嘆息混じりに言う。
「ラフシャーン様、眠いのであればそろそろお帰りになってはどうでしょうか」
「……ああ。寝落ちしていたか。まだ睡眠が足りねーみたいだな。
そうだな。見るべきものは見たしさっさと帰るか」
声をかけられ顔を上げたラフシャーン。
いきなり寝落ちするとはどうなっているんだと雄斗が思う前、ラフシャーンは両手で自分の頬を叩き、つねる。
「それじゃあな。
我が同胞と【アルゴナウタエ】の諸君。また、会おう」
またしても大あくびをするラフシャーン。
同時に彼の周囲に音もなく風が渦巻く。涼やかな風が部屋に広がったと思った次の瞬間、【アヴェスター】最強の神の姿は部屋から消えていた。
「当代最強の神の一柱と言われている割に、ずいぶん気の抜けた人でしたね……」
「先日トゥール国に出現した【異形王】たちを屠った時の力がまだ回復されていないみたいね。
本来はしっかりした御仁なの」
目を白黒させる雪菜にマリアがフォローのように言う。
「回復されていないって、それほどの戦いだったのか」
「三週間前の事よ。歴戦の【異形王】と未確認の【異形王】四体をたったお一人で殲滅されたから」
「……なるほど。途方もない強さだということはわかった。回復に時間がかかるのも納得だな」
【アヴェスター】と【ヌトゲプ】、【アルゴナウタエ】連合軍の神々が総出で倒した【異形王】たちに匹敵する数を一人で斃すとは。
【神殺士】が規格外な強さや能力を持つのは有名な話だが、それを踏まえても凄まじい話だ。
神殿の奥──歴代アナーヒターたちの名が刻まれた石碑がある聖域にて儀式を行うというマリアと別れ、雄斗たちは応接間で彼女を待つ。
用意されていた菓子や果物を口にしながら、のんびりと談笑する。
「そういえばサルム国に所属する神は姿を見せなかったな。何かあったのか?」
「はい。数日前に神々は欠席し、変わりに大臣クラスを数名よこすという連絡とお詫びの品が届きました。
鳴神さんたち【アルゴナウタエ】の方々が来られる前日、サルム国にて【五欲王】の一人、【戦欲王】と当代のアシャ・ワヒシュタ様たちサルムの神々が激突。
何とか勝利し【アヴェスター】から追い出せたもののアシャ・ワヒシュタ様を含めるサルムの神々も相当な被害を被ったそうです。
おそらくその為と複数の神々が行動不能な今、【異形種】に襲撃されることを考慮してのことだと思います」
「そういう場合【神軍】から代理人がやってくるはずだけど。代理人も姿を見せなかったから、相当な被害だったのね。
全く【戦欲王】は相も変わらず好き勝手に暴れてくれちゃって」
「私の家や神殿にはお詫びの文面や金銀財宝が届いていたわ。……サルムの治安は中々安定しないわね」
【アヴェスター】はイーラジ、トゥール、サムルと言う三つの王国が存在し、その三国に所属する高位の神々や王族によって【アヴェスター】の行動を決定している。
現在、マリアが所属するイーラジ、ラフシャーンのいるトゥールは安定しているものの、サルムは様々な事情により国が不安定となっており近年、反政府勢力によるテロ行為が活発だという。
そして最近テロ組織に力を貸していたのは多元世界最大規模のテロ組織、【欲望の輩】の頂点である【五欲王】が一人【戦欲王】のようだ。無類の戦好きであると噂されている狂戦士。
(そう言えばアイツは【東京事変】でも愉しそうに暴れていたな……)
兄が再起不能となった大事件。その時に見た【戦欲王】の狂いっぷりを思い出し、雄斗の眉間にしわが寄る。
「それでルリ、あなたはどうするの?
今回マリアさんに断られた以上、遠からずどこかの神軍か、後継になるよう王国から勅命が下るはずよ」
「……」
ファティマにそう言われ、ルリの顔が曇る。
「……誘われているシャフナーズ姉さまの後継か、アルシア様、もしくはアザード様の神軍。
そのどれかにしようと考えてはいます」
「でも決めきれてはないみたいね。──というよりもマリアの後継になる以外、考えていなかったと言った方がいいかしら」
ネシャートがやんわりと言った言葉にますますルリは表情を暗くする。
それを見て慰めるようにネシャートは言う。
「私としてはマリアはあなた一人ぐらいなら面倒を見れるとは思うわ。
忙しいのは確かだけれどあなたの優秀さは私も耳にしている。あの子の補佐は十分に務まるでしょう」
「だがマリアが拒否しているからそれはないわけですね」
思わず内心が口に出る雄斗。するとルリは泣き出しそうな顔になり、ネシャートは圧のある笑顔を雄斗に向け、両隣に座るファティマと雪菜は咎めの眼差しを向けてきた。
内心で汗をかき、雄斗は「ま、まぁネシャートさんの言う通り、優秀な補佐役がいればマリアは助かるだろうな。うん、間違いない」と空々しい誉め言葉を口にする。
しかし暗くなった空気は晴れない。強まる仲間たちからの圧と非難の視線。
「あー、そうだ。ルリさん。聞きたいことがあるんだがいいだろうか。
君はどうしてマリアの後継になりたいと思うんだ。やっぱりシャフナーズと同じく次代のアナーヒターになりたいからなのかな」
「そんなことはどうでもいいことです」
強い口調で言い切るルリに、思わず雄斗は面食らう。
しおれていた花のような様子から一変した彼女。凛とした、そして誇らしげな顔で言葉を続ける。
「マリア姉さまは凄い人です。14歳で母様の後を継いで、大勢の人たちからいろいろ言われているのにそれにも平然として頑張っています。
明るく優しく強い。私の憧れです。──だから、私は姉さまの後継になって、少しでも助けたり、苦労を分かち合いたいんです」
「……そうか。そうだな」
彼女の言うことは雄斗にはよくわかる。春に出会ってからの半年、マリアがどれだけ頑張っているのかかよく知っている。
そして彼女の気持ちもよくわかる。色々と迷惑をかけている身としては特に。
「それとシャフナーズ姉さまとも昔みたいな関係を取り戻してほしいんです。
母様が生きていた時もよくケンカはしていましたけど、今みたいな険悪な雰囲気じゃありませんでした。
その、あまり上手くは言えませんけど、喧嘩するほど仲がいいというような感じでした」
「それが今は顔を合わせれば険悪、喧嘩寸前にまで発展する、と。あの二人がああなったのはいつからなんだ?」
「……母様が亡くなってからだと思います。あとシャフナーズ姉さまがアナーヒターを何が何でも欲するようになったのも」
「そうなのか?」
「母様が亡くなる前まではシャフナーズ姉さまはマリア姉さまが選ばれることに納得はされていました。
もし、万が一、自分の代わりにアナーヒターを継ぐのであれば彼女しかいないと、私にこっそり零したこともあります」
もし、万が一と言うところが強い自負を持つシャフナーズらしいと雄斗は思う。
「でも母様が亡くなりマリア姉さまが正式にアナーヒターを継承することに、最後まで反対されました。
シャハブ様やアルシア様が何を言われても聞き入れる様子もありませんでした」
「でも結局アスタルテを彼女は継承したわけか」
「先代のアスタルテ様が亡くなるとき、お母様に神器と継承権を譲渡されていたとのことです。
それでお母様はマリア姉さまたち後継から選ぶことにしたようです」
「なるほど。それでアナーヒターを継げなかったシャフナーズはアスタルテを継承したわけか」
「ファルナーズ姉さまはもちろん拒否しましたがアスタルテへの高い適性があり、叔母様やお婆様たち親族にも勧められて止む無くといった感じではありました」
「全ては先代アナーヒターの死が起因、か。
どうしてあそこまでこじれたのか、当人たちに聞いても答えはしないだろうなぁ」
雄斗のつぶやきに皆は頷く。
それから少ししてトイレを済ませる雄斗。皆のところに戻ろうとした時だ、対面の通路の壁に背を預けているシャフナーズの姿を発見する。
立ち止まった雄斗に気が付いたのか、シャフナーズは小さく笑みを浮かべ手を振ってきた。
「なんだ、まだいたのか。帰ったんじゃなかったのか?」
「聖域での儀式を見ていただけよ。それとなってないマリアにダメ出しをして来たところよ」
「……聖域での儀式は確か他者に見せないものじゃなかったのか?」
「サーラ家の私はいいのよ」
偉そうに胸を張るシャフナーズ。
そういうものなのか? と雄斗が疑問に思っていると、探るような顔でシャフナーズが問うてきた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど。……あの子、しっかりとアナーヒターをやれているの?」
「うん?」
「だから! きちんと女神としてふるまえているのかってことよ。戦いはもちろん他のところでも」
やや早口で言い睨みつけてくるシャフナーズ。
しかし怒っている様子はない。むしろ妙に気恥しそうだ。
「……。まぁそれなりにやれているとは思うぞ」
「そうかしら。昔と何も変わっていないようだし色々とやらかしているんじゃないの」
「それは、まぁ、そうかもしれないが」
時折細かいミスはあり、雄斗やエドガー達にフォローされている。まぁ取り立て騒ぐほどの事でもないが。
しかしそれを聞いたシャフナーズは我が意を得たりと言った顔となり、頷く。
「でしょうね。やっぱりアナーヒターは私が継ぐべきね。代々継承してきたサーラ家の私が」
「……一ついいか」
「何よ」
「マリアはアナーヒターとしてよくやっている。俺の聞く範囲では非難されている声もほぼない。
お前があいつにとって代わるのは不可能だと思うぞ」
「当然でしょ。【アルゴナウタエ】からすれば貴重な戦力でしょうし、身近な存在であるあんたにそんな声が聞こえるはずがない。
でもここ【アヴェスター】じゃそうでもないのよ。月に数度、あの子からアナーヒターを返還するような嘆願が届くわ。
アナーヒターは【アヴェスター】の中でも有数の知名度と人気を誇るし、ウルスラグナやミスラと並んでこの世界の護り手と思われている。
あの子が【アルゴナウタエ】で成果を上げているのは知っているわよ。でも【アヴェスター】でない場所にいて功績を上げても彼らは納得しないのよ」
そう言うシャフナーズを見て、雄斗は眉を顰める。
今の言葉。そしてやりきれないことに起こっているような態度。これは、まさか、
「だからこの世界にいる私が継ぐべきなのよ。老人や狂信者のつまらない声をあの子が気にする必要はないわ。
我が家は代々アナーヒターの全てを継承してきたのだから。功績も罪も、何もかも。
【ムンドゥス】出身のあの子がそれを引き受ける義理も義務も無いわ」
「……お前、もしかして」
「まだいたの?」
雄斗の言葉を冷や水のような冷たい声音が遮る。
声のした方を見れば着替えたマリアの姿があった。
「鳴神君に何余計なことを吹き込んでいるの」
「失礼なことを言わないで来るかしら。ただ楽しくお喋りをしていただけよ。
それとあんたに言われずとももう帰るわ。なってない儀式を見て気分が悪いしね」
「勝手に覗き見しておいて随分な言い草だね……!」.
「だったらもっとちゃんとしなさいよ。そんなざまで叔母様の後を継いだなんて笑わせるわ」
眉を吊り上げるマリアにシャフナーズは侮蔑するようなそぶりを見せて立ち去っていく。
「全く。本当に腹が立つなぁ」
「何か言われたのか」
「儀式について細かい駄目だし。……あとしつこくアナーヒターを自分に譲れって。
本当に、しつこいんだから……!」
語尾を荒くするマリア。この様子だと今までに何十回も【神格交換】の話をされたようだ。
「アナーヒターはわたしが継いだのだから。いい加減諦めろって話だよ」
「……なぁ、シャフナーズだが」
「何?」
「……いや、何でもない。
それよりやることは全て終わったのか」
「……? ええ。神殿長様にも挨拶はすませたわ」
「それじゃあ帰ろうぜ。腹も減ったしな」
「そうだね。儀式に集中しすぎてお腹ペコペコだよ。どこかのお店に寄って行こうかな」
そう言うマリアと共に仲間たちと合流。名残惜しそうにするルリに別れを告げて雄斗たちはスーラ神殿を後にするのだった。
次回更新は8月12日 夜7時です。




