第二部 第4章:鋼のカルテルと、血の試金石
国境の街を離れ、さらに数日。俺たちはゲルマニア中央平原への入り口となる交易都市へと足を踏み入れていた。そこは活気に満ちているが、その根底には法ではなく「鉄」が支配する殺伐とした空気が澱んでいる。 俺とオットーさんを除いた五人は、馬車の傍らで武器の柄に手をかけ、周囲を威圧していた。それがこの地における、もっとも安上がりで効果的な「無言の挨拶」だからだ。
俺たちが訪れたのは、傭兵ギルドの支部だった。 受付に座っていたのは、名前の通り「ひげだるま」と呼ぶのが相応しい男だった。丸々と太り、手入れのされていない汚れた髭を蓄え、脂ぎった顔をこちらに向けている。彼は差し出された俺たちの身分証を一瞥すると、鼻から抜けるような下卑た笑い声を上げた。
「団名は『緋色の傭兵団』。団長はガーブ、団員は……ひ、ふ、み……。おい、ガキ。数え間違いじゃねぇか? たったの六人だと?」
「間違いじゃない。今はまだ、な」 俺が淡々と答えると、だるま親父は机を激しく叩いて爆笑した。その振動で、机上の汚れた羊皮紙が雪のように舞い上がる。
「ぶっはははは! 六人! 通常、このゲルマニアで団を名乗るなら少なくとも五十、多ければ二百は揃えてから来るもんだ。六人のガキとジジイで何ができる? 村の溝掃除か、迷子の猫探しが関の山だ。帰れ、帰れ!」 ガーブの眉間に青筋が浮かび、彼女が背負った大刀が微かに鳴った。だが、俺は片手でそれを制し、だるま親父の濁った瞳を真っ向から見据えた。
「確かに、二百人の団には『まだ』勝てない。だが――五十人程度なら、今の俺たちでも負けないぜ」
笑い声が消え、冷酷な品定めのような視線が俺を射抜く。「……ほう、言うじゃねぇか。だったら証明してみろ」。親父は引き出しから、古びた依頼書を一枚取り出し、机に叩きつけた。
「旧街道に盗賊が出る。数は三十。村々からの共同依頼だが、報酬はたったの一〇〇〇ゴールドだ。安すぎてどの団もゴミ箱へ捨てる依頼だが、これを十日で完遂してみせろ。できなきゃその身分証を叩き割り、二度とこの門を潜れねぇようにしてやる」 「受けよう。十日もいらない。すぐに片付けて戻ってくる」
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街を出た街道沿いの野営地。クリスが仕留めた野兎のスープが身体を温めてくれるが、仲間たちの表情は暗かった。 「シン、あのおっさんの言い草、気に入らねぇ」 ガーブが焚き火を睨みつけ、呪詛のように吐き捨てる。俺たちの働きを知らない者に舐められる屈辱。だが俺は、それを冷徹に分析していた。
「いや、あれはこの地の『構造』が言わせている言葉だ」 俺はコップの白湯を飲み干し、地図の横に五つの色――黒、赤、青、緑、茶を書き記した。
「いいか、ゲルマニアの傭兵は、この『五色の群団』によって支配されている。三百年前、神聖ロマヌス帝国の『白』に対抗して生まれた五つの大軍団。それが今や、利権を独占し、戦争をコントロールする組織になっているんだ」
「つまり、新しい団が生まれるには既存の五色のどこかから『分家』するしかない。どこにも繋がりのない独立勢力は、排除すべき『ノイズ』でしかないんだ」 オットーさんの言葉に、俺は頷く。三十人の盗賊が放置されているのも、報酬が安いからだけではない。その賊がどこかの群団と繋がりがあるからだ。 「その『腐った秩序』に、俺たちが風穴を開ける。一〇〇〇ゴールドで三十人を殲滅する。それがゲルマニアの連中に叩きつける、俺たちの名刺代わりだ」
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「――んっん。今回の依頼なんだけどさ」俺、シンは、手にした薄汚れた羊皮紙を軽く振りながら、仲間の視線を集めた。
ゲルマニア中央平原への入り口となる交易都市に辿り着いて数日。俺たちは当面の活動資金と、何よりもこの地での「実績」を求めていた。だが、傭兵ギルドの受付に座るあの「ひげだるま」が、鼻で笑いながら叩きつけた依頼は、どの傭兵団も手を出さない、いわば「ゴミ」だった。
「街道沿いの複数の村からの共同依頼だ。相手は傭兵団の崩れらしき、三十人程度の盗賊団。で、気になる依頼料は――一括で一〇〇〇ゴールド」その数字を口にした瞬間、焚き火の周りの空気が目に見えて冷めた。
三十人の武装集団を相手にする対価としては、あまりにも安すぎる。ゲルマニアの相場では、通常、傭兵一人を動かすだけで相応の支度金が必要だ。二〇〇人を数えるような「群団」所属の団からすれば、馬の餌代にもならない端金だ。
「だが、俺たち六人にはちょうど良い金額だ。だから、受けてきた」
俺が平然と告げると、オットーさんが眉をひそめて帳簿を弾くような仕草をした。 「シン君。商売としては赤字スレスレだよ。商人ギルドの方で、もっと実入りの良い護衛依頼はなかったのかい?」 「聞いてきたよ。でも、今は複数の商人がまとまって移動する時期でね。彼らには専属の護衛団がいて、新規の俺たちが入る隙はなかった」
加えて、あの街道を主要ルートから外れるという理由で通るのは、小規模な行商人くらいだという。既存の権益に守られた「安全な商売」は、すでに五色の群団に独占されていた。
「そこでだ」俺は、兵站と交渉の専門家であるオットーさんを真っ直ぐに見据えた。
「オットーさん。あんたに行商人に扮してもらおうと思う」
(私が囮かい?) オットーさんの心の声が、漏れ出た溜息と共に聞こえた気がしたが、俺はそれを無視して演算を続ける。 「オットーさんは馬車で移動。御者はクリス。俺とガーブ、ヤミルはその護衛。あ、ハンスは先行して周囲を探ってもらうけどね」
(う~ん、そうなるか……) オットーさんは老練な商人のような卑屈な笑みを作ってみせた。その演技力は、かつて「憂国の傭兵団」の兵站を支えた経験からくる本物だ。
「ということで、明日からその役割で行きましょう」
俺が締めくくろうとした時、横から凄まじい殺気が膨れ上がった。 「シン――!」ガーブが、文字通り唸り声を上げながら詰め寄ってきた。 「お前は、どうして、いつも、勝手に、決める!」
彼女の「緋色の傭兵」としての拳が迫る。だが、そこに殺意はない。俺は首をわずかに傾けてそれを躱すと、彼女の瞳を覗き込んで笑いかけた。 「ガーブ、久しぶりの戦闘だよ? ストレス発散できるだろ?」 「うるさい!」
再び迫る拳。仕方ない、ここは一発受けておかないと収まらないか。 ドカッ、という鈍い衝撃。 「ぐぇ!」俺はあえて無防備な肩で彼女の拳を受け、派手に吹き飛んで見せた。 これも、この荒くれ者の団長を「その気」にさせるための、軍師としての必要なコストだ。だが、吹き飛んだ俺の脳裏には、冷徹な思考がこびりついていた。
ガーブが怒るのは、俺の「正しさ」に彼女の感情が置き去りにされているからだ。 だが、その感情さえも俺にとっては戦略上の変数に過ぎない。その自分の「歪み」に、俺は気づかない振りをしていた 。
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パカリ、パカリ。
翌日。冬の冷たい風が吹き抜ける旧街道に、乾いた蹄の音が響いていた。 クリスが手綱を握る馬車は、いかにも貧相な行商人の荷車を演じ、ゆっくりと進む。前方右にガーブ、左に俺、後ろには巨大なグレイヴを担いだヤミルが、所在なげに歩いている。
「おい、まだか~? 退屈してきたー」 ヤミルが、二メートル近い巨躯を丸めるようにしてぼやいた。 「まだだよ。襲撃場所に当たりがついたら、ハンスが戻ってくるはずだ」
俺は周囲の地形を観察しながら答えた。敵は「傭兵団の崩れ」。定石を知っている連中なら、待ち伏せの場所は自ずと絞られる。 俺の目には、街道の起伏や茂みの密度が、すべて「生存率」という名の数値に変換されて見えていた。
しばらく進むと、茂みの奥から影が滑り出るように現れた。ハンスだ。 「おっ、戻ってきたな」 「ハンス! どうだ!」 ハンスは息を切らすこともなく、淡々と、しかし正確な「数字」を報告した。 「――六〇〇歩先。道が丸太で塞がれている。手前二〇歩、左右の茂みに弓兵が各四、剣士が各三。前方、丸太の向こうに剣士八、槍兵一二」
俺の脳内で、瞬時に敵の布陣が組み立てられた。 「合計三十四名か。う~ん、ま、こんなもんか」
俺は、ハンスの報告を「命の数」ではなく「処理すべき目標」として受け取った。仲間に指示を飛ばす声は、自分でも驚くほど冷えていた。 「前方の主力は俺とガーブで引き受ける。後方右から現れる連中はハンスの弓とオットーさんのスリングで。後方左はヤミル、あんたが突撃して殲滅してくれ」
「おい! 俺が的になるじゃないか!」 囮の馬車を守る役割のオットーさんが、不満げに叫ぶ。 「大丈夫だろ?」 「大丈夫だが! ひどくないか?」
「なら大丈夫。ハンス、馬車を進めてくれ」俺の冷徹な采配に、オットーさんは諦めたようにスリングの石を弄び始めた。 勝利への確信はある。だが、この確信を得るたびに、俺たちの何かが削れ、人としての温もりが失われていくような嫌な感触があった 。
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やがて、道の中央に巨大な丸太が横たわっているのが見えてきた。
「アーナンダーアレハー」
ガーブが、聞いたこともないような棒読みの声で叫んだ。(おい、棒読みかよ!)俺は心の中で突っ込んだが、それさえもあらかじめ決められた「台本」の一部に思えて、乾いた笑いが出そうになった。
「コンナートコロデー、キガ ミチヲ フサイデルー」
馬車が丸太の寸前で停止する。その瞬間、左右の茂みが激しく揺れた。 「そこで止まれ!」
がさりがさりと、薄汚れた革鎧を纏った男たち――盗賊が姿を現した。
「アー、トウゾクダー」
背後の茂みからも弓兵が立ち上がり、こちらに狙いをつける。その動作は緩慢で、俺の演算結果を裏切らない練度の低さだった。 「はっはー、分かっているよな? 有り金全部と荷を寄こせ!」
「ソンナー、アンタラコンナニイルノカー」
「おう、三十人だ。お前らに勝ち目はねぇ! おとなしく寄こしな!」 ニヤニヤと笑いながら前方から出てきた男は、抜剣さえしていない。腰の飾りが派手なところを見ると、こいつが頭か。
自分たちの「数」という暴力に絶対の自信を持ち、目の前の小集団を餌としか見ていない。あほだな、と俺は確信した。こいつらは、自分たちがこれから「数字」として処理される運命にあることに、一分後の死にさえ気づいていない。俺は胸の奥に、嫌な冷たさを覚えていた。 勝てる。だが――あまりにも、簡単すぎた。
「ヒエー……、て、もういいか。やるぞ!」
俺の行動開始の掛け声は、獲物の喉元を切り裂く死神の宣告だった 。




