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『緋色の傭兵団の物語』「ゲルマニア編」  作者: 嵗(sai)
第三部:ゲルマニア立志編

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第三部 第7章:静かなる盤上の支配者

ミューラー公国の首都レーベンヘルン。その街の象徴であるレーベンヘルン城の最奥に、一室の執務室がある。 部屋の壁面を埋め尽くしているのは、膨大な情報が書き込まれた巨大な地図だ。一方の壁には、数十の領主が割拠するゲルマニアの詳細な版図。反対側の壁には、王政が揺らぐフランク王国を含む西方諸国地域の全図。


ゲルマニアの地図は、各領主の支配地域ごとに精密に色分けされていた。単なる境界線だけでなく、領主の名前、一族の系譜、領内人口、穀物生産量、物流量、そして何より重要な正規兵数と契約中の傭兵団数が、極細の文字でびっしりと書き込まれている。 部屋の中央にある大テーブルの上は、分厚い古文書、各地からの定期報告(書簡)、走り書きのメモ、そして古びた巻物が氾濫し、床にまで書類の波が押し寄せていた。


その情報の海の中で、一心不乱にペンを動かしている一人の子供がいた。


アレク・フォン・ミューラー。

病に倒れた父に代わり、わずか十二歳で公国の実質的な当主となってから三年。現在十五歳の彼は、卓越した軍事指揮と冷徹な政治手腕によって近隣の領地を次々と統合してきた。人々は畏怖を込めて、彼を「戦争と政治に長ける天才児」、あるいは「静かなる盤上の支配者」と呼ぶ。彼にとって世界とは混沌とした戦場ではなく、解かれるのを待つ静謐な数式に過ぎないのだ。

部屋に控えめなノックの音が響いた。アレクは顔を上げない。まるで耳に届いていないかのように、手元の数値を照合し続けている。


「失礼します。アレク殿下……」 応答はない。


「アレク殿下」 「……」

「アレク殿下、アレク公主代行殿!」 「うるさい、ブランシュタイン。聞こえている」


アレクは苛立ちを隠さず、ようやくペンを置いた。視線は依然として地図の上の「ある地点」に固定されたままだ。 「良かったです。面白い情報を耳にしましたので、お知らせに上がりまいた」


「面白い情報? このゲルマニアに、計算外の事象など存在したか?」 アレクは顔を上げず、数枚の書置きを交互に見比べながら問い返した。 「『西の深森(宿場町一帯)』に、特異体が現れました」


その言葉が発せられた瞬間、アレクの動きが止まった。彼はゆっくりと顔を上げ、側近のブランシュタインを射抜くような眼差しで見つめた。


「……特異体だと? あれは北方諸国域に現れる『関わってはならない災厄』のはずだ。で、被害は? 周辺の三村くらいは消えたか?」 「ありません。人的被害はゼロ、とのことです」


「被害ゼロ? ……見撃(目撃)情報か、それともどこかへ移動した後の話か?」 アレクは再び手元の書類に目を落としながら、論理的にあり得ない事態を演算し始める。だが、ブランシュタインの次の一言が、彼の想定を根底から覆した。


「いえ。討伐されました」


「……なんだと!?」 アレクは手にした書置きをテーブルに叩きつけた。椅子を蹴るように立ち上がり、ブランシュタインの元へ詰め寄る。


「討伐された? どこの領軍だ! ヴィットマンの鉄鋼兵か? いや、五色の傭兵群団の大規模な討伐隊でも動いたというのか!」


ブランシュタインは手元の巻物を広げ、淡々と答える。 「いえ、どちらでもありません。群団に所属していない新興の傭兵団が、わずか数名の戦力で仕留めたとのことです」


「群団に所属しない新興勢力? ……あり得ん。そんな組織はギルドに門前払いされるか、茶の剣辺りに潰されているはずだ」 「事実のようです。宿場町の住人たちは既にその恩人を英雄視し始めています」

アレクは思わず爪を噛んだ。考え事をする時の彼の癖だ。

「殿下、爪を噛むのはおやめください」 「……その、新興の傭兵団の名は何という?」


「『緋色の傭兵団』。団長は、『緋色の傭兵』ガーブと名乗る女性だそうです」


「聞いたことがないな」

「フランク王国から流れてきた者たち、との報告が入っております」「フランクから、だと……?」 アレクは部屋の中を歩き始めた。壁の地図に歩み寄り、指先で『西の深森』の位置をなぞる。


「……ここか。フランク王国と我が公国を結ぶ旧街道の要衝。今は寂れているが、地政学的には無視できない地点だ。だが……たった六人の新参者が、討伐隊二百名を全滅させるような特異体を相手に、損害なしで勝ったというのか?」アレクの脳内で、これまでのゲルマニアの勢力図が激しく書き換えられていく。


「ブランシュタイン、その『緋色の傭兵団』の動向を徹底的に洗わせろ」

「どの程度の情報を収集いたしましょう?」 「全部だ。彼らの出自、装備、戦い方、そして何よりその『頭脳』が誰であるか。フランク王国の内乱で使い潰された傭兵の生き残りならば、ただの武力ではない『力』が潜んでいるはずだ」


「はっ。すぐに人を派遣させます」 「至急だ!」 「承知いたしました。失礼します」


ブランシュタインが退出した後、アレクは独り、地図を見上げ続けた。 「新興の、他国から流れてきた傭兵。どの色にも属さず、たった六人で特異体を狩る怪物……」 アレクの口元が、わずかに吊り上がった。それは冷徹な支配者の顔ではなく、難解なパズルを前にした少年の顔だった。


「面白い。実に面白い」


アレクはテーブルの上に落ちていた一本の赤いリボンを手に取った。そして、ゲルマニアの地図の中央、『西の深森』の印に、そのリボンをピンで留めた。


「この小さな小石が、澱んだこのゲルマニアの湖にどういう波紋を投げかけるか……。楽しみが一つ増えたな」


ミューラー公国の夜が更けていく。窓の外では、アレクの冷徹な知略を反映したかのような冷酷な月が、ゲルマニアの行く末を照らしていた。


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