失意と幸福
「それでは」
「じゃあね」
ハインの家から出て、フォーリにリザレイを紹介された後。フォーリと別れ、そこら辺の雲を歩いていた。
とりあえず情報を手に入れ、交友関係を広げようと彼に聞いてみたが、返ってきた名前はリザレイ。
「はあ……まだ怒ってるかな」
そう。少し前、ぼくは不意に彼女を怒らせてしまった。そんな言動をした自覚もなかったし、感情的なリザレイという混乱するには充分すぎるものも助長して、今も訳がわかっていない。
あの時の彼女の、怒りと恐れと当惑の混じった瞳を思い出す。その度、ぼくは家の中での気まずい感覚と痛々しく伝わった悲観的な彼女の感情に、心臓を鷲掴みにされる気がするのだ。
自分から人を怒らせたことなんて、記憶にないほど経験がないから、こんな時どうすればいいのか皆目見当がつかない。
フォーリが悪いということではないが、ぼくはリザレイの名前を聞いて、またすっかり悩み落ち込んでしまった。考えなしに歩きふと景色を見ると、帰巣本能か静かな場所を求めたのか、連なる軒から孤立したゼルの家への道が広がっていた。
あの小屋みたいな家は、もうぼくの家といってもいいのだろうか。でも、一応居候だからそう名乗るのはおこがましいだろうか。
どっちでもどうでもいいことまでもが、全部悩みになっていく。
「そういえば、しばらく寝てないか……?」
そうだ、難しく悩むのは、疲れているからかもしれない。天界に昼夜はない。おかげで体内時計なんてものもなく、疲れたら寝る、元気なら動く、みたいな夏休み中の全国小学生の生活になっていく。
ちょうど良く、腕をもう少し伸ばせば家のドアノブまで届く距離に来ていた。
思い込みの力か、急に重たくなってきたまぶたを擦りながらドアを開けた。
「あ、アーク。さっきハインの家なんて聞いて、なにかあったのかい?」
ゼルは恐らく紅茶をすすりながら話しかけてきている。しかしそれにまともに対応する気力は、突然にして失われていっている。
「ゼル、ぼく疲れてて今すごく寝たい気分なんだ。状況説明はなるべくすぐするから、一旦寝ててもいいかな」
「まあ、寝ることは大事だろうけど……別に構わないけどね」
「ありがとう、ゼル」
ぼくの声の調子も低くなってきた。これは完全に眠れるな。そう思ってベッドに入ろうとした時、ようやく思い出した。
――あ……ぼく用のフロートベッド、リザレイのところに置いてきたままだ。
ゼルもその存在を思い出したらしく、カップを机に置いてぼくに聞いてきた。
「ん、でも、リザレイに作ってもらったベッドはどうしたんだい?」
「あれは……」
大いに返答に困った。ぼくのプライドかなんなのか、ストレートに「リザレイと喧嘩した」なんて言えない。とは言ったって、寝たくてしょうがない霞んだ脳みそじゃ、機転の聞いた答えは浮かばない。
結局、不自然極まりない文章しか出来上がらなかった。
「あのベッド、持って帰るの忘れちゃった。でもぼく眠いから、ゼルが取りに行ってくれないかな。今回はベッド借りるしさ」
ゼル、怪しまないかな。
「忘れる? リザレイが教えてくれなかったのか?」
「家、すぐ出て行ったから」
「そうか。まあいいよ、取りに行ってくる」
「ありがとうゼル。ベッド借りるね」
「いいんだよ。定期的な休息は必要さ」
ゼルは家を出て行った。ぼくが聞く限り彼の声色に疑念などは混じり込んでいなかった為、大丈夫だろう。そう判断できる。
ぼくは大きく息を吐くと、ベッドに倒れこんだ。すると、一気に体が重くなり、それを全てベッドに委ねているような感覚になった。体全てをベッドに任せて、眠ることのみに集中できそうだった。
「眠い……今は何も考えないで、寝よう……」
♦︎ ♦︎ ♦︎
「ねえ」
私は横にいる能天気な彼女に言った。
「え?」
「もう私のこと怖くないよね?」
「んー……完全にじゃないけど。大丈夫だいじょうぶ、これから慣れてくはず!」
ほら、能天気だ。まあそこが彼女の、ルイズちゃんの良いところでもあるんだけど。
「私も優しくできるようにするよ。ルイズちゃんとくらい、自分らしくいたいからさ」
「ヒールらしいかぁ。でも、ラフィーをお説教しろって言われたんだろ? ちょっとはきつめなところあっても、いいんじゃないか?」
ルイズちゃんは、他人事みたいにケラケラ笑う。そう言われても、私は私らしくいたいときだってある。
「この性格が本当の私じゃないって、前にちょっと話したよね。我ながら我慢強いほうだとは思うけど、無感情無表情でいるのって辛いよ」
「うーん。でも心の底から辛いなら、思わず笑うってことはあると思うんだよな」
なんだか、今日のルイズちゃんとは意見が噛み合わないな。
私は足を組んで頬杖をついて、テーブルに置かれた洋菓子をひとつ頬張る。
「思わず笑ったら、頼まれた仕事が果たせないじゃない」
「いやいや、ヒールだって一応人間でしょ。笑わないことなんてないって。ほら、いつものルイズを思い出してよ。ずっと笑ってるだろ?」
「さあ? 直接私と話すときはいっつも卑屈で、よくわかんないけれど」
私は冗談のつもりで、少し演技を加えてみた。ルイズちゃんは意外に騙されやすく、さっき笑っていたのが嘘のように真面目になって、言った。
「あ、そうだったね。これからはきっと楽しくやるから、見ててよ」
「ふふ、嘘うそ。ルイズちゃんが馬鹿みたいに明るいのは知ってるよ。そういう底なしの明るさが好きなんだから」
「ああ……相変わらずの毒舌だなぁ。褒めてもらえるのは嬉しいけどな」
「口調はルイズちゃんこそ、人のこと言えないよ。自分がやりたいようにできてるのは、羨ましいけどね」
「自分勝手とも言われるけどね。……なんだこれ、褒め合い大会みたいになってるぞ」
また楽しそうに笑って、ルイズちゃんはジュースを飲んだ。私はそれにつられて、紅茶を飲む。
そうやって口を潤してから、私は言った。
「まあこれ、軽く女子会みたいになってるからいいんじゃない?」
「んー、確かに」
私たちは今の状況を、改めて確かめてみる。
ここはGホールの飲食スペース。小さい空間に椅子とテーブルが敷き詰められている。その内の一席に、私とルイズちゃんは座って、お菓子と飲み物を口に運んでいる。
地上で言えば、オシャレなカフェに集まって、愚痴りあったり流行りについて共有しあったりする。それはまさに女子会だ。
「女子会といえば、なにかを話し合うよな!」
「話すことは色々あるね」
「じゃあ例えば。リザ姉とかフォーリとかさ、相棒についてとかどう?」
ルイズちゃんは目を輝かせる。
「相棒について、というと?」
「誰がどんな印象かとか、天使の目線になって一番良い相棒は誰かとか。そういう奴」
「印象ねぇ。ルイズちゃんは、リザレイさんを好いてるみたいだけど」
「そう! リザ姉、良い人だと思わない? わがままなルイズの世話してくれるし、怪我の処置もできるし、なんかお母さんみたいなさ」
「わがままって自分で思ってるんだ。まあ、変な人がわんさかいるここで、唯一くらいの常識人で一番天使っぽいよね」
「だよな! あれかな、ルイズが姉ちゃんとかに構ってもらえなかったから、構って欲しいのかな」
ルイズちゃんは表情豊かだ。でも、寂しそうな顔をするのは珍しい。
「それを言ったら、私も同じ」
「え、そうなのか?」
「私が死んだ理由に、ちょっと関わってるんだよね」
「ふーん……お互い、愛が足りないんだねぇ」
哀愁たっぷりに、ルイズちゃんは言う。菓子の噛み砕かれる音がして、より一層悲しさが増す。
でも、どうせルイズちゃんがそんなことを考えているわけはない。
「ルイズちゃん、かっこい〜」
「あー、冷やかすな! 意外に結構、重い話だよ!」
「そんなこと微塵も思ってないでしょうに。逆に思ってたら怖いな、あのルイズちゃんがカッコつけるなんてね」
「偏見だぁ! たまにはかっこよくしたっていいだろ」
いつのまにか話は弾んでいて、お互い笑いあえていた。話の弾むきっかけは不謹慎かもしれないが、所詮子供が話すことなんてこんなことなのだろうか。
私はひとしきり笑い終えて、一旦紅茶を飲んだ。そして周りを見ると、他のお客さんや店員さんが確認できた。
特に店員さんが近くにいて、迷惑になるかなと思った私は、さらに騒ぎ出しそうなルイズちゃんを押さえ込んだ。
「ルイズちゃん、流石にうるさくなってるよ。一回飲んで落ち着こう」
「え? あ、本当だ」
酔った状態と素面の状態みたいに、落ち着いたルイズちゃんはさっきまでとは大違いだった。メリハリがついているのは良いことだと思うけど。
「なあ、予定とかないよな?」
「ん? ないけど」
「ならこのまま続けよう!」
「もちろん」
「なにを?」とルイズちゃんは小声で聞いてくる。面倒臭いな、と表情に表しつつも、自由に話せる時間は素敵だ。このままずっと喋っていたい。
ルイズちゃんは合図をした。3つの指を、3、2、1、と折る。
「女子会!」
お読みいただきありがとうございます。
アークとルイズ、ヒールの気持ちの差がすごいですね。
アークとリザレイはどうなっていくのか、気になりますね。




