天界の古本
「汚れは落とせましたか?」
「うん。蛇口から出るタイプじゃなかったから、慣れなかったけど」
フォーリは、タオルハンカチを手渡してくれる。初めて感じるくらいの、ふわふわな感触を覚えた。吸水性も良いらしく、手についた水分をあっという間に消し去ってくれた。
ぼくはフォーリに、ちらっと目をやる。「ハンカチをこのまま返していいのだろうか」ということを伝えたつもりだった。
彼は理解してくれたようで、目線を返すとぼくの手に包まれたタオルハンカチを受け取ってくれた。
フォーリはそれを何処かしらにしまうと、ぼくが手を洗うときに預かった、「天界の大天使たち」を、再び渡してきた。ほこりはいつの間にか落とされていて、洗った手がまた汚れる事はなかった。
いつかゼルは、天使たちは思ったより残酷だ、と語っていた。しかし、それを感じることは最近ない。ぼくが単に視野が狭いだけかもしれないが、少なくともこれまであった天使や人たちは、とても優しかった。
受け取った「天界の大天使たち」を、改めて両手で握る。感謝をすると共に、少し落ち着いた。
そしてしばらく、読み込んでみることにした。
「…………」
「…………」
聞こえてくる音は、カップと皿が擦れる音や、咳くらい。人は多少の雑音があった方が集中できるらしい。
本を探している時は随分な時間があったように思えたけど、今だけはたった数分に感じるほど読みふけっていた。
本の裏までしっかり見た後、気づけば背中など、体が細やかな悲鳴をあげていた。本をテーブルの上にぽんと置き、体操で「伸び」をするように体を解放した。
「ふぅ〜……」
全身の肉と筋肉が伸びる。思い返せば、この体はぼくのではないが、これほどの快感を感じるのに全く不調はない。
リラックスし終えると、また椅子に座りなおした。痛かった下半身も、違う場所に押し付けられると、マッサージをされているように気持ちいい。
自分を自由にさせて落ち着くと、フォーリは聞いてきた。
「本の感想はいかがですか? 大分興味を持っていただけたみたいですが」
「うん、本当に大天使について書かれていて。ゼルとかの項目を読んだときは、なんか面白かったな」
「そうですか。まあ、知人のことが公式に記されたものって、なんだか笑えてきますよね」
「後、初めて知る大天使とか、最近知った天使とかもいたな。意外に、新しい発見があったかもしれない」
「へえ。例えばどんなことですか?」
ぼくはついさっきまで、ゲシュタルト崩壊とやらを起こしそうなほど見ていた本を、もう一度めくる。
一気にめくり過ぎて、目的のページをやや過ぎてしまった。ぺらぺらと戻って、「これだ」と呟く。背表紙が一番伸びるまで本を開ききって、フォーリに見えるようにする。
フォーリは身を乗り出してページを押さえる。
「これって、ゼルさんですか」
「そう。正直言って、ぼくはゼルがどんな立場なのかとか名前とかしか知らなかったから、天使としての特徴とかはこの本で知ったよ」
「天使としての特徴って、地上にどんな影響を及ぼすかとかですか?」
「多分そうだね。後、仕事とか。そこにはゼルの仕事は、霊魂の看守ってあった。リィは人の未来をどうたらって」
「……僕もこれは初めて読みましたが、様々な情報がありますね」
フォーリはじっくりと見つめている。
ぼくはテーブルを大回りして、彼の方へ行った。隣に行って本を省略しながら読み上げてみる。ただなんとなく、読んでみた。
「死の大天使、ザラキエル。七大天使の一人。よく言えば友好的であり、悪く言えば未熟、甘い。天界付近に現れる人の霊魂の看守で、さまよう魂を導くなどの働きを行っている。それ以外に、様々な諸業務を行う。医療に精通している。……追記。天使としての業務を他天使と比べ充分に果たしていない。地上に放浪している」
これがゼルの概要らしい。追記の部分はインクが濃く、新しい感じが出ていた。
記されてあった内容は、ぼく的には実に的を得ていた気がした。誰かに朗読されていたら、その一言ひとことに海より深く頷いていただろう。
一緒に文字を追ってぼくの声を聞いていたフォーリも、途中でよく頷いていた。
「そうだ」
ぼくは気になっていたページを思い出し、そこをめくり探した。出てきたページは、最も新しく出会った天使、ラフィーについてだ。
「あ、ラフィーさんのことは、知っていますか?」
「うん、さっきっていうか、前ちょっとだけ会ったよ」
「そうですか」
今度は、フォーリが朗読をする番だった。
「護の大天使、ラファエル。四大天使の一人。病人や旅人などを中心に守護する天使たちの監督。守護監督。治癒の力がある。性格としてザラキエルに近いものがある。人間に対して尽くそうという思いが強く、なにかを起こしかねないかもしれない。追記、対策として、指導をしてある人間を相棒として贈った」
このラフィーの項目は、初めて知ることが一番多かった。特に、あんなひ弱そうなラフィーが、守護監督なんてものをやっているのには驚いた。
それに、「指導をしている人間を相棒として贈った」というのは、ヒールのことだろう。そんな経緯があってふたりが相棒になったという事実には、目が丸くなっていそうだった。
「ぼくの知らないことが、本当にたくさんあるな。この本、読んでよかったよ」
「そう言っていただけるとありがたいですね。引っ張り出してきた本ですけど、掃除がわりにもなりましたから」
フォーリは軽く礼をした。ぼくもなんとなく礼を返した。
そのとき。扉の開閉音がした。
「あれ……ハインさんが帰ってきましたか」
フォーリは独り言を言うと、玄関に向かった。
「ハインかぁ……」
優しい雰囲気の人にばかり会ってきたから、そのギャップが酷いかもしれない。それでも、できるだけ頑張ってみよう。
足音が近づいてくる。開け放たれたドアの向こうから、シルエットがはっきり見えた。
そして、部屋と廊下の境界にハインは立った。
「おや、君は、アーク……」
お読みいただきありがとうございます。
今回短くてすみません。
情報もありつつ話のつなぎ的な感じで軽く読んでいただけたらいいと思います。




