90話 悲しみに暮れる王女と救いようの無い夢想家
side:パトラ
目を覚ますと、隣で慰めながら抱きしめてくれていたあの人は居なくなっていた。
布団の中にほんのりと残った彼の体温を手に感じ取り、昨日彼が横になっていただろう場所に身体をずらしてパトラは再び目を閉じる。
昨夜は泣いて、泣いて、泣き疲れてそのまま眠ってしまった。きっと迷惑をかけただろう。でもそんな自分との約束を守って、今日もギリギリまでここに居てくれた事実はパトラの心を温かくしてくれた。
昨日のことを考えるととても悲しくなってしまうが、パトラにはどうしても両親の遺したこの国を捨てていくことが出来なかった。
もし、自分が王族なんかでは無かったら、喜んで彼の誘いに乗っていたかもしれない。両親を亡くし、寄る辺の失くした少女にとって、ホシミの誘いは天恵ですらあっただろう。
だけど現実はそんなに甘くなくて。
パトラには両親の代わりに国を背負わなければならないという使命があった。
まだ幼いパトラに何が出来るのかと言われると何も出来ないとしか返せない。
だが、実権のない象徴───あるいは傀儡だったとしても、国には統べる者が必要で、その務めを果たせる王族は現在パトラしか残っていなかった。
パトラがホシミの居た場所で丸くなっていると、扉の外からこの部屋に向かってやってくる足音が聞こえてきた。
足音は扉の前で止まり、扉を二度叩いてから開かれる。
「パトラ様、おはようございます。本日も一日よろしくお願い致します」
声を聞いただけでいつも自分の世話をしてくれる侍女であることが分かった。
こういう時、目が見えるなら声を聞くまでもなく直ぐに誰か分かるのだろうが、パトラにそれは叶わない。
侍女はパトラが目を覚ましていることを確かめると、クローゼットを開けて立派な浅黄色のドレスを取り出す。
「本日はお昼にドコロタ様が民に両陛下が崩御なされたことと葬儀の日時、そしてパトラ様が王位を継ぐことを宣言なさいます。ですから正装をお召しになって頂きます、窮屈でしょうがどうかご勘弁を」
その言葉を聞いたパトラは肩を跳ねさせる。まだパトラの中で両親の死を上手く飲み込めていないのに、そんな自分の気持ちを無視してズカズカと心の中を踏みにじってくる侍女に怒りが湧いてきた。
ホシミは言葉こそ少ないが、両親を亡くした悲しみに包まれていたパトラのことを慮ってくれていた。慰めるように、抱きしめてくれた。
だがこの侍女はパトラの気持ちなどそんなもの存在しないかのようにまるで無視して接してくる。
普通、親が亡くなってしまったばかりの子どもにこんな風に接する者はいないだろう。多くの人は残された子どもを心配し、憐れみ、勝手に感情移入して泣きながら励ましてきたりするものだ。
自分の存在が王宮の者たちにとって厄介者と思われているのは幼いながらに理解していたパトラだったが、まさかこんなことで再認識することになるとは思わず、泣きそうになってしまう。
「イヤ。きょうは出たくない。一人になりたいの、はやく出てって!!」
だから侍女に声を荒げて追い出そうとするのは是非もないことだろう。
普段あまり我儘を言わない王女が瞳を潤ませながら拒絶する様を見た侍女は少し驚いた。
しかしそれ以上は何も言わず、
「かしこまりました。では何かご用があればお呼びください」
と言い残してすぐに部屋を出て行った。
パトラはホシミの残り香に縋るように再び丸くなる。
「おとーさま……おかーさま……ホシミ……」
こんな思いをするのなら、昨夜のホシミの誘いに乗っていればよかったと今更ながらに思うも、過ぎた時間は巻き戻せない。
侍女はパトラの言葉を窘めることなく、そのまま消えた。昼に民への宣言があると言っていたが、何も言わずに消えたということは所詮パトラなど居なくとも何の問題も無いのだ。
『王族としての務めを果たしなさい』という母の言葉がホシミの手を取らずにパトラをここに残らせる後押しをしたが、果たして小さなパトラに出来ることがあるのだろうか……。
今はただ、涙を流しながら再び目を閉じて悲しみに耐え忍ぶ。
結局その日、パトラが部屋から出てくることは無かった。
ーーーーーー
陽は完全に登りきり、街も朝の賑わいが出てきた頃。
一度屋敷に戻った私は、庭で軽く身体を動かしていたスパロウマンと遭遇した。
「外に行ってたのかい。……何かあったのか?」
私が難しい表情をしていたことに気付いた彼は何があったのか尋ねてくる。
「昨日、王宮が騒がしくなっていたと言っていただろう。その原因が判明した」
「かなりヤバいやつか?」
「ああ。シン国の両陛下が崩御した」
「……はぁ? 悪ぃセイゲンさん、もっかい頼む」
自分の聞いた言葉が信じられないとでも言うかのように間抜けな面で聞き返してくるが、事実は変わらないので同じ事を告げてやった。
「両陛下が崩御した。おそらく今日中に民にも公布されることになるだろう」
「いやいやいやいや。待て、待ってくれ。セイゲンさんの診立てじゃあ、まだまだ保つ筈だったんじゃないのか? 急過ぎるだろ幾らなんでも」
「だが事実だ。真偽を知るために遺体を見に行ったが、綺麗に毒殺されていたよ。この数日で毒の量を増やしたようだな」
パトラの部屋から抜け出した後で両陛下の寝室を覗きに行ったのだが、ベッドの上で横たわっていた二人は確かに息を引き取っていた。
体内には強い毒物反応があり、毒の量を急激に増量した結果、致死量に到達したのだろう。
「マジかよ……。じゃあ、王女さんは?」
「彼女は無事だ。だが、ずっと泣いていたな……。まだ幼いのに両親を失ったのだ、仕方ないことではあるがな」
パトラと会っていたことは伝えないが、様子だけは教えても問題無いと判断する。パトラと会ったことは二人の秘密なのだ。
パトラの様子を知ったスパロウマンは目を伏せて哀しそうな表情を浮かべる。
「子どもとは言え王族だ。利用価値があるから彼女が殺されることは無いだろう。命だけは安全だ」
パトラの存在が不都合又は不要にならない限りは……と心の中で付け足す。
「……陛下を殺ったのは、ドコロタの野郎か?」
「十中八九、奴だろうな。奴以外に考えられん」
暫し瞑目していたスパロウマンだったが、やがて目を見開き拳を握りしめて王宮のある方角を睨み付けた。
「そうかよ……。ドコロタの野郎……其処まで腐ったかよ……」
鬼気迫るものを感じさせるスパロウマンに少し驚くが、こんな所でゆっくり話をしている場合ではないことを思い出す。
「スパロウマン、悪いがあまり時間がない。午前中……遅くとも昼頃までには公布がある筈だ。私はそれまでにドルー・ドコロタの近くで潜伏する」
「そっか。じゃ、俺は王宮前の広場に一足お先に行ってるぜ。公布が行われるんなら其処だろうしな」
そう言ってスパロウマンは運動を切り上げて屋敷に戻った。準備を整えたら直ぐに発つのだろう。
私も一度自分が間借りしている部屋に戻り、パトラに会いに行くのに邪魔になった道具を回収し、様子を見に来たクロースに直ぐに出る事を伝えてから再び王宮へと向かった。
王宮内は慌ただしく、様々な所から怒号が聞こえてくる。使用人たちも早足であっちに行ったりこっちに行ったりしていた。
こんなに慌ただしくなっているのは陛下が急に崩御したせいだろう。普段の仕事に加えて民への公布の準備や葬儀の準備も並行して進められているようだ。
私は誰かにぶつからないよう細心の注意を払いながら奥へと進む。
やがて目的地が見えてくるが、扉は開かれておりその中から怒声が聞こえてきた。
「ザントマーはまだ帰らんのか!」
嗄れていながらも威厳のある声はドルー・ドコロタのものだ。中からはもう一つ、男の声が聞こえてくる。
「はっ、早馬を向かわせましたが、早くて明日の到着になるとのことです!」
話しているのは兵士だった。エリック・ザントマーが国を空けている状況にドルー・ドコロタが癇癪を起こしているようだ。
室内に侵入した時にはもう話が終わろうとしていた。
「ちぃっ! 戻って来たら直ぐにこちらへ向かわせろ、いいな!!」
「はっ! では失礼致します!」
兵士は見事な敬礼をして部屋を出て行く。その際に扉も閉められたので、図らずも閉じ込められることになってしまった。
ドルー・ドコロタは椅子に深く腰掛けてイライラしながら深く息を吐く。そして机を指で叩きながら誰もいないと思って独り言を呟いた。
「陛下があんなに直ぐに死んでしまったのは誤算だったが、これでこの国は私の───いや、俺の思うままだ。王女がまだ生きているが、なんの力もないただの子どもにこの国を纏め上げる力なぞ無いし、盲目の小娘を慕う愚か者も徐々に排除して来た。最早王女が邪魔になることは無いが、まああれでも女だ。成長したら俺の子でも孕ませてやれば良かろう。くくっ、ようやくだ───。先代から仕え、この国を乗っ取る段取りを整えて、今、成し得た。長かった、長かったぞ。叶うならば異種族どもを殲滅し尽くした世界を見たかったが、国家百年の計となるだろう大仕事だ。俺が生きているうちは不可能だろうな……」
ドコロタが饒舌なのは達成感故だろう。人は何かを成し遂げるとそれを自慢したくなるものだ。それが自分の人生の大半を注いで成し得たことならば、その喜びは計り知れない。
だが誰も彼が成し遂げたことは知らないし彼も教えるつもりは無いだろう。
だから一人で語り出す。自分で自分を褒め、認め、労うように。
どうやらドコロタは誰も聞いていないと思って口が少し軽くなっているようだ。
「人の姿を借りた魔物を一掃し、人による人の為の世界の実現まであと少し───。ザントマーが居るうちに厄介な龍人は滅ぼしておきたいものだ。たしか北にはウィリアーノースとか言う化け物が居た筈だが、どうやら何処かに封印されていると聞く。アレはただの天災だからな、業腹だが逃げるしか無い。だがただの龍人ならばザントマーの敵では無い。最低でも全ての女さえ殺してしまえば種は滅びるのだ。西のメサは国ごと滅ぼしてしまえば良い。獣人が治める国など我々只人の国に比べれば塵でしかないのだ。新たに創造してやるのが優れた者の務めだろうよ。センタレアル大陸の全ての異種族を殺し尽くしたら、次は北東のノーザン大陸と南西のウェレッタ大陸に侵攻し、只人を取り込んで更に大きく、強くなる。そしてシンは世界を統一し、人の時代が始まるのだ!」
黙って話を聞いているしかない状況だが、率直な感想を言わせてもらうのならば「何を言ってるんだこの耄碌ジジイは。疾く死ね」である。
あまり汚い言葉を使いたくはないのだが、リアを化け物呼ばわりすることには流石に我慢ならなかった。
話す内容も内容で、正直言って夢想が過ぎる。ザントマーの実力は伝聞でしか知らないが、剣の腕は恐らくヴァンとさほど変わらない程だろう。
ザントマーたった一人で最強の種族である龍人を殺し尽くせると思っている時点で頭の中がお花畑だと言えるが、更にノーザンとウェレッタにまで侵攻しようとしている話で頭を抱えたくなる。
ノーザン大陸は大陸のおよそ八割を雪原と雪山で占め、人が住んでいるのは南部の二割程しかない。元々大きい大陸ではないから、多種多様な種族が手を取り合って厳しい環境を生き抜いている。そういう土地柄、異種族同士での結婚は珍しいとこでは無くシン国と分かり合えることはあり得ないと断言出来る。
ウェレッタ大陸は南部を砂漠、北部を荒野が占めている。水のある場所を求めて争いを行うことなど日常茶飯事で、利害が一致すればシン国と協力する所も出てくるだろうが、大陸のほとんどが痩せた土地である為に取り込んでも旨みは少ない。わざわざこんな所まで派兵するなど国力をわざと低下させるようなものである。
実現の可能性は薄いだろうが、厄介な望みを持っているものだと思った。
そしてやはりシンという国を滅ぼしておくことは後の禍根を生まない為には必要だと確信する。国をこんな老人の玩具になどさせてはおけない。
そうこうしているうちにドコロタを呼びに来た兵士がやって来た。公布の準備が整ったのだろう。
一つ咳払いをしたドコロタは頷いてから席を立ち兵士を従えながら部屋を出る。
私も遅れないように部屋を出てドコロタの後を追うのだった。




