85話 盲目の王女
イレネース邸で一夜を過ごした私は現在、スパロウマンと別れて王宮内に潜入していた。
黒属性魔術『影潜り』という偵察に特化したような魔術を使用している。その名の通り影に潜り忍ぶこの魔術は、影があって影同士が繋がっていれば何処へでも行けるというものだ。
暗殺にも使えなくは無いが、攻撃に移ると影潜りが解けてしまうのでそこまで便利という訳でもないし、この術に対する警戒は厳重だろうから途中でバレてしまう可能性もあるだろう。
まあそれはさておき。
シン国の王宮内は豪奢な調度品が並んだ煌びやかなものだった。富は力である。それを見せつけるかのように並んだ絵画や彫刻に、この国は豊かであるのだということを思い知らされる。
透視を駆使して宮中を見回すが、中で働く者たちは全て只人のようだ。異種族排斥がこうまで徹底しているのも王宮だからだろう。
地下牢らしき場所にも只人しかいない。まったく、何もしていない彼らが罪人よりも下とは恐れ入る……が、そういう国なのだ。
彼等が異種族を排斥するのではなくただ無関心であったのなら、この国を滅ぼす必要など無かったのだが……。今更言っても仕方ない。
王宮内では影潜り対策で影が繋がっている場所が少ない為、今度は白属性魔術『透明化』に切り替える。
これは光を調節し屈折させて自身の存在を周囲から認識させない魔術だ。視覚に頼った感知からは完全に隠れられるが、存在自体が消えた訳ではないので獣人のように嗅覚や聴覚の優れた相手だと発見されてしまうだろう。
だがここには只人しか存在しないため、音と気配、そして偶発的な衝突に気を付ければまず見つかることは無い。
私は透明化を行いながら上階に向かう。謁見の間は見張りを除いて誰も居ないことを透視で既に確認済みだ。
謁見の間を通り抜けて玉座脇の通路へと進む。王の私室もしくはそれに近しい場所と繋がっている可能性が高いからだ。
通路を抜ければ、大きな通路と階段に行き着いた。こちら側はおそらく、王宮の裏側……と言うよりは私的な空間なのかもしれない。
王族たちの私室も何処かにあるだろう。
先ずは階段を上ってみるか……と思っていると。
「ら〜ら〜〜……らら〜〜♪」
階上から楽しげな少女の歌声が聴こえてきた。
少し気になったので階段を上り声の主を探してみる。三階分は上ったがその間誰ともすれ違うことは無く、しかも声は更に上から聴こえてきており、とうとう最上階にまでたどり着いてしまった。
最上階には扉しか無かったが、歌声はその先から聴こえてくる。音を立てないように注意しながらゆっくりと扉を開けると……。
「ら〜らら〜♪」
綺麗な栗色の髪をはためかせた小さな女の子が色とりどりの花に囲まれて噴水の中に足を入れてぱしゃぱしゃとしながら楽しげに歌っているのだった。
空中庭園……と言うのだろうか。最上階に造られたこの庭園は、周囲の視界を阻害する物は無く、遠くまで見渡せるとても見晴らしの良い空間で。
此処は彼女の為に造られた場所なのだろう。そしてきっと彼女こそが。
「パトラ・デア・レイス・シン王女……」
何も知らないかの小さき王女は、この閉ざされた楽園で独りで歌い続けるのだろう。これまでも、これからも。
暫く眺めていたが、これ以上見続けても何も無いと判断して移動しようと足を動かしたが、その時に少しだけ芝を踏んで音を立ててしまった。
「……だぁれ? だれか、いるの?」
王女の歌は止み、視線はこちらの方向を向いている。そして噴水から足を出して、真っ直ぐにこちらへと向かってきたのだった。
「(何故こちらへ真っ直ぐに向かって来ている!?)」
足取りに迷いは無く、若干頭を揺らしながら段々と近づいて来た。
まだ透明化は解いていないので、彼女には見えていない筈だが……と思った時に近くに来た彼女の目を見て気が付いた。
「(目線が私を見ていない……音だけで判断している……? もしやこの娘、目が……)」
気取られることを恐れて結局動くことの出来なかった私は、王女の小さな両手で捕まえるように抱きしめられた。
「やっぱりだれかいましたぁ。はじめての人……ですかぁ? はじめまして、パトラはパトラっていいます」
やはり彼女は王女パトラだったようだ。満面の笑みでそう言ったパトラ王女は手を上の方に伸ばして何かに触れようと動かす。
「あの〜、お顔、さわらせてもらえませんかぁ? パトラは目が見えないので、お顔のかんしょくと声でしか人を判断できないのですよぉ」
盲目の王女……だったとは。スパロウマンは王女は何も知らないと言って命だけはと庇っていたが、原因はこれだったのか。
少し悩んだ末に、彼女の要求を叶える為にしゃがんで手を取って顔に当てさせた。
「おお〜、やっぱりはじめてのかんしょくですよぉ。男のひと……ですねぇ。こんどは、お声も聞いてみたいです〜」
そう言って首の方へと片手を動かして触れてくる。こうまでされてまだバレていないなどと思うほど愚かでもない。諦めて声をかけることにした。
「まさか、目が見えていないとは思わなかった」
声を聞けたのが嬉しかったのか、パトラ王女はにんまりと笑みを浮かべる。
「やさしくてあたたかくて、つつみこんでまもってくれそうな……ふしぎな声。あなたはだぁれ? 今まで聞いたことのないすてきな声のあなたのお名前、パトラにおしえてくださいな」
「……ホシミ、だ」
「ホシミ……ホシミ……。とってもすてきなお名前ですねぇ! きれいなひびきで、ふんいきにもぴったりです〜」
顔をぺたぺたと触りながら感想を述べるパトラ王女。若干気恥ずかしい評価である。
最初は『セイゲン』という偽名を名乗ろうとしたのだが、何故かこの娘には嘘をつきたくはなかった。
盲目であるというのも理由の一つではあるだろうが、彼女の無垢な笑顔を曇らせたく無いと……そう思ってしまう不思議な魅力に魅せられたからなのだろう。
「ねぇねぇ! ホシミは王宮のひとじゃないよね? 王宮のひとは、パトラによそよそしくて、じゃまものみたいって思ってるの知ってるもん!」
「……パトラの言う通り、私はこの王宮の者では無い。だから見つかると少しマズイことになる」
「そうなの? じゃあ、パトラがホシミに会ったことは、ふたりのヒミツだね!」
「そう、だな。二人の秘密だ」
パトラ王女は心底楽しそうに話しかけてくる。普段はあまりこうして話さないらしく、彼女の言う通り王宮内でのパトラ王女の立ち位置は盲目なのも相まって微妙なのだろう。
王宮内部のことについて少し尋ねてみようと思った時にパトラ王女を呼ぶ女性の声が聞こえてきた。
「あ……。おむかえ、きちゃった……」
残念そうなパトラ王女の様子に頭を撫でると少しびっくりした後で嬉しそうに撫でられる。
「また逢えるさ、近いうちに必ず」
「ほんと? ほんとにぜったい?」
「ああ、本当に絶対だ。また君に逢いに来る」
「やったあ! パトラ、しんじてまってるから! だからまた来てねホシミ!」
彼女が一歩離れると同時、空中庭園にやって来た侍女が彼女の手を引いて去っていく。
パトラ王女は度々振り返りながらこちらを見ていたが、やがて扉の向こう側へと消えていった。
「……信じて待ってる、か。約束をしてしまった以上、違える訳にはいかないな」
パトラ王女が姿を消してから少し時間を空けて空中庭園を出る。
そして再び王宮内を探索するのだった。




