34話 エレノアを想う〜其の弐〜
海水浴を満喫してきた私たちは赤龍庵に戻ってきた。南国での騒動も解決したことでここに留まる理由も無くなり、明日には塔に帰ることになったので各々自由な時間を過ごしている。
シィナは王宮に行った。またしばらく国を離れることになるからだろう。家族とも別れの挨拶をしてくるそうだ。
リアは私の太ももを枕にして眠っている。シィナが戻ってきたらお土産を買いに行くと言っていたが、それまでは眠るつもりだろう。
ココノハは窓際でそよ風を浴びていた。金色の髪が揺れて、太陽の光を反射して輝いている。
私はリアの頭に手を乗せながら本を開いていた。風の音と頁を捲る音しか聞こえない静かな空間。
「ねえホシミさん」
その静寂はココノハの声によって破られた。
「なんだ?」
「前に話してくれたエレノアさんのお話の続き、聞かせてもらえませんか?」
私の隣に座ったココノハは、すやすやと眠るリアを見て微笑んでからこちらへ目を向ける。
「続きは後でと言ったのは私だったな。喫緊の事態も無いことだ。構わんよ」
前回はたしかエレノアと出会った時の場面について語った筈だ。なら、その後からのことから話すとしよう。
「前の話は覚えている……ようだな。では続きからだ。エレノアを連れて街に向かってから───」
再び過去の記憶を掘り起こし、ココノハへと語り聞かせるのだった。
ーーーーーー
エレノアを連れてあまり大きくはない地方城塞都市へと向かった。もともと彼女は両親とここへ逃げようとしていたようだが、途中で不運に見舞われてしまった。急に両親が死に、一人ぼっちになってしまったのだ。今も懸命に泣きそうになるのを堪えているのが分かるが、私とクルルの手を掴んだエレノアは涙を見せなかった。
城門を潜り中へ入る。しばらくはこの城塞都市エルレンが拠点となる。旅の道中に魔獣退治や盗賊退治、果ては傭兵稼業をしながらだったので金は腐るほどあった。すぐに街の外れの家と家具などの必要なものを買い揃えていった。
あっという間に色々なものが用意される事態を前にしてエレノアは目を開いて驚いていた。
「ここが君の家だ。必要な手続きは終わらせてある、これはもう君の物だぞ」
「あ、あの……わたしやっぱり受け取れません。生命を救って頂いただけでも大恩なのに、家まで頂いたりしたら何も返せなくなってしまいます……」
困惑した表情で拒否するエレノア。クルルを見ると、「そりゃそうだ」とでも言わんばかりの表情で頷いていた。
「うーむ、とは言われてももう買ってしまったものだしな……。しかし私には不要なものだから是非貰ってくれ。君が大人になって何か返せるものがあればその時はそれを頂くよ」
「えっ……えぇ……? わたしに返せるものなんて何もないから困ってるんですよ……?」
「元気で健やかに育ってくれればそれで良い。あの時私が救った生命が懸命に生きてくれればそれが恩返しになる」
泣きそうな声で言うエレノアの頭に手を置いて諭すように言い聞かせる。
傍で見ていたクルルもエレノアの肩に手を置いて諦めたような表情で首を横に振る。
「さあ家主は君だ、エレノア。この家のルールは君が決めていいんだ。何でも遠慮なく言って欲しい」
私の顔とクルルの顔を交互に見回して逡巡するが、覚悟を決めたのか顔を上げる。
「じゃ、じゃあ……眠るときはわたしの隣で寝て欲しいです……」
「それはクルルがか?」
私の問いに首を横に振る。
「お二人に、です……。一人で眠るのは、少し、怖いので……」
クルルと顔を見合わせる。クルルは軽くため息を吐いてからエレノアを抱きしめた。
「仕方ない子ですにゃ……お姉ちゃんが主と一緒に付いててあげます…にゃ。大丈夫心配要らない…にゃ」
「はい……! ありがとうございます……お姉ちゃん」
「はうっ。……やばい、やばいですにゃ。可愛すぎます…にゃ」
お姉ちゃんという言葉の魔力に囚われてしまったクルルは、この時の会話を機にエレノアの良い姉として振る舞い、彼女を溺愛するようになる。
こうして数年に及ぶ三人の奇妙な共同生活が始まったのだった。
初日の夜は、私とクルルがエレノアを間に挟み並んで眠った。一人ではないことに安心したような表情でエレノアは眠りについたのだった。これはこの家を出るまでずっと続くことになる。
二週間が過ぎた。
生活もだいぶ落ち着いてきたので、エレノアの教育をどうしようかという話を彼女も含めてしていた。
以前は教師を招いて勉強を教わっていたらしいが、私が教えられるのは魔術と基礎教養くらいだ。幸いこの街には学び舎がある。地頭の良いエレノアなら将来的には更に高等な教育を受けさせても良いだろうし、もしかしたら友人も出来るかもしれない。そこへ通うのも良いと思っていた。
「エレノアはどうしたいにゃ?」
クルルはエレノアの意見を求める。もともとクルルはどちらでも良いと言っていたが、彼女が望むなら全力で応援するだろう。
エレノアは少し悩んだ様子だったが、私の目を見て口を開いた。
「学び舎に、行ってみたいです」
それからはあっという間にあれよあれよと話が進み、彼女の受けてきた教育と現在の学力を鑑みて高等部へ飛び級で入学することとなった。
「わあ……。制服なんてあるんですね!」
えんじ色をベースに、襟元に白いラインが入ったワンピース型の高等部の制服を着てくるくる回っていた。
エレノアはまだ十歳である。本来ならば高等部は十三歳からで、彼女の年齢ならばまだ初等部のはずだった。制服姿の自分に満面の笑みを浮かべるその姿からは幼さが抜け切らない。
「なかなか似合っているぞ」
「ありがとうございますホシミさん!」
本来ならば同年代の子どもがいる初等部でも良かったのだ。しかしエレノアは高等部を選択した。理由は尋ねていないが、おそらくは早く大人になりたいと思ったのだろうと考えた。
「クルルお姉ちゃん、どうかな?」
「すっっっっごく可愛いですにゃエレノア!」
「ホント!? 嬉しい!!」
手を取り合って一緒になってくるくる回る。
二人は目が回って床に転がるまで回り続けていた。
ーーーーーー
「そうしてエレノアは学び舎へ通うことになったんだ」
「なんというか……身寄りのない少女を健やかに育てて悦に浸る特異な趣味を持った貴族のオジさんみたいです」
「誰だそれは!」
そんな人物に心当たりは無い。寧ろその逆を成す悪徳貴族なら山ほど見てきたのだが……というか出てきた感想がそれとは酷すぎる。
「そんなことを言われるとは思わなかった。傷付いたので今日はここまでだな」
「あ〜ん、嘘です冗談ですホシミさんめっちゃかっこいいです! よっ男前! 今すぐ抱いて!」
「……はぁ」
身体にしがみついたココノハを外しながらため息を一つ吐いた。
「で、どうして学び舎のことを話したんです? 何か起こったんですか?」
先ほどと同じ姿勢に戻り少し前のやり取りをさらっと流して聞いてくる。
「あー……そうだな。学び舎では特に何も起きていない。万が一エレノアが虐められでもしていたらクルルが影から加害者を葬り去っていただろうがそんなことは無かったな。だが、家で起きたことはある」
「クルクルさん怖っ。……って何が起きたんですか?」
言うべきか悩む……どう考えてもこの件がエレノアと結婚することになる原因だから外せないのだが、内容が内容でな……。仕方ない、極力端的に伝えるとしよう。
「獣人は特定の周期であるものが来るんだ。発情期と言って異性を強く欲する衝動だな。本来ならば理性で抑えられる程度の少しムラムラするといったものなのだが、その時は運が悪く満月の夜だった。丁度その時期に満月を見たクルルは…………まあ簡単に言えばエレノアの前でクルルに襲われたのだ。以上」
「ちょっ!? それ子どもの前ではマズイですよ!!」
「仕方ないだろう! あの状態の獣人は手がつけられんのだ! 殺らねば犯られるのだぞ! 殺すわけにはいかんなら受け入れるしかないだろう!?」
はぁはぁと二人で荒い息を吐きながら言い合いを止める。
仄かに頬を赤く染めたココノハは続きを聞いてきた。
「で、どうなったんですか」
「見られたさ。速すぎて部屋を出ることすら叶わなかった」
「あ、そっちの予想はついていましたから、エレノアさんの反応の方をお願いします」
「顔を真っ赤にしながら目をそらすことなくずっと見ていた。その時に思ったのだろうな。恩を返すには自分を捧げれば良い、と」
今でもあの時のエレノアの表情を思い出せる。本来少女に見せるべきでない男女の交わりを見てしまった彼女は、興奮し高揚していた。
発情期が治って冷静になったクルルが凄く焦っていたのを今も覚えている。その後しばらくはどこかよそよそしかったな。
「で、……手を出したんですか?」
「私からは出していない」
「つまりエレノアさんから迫ってきたと」
沈黙で返答とする。
まあ結論を言ってしまえばココノハの言う通りだ。成人するまではダメだと言っていたら成人したその日に寝込みを襲われた。
クルルは祝い酒で完全に酔い潰されていたため、エレノアにとって絶好の好機だったのだろう。
「……まあ、あとは事件もなく平和に暮らしていたからな。次はエレノアが成人してからのことを話すとしようか」
気まずい空気を振り払うように過去の話を続けるのだった。




