次回はいつ
私は、殿下の執務室の大きなソファの上で、ガッチガチに固まっていた。顔は真っ赤で、火を噴きそうに熱い。
何故こんな状態になっているかというと、先程の殿下の発言が原因である。
「欲情?・・・するよ、私だってね。・・・でも、それはまた、次回・・・」
しかもこれ、ソファに座る私の胸に、殿下が顔をうずめながらの発言だ!現在進行形で!!
ううっ・・・!
私は泣きそうになりながら、殿下に抱かれるがままになっていた。この発言を聞いた後だと、さっきまで意識しなかった殿下の顔が、鼻が、唇が、吐息が、胸に当たるもの全てが、私の羞恥心を刺激する。
別に殿下が嫌なわけでは決してない。でも、こんな辱めを受けて、泣かずにはいられるか。
い、いや、待てよ、殿下が次回と仰るからには、今回はそういう気持ちは持っていないということだろうか。
では、ひとまず私の貞操は守られるということではないか。
けれど、次回っていつ??
色んなことが頭をめぐり、グルグルと目が回って気持ち悪くなってきた。
そんな私を知ってか知らずか、殿下が目をつむったまま、小さく笑う。
わっ、笑った!殿下が笑った!
普段はサービススマイルを振りまく殿下は、私の前ではほとんど無表情。こうして笑うことなど、滅多にないことなのだ。
こんな顔をされたら、振り解けないじゃない。
私は赤い顔のまま、肩を落とした。
すると、それまでずっと目をつむっていた殿下が、ちらりと目だけ動かし、上目遣いに私を見上げた。
で、殿下っ、可愛い・・・!!
私は頬を染めながら、困ったように眉を下げた。
「・・・殿下、お戯れを」
すると殿下は先ほどまでの柔らかな笑みを消してしまった。
私は、びっくりして、そして自分の発言で殿下が普段の殿下に戻ってしまったことを酷く後悔した。
今の殿下の瞳は、不機嫌。そう形容するのが相応しい。
「・・・ラファウと。そう呼んでくれ。」
私は驚いた。そんな、なんと、恐れ多い。
「殿下、それは・・・」
「体を許しておいて、名では呼べないと言うのか・・・フラウ?」
殿下が私を愛称で呼ぶ。
その響きの、何と甘美なことか。
私は、否定の言葉を紡ごうとした口を一度閉じて、再度開き口をすぼめた。
「・・・体を許したなんて、誤解を招く表現はやめてくださいませ。・・・ラファウ様。」
殿下は満足そうに小さく頷くと、再び目を閉じた。
何だろう、こんな子供っぽい殿下を、私は知らない。
勿論、それが嫌なわけではない。大人っぽい殿下も好きだけれど、こういう可愛いところも、悪くないかも。
私はこっそり、えへへ、と笑った。
何だか、恋人同士みたいだ。
あ、いや、多分もう恋人なんだと思うけれど、やはり、直接的な表現をされたことがないので、確証は・・・ない。
これと同じようなことを殿下が他の女性にやっていないとは言えないし・・・
いや、殿下を疑うわけではない、疑うとしたら私の魅力。こんなに素敵な男性が、私なんかを好きになってくれるということが、いまいち信じられないでいる。
せめて、殿下のお口から、好きだと言ってくだされば・・・
もしくは、私たちって付き合ってますかって聞いてみる・・・?
いいや、それはない。仮に付き合ってなかった場合、私が酷い勘違い女になってしまう。
それは困る。
私は心の中で、盛大なため息をついた。
何か、別のことを考えよう。
「・・・そういえば、殿、・・・ラファウ様。」
ラファウ様が、顔を上げずに、小さく、うん?と返事をする。
「以前、夜会でご一緒した時のことを覚えていますか?ほら、エルバトス様が私に下さったお酒を、ラファウ様が飲んでしまわれて。」
そう言うと、ラファウ様は少し間をおいて、低くああ、とお答えになられた。
心なしか、機嫌が悪くなったような気がして慌てる。
あれ、そういえば、あの時も、同じような雰囲気を出していらっしゃらなかったかしら?
「私、何かお気に触るようなことをしてしまったのでしょうか?何度考えても、わからなくて・・・」
すると殿下が、少しの時間考えた後、素っ気なく答えた。
「・・・君が、お酒を飲み過ぎていたから。」
「ご、ご心配をおかけして、申し訳ありません。ですが、私、普通の量では、そうそう酔っ払わないのです。」
なので、お構いなく。
そう言えば、ついにラファウ様は私の胸から体を起こした。温もりが離れて冷えた空気が胸に入り込み、私はどうしようもない寂しさを覚えた。
ラファウ様は、少し眉を寄せて私を見下ろす。
あれ、私、また失言・・・?
ここは可愛く、酔っ払ったらラファウ様に介抱してもらいますわ、なんて図々しいことを言えばよかったかしら。
背中に冷や汗が流れる。
「・・・フラウ、君は素晴らしい女性だが、危機感に欠けるところが玉に瑕だ。夜会には君の様に心根の真っ直ぐなものばかりではない。いつ何時も、隙を作るべきではない。」
ラファウ様から、至極真っ当なご忠告を頂いてしまった。
母国でも、何度か聞かされた言葉だ。
しかし私は、素直にこくりと頷きながらも、あまり反省はしなかった。何故なら、私はいつも、警戒心の塊だと自負しているからだ。こと夜会においては、目立たない様に、周りに迷惑をかけない様に、そればかり考えていると言っても過言ではない。他のご令嬢よりは大分気をつけている方だと思うのだが・・・
そんな私の心を、ラファウ様は読んでしまったのだろうか。素直に頷いたはずの私に、一層顔を歪ませた。そしてあろうことか、私の肩に手を添えて、ぐっと体重をかけられる。
え・・・
ポスンと、背中がソファにあたって沈み込んだ。そんな私に、ラファウ様が覆いかぶさってくる。
あ、れ?これって・・・?
「隙だらけだ、フラウ。・・・次回だ」
次回?次回って・・・あの次回・・・!!?
私は冒頭のラファウ様の言葉を思い出した。
なんと、舌の根も乾かぬうちに、もう次回が来てしまった!私の貞操の危機が!
私は慌てて身を起こそうとするが、ラファウ様が軽く手を添えているだけなのに、ビクともしない。
慌てる私に、ラファウ様が容赦なく近づいてくる。
私は本気で、先ほどの自分を反省した。
ごめんなさい!もうお酒は、やめられないけれど、量を少しだけ控えますから!!!
心の中で叫んでも、ラファウ様には届かない。そうこうしているうちにラファウ様の体が私を押しつぶして、ラファウ様の顔が、私の胸に押し当てられる。
さっきまでと同じことをしているはずなのに、座った体制から横になった途端に、いやらしさが倍増するのは何故だろう。
ラファウ様の鼻先が、私の胸の谷間に押し当てられる。
いいや、さっきと同じだなんて、そんなはずない!だって、これは、次回、だもの!次回は、欲情するって仰ってたもの・・・!!
「やっ!ラファウ様!!」
思わず私が叫んだその時、執務室の扉が、コンコン、とノックされた。
私の体は凍りついた。
ラファウ様は、のっそりと腕で体を起こし、私を見つめたまま、声をかける。
「取り込み中だ。」
や、や、そんなこと、言っていいの!?私たち、お互いの関係を公にしないって約束しましたよね??大丈夫?バレてないかしら!!?
そんな私の動揺とは裏腹に、ラファウ様は落ち着き払っている。
「・・・そろそろ、お約束の時間でございます」
扉の外から遠慮がちに声をかけて、その足音は遠ざかっていった。
私たちは暫くお互いを見つめたまま止まっていたが、やがてラファウ様は、諦めた様にゆっくりと瞬きをすると、体を起こした。
私に手を差し出したので、私は迷いながらもその手を取り、起こしてもらう。
私はさり気なく胸元を掻き寄せたが、ラファウ様に既に甘い雰囲気はなく、一瞬で仕事モードに切り替えられた様だ。
すまない、出なければ、と言って、ソファを立ち、執務机で外出の準備を始めた。
一方、私はそんなに切り替えが早くない。惚けながら、ゆっくりとドレスの胸元を整える。
ラファウ様は何も言わないが、早く退室した方が良いのだろう。
そう思い、足に力を入れて、立ち上がった。そうしなければ、足から崩れそうな倦怠感を感じていたから。
遠慮がちに、当たり障りのない挨拶をして、ラファウ様に背を向ける。
扉の前まで来た時、ふいにラファウ様が、私の背中を呼び止めた。
「・・・フラウ。聞きたいことを、聞きそびれた。が、また次回だ。連絡する。」
次回、という単語にどきりとするも、ラファウ様に、その意図は無い。私はこくんと頷いて、扉をくぐった。
扉の外を守る騎士に、平静を装って挨拶すると、ゆっくりと、執務室を後にする。
仕事に戻った途端、甘えん坊が嘘の様に、いつもの大人のラファウ様に戻ってしまった。
ひどく残念に思う自分がいる。
しかし、私は一つ、二人の関係性が少し前進した、あることに気づいていた。
「フラウ、呼びが固定されたわ。」
思わず胸から嬉しさが湧き上がって、顔がにやけてしまう。
まだまだ私達の関係は、未熟で、脆い。
目下の悩みが解決されたわけでもない。
そしてこれからも、ラファウ様との間には、幾度となく困難が立ちはだかるだろう。
けれど、こうして少しずつ、二人の距離が縮まっていけば良い。・・・ね、ラファウ様。
「それにしても、聞きたいことって何だったのかしら。」
後ろから付いてきたエリザベートが、いかがいたしました?と聞いてくるのに対し、何でもないと首を振って、私は廊下を歩き出した。
次回はいつ
今でした