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11 ネバーギブアップ

 ついつい、嫌味っぽく僕は言った。


「まあ、かくいう湯川さんも半年後には大学生になって、JKブランドを失うわけだけれどね。燃え尽きる寸前の流れ星みたいに頑張ってね」

「うわ、ムカつく。やっぱり、先生とのことばらそうかな。……嘘だけど」


 脅しになっていない。一宿一飯の恩義を仇では返さない、との言葉に嘘はなかったようだ。

 ともかく、大学生と自由に恋愛しまくっている栞からしてみれば、一つ年上の家庭教師と僕がいい感じになっている程度、どうでもいいことらしかった。僕に対しては恩もあるし、だから言いふらしたりはしない、と。一応、そういう結論でこの話はまとまった。



「湯川さん。まだ僕に質問したいことがあるのなら、受け付けるよ。僕が睡魔に完全に勝てなくなるまではね」

「そうね。うーんと……井上って、結婚願望とかある?」

「ないな」

「ふーん。ちなみに、理由聞いてもいい?」

「生きていても辛いことの方が多いから」


 ひねくれ者の僕は、即答した。


「……え?」 


 一方、栞は割とガチでドン引きしているらしかった。


「人生は辛いことの方が多い? え、それ本気で言ってる? あたしにかかれば大概の男は手玉に取れるし、大抵の一軍女子グループには取り入れるし、楽しいことばっかりなんですけど」

「今現在、人間関係で絶賛失敗中の人が言っても説得力ないよ!」


 家出を迫られるまで追い詰められてもなお「人生は楽しいことの方が多い」と信じていられるのなら、本人的には幸せなのかもしれない。



「何とでも言いなさいな。あたしはこう見えてポジティブなのよ」

「だろうね。僕もそんな気がしてた」

「で、話を戻すけれど。結婚願望がないってことは、子供も欲しくないの?」

「ああ」

「ちなみになぜ?」

「辛いことの方が多い人生を、子供に体験させるのが可哀想だから」


 反出生主義者かよ、僕は。


「湯川さんはどうなんだ? 結婚願望はあるの?」

「ないわ。子供も欲しくない」

「理由を聞いても?」


 人生は楽しいと肯定しているのに、我が子にそれを体験させたくないとはこれ如何に。


「他の女の子と話していると、大多数の子って、子供は可愛い生き物だと認識しているのよ。あたしはそうじゃないから」

「へえ、珍しいな。この僕でさえ、子供は可愛いって思うのに。一部のクソガキを除いては」

「そもそも人間が子供を可愛いと思うのは、子孫を残すため、人間の本能に、遺伝子に刻み込まれたプログラムに従っているに過ぎないわ。つまり、あたしたちは生まれながらにして、子供を可愛いと感じるようにプログラムされている。常に色眼鏡で子供を見ているのよ。逆説的に言えば、色眼鏡を外した状態で見れば、大して可愛くないに違いないわ。世話するのを超大変に思う程度には」

「けれど、それって証明不可能じゃないかな? だって、僕たちが人間であり続ける限り、『色眼鏡を外した状態で』子供を観察するなんてできっこないじゃないか。あくまで仮説の域を出ない。シュレーディンガーの猫みたいな感じだよ」


 結婚願望もないし子供も欲しくないのに男漁りはするって、考えようによってはなかなかめちゃくちゃな生き方なんじゃなかろうか。結局それ、人間の本能に抗えてなくない?

 僕はため息をつこうとしたけれど、同時に眠気に襲われたので、半分がため息で残り半分があくびみたくなってしまった。



「僕が言えたことじゃないけれど、湯川さんもなかなかひねくれてるよね。こんな夜中に唐突にお互いの人生観について語り合い始めて、妙な持論を展開するなんて」

「別に良いじゃない。人生について語り合う機会なんて、今くらいしかないでしょ」


 読みかけの少年漫画のページを閉じて、栞は不意に僕の顔をじっと見た。ふふっと口元を緩ませる。


「それに、普段あたしの周りにいる連中とは、こういう話できないし。井上くらいだよ、深い話とかできるの」

「……お、おう。そっか」


 あれ、おかしいな。今一瞬、湯川栞が急にデレたような気がしたのだけれど。

 まさか本当に、第2ヒロイン候補に名乗りを上げるつもりか。誰得なんだよ、この展開。連載漫画なら、下手したら読者からクレームが殺到して打ち切りになるぞ。


「悪い。もう眠気が限界突破しそうだから、寝るよ」


 動揺を隠し、僕は踵を返した。もはやキッチンへ向かうことすら諦め、真っ直ぐ自室へ引き返す。


「えー、もう寝ちゃうの? ちょっと待ちなさいよ!」


 が、またしても栞にパジャマの袖を掴まれ、妨害された。何てことだ。不人気ヒロインのくせに展開を引き伸ばしてくるとは、お約束を守らない奴である。否、この腹黒女のことだ、「約束は破るためにある」とでも考えているのかもしれない。


「勘弁してよ、湯川さん。僕はもう眠いんだ」

「それが何よ。あたしはまだ眠くないの! もっとあたしに面白い話を聞かせなさいよ!」


 とんでもなく甘えん坊で、わがままな奴だった。

 湯川も多少は眠いのだろう、口調がちょっぴり子供っぽくなっている。でも本人に「幼児退行したの?」と尋ねたらキレられるだろうから、黙っておいた。


「……いや、さすがにこれ以上は無理だ。眠気で頭がぼーっとして、論理立てて話せそうにない」


 僕は今度こそ彼女を放置して、部屋に戻った。



 井上家に一週間ほど滞在したのち、湯川栞は自分の家に戻っていった。謝罪のメッセージを送った甲斐あって、どうやらバスケ部女子との関係が改善に向かいつつあるらしい。

 お泊り初日の深夜、あの中身があるようであんまりないお喋りを除いては、僕と栞が必要以上に会話を交わすことはなかった。一応、彼女にも受験生の自覚はあるようで、家に引き籠って一週間、ひたすらストイックに自学自習をしていた。

 無論、男性向けラブコメでよくある、ムフフな展開も皆無だ。僕がお風呂に入ろうとしたら栞が入浴中だったり、手違いで栞を押し倒しちゃったり、なんてことは一切なかった。したがって、立花先生へ連絡して「貞操の危機です!」と報告することもない。


「ありがとね、井上」


 去り際。スーツケース片手の栞は、玄関を出るところで僕へ振り向き、言った。


「タダで泊めてもらって、ご飯も食べさせてもらって、至れり尽くせりで最高だったわ。勉強も捗ったし。この一週間、たっぷりと利用させてもらったわよ!」

「もうちょっと言い方ってものがあるだろ! 頼むから二度と来ないでくれ⁉」


 売り言葉に買い言葉で、僕たちは散々な別れ方をした。

 こうして、意外なほどあっさりと、最悪の第2ヒロイン候補は井上家から出て行った。危機は去ったのであった。

 彼女が去ってすぐの授業の日、立花先生はやけにテンションが高かった記憶がある。


「やったーっ! これで今日からまた、井上くんを独り占めできるねっ!」

「勝手に独占しないで下さいよ。独占禁止法違反で訴えますよ」

「訴えられちゃったっ⁉」


 まあ、こんな具合だ。

 わたわたしている先生を横目に、僕は「ああ、やっぱりメインヒロインはこの人こそふさわしいな」と思うのだった。



 スーツケースを引いて、早朝の街を歩く。

 湯川栞の頬が赤く染まっていたのは、夏の暑さのせいではない。この時間帯はまだギリギリ涼しいといえる。


(……あいつ、本当に一度も、あたしに手を出してこなかったわね)


 井上悟は、やろうと思えばいつだって自分の立場を利用し、湯川栞のことを好きにできたはずだ。たとえば「言うことを聞かないと、僕の家に君が泊まっていることをクラスメイトにばらすぞ」とか何とか言って。井上の両親が出かけているタイミングを見計らえば、チャンスは幾度となくあったはずである。

 にもかかわらず、彼は決して湯川栞に手を出さなかった。わざとデレてあげたときだってあったのに、ほとんどリアクションを見せなかった。


(他の男子は、あたしがちょっと距離を縮めてあげたら、露骨にそういう目で見てくるのに。一筋縄でいかないわね、あいつ)


 湯川栞は、性格以外は完璧な女だ。井上家に居候しているときも日課の筋トレを欠かさず、むっちりしすぎていない理想的なボディラインを維持している。はんなりした和風な顔も、客観的に見ればかなり可愛い方といえる。そんな彼女の魅力をもってしても攻略できなかった井上悟という男の存在は、ある種の挑戦心を燃え上がらせた。


(いつの日か必ず、あいつをあたしにデレさせてみせるんだから!)


 井上家を去った第2ヒロイン候補は、実際のところ、完全には退場していなかった。


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