第21話(全36話) 粛清への誘惑
朝早くに、宰相の執務室にカミーユがやってきた。
どこからか現れたバスチアンが寝室の扉をノックし小声でカミーユの来訪を告げた。アルチュールが身なりを整えて執務室に出て行くと同時に、バスチアンがカミーユを執務室に招き入れる。寝室に残されたあたしはまだ毛布にくるまっていた。カーテンの隙間からこぼれる朝日がまぶしい。
アルチュールの執務室は多忙さを物語るように乱雑だった。あちこちに書きかけの書類が散らばっいている。あたしがハウスキーパーだった時は、屋敷の書斎は毎日綺麗にしていたのだが、王宮内の執務室のことまでは手を出していない。こっちには他人を入れさえしていないようで、部屋の片隅には層をなして積みあがった書類が山のようになっている。そんな昨日見た執務室の様子を思い出しながら、二人の話を聞くとはなしに聞いていた。あたし、エルフだから隣の部屋の会話なんか聞こうとしなくても自然に聞こえてくる。
「大貴族たち守旧派を一掃する手段があります」
カミーユは挨拶もそこそこに切り出した。アルチュールの政策は王国住民の保護をうたっているが、それは一面領主層の既得権益を脅かすものだ。宰相の改革政策に反対する者たちは多い。王様の信任を受け、民衆から期待されていても、アルチュールには敵が多い。
「守旧派の長であるキグヌス大公に領地で反乱を起こさせるのです。彼らは宰相を除くために結集するでしょう」
カミーユの言葉は静かで確信に満ちていた。大貴族たちはアルチュールの政策全般に反対している。彼らはオロール王女をアルチュールに取られたと思い込んでいるアドリアン王子を抱き込んだ。王子を傀儡として、王国の実権をアルチュールから奪還しようとたくらんでいるのだ。その情報は、あたしもつかんでおり、すでにアルチュールに報告していた。大貴族の一派は確かにアルチュールにとって排除すべき障害だ。
「彼らがいくら集まろうと恐れることはありません。こちらには魔王の遺産があります。キグヌス大公の反乱軍を壊滅させて、そのまま反転して、王都を制圧。王都の守旧派を拘束してしまえば、宰相に逆らうものはいなくなります。宰相の決断一つで、理想の国が実現できるのです」
まぁ、前回は途中までうまくいってた。でも王都でおまえは裏切ってアルチュールの首を広場にさらし、王様さえも殺したじゃないか。
でも不思議なことに、今回カミーユにアルチュールを騙そうという様子は全く見られない。カミーユは嘘をつくために生まれてきたような人間だが、それでも長年の付き合いで、嘘をついているのかどうかは大体わかる。彼の声にはいつものような人を操るような響きはなく、真剣さが感じられた。今のカミーユは、彼なりに誠実にアルチュールに提案しているように見える。
「いや、そういう手段はとらない」
アルチュールは静かに、しかしはっきりとそう言った。その声には揺るぎのない決意が込められていた。寝室の壁越しに聞いているあたしにも、自信に満ちた彼の表情は容易に思い浮かべることができた。いつものアルチュールだ。お人好しで、普段は人の話を微笑みながら聞いているだけだけど、間違ったことは絶対に許さない。そんないつものアルチュールだ。
あたしは毛布をゆっくりと手放し、脱ぎ散らかした衣服ををひろい集めた。身支度を整えながら、二人の言葉に耳を澄ませる。
「大貴族、キグヌス大公、オフィウクス公、アラ公とも融和の道を探る。強硬なやり方は新たな憎しみを生むだけだ。みんなが安心して暮らせる国を、僕は作りたいんだ」
アルチュールの声は堂々としていた。
「しかし、今が好機です。宰相の政策を王国中に広げ、王権を強化する絶好の機会です。反対者を一掃してしまいましょう」
カミーユの言葉には切迫感があった。
「アルチュールはそんなこと、絶対にしない!」
あたしは寝室に残るアルチュールとあたしの匂いを深く吸い込み、覚悟を決めて扉を開けた。
「反対する人間を力づくで黙らせる。そんなことをアルチュールにさせないで」
カミーユを鋭くにらみつけ、あたしは部屋の中に入った。そう、アルチュールに、アルチュールらしくないことはさせないで。
突然現れたあたしを見て、カミーユは驚愕していた。その目は「なんでジジがここにいるんだ?」と言っているように見開かれていた。彼の整った顔に戸惑いの色が浮かぶ。彼はあたしが寝室から出てきたのを認識できていない。彼の頭の中で忙しく思考が駆け巡っているのがわかる。
アルチュールとオロール王女を結びつけることは、カミーユの中では心情的にも理性的にも最善だったはずだ。
アルチュールに対する友情と、幼なじみで自分に好意を寄せ続けてくれたオロール王女への愛情。王女様を託せるのはアルチュールしかいないという感情の部分と、王女と宰相の結婚によって権力を固めるという理性の部分、二人の結婚がすべてをかなえる完璧な計画だったはずだ。
それなのに、あたしが寝室から登場したことで、何かに気づき、アルチュールの姿勢の変化の背後に何があったのかを推理し、これまでうまくいっていた自身の計画が崩れ去ったことを知ったのだろう。
あたしは別に二人の結婚を邪魔するつもりはないけれど、カミーユは許せないんだろうな。そういう感情的な部分を切り捨てることができないのがおまえの甘いところだよ、カミーユ。でも、あたしはカミーユにちょっと同情している。あたしの行動はちょっとまずかったのかもしれない。あたしもこんなことになるなんて、ちっとも思ってなかった。あたし自身もまだ夢の中にいるようで現実感がなかったりする。でもしょうがないよね。
あたしはアルチュールの側に寄っていき、彼の少し冷たい手をそっと握った。アルチュールはあたしを見て微笑んだ。うん、いつもの明るい笑顔だ。元気を取り戻したみたい。いつもの自信に満ちたアルチュールの笑顔だった。彼の瞳に自信が戻ってきたのがわかる。
あたしたち二人を眺めていたカミーユがようやく絞り出した言葉は、
「ジジに何がわかる」
というものだった。独り言のような小さなつぶやきだった。拭いきれない苦味がその言葉に滲んでいた。
「アルチュール、パーティに誘ってくれてありがとう。嬉しかった。私はアルチュールのパーティに入りたいと、ずっと思っていたんだ」
カミーユが似合わないことを語り始めた。その声はまるで別人のようだった。
「ジジ」
アルチュールの方を向いて話していたカミーユの視線が突然、射抜くようにあたしの方に向けられた。その鋭さにあたしは思わず息を呑んだ。
「なに?」
「私はおまえがうらやましかった。誰も知らないと思うが、おまえがパーティに誘われた時、私もその場にいたんだ」
少し沈黙があった。カミーユは遠い日の思い出をたどるように目を伏せた。
「最初にベルナールに誘われて、おまえが断った時、こいつはなんて価値のわからない奴なんだと思ったよ。そしてアルチュールに誘われてパーティに入って。心の底からおまえが妬ましかった」
カミーユが拳を握りしめ、うつむきがちになって話している。自分の心と向き合っているようだ。
「その後、私もアルチュールに誘われてパーティに入った。楽しかったよ、ドラゴン退治も異世界探訪も。そして魔王討伐も。その冒険の中で私は確信した。アルチュールこそが、この王国を、いや世界を変えることのできる存在だと」
カミーユはゆっくりと顔をあげ、アルチュールの方へ身体を向けた。知らなかったよ。おまえがそんなにアルチュールを認めていただなんて。彼の言葉にはアルチュールに対する深い信頼と尊敬の念が感じられた。
「この国には自分たちの利益のことばかりを考えて、王国全体を考えない大貴族たちがいます。そのせいでつまらない権力闘争が起き、外国からの侵攻も受け、この国は荒れていく一方です。貴方なら国を一つにまとめることができます。大貴族たちを排除して、国王を中心とした国を作りましょう」
アルチュールは腕を組み、真剣な表情でカミーユの言葉に耳を傾けていた。
「宰相オフィウクス公は、キグヌス大公と結託して、王国を私物化していました。私の父のシャウラ伯とレサト伯は国王に権力を取り戻そうとして失敗し、殺されました。彼らは自分たちの権力のためなら手段を選びません。王妃も彼らに殺されたようなものです。王妃付きの女官のリュシルだって……」
カミーユの声はかすれていた。
「魔王討伐後、アルチュールのおかげで公は失脚しましたが、その力は残っており、キグヌス大公もいます」
カミーユは言葉をきった。アルチュールは相変わらず、黙って考え込んでいる。
「キグヌス大公らを除いて、王家中心の国を作りましょう。もちろん、その時の王は、オロール王女と結婚したアルチュール、貴方です」
あたしはカミーユの話を聞いていて、なにか納得できないものを感じていた。自分の言葉で話していないような……、誰かに言わされているような……。そんな違和感を感じた。
「この国は浄化が必要です。アルチュールもそう考えていたでしょう?」
彼は彼なりに王国のことを考えている。けどそれだけだろうか。いつものカミーユではないみたい。彼の声にはかすかな震えが感じられた。いつもの冷静さも感じられない。どこか焦燥感を漂わせている。
「大貴族たちは私腹を肥やすことしか考えていません。彼らのせいで民衆は貧困にあえぎ、王国は衰退の一途をたどっています」
彼はアルチュールを見つめ、話し続ける。
「オフィウクス公を失脚させるだけでは駄目だったんです。私も最初は宰相が変われば国は良くなると考えていました。私の復讐は王国のためでもあると考えていました。しかし、公がいなくなっても変わらなかった。アルチュールが宰相になっても、改革の歩みは遅々たるものです。この国は一から作り直す必要があります。アルチュールもそう考えていたでしょう?」
カミーユの声は次第に切実さを増し、最後は懇願のようになっていた。まるでアルチュールを死なせたくはないというように……。彼の言葉には焦燥と不安が入り混じった重苦しい匂いが漂っていた。
「いや、僕は、そのような強硬な手段はとらない」
アルチュールはカミーユの目をまっすぐに見つめ、落ち着いた声で静かに言った。
「僕もオフィウクス公がいなくなれば、すべてが良くなると思っていた。僕が宰相になれば、すべてをよくすることができると、甘く考えていた」
アルチュールが静かに語っている。カミーユと共に、自分にも言い聞かせている口調だ。
「でも違った。オフィウクス公は失脚しても、その影響力は残っている。キグヌス大公もいる。僕が宰相となったところで、あまり変わらなかった……」
アルチュールは言葉をきって、あたしの方を見た。何かを確かめるようだった。そして、再びカミーユの方に向き直り、決意を込めた強い眼差しを向けた。、
「だが、大貴族たちを粛清するようなことはしない。時間がかかっても協力者を見つけ出し、作り、一緒に成長することでこの国を変えていく。僕たちなら、きっとできる」
アルチュールの話をカミーユは黙って聞いている。アルチュールは落ち着いている。だけど一方のカミーユはなにか焦っているように見える。今まで簡単にアルチュールを操ってきたのに、ここにきて、彼が頑強に反対するから? いや、なにか違う感じがする……。
「カミーユ、君がパーティに入ってくれて嬉しかった」
アルチュールが微笑みを浮かべながら、カミーユを安心させるように優しく話しかけた。
「君が仲間になってくれたように、僕たちを理解して協力してくれる人たちはたくさんいるよ。それに僕らはまだ若いんだ。時間なんていくらでもある。そんなに焦っても仕方がない。ゆっくりやろうよ」
カミーユはうつむきながら、「違うんだ」と言ったように聞こえた。そのあとも何か言いたそうに唇を震わせたが、結局何も言わなかった。彼の顔は蒼白だった。彼の言葉には深い絶望のような冷たい匂いが漂っていた。
カミーユの言葉の端々から、大貴族の粛清という計画には、彼以外の誰かの意図があることを、あたしは確信した。




