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学園を卒業してからルチルは、結婚式の準備、キルシュブリューテ領の管理、ヘリオ子爵令息との会議等で慌ただしくしていた。
ヘリオ子爵令息の下に文官を2人つけ、3人はよく働いてくれている。
ルチルは去年冬に祖父と約束した通り、結婚まではアヴェートワ公爵家に戻っているが、毎日王宮に通ってアズラ王太子殿下とは会っている。
アズラ王太子殿下は、本格的に王太子としての政務を始めた。
学生の頃よりは時間に余裕があるそうだが、それでも目が回らないかなと心配になるほど忙しくしている。
オニキス伯爵令息は、変わらずルチルの護衛騎士を続けている。
唯一違うのは、名前が変わったことくらいだろう。
モンブランシェ伯爵家に養子入りをし、オニキス・モンブランシェになった。
モンブランシェ伯爵は、ヴァルアンデュ領に居住している貴族で、妻と子供に先立たれ、1人暮らしをしている老人になる。
陛下が子供頃に、近衛騎士をしていた方だそうだ。
「爵位を譲る相手もいないので、殿下の自由に使ってください」と、快く承諾してくれたと聞いている。
シトリン公爵令嬢は、ナギュー領の管理と公爵夫人としての勉強を始めたと言っていた。
フロー公爵令息は、文官見習いとして王宮で働いている。
ジャス公爵令息は、第一騎士団の新人騎士に就任している。
エンジェ辺境伯令嬢は、ネイルサロンで働きながら、公爵夫人としての勉強に励んでいる。
ラブラド男爵令嬢は、ルチル専属侍女の最終選考で残念ながら落ちてしまった。
今は作家活動をしながら、勉強とマナーのおさらいをしている。
再募集がかかったら、今度こそ受かるためだそうだ。
ゴシェ伯爵令嬢は、何をしたいか分からないので、まずは好きなものを探すことから始めるそうだ。
家族も応援してくれていると言っていた。
アンバー公爵令嬢は、無事にルチルの護衛騎士の試験に合格しており、結婚式の日から護衛してくれることになっている。
今は、騎士団で腕を磨いている最中だ。
スピネル男爵令嬢は、ルチルが提案した通り、騎士団専属の医師になった。
王宮お抱えの医師たちと意見交換しながら、楽しく過ごしているそうだ。
2月になり、ルチルが祖父と父に密かにお願いをしていたことが叶った。
アヴェートワ公爵家が、セラフィの後見人になれたのだ。
ホーエンブラド侯爵家が情けをかけているように見せるために後見人になっていたが、何一つしていたことはない。
塔に住めていたのは、アズラ王太子殿下のおかげだ。
ホーエンブラド侯爵家からセラフィの籍を抜くこともできている。
セラフィは貴族ではなくなったが、アヴェートワ公爵家の力でこのまま塔の最上階に住むことができる。
そして2月14日、バレンタインデーに小説と歌がセットになった『両片思い』が発売された。
1月には販売できるようになっていたが、印税をホーエンブラド侯爵家に渡したくなくて、アヴェートワ公爵家が後見人になれるまで待っていたのだ。
爆発的に売れたので、世間の考えを変えるキッカケになれたらと思っている。
オニキス伯爵令息からは、泣きそうな顔でお礼を言われた。
オニキス伯爵令息が毎晩歌を聴いているということは、アズラ王太子殿下から教えてもらったことだ。
「まだ考えはあるから、もう少し待ってね」と、心の中で答えている。
3月になり、ミソカとシンシャ王女の婚約式が盛大に行われた。
ミソカを狙っていた令嬢たちは発狂していたそうだが、ミソカを崇めていた令嬢たちはシンシャ王女の麗しさに後光を見たそうだ。
結婚してから引っ越してくるのかと思っていたが、婚約式の時から引っ越してくるそうで、シンシャ王女の部屋がミソカの部屋の隣にできている。
シンシャ王女は、祖母と母から公爵夫人としての教養を身につけるそうだ。
シンシャ王女とアヴェートワ公爵家タウンハウスでお茶をして、アズラ王太子殿下に会いに王宮にやってきた。
前方から1人の女性が歩いてくる。
ん? あの人、最近よく見かけるんだよね。
ルチルと同じ蜂蜜色の髪に、ルチルより濃い紅色の瞳をしている。
背丈もスタイルもルチルに似ている。
違うのは、強そうに見えるルチルに対して、彼女は柔らかく儚げに見えるという点だろう。
「オニキス様、あの方をご存知ですか?」
「さぁ」
女性はルチルに気づくと、端に寄り、頭を下げた。
ルチルが通り過ぎる時、小さく笑われた気がした。
ルチルの執務室はアズラ王太子殿下の隣に作られていて、たまにここでも仕事をしている。
タウンハウスから戻ってきたことを伝えようと思って、アズラ王太子殿下の執務室を訪ねた。
「アズラ様、ただいま戻りました」
「おかえり」
会えたハグをしようと、執務机まで行こうとした。
「お客様が来られていたんですか?」
チャロが、お茶とお菓子を片付けている。
毎日予定を擦り合わせていて、今日は来客はないと聞いていた。
だから、先触れを出さずに、執務室に様子を見に来たのだ。
「あ、うん、仕事関係でちょっとね」
「そうですか」
納得したふりをして、アズラ王太子殿下と軽いハグをした。
ふーん、ほーん、コップに口紅ついてたけど、女性が来てたんだよね。
仕事関係で女性がくることはあると思うよ。
でも、アフタヌーンティーセットでもてなすかな?
何も気にしていないフリを続け、ルチルは隣の自分の執務室に入った途端、オニキス伯爵令息に壁ドンをした。
「ルチル嬢、近いよ。殿下に怒られる」
「そんなこと、どうでもいいんです。オニキス様は私の味方ですか? アズラ様の味方ですか?」
「両方だよ」
「では、これから私がすることはアズラ様には内緒にしてください。その代わり、オニキス様のことは問い詰めないと約束します」
「はぁ……分かった」
あのアズラ様に限って浮気はないと思うけど……
可能性があるなら、近頃よく見かけるすれ違った女性だわ。
あたしに似てたのよね。
アズラ様の好みといえば好みなのよ。
浮気だったら、絶対に許さない。
次の日から、あんぱんと牛乳を鞄に忍ばせて、アズラ王太子殿下を張ることにした。
オニキス伯爵令息に「どうしてあんぱんと牛乳?」と問われたので、「必需品だからです」とだけ答えた。
食べたり飲んだりしないけど、張り込みの相棒だからあるのとないのとでは心構えが違ってくる。
アズラ王太子殿下やチャロたちに気づかれないためには、遠くから張り込むしかない。
と思ったが、ここは王宮だ。
となれば、強力な味方がいる。
「お義母様、力を貸してほしいんです」
そう、王妃殿下だ。
陛下では、こういう時頼りにならないのは分かっている。
事情を説明すると、王妃殿下は扇子を折ってしまった。
こ、こわい……相談相手、間違えたかも?
「任せて。証拠を集めてあげるわ」
「ありがとうございます」
王妃殿下付きの侍女たちも協力してくれるそうだ。
そして、1週間が経った。
ルチルはその間、できるだけ王宮にいないようにした。
逢引をするのなら、ルチルがいない時間を狙うと思ったからだ。
1週間の間に何回かオニキス伯爵令息から「殿下は何もしてないよ。あんなにルチル嬢を好きなのに疑わない方がいいよ」と言われた。
そうやって庇うくせに、女性の正体は知らぬ存ぜぬで教えてくれない。
そして、ルチルの手元には、アズラ王太子殿下が会っていた女性の資料と、どれだけ会っていたかと、2人の逢引の写真が王妃殿下の手の者からもたらされた。




